黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

JAIA アワードの進捗状況

2012年07月29日 16時12分00秒 | 日記


 連日、暑い日が続きますが週末はQRVの多い日、土曜日は一日中、各バンドを上下してポイント稼ぎを行った。偶々IOTAのコンテストが有り、土曜日の夜半から深夜にかけ21MHzのコンディションは開けておりヨーロッパとは交信出来たが、此れからの処で「日曜日に仕事が有る 隣の部屋で寝ている家内を気にしてQRTした。」14MHzは余りコンディションは良くなかった様に感じた。



 昨日までの実績は総交信数 961局、ボーナス局 10局、海外局 195局、国内 756局 ポイント数、2197ポイントと成っている。最終的に出来れば国内局のみで3000ポイントを完成させたいと思っているが、現時点で重複交信が約100局有るので(1151局と交信している)先は可也厳しい状況の様に思える。8月始めのフィールドDayコンテストと8月の海外のコンテストを上手く利用して完成したいと思っている。


ブログ 開設1周年を迎えて思う事

2012年07月27日 11時18分14秒 | 日記


 昨年の沖縄、九州、中国地方の移動運用から帰ってから急に思い立ったようにブログを始めて今月の21日で丸一年が経過した。前々から退職すれば自分のホームページを持ちたいと思っていたが、ホームぺージと成るとメンテ作業も大変で、何より現役をリタイヤすると掲載するソースが無く自分には少し荷が重いと感じた。



 其の点、ブログと成ると気楽に日々の思い付く事を自分流に書込めば良い訳で随分気が楽に成る。思い返せば私は子供の頃から大概の子供が皆嫌いな作文は嫌いでは無かった。大概の題材の作文は時間内に仕上げ自慢げに最初に提出する嫌な奴だったように思うが先生からの評価は「作文で無く散文だと評価されていた」正に名言で有った。

 

 しかしながら自分でも本は良く読んでいた様に思う。小学校の低学年の時、何処の学校にもいた「卒業までに図書室の本を全部読んで卒業して下さい今まで誰も達成していません。」との先生の甘言に誘われて図書室通いを始めたが、高学年に成ると当時はまだ各家庭に無かった白黒TVが図書室に置いて有り、其れに夢中に成り早くも挫折してしまった。当時はNHKしか見られなく高い台の上に鎮座したTVのチャンネルはリモコン等無い時代、子供では変える事が出来なかった。当時は若い黒柳徹子さんが子供と一緒にじゅうたんに乗って空を飛びまわる番組を食入る様に見ていた事を懐かしく思い出す。



 早速、脱線して散文の大家の本領を発揮しだしたが? 書く事が嫌いで無い私だったが、其れでも日記だけは何十回と挑戦したが長続きする事は一度も無かった。この年に成って自分の寿命が限られて来ると何か記憶を呼び戻し書き留めて置きたい思いと、日々物忘れの多く成る自分を感じる時、今、記録していないと色々な事を思い出す事が出来なく成ると感じた事がブログを始める切っ掛けに成った。



 世の中には無料のブログ・サイトは沢山有るが、写真の容量の制限が有ったり、その他の制約も有るので途中から有料に切替えた。御蔭様で殆ど制限が無く、一番良いところは、ブック機能がある事で、最終的に記事を冊子に出来る事、この先、何時までもパソコンを利用する事が出来なくなった時、其れを見ながら記憶の途切れ行く中で色んな思い出を思い起こそうと考えている。



 始めた当初は公開で有っても個人のブログ、見て頂く方が居るのか?半信半疑で有ったが半年を過ぎる頃から閲覧数が増え始め、開設した当時に想像しなかった。カウンターは累計訪問者4万人、総閲覧12万ページ以上を表示している。最近は書込む題材に苦労する状況であったが、矢張り始めた以上は沢山の人に見て戴く事は嬉しい事で有りアマチュア無線の運用に寄って発信出来る情報より遥かに多い情報を今後、思い付くまま下手な散文よろしく書込んで行きたいと考えている。

 


JAIAアワードの実績

2012年07月26日 21時24分01秒 | 日記

 JAIAの本日までの実績はボーナス局が8局、海外交信が38局、国内が616局で合計、1426ポイントと成っている。



 国内局は各バンドを細かく聞いて、7月15日以後に交信歴の無い局は、徹底的に呼掛け交信する様にしている。今回は出来れば国内局のみで完成させたいと思っているが無理の場合も想定し海外局との交信も積極的に進めている。運用周波数は14~21MHzが中心で比較的に安定に交信出来るのは14MHzの深夜から早朝にかけてのEUとの交信が中心で信号は然程強くは無いがCWだと何とかコールバックが有り交信が可能である。



 昨日は18MHzの朝の国内コンディションは最高で有ったが本日は良く無く18MHz~21MHz帯のコンディションは低調で有った。7MHzは初めの予想通り日頃の移動運用が災いして当局のCQに対する応答が悪く、運用中の局を呼ぶ側に徹した。此の方法がダブりが少なく結果的に効率良く実績が上がる様に思える。この週末からは日頃運用していない144MHzと430MHz帯を運用し1st局を探す事も予定している。


JAIA アワードの実績

2012年07月25日 20時37分09秒 | 日記

 JAIAのアワード(7月15日~8月末日)が始まって10日が経過した当局としては気合を入れて取組んでいるが思う様に捗っていない。昨日までの実績は総交信数596局、内ボーナス局が5局、海外局が16局、国内局575局である。ポイントは総計1248ポイントと成っている。



 7MHz帯の国内コンディションは早朝と17時以後は安定しているが正午を挟む前後2時間は安定せず昼間の有効利用は出来ない。ハイ・バンドは18MHzが8時~10時30分位と夕方の18時頃の2回のバンド・オープンが有るが状態は其の日によって異なる。21MHzも概ね同じ様な開け方をするが此方も一様では無い。24MHzは時々聞いてみるが此処数日間は内外のコンディションはオープンせず交信には至っていない。



 したがって7MHzの運用は早朝の4時~9時と日没後の運用、9時以後は18~24MHzを時々チェックしてみてオープンしていると運用するパターンで期間内の1st局を丹念に探す状態で運用している。



 本日は5時30分頃より18MHzがオープンしており、珍しく10時位まで少々の上がり下がりは有ったが比較的に安定したパスが有り30局ほど交信が続いた。特に近距離の香川県や大阪近辺の局が59オーバーで入感し安定に交信する事が出来た。平日はオープンが有っても賑わいの無いバンドだが、トランシーバーのバンド・スコープの画面に沢山の山が踊っていた。年に数回しか無い様なコンディションで有った様に思う。


JAIA アワードに挑戦中

2012年07月24日 22時40分56秒 | 日記


 数年前からJAIAのアワードに興味が有ったが開催される期間が たまたま私の長期の移動運用が終わり自宅に帰って来てから直ぐに始まり長期の移動運用中に毎日交信を戴いた方が固定局(阿南市)に帰るとお声掛けが少なくなりタイミングが悪く少し挑戦したが過去は上手くいかなかった。今年は6月の最初に紀伊半島の移動運用は有ったが2週間程度の短期、そして運用後1ヶ月を経過していたので前々の様な状態には成らないだろうと判断、今回、アワードに挑戦しようと思った。



 期間は7月15日~8月末日まで 国内局は1局(サフィックス)に2点、海外局は3点のポイントが付き、各部門にエントリーする事が出来る。私は同じ遣るなら挑戦目標は大きい EX(3000ポイント)を目標にしている。本日で開始されてから10日が経過しているが昨日までの交信数が海外7局、国内局534局、計算すると1089ポイントに成る。計算用に通常のログとは別のターボ・ハムログをインストールしJAIA集計用と命名、表示の中のエリヤ別の交信数の項目で確認すると期間中の1st局の集計が瞬時で解るので此れを参考にしている。重複交信はこの表では解らないが実際の交信段階で確実にログイン状態で確認しておけばダブりは少ないし、重複交信の場合(周波数違いや相手の移動中での重複交信)は書き込み欄に別に表記して後々の集計時には解るようにしている。



 目標とする3000ポイントは単純に計算すると国内局だけで完成させるとすると最低1500局の期間中の1stQSO局が必要と成り重複を含むと2000交信はしないと到達出来ないが現在の局数減少化の中では此れは可也、頑張らなければ成らないだろう。日割りで行くと1日当たり45局の局との交信が必要で可也厳しい目標値になる。幸いにリタイヤしておりアマチュア無線に掛ける事が出来る時間は十分有るので確り取組みたいと思っている。


インターネット回線の高速化

2012年07月24日 00時31分57秒 | 日記


 私がパソコンを始めたのは40歳の時、20代の後半には早い人はパソコンを始めていたが当時のパソコンは高額でセーブはテープレコーダーに入れていた様に記憶している。其の当時は未だ今と違いアマチュア無線とパソコンの密接な連携は無く、アマチュア無線の運用はパソコンと連動の時代では無かった。



 新し物好きの私がパソコンに手を出さなかったのは当時はアマチュア無線の設備の増強に躍起に成っていた頃、経済的に難しかった事と私の職業が、家電メーカーの修理部門に席を置いていた為、視力が一番大切で諸先輩からパソコンに夢中に成ると視力が落ちるので注意する様に言われていた事が関係していた。

 

 然しながら時代の流れは進みパソコン無しではアマチュア無線も十分楽しめない予感を感じた時にパソコンの導入を決めた。当時はMS・DOSの時代、日本市場ではNEC等の国内生産のパソコンが占有率で圧倒していたが私が購入を考えていた頃はDOS・V機と言われるIBMコンパチのパソコンが出始めた頃、説明書は英文で寄集めのパーツでショップで組上げたパソコンでは有ったが国産の機種と同能力だと価格的には半分で購入できた。何より良かったのはパーツを交換すると性能の向上が図れる事で有った。



 最初のパソコンはソフトを含め1セットで40万位した様に記憶しているが4Mの増設メモリーが16K位していた事を考えると時代の変遷を感じる。其の後はボーナスが出たり小遣いが出来るとパソコン屋に通う毎日が続き一時はアマチュア無線よりパソコンに夢中に成る時代が有った。其の後、職場の業務もコンピューター化の波が押寄せ随分役に立つ事が多かったが 其の分、確実に視力の方は落ち眼鏡は必至と成ってしまった。



 インターネットはパソコンを始めると直ぐに始めたが最初はアナログ回線のダイヤルアップに始まり可也時を経てISDN回線に切替して楽しんでいたが其の内に世の中はADSLに切換わりだし途中の回線の都合でADSLに加入出来ず、高い料金でスピードの遅いISDNの時代が長く続いた。

 

 この様な理不尽な対応に満足出来ずNTTの架線部門と折衝する時代が5年程続き6年前に漸く光ケーブルが引かれ漸くインターネット環境は整った。最近、長期に光ケーブルに加入している家庭に割引制度の案内状が届き、本日申込みをしたら200M 光ネクストを進められた。昨年の丁度、今頃申込みが可能か問合せた事が有ったが 其の時はNG、電話のオペレーターに「昨年申し込んだ時は駄目であったが万一、現在可能で有れば直ぐに申し込む」と告げると回線を調べて10分後に連絡するとの事、私は駄目だろうと思って期待せずに待つ事10分、NTTからの連絡はO・Kであった。直ぐ申込みをして8月1日からは最高200Mの伝送スピードでインターネットにアクセス出来る事が決まった。まさにハッピーな一日と成った。


all JA5 コンテストに参加

2012年07月22日 21時00分06秒 | アマチュア無線


久振りに all JA5 コンテストに参加、今回は土曜日の21時から本日の21時まで開催されたが私は7MHzの参加で昨晩は21時から23時まで運用、今朝は04:33jst~09:00jstまで運用した。今朝の9時以後はハイ・バンドに挑戦したが18,24MHzは使用出来ず 21MHzを聞く事にJARLのバンドプランによると21.300MHzより上の領域を使用しなければ成らない。QSYした時は21.200MHz近辺を聞くと信号が入感していたのでコンディションは開けていると判断し、上を聞くと信号が殆ど聞こえて来ない。最近の局の減少と若い人が少ない事が重なりコンテストを楽しむ局が少なく閑古鳥が鳴く状態で有った。



 仕方なく日中は18MHzと21MHzをコンテストとは離れて楽しむ事に成った。そして夕方の17:13~20:00jst間を再度7MHzに挑戦した。7MHz帯の(地方の支部が主催するコンテストの為)参加者も少なく可也粘って運用したが総交信素は322局に終わった。


四国地方の梅雨明け

2012年07月17日 21時46分32秒 | 日記


 四国地方は昨日「四国方面は梅雨明けした模様」と気象台からの発表が有り漸く梅雨明けした。昨日に続いて本日も青空が広がる良い天気になり温度計も30度近くを示していた。移動運用から帰り疲れているのか?本日も昼から3時間程、昼寝をして体調の方も本調子に戻った。



 其れにしても今年の梅雨は近年に無い「梅雨らし梅雨」曇天と二日に空けず、雨が降り、何日も太陽を見ない日が続いた。九州程で無いにしても四国も雨の多い年になった。暫くは「梅雨明け10日の天気」が続けば良いのだが現在、台風が北上しつつある為 如何なる事か?予断を許さない状況に有る。



 お空のコンディションも安定せず 可也の上がり下がりの有る状態、特にハイ・バンドのコンディションの読みは難しく、今朝は悪かったが夕方は21MHzがそこそこ開けていた。


 明日天気が良かったら数ヶ月前から不調の第2タワーのローターの修理を始める予定、夕方の涼しい時間帯を利用して修理に取り掛かろうと思っている。


直島町内の観光

2012年07月16日 23時34分49秒 | 旅行

        

        

    

 


 直島町での運用は10:15分頃に終了、一休みしていると自転車に乗った若者が現れ「此れは何をしているのですか?」質問され「アマチュア無線です。」と答えると解らない様子、詳しく説明すると驚いていた。最初は学生と思って話しをして居たが良く聞くと社会人で夏の休暇に入って東京から故郷の鹿児島まで自転車で帰省中、今回テレビでよく放映される近代アートと直島のコラボに興味が有り、島を周遊後、松山の道後温泉に行き其の後、鹿児島に向かう予定との事であった。

 

 流石、薩摩隼人だ気骨が有ったし中々の男前で有った。お互いに旅行が好きな事も有って話しが弾み私が退職後に前々から遣りたかった日本一周に挑戦している事を話すと興味を持ったのか?会話が盛り上がった。そんな中に地元の同年輩の男性が参入して暫く話しが続いた。其の後、若者は地元の方の案内で十二支の有名な石を見学に行く事に成り御互いに「良い旅を」と交わし別れた。



 この日は9時頃より青空が広がり 太陽が顔を出すとドンドン温度が上がり撤収作業は大変だったが30分程で完了、私の運用した場所は幹線から50mくらい入った場所に有ったが道に出た所に大きなゴミ箱のアート作品が有り(写真上段3枚目)自転車や原付きバイクの貸し出しを利用した若者達(7割は女性)がとまりデジカメで記念撮影をしていた。其の外、地中美術館、(写真不可)ベネッセミュージアム、ベネッセ・ビーチハウス、(中断写真4枚目)直島ふるさと海の家「つつじ荘」(中段最初の写真)は若人で大変な賑わいで有った。私も折角の直島なので運用だけでは勿体無いので車で周遊する事にした。とにかく町筋で若い人が自転車、徒歩、周遊バス、原付きバイクを利用した観光客が多いのには驚いた。しかし是だけ若い層を集客する直島の底力を私も感じた。

 


 香川県香川郡直島町(36003C)での移動運用

2012年07月16日 18時05分45秒 | アマチュア無線 移動運用

       

    

 


 前々から四国の中で余り電波が出ていない香川郡直島町(36003C)からの運用を考えていたが中々実現出来なかった。直島町は瀬戸内海に浮かぶ島で位置的には香川県と言うより岡山県に近い場所に位置する。この境界の取決めにに関して、岡山の局と地元の人に聞いたが其の昔、境を決めるに当たり海に桶を流し海流に乗り流れて行く処を境界と定めたとか多分この海域は水軍の根拠地、そこ等の勢力分布が複雑に絡んでいる様に思えた。今、考えると随分大らかな決め方の様に思えるが、其の裏には近辺の潮流に長けた四国側の思いがが有る様に思われる。近代に成り大正年間に銅の精錬所が作られ島は開けた様だが島内を回ると離島の漁村のイメージは無く垢抜けした開けた町で有った。



 直島に行くには高松からと岡山の宇部からのルートが有り、時間も料金も宇部からの方が半分くらいだが残念ながら宇部からのルートは本四橋を渡らなければ成らないので最終的には高松港からのルートが安く成る。私は金曜日の最終便で(18:05高松港発)で直島に向かった。其の日は 天気予報と「睨めっこ」行こうか辞め様か随分迷った結果、来週なら梅雨明けに成る可能性が大きくアンテナを張れる場所は日陰の無い場所が大半、車内での運用は気温が上がり大変に成ると思ったが雨降り寄りは増しと考えて行く事を決断した。

 

 徳島の板野ICから高速に乗り、阿讃山脈を越えると雨が降り出し高速は50Kmの速度規制が掛かっていたが皆さん無視、時速80km程度で流れていた。高松市内は単身赴任で4年間居た所、フェリーの発着場所も解っていたので楽に現地に到着した。思えば4年前までは毎週このルートを往復していたが懐かしく感じがした。



 2枚目の写真は高松港を出港する船上からの高松駅付近の景色、雨の関係か全体に雨に煙っている。目的の直島には19時に到着、港は大きくは無かったが洗練されて綺麗に整備されていた、島に上陸し予め決めていた写真の場所に直行、現地を見た瞬間「ラッキー」と思った。運用場所は北緯34度27分08秒 東経133度59分21秒 海抜26mHで西と東は20mHくらいの山が有ったが北東と南西側は障害物が無く人家も無く安心して発電機が使える事が良かった。最初の夜は3.5MHz帯のアンテナが張りかねる状態で有ったが写真は翌朝に車を移動させ張替えた状態で撮ったもの この場所で動かず2日間の運用を開始した。



 運用は金曜日の20:10jst~22:17jstを7MHzでコンディションに助けられ快調に進んだ。土曜日は04:10jst~10:12jstを7MHzで其の後15:09jst~22:27jstは各バンドで運用、日曜日は04:56jst~10:12jsを7、18、21MHz帯で運用した。



 直島町の総交信数は512交信、内訳は3.5MHzが36局、7MHzが369局、18MHzが20局、21MHzは87局に終わった。今回は四国内での高知県幡多郡三原村での560交信を上回る事が目標で有ったが蒸し暑さで夜寝る事が出来ず早々とリタイヤ、目標をクリヤー出来なかったが久々に500の台を越す事が出来た。3.5MHzや7MHzは時々、移動局で運用されているが18、21MHzの運用は余り無かったので皆さんから「1st直島町」と言われる事が嬉しかった。もう少しハイ・バンドのコンディションが良ければ難無く目標は達成したと思うがコンディションだけは如何にも成らない。

 


香川郡直島町の運用を終え無事帰宅

2012年07月16日 01時27分42秒 | 日記


 香川県香川郡直島町の移動運用を終え夕方に阿南の自宅に無事帰って来ました。金曜日の最終便のフェリーで(高松発18:05)直島に渡り、島の中央部の溜池の畔で運用場所が見付かり20時頃から7MHzで運用を開始、コンディションに助けられ順調に交信する事が出来ました。其の後の3.5MHzもコンディションは悪くは有りませんでしたが。夏なので聞いている人が少なかったのか?局数は何時もの半数程度で終りました。



 まだ全体の集計は終わっていませんがハイ・バンドの18、21、24MHzは低調で24MHzは交信実績は無く18MHzと21MHzの運用実績は今朝のコンディションの開けで60局程度であった様に思います。50MHzと144MHzも聞きましたが実績無しに終わりました。



 出発前の目標の最低500以上、出来れば600以上で私の四国内の運用最高記録の高知県幡多郡三原村の560交信の記録を塗り替える事が目標でしたが残念ながら未達成に終わった様です。(500交信以上は達成)7MHzは朝夕のセットの運用を2日行いましたので最後の方では交信が終る度にCQを出す状況に成り、(其の意味では7MHzの要望に答えられたのでは?と思っています)余りにもみっとも無いので今夕の運用は諦めて帰る事にしました。



 細かいデータは今後のブログ上で公開して行きます。今回、各バンドで御呼び戴いた皆さんに感謝致します。御世話に成り有難う御座いました。


岩手県下閉伊郡田野畑村での移動運用 (2010/07/15~16)

2012年07月12日 17時26分38秒 | アマチュア無線 移動運用

    

 


 岩泉町の龍泉洞の観光を終え近くの龍泉洞温泉ホテルの日帰り浴で汗を流し、来た道を引返して田野畑村の北側に位置する北山地区休養宿泊所に向かう手前の大型の駐車場に車を入れて駐車した。(北緯39度58分01秒 東経141度56分52秒 海抜187mH)この駐車場は入口の道を挟んで南北に2面あったが北側の駐車場は6人くらいの人が草刈作業中だったので作業の邪魔をしてはいけないと思い私は反対側の南側の駐車場の真中に車を止めてアンテナを設営し始めたら「今から何を遣るのですか?」と普通に聞いて来たので「アマチュア無線の運用をします」と答えて準備を続けた。やがて作業員は休憩に入り、私は運用を始めた。今思うと北面の駐車場に停めれば良かったと思ったが 其の時の北面の駐車場には中央に枝打ちした木々や刈取った草が有ったので私は遠慮したのだ。



 私が運用し始めると北面の作業が終わり、私の居る南面の駐車場の前に伐採や枝打ちした木々の整理のためユニックが付いた4.5tのトラックが入って作業を始めた。2回ほどの往復時は何も言わなかったが、駐車場の真中でアンテナを張っていたので大きい駐車場では有ったが、相手は出入りの時、避けるのが面倒くさかったのだろう?運用中の私の車の横に付け「一体 誰に許可を貰って遣っているんだ!」と喧嘩腰に言って来たので「此処は天下の無料駐車場、一々許可を貰ってからでないと車を駐車する事は駄目なんですか?」と言い「県外から来ているので許可を貰う所も解らないし必要なら教えてくれば、許可を貰う。」と言い返した すると相手は「バカヤロー、此方は御前の様な暇人じゃ無いんだ!」と捨て台詞を吐いたので、此方も頭に来て一蝕即発常態に成り車から出て「先程、聞かれた時に邪魔なら邪魔と言えば良い物を何も言わなかったので北面では邪魔になると思い、態々此方にしたのに其の言い方は無いだろう」と言った時に「熊が出た 大きぞ~」と作業員が顔色を変えて此方に走って来た。見ると北面の駐車場を横切る形で熊が走っている。まさに「アチャー!」である。私も慌てて車に飛び乗り確りドアをロックした。2~3分間は車の中で待機、口喧嘩どころでは無く成ったし、相手も居なくなった。



 其の後、現場監督の年長の叔父さんが「若い者が物の言い方も知らず すまん、熊が出た以上、あんたも此処では安心して出来ないだろう、500m位に先に田野畑自然大学校と言う建物が有るので其方に移動した方が良い」と教えてくれた。私が「其の場所は大丈夫ですか?」と聞いたら「保障は出来ないが先程のあんたの気迫だと熊が逃げるわ」と笑って「発電機を回している間は熊は絶対近付く事は無いが、朝一番は活動している可能性が有るので車を出る時はクラックションを2,3回鳴らしてから車から出る様に」と真顔で教えてくれた。私の運用スタイルは運用する場所に合せてアンテナを選別するのでは無く、使用するアンテナにより運用場所を探すので人里離れた場所の運用が多く、この教訓は其の後も守っている。



 ハプニング発生で中断した運用を再開する為に500m程、北に移動し写真の建物の前の駐車場でアンテナを設営し運用を再開した。(北緯39度58分18秒 東経141度56分49秒 標高210mH)運用場所は2箇所に成ったが16:57jst~21:08jstまでを7MHzと3.5MHzで翌朝、05:24jst~08:08jstまでを7MHzで運用。総交信数325交信、内3.5MHzは26局で終った。

 

 先程の様な事も有るので事前に建物の管理人に許可を貰う為、声を掛けたが応答が無く、車や自転車も無かったので許可無く運用していたら周りが暗く成ったら突然、建物内の照明が入り明るく成ったので再度、玄関から声を掛けたが応答無く許可を得てない事が心配だったので早めに閉局、沢山の局に呼ばれていたが大変申し訳ない事と成った。翌朝わかった事だが公共設備の為、動物や不審者に対する用心の為、日没後は自動的に作動する設備が作動している様で有った。


岩手県下閉伊郡岩泉町の龍泉洞の見学 (2010/07/15)

2012年07月12日 08時36分34秒 | 日記

        

    

 


 普代村の黒崎での運用が終わり岩手県に入って2日目になったが岩手県の観光を一度もしていなかったので「日本三大鍾乳洞」の一つである岩泉町の「龍泉洞」に行く事にした。ルートは455号線(小本街道)を南下し小木で45号線に入り西方向に向かった。因みに日本三大鍾乳洞は山口県の秋芳町の「秋芳洞」、高知県の土佐山田町の「龍河洞」、そして岩泉町の「龍泉洞」である。私は秋芳洞も龍河洞も3回づつ訪れているが龍泉洞は初めてだった。



 最初は正直、余り期待をしていなかったが中に入ると地底湖が有り其の深さはNHKのTV番組の調査で90m以上は確認されているらしいが更に未調査の深さが有るらしい。地底湖の水は透明度が高く其の色は神秘的で青々としていていたがカメラで撮ると小波が立っていて残念ながら画面から其の深さを感じ取る事が出来ない。そして洞内の鍾乳石や石筍や内部の規模は他の2箇所の鍾乳洞に比べれば小振りの感は有ったが内部の一部は高低差の有る鉄製の階段を昇り降りし狭い場所も有って其れが見学する者にとってはインパクトが有り、他の鍾乳洞とは違った変化に富んだ特徴に成っていた。私の個人的な思いだが地底湖の有る龍泉洞が一押しで有る。


 岩手県下閉伊郡普代村での移動運用 (2010/07/14~15)

2012年07月11日 22時14分17秒 | アマチュア無線 移動運用


 野田村の運用が終わる頃から雨が降ったり止んだりの空模様と成りアンテナの撤収は雨降りの中であった。45号線を南に下がる道は山の間を抜ける一本道で普代村図書室の前の信号を左折して44号線に入り少し行くと普代村漁港が有り直ぐに左折すれば目的地の黒崎方面に向かうのだが此の辺りには可也背丈の高い鉄製の可動式の防波堤が有り道を遮断して町筋を高波から守るシステムが有った。其の時には想像もつかなかった事だが、あの大震災はこの半年後に発生、未曾有の大津波がこの三陸リアス式海岸線を襲い多くの犠牲者を出した。



 更に奥に行くとトンネルが有り抜けると陸中シーサイドライン至る三叉路に入ると「通行止めの表示とバリケードが有り」通り抜けが出来ない状況で、近くに居た奥さんに黒崎に行く道を尋ねたら優しく教えてくれたが可也、遠回りな道筋、迷いながらも目的地の黒崎を見学する為の駐車場に辿り着いた。(北緯40度00分23秒 東経141度55分41秒 海抜174mH)この駐車場は陸中海岸国定公園や黒崎千畳敷に向かう人が車で行く事が出来る最先端にあり此処からは徒歩による散策になる。



 この場所に着いた時には作業員がエンジン草刈機を使用して草狩り作業中で有った為、エンジンによるノイズで運用が出来ず17時が来るのを待った。運用開始は17:14jstからの7MHzで始め20:00jstまで20:03jst~22:20jstまで3.5MHzを運用 翌朝05:07jst~09:25jstの間は7MHz帯で運用、総交信数359 内3.5MHz帯は91局で有った。



 宵の口から降ったり止んだりの雨は21時頃より確りした雨に変わり寝付くまで降っていたが早朝起きると周り一面にガスが張り50m先が見えない程の幽玄の世界が広がっていた。運用後アンテナを撤収し周回道路を200mくらい下がると国民宿舎「くろさき荘」があり大きい駐車場とロケーションも良かったが何せ公共施設、許可を得ても発電機での運用は難しい様に思えた。前記の運用場所にはトイレは無かったが日が暮れてからの訪問者は無く遠慮無く発電機を使用し運用出来た事は有り難かった。

 

 草刈作業が終了したのが17時頃で其れから慌ててアンテナ設営、移動運用した人なら解かって貰えると思うが、此の時点では早く運用周波数を確保して運用開始する事しか頭の中には無く写真を撮り忘れて居た。