このブログを読んでいただいた方からの反響が一番大き
いのは、
「勇気を与えるという表現は、ちょっとおかしいのではな
いか」
という話です。
コンスタントにコメントをいただきます。
「勇気 与える スポーツ」というキーワードで検索し
たらこのブログに着きましたという方もいらっしゃいます。
読んでいただいて、ありがとうございます。
「勇気を与える」「感動を与える」という言い方がおか
しいと思っている方が大勢いて、心強いことです。
この夏の甲子園の高校野球が気になっていました。
今年は、震災からの復興というテーマがあったので「被
災地への勇気」うんぬんという言い方が増えると思ってい
ました。
その際、せめて、被災地を「勇気づける」と言ってくれ
たらいいんだけれどと、思っていました。
開会式のリハーサルを見ていると、選手宣誓の練習で
「日本に勇気を与えるようなプレーを」と言っていました。
またかと思い、開会式の当日は、この選手宣誓はあえて、
見ませんでした。
しかし、やはり気になって、後日、新聞で選手宣誓の部
分を読んでみると、「絆と勇気を届けられるように」とな
っていました。
実際の宣誓で何と言ったのかはチェックしていません。
しかし、新聞に載った宣誓の文章が「勇気を届けられるよ
うに」となっているのであれば、宣誓の文面が、リハーサ
ルのときの「勇気を与える」から、「勇気を届ける」に変
更されたということなのでしょう。
ということは、大会の関係者にも「勇気を与えるは変だ」
と思っている人がいたということですね。
それならよかったと思います。
勇気を与えるという言い方が、なぜ変なのでしょう。
まず第一に、「与える」という言い方が傲慢だから
です。上から目線というやつですね。
私の実家は神戸にあって、阪神大震災で被災しました。
震災後、神戸には、「がんばって」という言葉を聞きたく
ないという人が少なくなかったのです。神戸の人は「こん
なにがんばっているのに、もっとがんばれというのですか」
というのが率直な心情だったと思います。
では、そういうとき、「がんばれ」の代わりに何と言え
ばいいのか、これが難しいのです。適当な言葉がなかなか
見つかりません。
「がんばって」でもそうですから、「勇気を与える」と
いうのは、なおさらです。
あのときスポーツ選手が「神戸の人に勇気を与えたい」
言ったら、神戸の人は、怒ったのではないでしょうか。
「勇気を与えるって、なによ」
「外から、なに、勝手なことをいってるのよ」
「いまもう、こんなにがんばっているんだから、別に、
あなたから、勇気を与えてもらわなくても結構です」
という感じになってしまったと思います。
第二に、スポーツ選手は、なにも、実際には「勇気を
与えよう」と思ってプレーするわけではないでしょう。
スポーツ選手は、勝つためにプレーするのです。あるい
は、日本記録、世界記録を出すためにプレーするのです。
そんな高いレベルの話ではなく、私たちのふつうのスポ
ーツ、たとえば、草野球とか週末のゴルフとか、スキーと
か、そういうスポーツは楽しむためにやるものです。
今年の甲子園でも、素晴らしいプレーがたくさんありま
した。能代商の外野手は、如水館との試合で、2回も続け
て見事なバックホームをし、さよならのランナーの生還を
阻止しました。では、能代商の外野手が「勇気を与えよう
と、必死でバックホームしました」と答えるかというと、
そんなことはありえません。きっと彼は、「ランナーを刺
そうと、必死でホームに投げました」と答えるでしょう。
練習はウソをつかないといいますが、あのとき彼は、練
習を積み重ねてきた成果として、体が自然に反応したので
す。
そして、見事なバックホームが出ました。
アウト!
あれは信じられないようなバックホームでした。
私たちは、それを見て感動するのです。
私たちは、練習の成果であるバックホームを見て感動す
るのであって、勇気を与えようと投げるバックホームを見
て感動するのではありません。
ただし、あのバックホームを見て、「勇気づけられた」
という人は少なくないと思います。
絶体絶命、どう見ても、さよなら負けだろうという場面
で、素晴らしいバックホームが出て、危機をしのいだので
す。このプレーを見て、「やっぱり、あきらめずにやれば、
なんとかなるものなんだなあ」と思った人はいたでしょう。
そうなんです。
私たちは、スポーツ選手が一生懸命プレーする姿に、結
果として、勇気づけられるのです。
女子サッカーのなでしこジャパンだって、なにも
「日本に勇気を与えよう」と思ってシュートしたわけでは
ないでしょう。
あれは、ドイツに勝ちたい、アメリカに勝ちたい、
優勝したい、そう思ってシュートし、ディフェンスした
のです。
その必死の姿を見て、私たちは、結果として、勇気づけら
れたのです。
勇気を与えたいと思ってプレーする姿を見て勇気づけられ
たのではありません。
勝ちたいと思って必死にプレーする様子を見て勇気づけら
れたのです。
勇気づけられるかどうかは、プレーを見た人の受け止め
方の問題なのです。
スポーツ選手は、自分から
「人々に勇気を与えるプレーをしたい」
「感動を与えるようなプレーをしたい」
などというべきではないのです。
言った瞬間に、それはウソになります。
「勇気を与える」ってことは、「与える相手には勇気が足りていない、臆病者だ」と決め付けているのですから、失礼な上に、とんでもない思い上がりですね。もともと他人に勇気を与える(笑)ためにスポーツを始めたわけではないだろうし、普段そんなこと考えてもいないだろうにね。インタビューされると、なんかカッコ良いことを言ってしまうのでしょうね。
嘘くさいんです、胡散臭いんです、アレ。
確かにスポーツで感動することはあるんですが、それはよくもそこまで磨き上げて来たなって部分です。結果です。
コメントする相手に、偉そうにと毒づいてました。
最近言葉の使い方が気になります。
百歩譲ってアスリートが子どもたちに言うのはまだわかるのですが、
「被災地に勇気を与えたい」と言われると冷めてしまします。
では、被災地に支援物資を送るときに「与える」と使うでしょうか?
支援物資は「届ける」ものなのに勇気や感動や元気は「与える」もの。この矛盾に気づくことができれば、そうやすやすと「与える」という言葉は出てこないと思います。
勇気を感じてもらえれば嬉しい、勇気を共有できれば幸い、ということでしょう。表現の問題ですね。
そもそも日本語の使い方を
知らない人なのです。
所詮その程度の人の発言を
気にかけません。
親の教育がなってないのでしょう。
多くをかたるに足りません。
おっしゃるとおりです。
17日の日曜日、ゴルフの男子開幕戦があり、
熊本出身の選手が上位に入ったというので、
NHKニュースでも流していました。
そこで、この選手が
「勇気を与えられればいいと思ってプレーしました」
と答えていました。
私も、またか、と思いました。
この選手が善意なのは、疑いません。
しかし、熊本の選手がゴルフの試合で上位に
入ったからといって、勇気づけられる被災者は、
はたして、いるでしょうか。
被災者はそもそも、ゴルフなんか、見ていないでしょう。
勇気がどうのなどといわず、
ゴルファーは、普通に、いつも通り、プレーをすれば
いいのだと思います。
人は、それぞれ、自分の持ち場でするべきことをする
というのが、大事なのですから。
そして野球が行われ あのアゴの出たフォークスの内川選手 涙目で被災者に元気を…と また言ってる。
被災地にとって元気が出るのは、お水や衣類 おにぎりです! もちろんお金も
何千万何億もらってるなら 半分でも寄付すべき!
そしたら元気出ますし勇気も出るね
大体野球なんかでニヤニヤ笑っている選手見たら逆に元気うせる!
今もテレビでセンバツに選ばれた高校の主将が「被災地に勇気を与えたい」と・・・
言ってる本人には決して悪気はないし、高校生ならそんなに言葉の意味も深く考えていないのでしょうから、目くじら立てる事もないと思いますが、どうしても引っかかります。
震災後、スポーツや芸能、音楽等、いわゆる娯楽に関わっている方々が決まり文句の様に「勇気を与えたい」と言っていますが、うがった見方をすればこの一大事に、生活するのがやっとで娯楽どころでは無い方々がいる中で、娯楽を楽しんでいる、或いはそれを生業としている自分に対する免罪符の様にも聞こえてしまいます。
いまテレビコマーシャルのなかで、清原と桑田が喋っていて、桑田が
勇気を与える っていいました。
わたしそれ聞いた瞬間に、
野球みて どんな勇気がもらえるかなーと考えてしまいました。
こんなこと考えてしまうのは私だけかと思いながらも、検索したらいろいろあってビックリしました笑)
笑顔を与えられるような
も、見かけるようになりました。
日本は日本人だけのものじゃないんです、と鳩山さんが言った通りの方向に物事が進んでいるようです。
「勇気を与える」の言い方は上から目線です。
尊大な感じます。勇気は与えられるものでなく、自分が持つものだと思います。
「勇気をもらった」「元気をもらった」などもヘンテコだと思います。
勇気を与える、元気を与える…どれだけ自分が大きな力を持っていると勘違いしているのでしょうか。
本当に、傲慢以外の何物でもありません。
アナウンサーまでも普通に言っているのですから、どうしようもありません。
いやになります。
このように感じるのは私だけかと思っておりましたので、この記事を拝読し、上記の方のようにホッとしました。
おかしいと思っていらっしゃる方が
こうやってちゃんとおられるという
ことが分かって、心強いです。
ぜひまたお読みください。