黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

長野県南佐久郡小海町での移動運用 (2010/07/25)

2012年08月31日 22時53分19秒 | アマチュア無線 移動運用

    

 長野の蓑輪町の会合が終了し皆さんと再会を約束して次の運用地の南佐久郡小海町に向かう事に、蓑輪町から辰野町へ50号線を走り諏訪湖の手前を東に16号線~152号線~229号線と乗換え夜の時間帯22時~24時を廻っていたと思うが蓼科高原の九十九折のメルヘン街道を登る事に、途中に別荘地の様な所も有ったが登り詰めて佐久穂町の麦草ヒュッテ近くに辿り着いた時は既に日付が変わっていた。

 

 峠の途中に駐車場が有り20台位の車が車中泊の為、停まっていた。確か白駒池の散策の拠点で有った様に記憶している。この地点の標高は2000mHを超えておりアスファルト舗装の道を上ると簡単に2000mHの世界に行ける事に驚いた。



 夜は高度がある為、寝袋に入り寝たが朝方は少し寒かった事を記憶している。涼しくて寝心地が良かった事と、昨日は昼間と夜の時間帯に長距離を走ったせいか寝坊をして早い時間帯に起きられず。6時頃に起床し直ぐに小海町に向かう。1Km有るか無いかを走ると小海町の標識が見え一番近くの道路の広い側帯に車を停め運用場所とした。北緯36度03分39秒 東経138度22分09秒 標高2003mHで写真の場所で有る。

 

 直ぐにアンテナを設営し06:44~09:53jstに7MHzで運用開始し62局と交信して終了、この時IC-706が故障して突然パワーが出なくなるトラブルで閉局した。長く無線をやっているがこの様なトラブルは初めて後日メーカー修理に出すとドライバー段のトランジスターの不良による故障と解った。この日は天気も良く車内の荷物を引張りだし日光浴をさせた。


 


JAIAアワードの実績 (2012/08/31)

2012年08月31日 10時22分25秒 | アマチュア無線

 以前から少し興味の有った「JAIAアワード」に今年初めて挑戦した。今年は7月15日~本日までの期間、同じ挑戦するならEXクラスに取組む事にしたが諸先輩のお話を聞くと可也大変な様子らしい。通常の交信で国内局は1交信で2ポイント、海外局との交信は3ポイントとしてポイント計算される ただし同じサフィックスは局が別でも1局分にしかカウントされない。この部分だけが要注意だが同サフィックスが重複する事は確立的に多くは無い。

 開始直後はただ黙々と交信を重ねれば良いわけで2000ポイント位までは順調に進んだが2500ポイントを過ぎるとCQに応答する局ではポイントは増加しない。其の後は毎日、各バンドを注意深く聞きながらログで確認しながら呼び手に廻ったが殆ど交信済みの局ばかりで中々骨の折れる作業で有った。8月初旬にこの段階に既に入っていたが、国内局だけでは3000ポイントに到達出来ないかも?の不安から保険的に海外局との交信も必要と考え「IOTAコンテスト」と通常交信を利用した二本立ての運用形態をとった。このアワードに取組む最初の段階では国内交信のみで3000ポイントを達成したいと考えていたが、つい最近まで其れは可也難しい様に思っていた。移動運用と言う「奥の手」も有ったが どちらかと言うと移動運用時に呼び掛け戴く局は御馴染みさんやアクティブな局が大半でポイントはある程度は増加しても大きく貢献しないのでは?と私は考えていた。

 後半戦に入って海外交信を含む総ポイントは3500ポイントを越えていたが国内局のみでの達成には250ポイント程の不足が有った為、奥の手の移動運用をする事にして8月24日~26日の2日半を高知県内で移動運用を行う事にした。移動運用は注目度の高い「湯けむり対象地」と定め場所を検討したが徳島県内の対象地区は既に運用された場所が多く、後発では多くは期待出来ないので、皆さんが余り動いていない高知県安芸郡馬路村の「魚梁瀬温泉と馬路温泉」と私の移動運用の拘りの町村を1箇所(安芸郡東洋町)加えた場所で運用する事にした。

 移動運用の計画段階でも余裕を見ての300ポイント、局換算にして150局の1st交信は移動運用でも大変厳しい数値と考えていたが、最初の「魚梁瀬温泉」での運用が終わった段階で「ひょっとすると?」と確信は無かったが可能性を感じた。台風の影響が有る悪天候の中で十分な運用は出来なかったが3箇所の運用地で総計800交信以上出来たので終了段階でどうにか「目標はクリヤー出来たのでは」と確信が持てた。流石、今人気絶頂の「湯けむりフィーバー」様様である。

 今回のJAIAアワードの実績は期間中総交信数2432交信、重複交信を除く有効交信数1843局 其の内ボーナス局23局、海外交信数 248局 ボーナス局を除く国内交信局は1572局と成り、概算値では有るが国内局のみで3370ポイント、海外を含むと4656ポイントと成った。現在、データを精査していないので若干のポイントの減少は有るかもしれないが3000ポイント越えは達成出来たと思われる。 


TS-450V パワー出ずの故障の巻 (202/08/30)

2012年08月30日 22時52分07秒 | アマチュア無線

    



 最近手に入れた私の玩具のTS-450Vが機嫌を損ねてパワーが出なくなった。テスト中で有ったので私が壊したのか?偶々なのか故障の因果関係はよく解らないが壊れた以上、修理しなければならない。本体をバラス前にTS-450で送信し別のトランシバーでモニターすると一応、SSBの電波も出ており正常に復調も可能なので、多分送信部のドライバー段かファイナル部の故障で有る事は想像出来たが当方には配線図の持合わせが無い「弱った」と思ってインターネットの検索で調べたが今日現在まだ見付かっていない。

 毎日無線に出るしかする事が無いので修理する事に成ったが何となく気が重い、本体上下のケースを外して見てみるとファイナルユニットはマッチング回路の下に隠れており10本近いネジを外してマッチングユニットを外すとファイナル・ユニットの上面が現れ、先ずは定石通り、抵抗その他の部品の焼けがないか?目視で確認したが問題は無い様で有る。どれがファイナルかドライバー段か解らなかったが10w機と言えどもファイナルはパラレルだろうと判断、其の隣のQ1、のトランジスター2SC1971の足を半田付けから外してB-E、B-Cのバランスを計るとB-E間はショートB-C間は導通無しの状態「此れではパワーも出ないわ」と思った。念の為にファイナルユニットの2個のトランジスターのバランスとE-C間のリークを調べたが問題は無い様だ問題なくファイナル・ユニットは活きている様子、「不幸中の幸い」と胸を撫で下ろした。

 早速にインターネットで部品の手配をしようとしたが、通販の有名所では在庫が無い様で、検索の後の方で在庫が持っている店が有ったので早速にメールで注文した。1個20Kで少し御釣りが有る様だが結構な値段、でも此れがなければ電波が出ないので仕方がない其れと送料が約1K程掛かり結構物入りに成ってしまったが発注のボタンを押した。

 遅くても来週の始めには部品も届くで有ろう。交換して直れば良いのだが?其れが楽しみでも有り不安でも有る。「安もん買いの銭失い」に成らなければ良いのだが・・・

 でもメーカーに修理に出すと修理代金は10000円は軽く越えるだろう昔から「芸は身を助ける」との諺が有るが良く似た仕事をしてきた関係から そうなってくれれば有難いのだが果して如何なる事やら・・・・


高知県安芸郡東洋町での移動運用 (2012/08/26)

2012年08月29日 11時41分05秒 | アマチュア無線 移動運用

        

    


 馬路温泉の翌朝運用は諦めた為、朝方運用の局には申し訳なかったが下山する事にして馬路温泉まで下がったが更に雨足が強まったので東洋町まで帰る事を決め豪雨の中、来た道を引返したが2時間程掛かり東洋町の道の駅に着いた頃は0時を少し回っていた。週末で県外ナンバーの車が思いの他多く、テントを張った部分では騒いでいたので駐車場の端っこに駐車し車中泊した。

 翌朝起床は07:30分 この段階で早朝の運用は諦め、食料の調達の為、海陽町(旧、宍喰町まで帰り)のスーパーへ、会社務めの頃は週に1~2回は必ず来ていた場所、久振りに町筋に入り1周したが懐かしい思いがした。スーパーは有ったが漁師町で土地が狭く人家が密集しているため駐車場が無く店前の路上は数台の車が停まっており他の家の前に駐車も出来ず諦めてコンビに行く事に成ったが、この現状を見て何処でも町筋の商店街が疲弊していく原点を見る感じがした。現在は車社会で生活習慣も変わり一般店より値段の高いコンビに若者は別にして主婦層がコンビニで買物をする事が理解しかねていたが何時でも店が開いており駐車に困らないメリットは大きいのかなと感じた。「道の駅、宍喰温泉」近くのコンビニに入り本日の食料を確保し東洋町に戻り運用場所探しに向かった。

 国道55号線を室戸岬に向かい南下する事に先日通った野根の町を過ぎた伏越ノ鼻と言われる場所(野根漁港の南側)に250mx75mの完全舗装の使用目的も解らない何も置いていない場所に車を乗り入れ様子見、途中に二人の漁師の方が中に車で来たが何も言われなかったので昼前に写真の様に広さを有効に利用したアンテナを設営した。運用場所は北緯33度29分33秒 東経134度15分48秒 海抜7mH、今回の移動運用地の中で標高は無かったが一番広さも有り地面も水平で有ったので最高の12mHまでポールを伸ばして固定局並みのアンテナを設営出来たが逆に其の後の強風による車の揺れ等を起こしQRTを早める事につながった。

 アンテナの設営が終わり7MHzの夕方のコンディション待ちをしていた時に偶然に21MHzを聞いてみると1,0,9エリヤが聞こえているではないか?早速21.198MHzでCQを出すと呼ばれ始め少しは続いたが其の後は1局終わるとCQを出し交信が終わると又CQを出すパターンで手間取ったが35局と交信する事が出来た。21MHzの運用は12:53~15:02jst間で有った。

 其の後、早いと思ったが15:03~19:52jstまで7MHzにQSYして運用134局と交信出来て総交信数は169交信と成った。最後に3.5MHzにQSYして運用する予定で有ったが19:40jst辺りから強風が吹き始め雨も大雨に成ったのでQSYを断念、強い雨の中でずぶ濡れに成りながらの撤収作業と成った。困った事に強風の為、伸縮ポールが歪みポールを降ろす事が出来ず 仕方なく12mのポールを垂直にタイヤ・ベースのパイプから引抜き横倒しにしてからポールを縮小する事と成ったが強風に煽られ地面に先端を叩きつける事と成った。幸いにも先端は3m位の丈夫なカツオの1本釣り用、グラス・ロッドで有った為、クッションの役目を果しアルミポールは変形せず事無きを得てホットした。この時の風により発電機の雨避けのパラソルは風に吹き飛ばされ行方不明の状態に帰る時、探しに回ったが200mくらい先の漁港のテトラポットの隙間で足掻いていた。

 高知安芸郡東洋町は「湯けむりの対象地区」では無く単なる町村移動として運用したが未交信の方は呼んで戴いたが湯けむり移動の局を呼ぶ様なパイルは最後まで起きなかった。やはり今時の移動運用は「湯けむり対象地区」で無いと人気が無い様で有る。


 高知県馬路村 馬路温泉での移動運用(2012/08/25)

2012年08月28日 23時36分26秒 | アマチュア無線 移動運用

    

 やなせ温泉の運用後、やなせ温泉の建物に入ると誰も居ない 暫く建物の玄関で立っていると暫くして軽自動車が走り込んで来て「何か御用ですか?」と女性の声、「温泉は何時から入れますか?」と聞くと「今からでも入れますよ」との返事で館内に案内して戴いた「無線は終わりましたか?」と言われたので少し驚いたが話を聞くと「最近時々来られますよ」と話していた。温泉の入浴料金は400円と少し安かったので期待できないと思ったがお湯は、匂いは無かったが、ぬめり感は十分あり本格的な温泉の湯で有った。しかし高知県の山奥、入浴客は多そうには思えず、担当者が運用場所の森の駅の事務所から来たので兼務しているのだろうか?御客は私一人で有ったので早く出ないと長湯は気の毒かな?と気を使う程で有った。

 温泉を出ると台風の影響か?雨が降り始めていた。次の運用地は同じく安芸郡馬路村内の馬路温泉対象地区での運用で魚梁瀬から山道を南西方向に移動、前回に来た時、移動時間は10分程度に思っていたが実際は30分以上掛かった。馬路温泉近くは広い空地が無く釣竿とバッテリーでの運用で有れば月光山の金林寺の駐車場では可能で有るが(7MHzの逆Vのフル・サイズは張れたがすぐ横を電線が走っており その影響を避ける程のスペースは無く結果的に断念)金林寺に昇る手前の山道を西に向かい登る事にした最初は広い道だが途中から落石と木枝が散乱する通行されていない道に入った。途中に緊急用のヘリポートが有り、この場所は北方向には障害物が無く見通しは良く30mX30m程の完全舗装の広場で条件的には良かったが まさか緊急ヘリポートにアンテナを設営する勇気は無かったので奥に進む事にしたが道の状態は可也悪く殆ど通行されていない状況で最終的に「立入り禁止」の看板があった。仕方なくヘリ・ポートまで降りて山道からヘリ・ポートに入る50mくらいの道路の側帯で運用する事にした。この場所なら万一ヘリが飛んできても着陸には邪魔に成らず迷惑を掛ける事は無いだろうと思い込む事にしてアンテナを設営した。ただ勾配が有るのでタイヤ・ベースを水平に設置する事が出来ず困ったが、車の中に組み立て式のスコップと水準器が載って居た事を思い出し未舗装の道を整地してポールが垂直に立つ様にした。運用地点は北緯33度33分02秒 東経134度02分35秒 海抜380mHであった。

 運用は15:44~20:43jstを7MHzで運用し20:46~21:23jstを3.5Mhzで運用した。総交信数312 内3.5MHzは30局に終わった。翌朝も運用の予定で有ったが、台風の影響で雨が強く降り出した事と、運用途中で今までに感じた事の無い嫌な予感と言うか雰囲気がしたので運用を中止して下山する事にした。今まで全国の山奥や人里離れた場所で何処でも平気に車中泊して来た私だったがこの場所だけは第六感としか言い様が無いのだが留まる気持ちには成れなかった。

 この場所には夕方頃にアンテナは設営出来ていたのだが、雨が降っていた為、写真を撮っていなかったので撤収する前にアンテナの写真を撮ろうとしたが写らなかった為、車のライトを点灯してシャッターを切ったが暗くて写っていない。


高知県安芸郡魚梁瀬温泉での移動運用(2010/08/23~24)

2012年08月28日 16時31分20秒 | アマチュア無線 移動運用

         

          

  


 JAIAも最後の追込み段階に入った。コンテストと固定の通常の交信では限界が有り何時かは移動運用によるポイント稼ぎを考えていた。週末を利用した移動運用地を色々検討したが徳島県内の移動は最近精力的に進めている人が居るので沢山の呼掛けが有りポイントを稼げる運用地で比較的に近い場所と成ると高知県の安芸郡内しか思い当たらなかった。偶々、先週に交信した方が安芸郡東洋町を運用してくれないか?の依頼も有ったので其の奥の馬路村は「湯けむり対象地区」が2箇所有り東洋町も路線上に有るので好都合で有った為、今回の運用地に決めた。

 出発は金曜日の14時45分頃に家を出発、阿南の南から高規格道路で美波町へ入り牟岐町を通過して海陽町(旧、海部町)ピア・海部で食料を調達して小休止、其の後、東洋町の野根の交差点から国道55号線から県道493号線に入る 2Kmくらい進むと道は勾配のある登り坂、四郎ヶ峠(449mH)への道はピョンピョンⅡ号には可也苦しい道、峠を越すと北川村に入り下りに成ると何時もホットする。二タ又のT字を北に進路を取り後は1本道の狭い山道を進む事に距離は50Km位だったと思うが狭い道で視界が悪く目的地の魚梁瀬温泉まで1時間半位を要した。魚梁瀬温泉は魚梁瀬ダム湖の畔にあり居住区の端の静かな場所に有った。初めての場所だったので1時間くらい場所探しをしたが最終的に温泉から50mくらい離れた場所で(2段目右端の写真の森の駅の横、門の奥にやなせ温泉の看板が見えている)北緯33度36分50秒 東経134度06分39秒 海抜456mHからの運用と成った。

 運用開始は7MHzで18:50~22:42jstまでと翌朝04:15~10:15jstまで運用し総交信数352其の中で3.5MHzは14局に終わった。金曜日の運用開始が遅かった事が原因で今一歩の実績で有ったが湯けむり対象地で有った事が幸いし多数の御呼び掛けで有ったように思う。

 上段最初の写真は馬路村の絵地図、次は魚梁瀬温泉に入る吊り橋、次の2枚の写真は運用場所とアンテナ設営状況の写真、2段目の左から「やなせ温泉」の全景、次は北川村に有る魚梁瀬ダムと次が馬路村と北川村の境界から魚梁瀬ダム湖の写真、3段目の写真は森林鉄道の。機関車の写真である。


高知県安芸郡馬路村と東洋町の移動運用から無事帰宅

2012年08月27日 00時25分57秒 | 日記

 金曜日の昼過ぎから出発した高知県安芸郡馬路村と東洋町の運用を終え本日の23時前に無事家に帰りました。今回は台風の影響か天気がめまぐるしく変化する状態でしたが何とか頑張って来ました。御呼びいただいた皆さんに感謝申し上げます。有難う御座いました。

               


長野県上伊那郡箕輪町へ行く

2012年08月24日 01時00分44秒 | 日記


      

 品沢高原を出て鬼無里に向かい小川村を通り5月に運用したアルプス・アストロ・ドームの横を通りアルプス展望広場に寄って北アルプスの写真を撮る予定で有ったが鬼無里小学校の近くの交差点を右折406号線に入ってしまった。途中で気付いたが引返すのも面倒で其のまま進み白馬白沢峠で車を止めアルプス方面を撮ったが雲が多く昼前でコントラストが付かず白っぽい写真と成った。白馬村に降りてジャスコで食料を調達した際 其の駐車場から八方尾根スキー場方面を取ったが雲が多く此れも同じ状態に其の後「道の駅白馬」で小休止した後、青木湖、木崎湖を右に見ながら南下、大町市~安曇野市~松本市~塩尻市~辰野町を経由して目的地の箕輪町に着いたのは夕方前であった。この地に来たのは箕輪の皆さんと再会する事が目的で再会の前にサッパリする為箕輪町の西手側にある「みのわ温泉」に入った。

 今晩の集合場所は平松さん(JA0KJD)が経営する[桔梗屋」さんはJR飯田線の木ノ下駅近くの箕輪南宮神社の隣で有った。少し迷わないか不安が有ったが無事定刻前に到着、皆さんに自己紹介して頂き後は和やかな雰囲気で宴会がスタート、箕輪クラブは同世代の方々の集まりで最大の特徴は皆さん其々に非常にアクティブにQRVされている事、町で此れだけのキャリアの有る方が大勢出ている所は大変珍しいと思う、又例会と称する飲み会も毎月定期的に行われている様で有る。

 最後の写真が途中で記念に撮った物、実際はもう少し出席されていたように思うのだが前列左側から小平さん(JA0JIU)電子回路の設計や回路を組上げる会社を経営している。箕輪のレピーターのメンテ等を一手に其の道のエキスパート、その右が下伊那郡喬木村の唯一の固定局の羽生さん(JA0WMP)会社の管理職と自営で梅や柿を栽培(梅酒や干し柿などの加工)している仕事人 私の長野における「兄貴的存在」次が私で(JH5AVM)無線大好き人間だが酒は飲めない唯の素浪人、一番右端が隣町の辰野町の一之瀬さん(JA0QIT)3.5MHzの移動が好き、今回の真室川町の移動で「真室川音頭」で話が盛上り一番知っていた事から「真室川音頭を守る会」の会長と成る。上段左より地元の平松さん(JA0KJD)交信していると人柄か自然と癒されるKW局で桔梗屋さんのオーナー,次の方も地元の中坪さん(JA0PAS)声も良いが音質が素晴らしい御会いしてから良く交信して戴く、其の右が上伊那郡宮田村の堀内さん(JH0UDR)QRPトランシーバーを持って車で行けない峠や山岳移動を奥様同伴で行う愛妻家、話をすると大変楽しい人、其の右側が地元の登内さん(とのうちと読むJAMBU)箕輪クラブの会長さん温厚な方で適役、2回目の箕輪の会合で私に特別会員の認定証を出してくれた人、其の右が同じく地元の藤田さん(JA0UJL)CW、とDXに燃える人、写真の中では一番若く見えるが実年齢は知らない。一番右端が地元の清水さん(JA0ELB)会社の社長さんで移動運用、DX、国内、ラグチュー何でもO・K さり気ない気配りが有難く私の為に南箕輪村に気軽に走って戴いて長野の全町村が完成した。また其の延長線上で今回の箕輪との縁が出来た。ブログも二つ持っておられ読むと非常に参考に成る 必見、後、写真には写っていないが地元の清水さん(JA0KZI)が居られる旅行会社の社長さんでELBさんの親戚、優しい語り口で優しい方 確かこの時は四国の旅行に同行で中座されたと思う、時折、海外からの運用もされている方、何せ私もシャイな性格で情報力不足や間違いが有れば御容赦を御願いする。兎に角楽しい時間を過ごさせて貰って幸せな気持ちに成った。この様な会への出席は初めての経験、結果として翌年(2011年の秋)にも出席する機会が有った。


 高知県安芸郡馬路村への移動運用の件

2012年08月23日 08時57分52秒 | アマチュア無線 移動運用

 ここ3日程の不安定な天気も落ち着きそうなので高知県安芸郡馬路村での湯煙対象地区の馬路温泉と魚梁瀬温泉の移動を考えています。今の予定だと明日の夕方からの運用開始の予定です。どちらが先に成るか未定ですが金曜の夕方~土曜日の早朝と土曜日の午後(夕方)から日曜の早朝の時間帯に成ると思います。日曜日の夕方は要望の多い高知県安芸郡東洋町を予定していますが、この場所からのQRVは短時間の可能性が有りますので御注意下さい。直、Jクラスターの書き込みに関しては問題有りませんので自由に宜しく御願い致します。万一、都合が悪くなって中止の場合はブログにて連絡を入れます。

 6月の紀伊半島の移動分と香川県香川郡の直島のQSLは全数、島根に発送済みです。今回はJAIAのポイントGetの為の移動なのでカードは全てOne Wayで結構です。其れからカードをダイレクトで送られる方が居ますが申し訳有りませんが対応いたしませんので御了解下さい。個々の対応は致しませんので宜しく御願い致します。


 QSLの記載誤りや未着に関してはメールアドレスへ御連絡下さい、返事は出来ないかもしれませんが対応は致します。発送はJARLビューローと成ります。

                                       De  JH5AVM


長野市鬼無里に行く

2012年08月22日 23時51分45秒 | 日記

    


 昨晩は野沢温泉村に到着、今回の移動の始まりに立寄り車を駐車させて貰ったコンビニで買物をし入浴中の車の駐車を許可して貰い公衆浴場に向かう。入浴は無料だが湯温が高いのが難点、とにかく熱い、私も結構熱い湯はO・Kだが5月に訪れた時は朝の6時30分頃に訪れ(丁度浴室の掃除タイムで1時間近く誰も入っていなかったので浴槽が源泉温度状態)入ったら大事な所をヤケドしそうに成った事が有った。今回は夜で4人程の地元の先客がいたので「如何かな?」と手を入れたがヤッパリ熱かった。地元の人は慣れているので平気の様子で有ったが私には一寸大変・・・・・・

 やがて時間と共に湯には慣れては来たが一寸気合が必要で有った。風呂上りの体に高原の夜風は最高でスキー場の駐車場に入りベッドに横に成ると長距離走行の疲れも有り、即、極楽の世界への直行便と成った。

 翌朝は夜が明ける前に起床し小原さん(JL1ERJ/0)の居る長野市の鬼無里にに向かう事に117号線から18号線で長野市に其の後、戸隠バード・ラインだったと思うが通過して宝光社までは順調に行ったが、目的地の品沢高原の別荘地に向かう道が解らず、お店の人や、畑で農作業をしている人などに聞きながら如何にか近くまで行く事が出来た。別荘地帯に入ると再び迷ったがタイミングよく小原さんがバイクで迎えに来てくれたのでホット胸を撫で下ろした。小原さんの先導で別荘まで案内をして頂いたが別荘地帯の最上部で標高1200mH前後、立ち木は有るがロケーションは抜群の所で有った。

 小原さんとの最初の出会いは今回の長野での移動運用が始まった三箇所目の高森町から始まり其の後、連日交信戴き小川村の天文台近くで運用の時、態々現地まで来てくれたが丁度パイルアップの最中で挨拶のみで帰られたので大変申し訳無く気に成っていた。其の後の運用地は殆ど全箇所、御呼び掛け戴いたので帰りの長野県で会う約束が出来て今回の次第と成った。小原さんは先日紹介した「東北の三銃士」と同年輩で私よりだいぶ若いが技術系の人なので、電気に対する造詣も深いしオペレートも上手で、全国に出向いて行く行動派である。彼との交信は実に300回を越え数少ない300回越えの一人である。 

 息が合うと言うか、多分小原さんが私に合わしてくれているとは思うのだが知り会って3年だが長野の鬼無里で2回、徳島には実に3回も来県して戴き彼とは6ヶ月に1回は会っている計算に成る。其の他に私の全国の町村のコンファームの為に態々出掛けてくれながら、其のさり気無い対応が嬉しい。昨年の私の沖縄や離島運用のサポートや「隠岐」の移動運用も其の御膳立て(事前調査)は小原さんが全て行ってくれた事により実現し成功した。人との出会いとは本当に不思議だ。小川村での出会いの時、パイル・アップも無く時間的余裕が有ったとしたら今回の様な展開に果たして成っただろうか?其処には大げさだが運命と言うか縁を感じる。其の日の夜は泊めて戴き無線談議に花が咲き翌日の昼に出発するまで続いた。

写真は2011年に再度、鬼無里に御邪魔したとき早朝に小原さんの案内で大望峠から撮った夜明けの写真と鬼無里への帰り道の農道から撮ったものである。


新潟県長岡市へそして長野へ

2012年08月22日 15時35分07秒 | 旅行

      

 


 金山町の21日の午前中の運用を終えてアンテナを撤収する時は抜ける様な青空が広がり素晴らしい天気で会った。会津川口まで下り市川さん(JA7BCE)と待合わせのJR只見駅に向かう。現地に着くとモービルアンテナが付いた車が既にお見えに成っており直ぐに解りご挨拶をした。

 

 市川さんは軽四の箱バンで現れた私に少し驚かれた様子で有ったが当然と私も思う。この時点で(徳島を5月15日の早朝出発)徳島を出て既に2ヶ月が過ぎていた。狭い車内泊で長期旅行など中々想像出来ないと思う。移動中は85cm X 2mのコンパネの上に8cmくらいの厚さのエアーマットを敷き、寒い時はスイス陸軍が使用する寝袋に、夏場はパジャマに着替えてエアーマットにバスタオルを敷いて寝るのだが寝袋の場合は身動きの自由が無く「棺おけに入った状態」好きな事とはいえ誰でも辛抱の出来る事では無い。無線で聞くと2ヶ月以上旅行出来て羨ましいと思うかもしれないが?現実は中々大変で有る。其れだけにアイボールし車内を見た人は皆さん同じ事を思うようだ。



 此れでも居住空間は改良された方、最初の北海道の1ヶ月の移動運用は旧型のワゴンRの普通の背丈の車、当然フラット・シートでは無いので4ドアの内張りの上部に15cmx7cmの厚板を室内の車幅に切った物を4組作り各、左右のドアの内張りの上部に其々を渡しかけ其の上に1m幅のコンパネに補強したベットに成る板、2組を先程の厚板4枚に渡し掛け其の上で寝る状態であった。

 

 このベットは毎晩寝る前に組上げ、朝は分解しないと運転席に乗れないし、何より大変なのはベットと天井の間が60cm位しか無くベットに入る時はハッチ・バック(後ろのドア)からでないと乗れないし当然、ほふく前進でないと不可、車内では方向転換は基本的に出来ない、遣ろうものなら可也アクロバティックな体の移動をしなければ成らないし、休むにしても顔の上になる天井まで30cm未満の空間しかない状態で有ったが、其の状態でも1ヶ月間の移動運用をやり遂げた。

 

 今回の居住空間は寝たいと思えば何処でも直ぐ横に成れるし 以前の様に寝床を作る為に荷物の移動もせずに出来る等、初年度の事を思うと別世界で有る。最初の移動車のワゴンRの車内の中央部に渡した厚板は2枚のコンパネが合わさる所で当然に分解式なので釘止めは出来ず 寝像の悪い私は暴れた時、コンパネ板の片方のどちらかが厚板から外れ、谷から落ちる夢を何回か見る事と成った。



 北海道の道の駅に泊ると翌朝にキャンピング・カーや車中泊用に自分で改造した車の品評会や自慢大会が始まるが、決して自分から見せる事は無かったが車内にカーテンが無かったので朝に成ると向こうから丸見え、嘲笑を込めて「独創的なベットやなぁ~」と冷やかされたが財力の無い者は工夫するしか無い、そんな事で怯む私では無かったし、好きな事をしているので不便を我慢する事等、全然気に成らなかった。



 市川さんからは只見町で運用するので有れば所有の土地を使う様に地図も戴いたが最終的に時間の余裕が無く60里越峠で福島県に別れを告げ東北地方の移動を終わり新潟県側に入った。新潟の長岡に向かったのは諸我さん(JA0CAC)に会う為、東北に向かう前に御会いしたのだが大変御世話に成ったので土産話と報告を兼ねて御伺いした。諸我さんは私と同世代だが お空で会った時は落ち着いた話し方で私より可也先輩と思っていたのだが御会いすると若々しく何と言っても人柄が大好きだ。また御夫婦で全国を旅行して楽しんで居られるので共通の話題も多い。長岡に行くと名物の蕎麦を御馳走に成り暖かく迎えてくれる。この時も家まで押しかけ御夫婦と談笑し長時間に渡り御邪魔した。別れ際に再会を約束したが昨年の秋も(2011年10月)長岡に御邪魔して親交を深めている。私としては「長岡の兄貴」的存在と成っている。



 夕方頃、御別れして長野に向かったが諸我さんの勧めで途中の十日町市の「千手温泉・千年の湯」を紹介されたが良く解らず通り過ぎてしまい。長野に其の日の内に入る必要が有った為、地理の良く解っている野沢温泉まで車を進め温泉に入り其の一角で車中泊し翌日、次に御会いする人が居る長野市へと向かう事とした。



福島県大沼郡金山町での移動運用(2010/07/20~21)

2012年08月22日 00時57分54秒 | アマチュア無線 移動運用

        

 


 会津若松市を出発し49号線で西方向に其の後252号線に入り只見川沿いに走る一本道をどんどん進んだ。このルートを通ったのは福島県で運用するなら只見、金山、昭和村の何れかと新潟県長岡市の諸我さんに御会いする予定が有った為、冬の厳寒期は通行止めになる此のルートは流石にトンネルや落石避けの設備が沢山施された街道で有った。

 

 会津川口駅の近くから400号線に入り暫く行くと昭和村に向かう道の途中で落石が有り通行止めの標識が有り、この時点で昭和村での運用は無くなった。残る運用地は金山町、街道は余り広く無く運用場所は見当たらなかったが堂平に入ると『フェアリーランドかねやまスキー場』の看板が有り左折しジグザグの坂道を登って行くとスキー場の駐車場に出た。この場所はアスファルト舗装されていて広さも十分で有ったが残念にも入口にロープが張って有り中には入れず道路に平行にアンテナを張ってみたが方向性が悪い事と通行の妨げには成らない広さと思ったが直ぐ前が直角のカーブだったので万一、事故の原因になると拙いと判断、50mH位下がった臨時の駐車場(最初にこの場所に入ったが北東方面に壁、前記の駐車場が壁に成っていた)に車を下げアンテナを設営した。



 運用は17:28分から7MHzで開始、先程の壁は問題に成らず順調に進んだ20:46分頃に日頃よく呼掛け戴くJH7KUK/7(目黒さん)から呼ばれて応答して交信が始まったが/7なので「移動地は何処?」と尋ねたら「直ぐ其処です。」との返事、「直ぐ其処て何処?」と聞くと「車の直ぐ後ろ」との返事、其の瞬間でも、まさかこんな山奥に来る筈が無いと思い込んでいる私には意味が解らず「車の後ろって?」聞くと私の車の後ろでライトがパカパカ点灯した。「えぇ~!」此れは驚いた。この場所は真っ暗で有ったので道路の方にフロントが向いていれば多分、近付いた時に解ったと思うのだが この日はフロントは奥側に向いていたので気付かなかったのだが 其れより何より この時の私の姿、暑い事も有って誰も来ない見られないの安心感からパンツ一丁のラフなスタイルで運用していたので雅か初対面からパンツ一丁での「御対面~」とも行かず「一寸、待って!」と慌ててシャツとズボンをはいた。そして8局後にアナウンスして運用をQRTした。



 車を降りて行くと目黒さんと大塚さんJE7SBAが居られ先ずは御挨拶、そして私の車は運転席にしか座れないので彼等の車に乗り運転席に目黒さん助手席に大塚さん後部座席に私が座り三者会談が始まった。1時間以上話したと思うが色んな話が出来たが御会いした皆さんに共通する事は「皆さん無線が好きで熱い思いを持っている事」先日御世話に成った宮城の菅野さんそして目黒さん大塚さんは若い世代で大変アクティブな運用を続けているので私の独断で「東北の若き三銃士」と思っている。あと一人知り合うと「東北の若き四天王」と言いたいのだが多分多く居ると思うのだが未だ会っていないので現在は3人で有る。御蔭さんで宮城県と福島県では十分な運用が出来なかったが御三方とアイボールが出来て良い思い出が出来たし、其の後も私の移動時には毎回御声掛け戴いている。今回は宮城県内の運用が出来なかったので近い将来、全都道府県からの移動運用の最後の締め括りは宮城県と決めているので其の時、是非、皆さんと御会いしたいと考えているし楽しみにしている。



 福島県大沼郡金山町での運用は北緯37度26分39秒 東経139度31分58秒 海抜517mHからの運用で20日の17:28~20:58jstと翌朝05:01~08:19jstで運用、全交信局数175局に終わった。



最初の写真が金山町の運用場所、昼間の写真なので想像出来ないかも知れないが夜は真っ暗で寂しい所、無線好きでなければ車中泊する様な場所では無い。次は田子倉ダム湖、その次は会津と越後を結ぶ60里越峠開通記念碑 標高707mH、(後1Kmほどで福島県と新潟県の県境と成る)其処から見下ろすダム湖が最後の写真である。




 


猪苗代湖周遊の旅(2010/07/20)

2012年08月21日 14時47分12秒 | 旅行

        



 東松島市を出発し福島県に向かう為、東北自動車道に乗り郡山ジャンクションから磐越道に入り磐梯河東ICで高速を降り49号線で西側から猪苗代湖に向かう。最初に長浜の遊覧船乗場の駐車場に車を止め写真撮影と小休止の後、時計回りで湖畔を進み、猪苗代湖の真北に当たる野口英世記念館と猪苗代湖地ビールの建物を見学した後、更に進み月形の田園地帯を通過、湖南町船津に入り遅い朝食と休憩をした。この場所で無線運用も可能で有ったが昼前のコンディションの悪さと白虎隊で有名な会津若松鶴ヶ城に行く予定が有った為、運用は諦めた。其の後294号線~49号線を乗り継いで会津若松市に向かう。



        

 


 鶴ヶ城には東門から入り石垣の外を廻り城を見ると「ありゃ~」天守閣が見えない。残念な事にお城の瓦の葺き替え工事中で有った為、写真の様に城全体を建物で覆い改装工事が進んでいた。お城の中の展示物は見学可能で有ったので1時間近くを掛けて見学した後、外に出たが、クラクラする様な上天気による暑さには恐れいった。余り暑いので城近くの南の駐車場から半周した北側の鶴ヶ城会館のレストランに入り涼を求めた。今回の旅行で食堂やレストランに入ったのは北海道の函館、余市、旭川、千歳、苫小牧、東北地方は登米市と会津若松市のみで有った。レストランで何を食べたか思い出せないが、鶴ヶ城を見学した日の暑かった事は今でもハッキリと憶えている。其の後 会津若松市を少し観光して夜の運用予定地の金山町方面に向かう事にした。


観光船で巡る松島湾周遊の旅 (2010/07/19)

2012年08月21日 00時00分44秒 | 旅行

          

    

 


 松島の瑞厳寺の前に広がる海辺は松島湾周遊の観光船の発着場所に成って居り大小の観光船が1時間毎に出発している。この日は「日本三景の日」安芸の宮島、丹後の天橋立、そして松島と3箇所一斉の記念行事が行われている事もあり此の近辺は人出で賑わっていた。観光船もピストン運転で最初の写真の様に船着場は混雑していた。



 観光船が出港して100mも進まぬ内に何処に居たのか鴎の集団が船を追っかけて来た最初は舟のスクリューで掻き混ぜられた波に魚が現れるのを狙って追跡するのか?と思っていたら其々の御客さんが「カッパ海老せん」を取り出し海に向かって投げると鴎が全速で接近し海中に落ちる前に見事に嘴でキャッチ、踵を返し後方に廻りこみ次のチャンスを待ち其の動作を繰り返す芸を見せてくれた。人によっては指先に挟んで前に出すと鴎が近付き恐れずに嘴で銜えて持って行く見事な芸当を見せてくれた。



 観光船の待合場所に「海老せん」の袋を持った人が矢鱈と多いな?とは感じていたが後にこの様な事が有るなら「先に教えてくれよ!」とぼやいたが後の祭り、自分だけ玩具が当たらずイジケテいる子供状態、今、冷静に考えるとひょっとして船内にも販売所が有ったのかも知れない?この日は天気が良く最初から甲板に出て景色を見る心算で有ったので船内には最初から入る気持ちは更々無かった。もしそうだとすると此れこそ本当の「後の祭り」である。



 約1時間近い周遊で有ったが松島湾に点在する小島を巡る船旅は爽快では有ったが松島の人には申し訳ないが長崎の九十九島、島根県の隠岐の知夫里島から見る景観の方が個人的には素晴らしい様に思える。天橋立も行った事が有るが正直其れほど美しい景観とは思えなかった・・・・怒られそう



 そもそも日本三景とは誰がどの時代に言い始めたのか参考の為に調べたが江戸時代の初期、儒学者の林春斎が日本国事跡考の中で現在の日本三景の場所を三処奇観と書いた事が始まりと言われ、其の後の儒学者の貝原益軒が天橋立を旅行した際、この地を日本三景の一つと言っても良いのでは?と言った事が始まりだと成っているらしい、現在と違い交通の便の悪い時代、日本全国津津浦々まで旅した人は居らず此れに対する評価はは是非、日本地図作成の為に全国を見て廻った伊能忠敬さんに聞いてみたいものだ。



 観光船から下船した後、松島の町筋を散策した後、東松島市の奥松島に向かい海岸線で運用する予定で向かったが、この日は暑かったのと1日中観光で歩き回ったので風呂に入ろうと簡保の松島に立ち寄り日帰り浴に入ると疲れがドット出て其の駐車場で車中泊してしまって遂に運用する事を怠り、宮城県での移動運用は出来なかった。その結果、宮城県の運用実績を作る為に近い将来に宮城県に行かねば成らないと思っている。


松島の観光 (2010/07/19)

2012年08月20日 14時32分58秒 | 旅行

        

  

 


 翌朝は松島湾を望む2箇所の展望台に上がった新富亭の近くの新富山展望台は大変な坂道で勾配がきついのと道幅が狭く大変で有ったが景色は大変良かった。もう1箇所は町の西側に有るパノラマ・ライン展望台、此方は高さも有り町筋が視野に入らず湾内に浮かぶ島々を見る事が出来た。展望台を降りて町筋のメインの道に入ると渋滞で車が動かず往生したが この日は「港祭り」と「日本三景」の記念日でセレモニーが開催されていて観光客と地元の人出が相俟って大変賑わっていた。

 

 松島は観光船による湾内観光をしなければ始まらないので観光ルートの東端のベルギーオルゴール館の東端の駐車場に車を入れ徒歩で町筋を散策する事にした。「最初に独眼流こと戦国時代の伊達男」伊達政宗の菩提寺の瑞厳寺に入り其の後、同敷地内の宝物館を見学、此処で立派な伊達政宗の位牌や宝物を見学したが残念ながら撮影禁止で写真に残す事は出来なかった。来館者は老若男女に渡っていたが特に若い女性が多いのが目立った流石に伊達男の面目躍如で有る。



 其の後、港の方に出て赤い連結橋を渡り五大堂を見学した 昨晩に前を通過した時こんもりとした森がライトアップされていて「何なのかな?」と思っていたが、この段階で疑問が払拭された。この日は誰が決めたのか?日本三景に認定された毎年の記念行事が有るらしく人の流れに流されて松島グリーン広場へ、其処では御当地ソングの女王で「松島紀行」を歌っている関係で観光大使の「水森かおり」さんのライブが予定されていて暑い天気の中、沢山の人が集まっていた。やがて本人が登場し愛嬌を振り撒きながら歌っていた。其の後も和太鼓の演奏やフラダンスも有り 楽しい一時を過ごす事が出来た。