熊本日独協会/熊本・ハイデルベルク友の会

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「ここにもドイツが」の思い込み  「るろうに剣心」には出会えたけど

2022-09-15 15:26:02 | 雑記
過日、知人の車で天草に出かけた。途中、三角西港に立ち寄ってもらう。
以前(それが10年ほど前だったか、あるいはずっと前だったのか、はっきりしないが)何かの用事で訪れた時、案内してくれた人から「ここの石積を指導したのはドイツ人でした」と聞いたように思うのだが。
それを裏付けるため、パンフレットをもらうか、話を聞こうと観光案内所を訪ねるが、ガラス戸は開かない。
土産物売り場も飲食店も同じく閉じている。人影もほとんどない。
その当時は岸壁や水路の整然とした石積の他は古ぼけた建物しか残っていなかった。
今や一帯は美しく修復された建造物群と整備された広場や遊歩道を備えた景観地区となっている。
真ん中あたりに看板があった。

      

三角西港は2015年(平成27年)に「明治日本の産業・革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されたのだ。
全く念頭になかった。
左上の説明には「全長756mに及ぶ埠頭は、ムルドルの設計と天草石工の技術が見事に融合した当時最先端の石積み埠頭。
整然とした切石積みが特徴。国重要文化財」とあるが、それがドイツ人であるとの記載はない。
他の場所の表示でこのムルドルとはオランダ人とわかった。
でも、あの時、確かに「ドイツ人技師」という案内を受けたとの思いは消えない。
「港湾工事を指揮したのはムルドルでも水路の設計、施工にはドイツの技師が当たったのではないか」と
あちこちの説明板で「ドイツ」の3文字を探したが、とうとう出会わなかった。
帰宅後、色々と検索したものの、それらしい記事はついに発見できず。
そうすると、何かの拍子で「ここにもドイツ人の功績が残されている」と思い込んだのか。
あるいは、案内の方が、私がドイツファンだと知り、リップサービスしてくれたのか。

せっかくなので、この世界遺産について宇城市のホームページでおさらいした。

三角西港は明治政府の殖産興業政策に基づいてオランダ人水理工師であるローエンホルスト・ムルドル
の設計により1884年(明治17年)に工事に着工、1887年(明治20年)に完成しました。
明治中期の産業形成期における石炭輸送の発展を示す物証であり、明治期の港が現存するのは、
日本でここだけです。


知人と訪れた日は、港から少し離れたところにある「法の館」と呼ばれる施設にも足を延ばした。
1992年(平成4年)まで利用されていた「旧三角簡易裁判所(国登録有形文化財)」で、外観や内部の造りや材質が時代を感じさせ、法廷もそのまま残っている。これを見ることができたのは収穫だった。
「るろうに剣心」のロケ地にもなったとかで、関連するパネルも飾ってあった。 (M.S.)      
       
         

        

     

             

  (撮影の際に指が入った画像もあります)

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