国会は7月10日の月曜日、文科省の前川事務次官を招き、加計
学園の問題で、閉会中審査を開きました。
10日のテレビ各局、11日の新聞各紙で、さまざまな論評が出
るでしょうが、いまここで、ひとつ指摘しておきたいことがありま
す。
それは、前川氏をヒーロー扱いするのはおかしいということです。
前川氏の主張は、「行政が政治にねじ曲げられた」ということに
尽きます。
これが、おかしい。
行政は、政治が決めたことを、粛々と行うことです。
行政を担当する人たち、すなわち、官僚は、政治すなわち、閣僚
をはじめとする政治家や国会の決めたことを、着実に実行するのが、
その仕事なのです。
行政は、政治が決めたことを着実に実行するのが仕事なのですか
ら、「行政が政治にねじ曲げられた」というようなことは、あり得
ないことなのです。
もし、前川氏が、そこまで思うのなら、前川氏は、官僚ではなく、
政治家になるべきだったでしょう。
実は、「脱官僚の政治」を掲げた政権があります。
2009年夏の総選挙で、自民党から政権を奪取した民主党政権
です。
民主党政権は、「政治主導」を掲げ、官僚の出番を思い切り減ら
しました。
財務省や経産省など、霞が関の各省庁は、事務次官が定期的に会
見を開きます。
民主党政権は、その次官会見も、廃止しました。
会見は、閣僚がやる、というのです。
この志は、大変よかったのです。
なぜか。
いわゆる三権分立というのは、立法、行政、司法をそれぞれ独立
した存在とみなす考え方です。
ところが、日本では、長い間、行政が強すぎて、立法は小さくな
っていました。長い間、というのは、明治以来、といっていいと思
います。
行政が強いというのはどういうことかというと、官僚が強いとい
うことです。
日本では、多くは東大法学部の卒業生が、国家公務員試験を通っ
て官僚になり、財務省や経産省、国土交通省など各省庁に入省しま
す。そして、彼らが、各省庁ごとに、政策を作り、それを法案とし
て国会に提出して、それが法律になります。
では、立法は何をするかというと、日本では、各省庁の官僚が国
会に提出してきた法案を、審議して、法律にするというのが、長い
間、その仕事でした。
おかしいでしょう?
というのは、国会は、立法府なのに自らは法案を出さず、各省庁
すなわち行政府が出す法案を、審議して法律にするわけです。
簡単にいえば、国会が、各省庁の法案を可決するだけの場になっ
ていたわけです。
もっといえば、立法府=政治が、行政府=官僚の言いなりになっ
てきたわけです。
国会議員のことを、英語では、
LAW MAKER
といいます。
法律を作る人たちです。
ところが、日本では、LAW MAKER は、霞が関の官僚だ
ったのです。
日本では、霞が関の官僚が法律を作ってきたのです。
言い換えると、政治が行政に口を出すというのは、基本的に、な
かったのです。
民主党政権は、それを覆そうとしました。
うまくいったとは言いにくいのですが、その狙いは悪くなかった。
今回、前川・前次官が「行政が政治にねじ曲げられた」と主張し
ているのは、結局のところ、政治は行政に口を出すなと、そう言っ
ているのです。
それは、官僚の思い上がりでしょう。
前川氏は、官僚が決めたことを、政治は認めてくれればいい、官
僚が作った法案を国会は可決してくれればいいと、そういうことな
のです。
それが、長い間の日本のシステムだったのです。
「政治主導」を掲げた民主党政権は、そのシステムを改革しよう
としました。
朝日新聞は、それを、100%支援しました。
言ってみれば、”前川氏的なもの”を改革しようとしたのです。
ところが、今回、民進党は、前川氏の言い分をほぼ100%支持
して、安倍首相の攻撃に使っています。
民進党の議員にいたっては、「前川氏に民進党の代表をやっても
らいたい」という声も出るほどで、いったい、何を考えているのか
と思います。
朝日新聞は、民主党時代、あれほど「政治主導」を支持したのに、
今回は、行政が政治にねじ曲げられたという前川氏をサポートする。
民主党時代の政治主導支持は、どこへ行ったのでしょうか。
結局のところ、民進党も朝日新聞も、目的は、安倍内閣の打倒で
す。
安倍内閣を打倒するためには、なんでも使う。
加計学園も、そのひとつであるということでしょう。
民進党は、民主党時代の反省がまったくありません。
朝日は、これで安倍政権を倒せると踏んだのでしょうが、しかし、
いくらなんでも、狙いが露骨過ぎます。
そういう思惑が透けて見えるから、この問題は、国民の支持があ
まり集まらず、どこか、しらけた空気が漂うのです。
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