身辺の整理や、ものの整理をどうするかというのが、え
らくはやっています。
「断・捨・離」がそうです。
また、20代の近藤麻理恵さん、略称・こんまりさんが、
人気になっています。
共通するのは、「捨てる」ということです。ものを整理
するのは、捨てることだーーということです。
「断・捨・離」という言葉そのものがそうです。
近藤さんも、テレビで見ていると、とにかく捨てましょ
うという感じです。
しかし、ちょっと待ってほしいのです。
人生は、「ムダ」が大切です。
ムダこそ、人生だと思うのです。
ムダがあるからこそ、人生はおもしろいのです。
誤解されると困るので、先に書いておきますが、この場
合、「ムダ」というのは、「聡明なムダ」を指します。
部屋の床や廊下に脱ぎっぱなしで転がしてあるズボン
とかセーターを、聡明なムダとはいいません。それはタダ
のムダです。そんなものは、ちゃんと片づけたほうがいい
に決まっています。
そうではなく、記念に撮った写真や、ノート、本、ある
いは、お土産の品、そういったものは、聡明なムダです。
なぜなら、そのひとつひとつに、その人の生活や人生が刻
まれているからです。
最近、「老い支度」というようなことを盛んに言います。
死んだあとに、思い出の品がたくさんあっても、残った
家族が迷惑だろうから、生きているうちに、そういうもの
を整理して捨ててしまうというのです。それを、老い支度
というわけです。
冗談じゃありません。
70年、80年、あるいは90年と生きた人がいる。そ
の人の思いでの品が残る。
仮に80歳で死んだ人がいるとしましょう。そういう場
合、80年の人生を生きた人に敬意を払い、思い出の品が
どんなにたくさん残されても、家族が整理してやればいい
のです。
80歳という人生を生きた人に、もっと敬意を払うべき
でしょう。
いまこの時代に、80歳になる人は、戦後の混乱期に1
0代を迎え、その後、戦後日本の復興を社会人として支え
てきたのです。その人たちの働きがあるから、いまの日本
がある。
そういう人が死んで、たくさんの遺品が残ったとしても、
その人の80年の人生に敬意を払えば、家族、遺族、関係
者は、「おつかれさまでした」といって、静かに遺品を整
理してあげるのが当たり前です。
それをせずに、老い支度だなんて、どうかしてますよ。
いまの80歳だけではありません。
どの時代にあっても、この地球で、長かろうたが短かろ
うが、ひとつの人生を過ごした人には、敬意を払うのが当
然なのです。
こんまりさんの「捨てる」もそうです。
この人の片づけ術をテレビで見ていると、とにかく、捨
てることに尽きます。
しかし、この人自身は、まだ20代後半です。というこ
とは、40代、50代、60代の人とは、背負っているも
のが違うのです。この人は、まだ、背負っているものが軽
いのです。
こんまりさんのテレビを見ていると、「思い出の品も、
何度も見ることはありませんから、捨てましょう」「見て
ときめく感じがしないものは捨てましょう」ということに
なります。
しかし、こんまりさんと違い、40代、50代、60代
さらには、70代の人は、思い出だってたくさんあるでし
ょうし、ときめいたものもたくさんあるでしょう。
それを、背負っているものの少ない20代の女性に「捨
てましょう」といわれて、「はい、そうですね」と分かっ
てしまう必要はないのです。
人生は、ムダにこそ、感動がある。
きのう、おとといと、お正月の箱根駅伝がありました。
ムダといえば、これほどのムダはないでしょう。東京から
箱根まで、車だと2時間もあれば行けてしまう。それをみ
んなで走っていく。箱根まで走って行って、じゃあ、なん
なんだというと、なにもない。ただ、それだけです。これ
ほどのムダはない。
「断・捨・離」ということでいえば、箱根駅伝なんか、
まっさきに、「断・捨・離」ですよ。
駅伝の間は、国道1号線を半分通行止めにして、ずっと
白バイがついていく。ドライバーにしてみれば、こんな邪
魔なものはない。こんまり流の「捨てる」でいえば、箱根
駅伝なんか、まっさきに捨てるものでしょう。
それでも私たちは、箱根駅伝を見る。
そして、その箱根駅伝を、テレビは、2日とも完全中継
する。
人生は、ムダにこそ、意味があるのです。
「断・捨・離」とか、「老い支度」という言葉に、だま
されてはいけません。
こんまりさんの「捨てる」にも、だまされてはいけませ
ん。
人生は、ムダにこそ、意味があるのです。
こんまりさんの知恵は部屋を機能的に使用するひとつの方法でしょう。
本来は、余計な物を増やさない事が正しいかと思いますが。
老い支度にしても、残された者が苦痛になるほどの遺品整理の状態があるわけですよ、実際は。
同居でもしてなければ遺品整理は大変です。
思い出に浸りながらもやってられないほどですよ。
老い支度は、周りへの最後の気配りです。
私も含め、本来なくてもよいものまで持ち続け、身動きとるのも嫌になってしまっている状態にある人には、ヒントになる本ですね。
私にはこんまりより、断捨離のが衝撃でした。特にクローズアップ現代で、形見の品を断捨離する方を見て、本当に驚き、まさにムダ、あるいはモノにこめられたたくさんの思いを断ち切る様子に、なぜそこまで?と思わずにはいられませんでした。
ただ…特にその方も女性でしたが、女性は結婚などでイロイロな家庭、家族のしがらみに生きることになります。それらを持ち続けるのが重くなる時もあるのかもしれません。そうして、そういうものの捨て方を教わって生きてはきていないのです。
だから、自分を軽くする理由付けに、断捨離はピッタリなのではないかと、私は感じました。考案者であるやましたさん自身もそういうところがあるのかもしれません。
若いこんまりさんのやり方に従って、50、60の女性がモノを捨てるのもその方が自分が楽になるからではないでしょうか。
ひとりひとりが積んできた歳月は本来、そう簡単に捨てられるものではないけれど、誰かに手伝ってもらうことで、これからを身軽にすることができるのであれば、断捨離もこんまりも、利用すればいいのではないでしょうか。
処分することは悪いことではない。
各国の家にある物を全部外に出して撮影する。という写真を昔みましたが、日本は家に比して物が多すぎましたっ!!
家に物が少なく生きていても、思い出がないわけではないと思います。
私も今話題のこんまりさんの片付け方法に疑問を感じている者です。
ネット検索していたら、この記事に出会い、あまりに共感してしまったのでコメントさせて頂きました。
反論コメントもありますが、頑張って下さい!!
筋違い。
近藤さんは思い出を捨ててるわけじゃないでしょ。
つまり自殺だ。
価値ばかりが存在意義ではない。
価値がなくたって生きていいし、そこに居ていいのだ。
それを許さない世界ほど 捨てられるものにとっておぞましく恐ろしい世界はない。
所有物の断捨離より、所有物の見直しに時間をかける方が愛がある。
従って、私も断捨離には反対だな。