いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

藤圭子さんが亡くなりました・・・日本が騒然として時代に登場したのです。

2013年08月23日 11時03分37秒 | 日記

 藤圭子さんが亡くなりました。
 マンションの13階から飛び降りたということで、自殺とみら
れています。

 藤圭子さんが「新宿の女」で彗星のように登場したのは、19
69年のことです。
 彗星のようにと書きましたが、当時としては、むしろ「いった
い、こんな歌手、どこから出てきたの」という感じでした。
 まだ10代というのに、暗い影を持ち、低い声で歌う。しかも、
はっとするような美人です。人を寄せ付けないような雰囲気があ
りました。
 翌1970年には、「圭子の夢は夜開く」が、空前のヒットとな
ります。

 15、16、17と
 私の人生暗かった
 どうすりゃいいのさ この私
 夢は夜開く

 当時の日本は、どこか騒然としていました。
 1960年代半ばから始まった大学紛争は、70年安保と結び
ついて、最後の高揚期を迎えていました。
 日本は政治の季節でした。
 では経済はどうかというと、日本経済は、まだ高度成長が続い
ており、エネルギーにあふれていました。
 生活は毎年よくなるという実感がありましたが、しかし、一方
で、出稼ぎがまだ当たり前の時期で、日本全体が豊かさに向かう
なかで、貧しさもはっきりと目に見えいました。

 日本全体が、正と負の両方のエネルギーにあふれており、政治
も経済も、もちろん、社会も、騒然としていた時代です。

 そんな中で、ある日突然、
 人を寄せ付けないような雰囲気を持った美少女が、低く、暗い
声で、しかし、圧倒的な歌唱力をもって、
 
15、16、17と
 私の人生 暗かった
 
 と歌い始めたのです。
 日本人は、
 「15、16、17と、私の人生暗かった」
 と歌いかけてくる美少女と、その美少女を送り出してきた社会、
 15、16、17と私の人生暗かったと訴えてくる日本の社会
そのものに、
 なにかあまり聞きたくないような問いかけをされたような気が
したように思います。
 
 日本が、政治、経済、社会のすべてにおいて騒然としたエネル
ギーにあふていた時代、この歌は、日本人の心に、むき出しのま
ま、飛び込んできたようなものでした。

 逆説的になりますが、日本が豊かさに向かおうとしていた時代
だったからこそ、この人の歌は、人々の心に響いたように思いま
す。