いまジャーナリストとして

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維新の会の分裂・・・新党は50議席という限界があり、維新も同じ道を。まことに残念です。

2015年08月28日 15時10分17秒 | 日記

 維新の会が、分裂しそうです。
 直接のきっかけは、山形市長選での応援問題です。維新の会の
柿沢未途・幹事長が、地元の反対を押し切り、民主党の推薦する
予定者を応援しました。これを、大阪にいる松井一郎・大阪府知
事(維新の会顧問)が激しく批判して対立が表面化し、橋下徹・
大阪市長(創業者)とともに離党すると表明したものです。
 橋下氏は維新の会の創業者であり、松井氏はその強力なパート
ナーですから、事実上、これで維新の会は分裂です。

ただ、山形市長選は、あくまで、直接のきっかけ、あるいは引
き金でしょう。
 市長選ぐらいで党が分裂するわけではありません。
 その背景に、分裂の土壌を抱え込んでいたからこそ、山形市長
選という出来事が、分裂への最後のひと押しになったのだと思い
ます。

 では、分裂の土壌とはなんだったのでしょうか。

 行きつくところは、2012年、結党後、初めての衆院選で、
54議席しか取れなかったことです。
 2010年4月、当時は大阪府知事だった橋下徹氏が、大阪都
構想を掲げ、「大阪維新の会」を結成しました。
 これがすべての始まりです。
 2011年4月、というと、東日本大震災の直後ですが、大阪
府議選と大阪市議選で、大阪維新の会が圧倒的な勝利をおさめま
す。
 やはり2011年の11月には、橋本氏は大阪市長選に出て市
長になり、松井氏が大阪府知事に当選しました。
 このころの大阪維新の会は、飛ぶ鳥を落とす勢いで、手が付け
られないほどの強さでした。
 そして、2012年12月、民主党の野田首相が、自民党の安
倍晋三氏の挑発に乗るような感じで、解散・総選挙を実施し、自
民党が政権に返り咲いて、安倍首相が誕生しました。
 この総選挙の直前に、橋下氏が、「日本維新の会」を結成し、国
政は、この日本維新の会でやることになりました。
 
 日本維新の会は、2012年12月の総選挙で、54議席を獲
得したのです。

 54議席を獲得し、日本維新の会は、「大躍進」とされました。
それまで、国会では議席がゼロだったのですから、大躍進という
言葉では、まだ足りないぐらいです。

 しかし、ここに、落とし穴がありました。
 54議席では、足りなかったのです。
 この選挙の前後、橋下氏が、100議席を取って一挙に政権を、
というような発言をしていたと思います。
 橋下氏は、よく分かっていたようです。
 50議席では、どうにもならないのです。

 かつて、維新の会と同じように、新しい党を結成し、高い人気、
大きな支持を得て、国政に打って出たケースが、いくつかありま
す。
 1970年代には、河野洋平氏が党首となって「新自由クラブ」
を結成し、新自由クラブは、最初の総選挙で30議席から40議
席程度を獲得しました。このころの新自由クラブは、フレッシュ
なイメージで颯爽と登場し、新党ブームの先駆けとなりました。
 しかし、その後の選挙ではふるわず、じり貧となり、80年代
に解散においこまれました。
 
 その後、ブームを招いたのが、細川護煕氏が結成した「日本新
党」です。長身の細川氏が、やはり、いかにも颯爽としたイメー
ジで登場し、大きな人気を得ました。初めての総選挙では、アナ
ウンサーから政界に転じた小池百合子氏が、細川氏とともに選挙
演説をしました。日本新党としての党員・党友の募集し、普通の
市民が、大勢、応募したものです。その結果、結党早々というの
に、初めての総選挙で、いきなり50議席を超す議席を獲得しま
した。このとき、またもや新党ブームとなり、日本新党を軸に、
多数の新党が集まって、細川首相が誕生しました。
 しかし、日本新党も、この50議席を獲得した選挙がピークで、
次の選挙では議席を減らし、やがて、消えていきました。

 橋下徹氏の「維新の会」と相前後して、渡辺善美氏が「みんな
の党」を作りました。みんなの党も、維新の会ほどではありませ
んでしたが人気を呼び、2012年の総選挙で、30議席を超す
議席を獲得しました。しかし、みんなの党も、次の選挙では議席
を減らし、やがて、渡辺氏の金銭スキャンダルを機に、分裂して
しまいました。

 これまで、新自由クラブ、日本新党、みんなの党、維新の会と、
いくつかの新党が、かなりいい線まで行きました。
 しかし、共通するのは、最初の選挙で、50議席前後までは議
席を獲得しながら、結局のところ、それをピークに、じりじりと
衰退していくということです。

 みんなの党の渡辺氏、維新の会の橋下氏は、さすがに、初めか
ら、その辺のことは、よく分かっていたようです。みんなの党が
30議席を取った選挙で、新聞、テレビが「躍進」と報じたとき、
渡辺氏は、「うーん。30議席じゃなあ」と難しい顔をしていまし
た。決して、喜んではいなかったのです。
 また、橋下氏も、選挙の前に「100議席を取って、一気に政
権を」というような言い方をしていました。橋下氏も、やはり、
50議席では何もできないということを、分かっていたのでしょ
う。

 これまでの経験則では、新党は、どんなに人気を呼び、ブーム
を巻き起こしても、最初の選挙で獲得できるのは、50議席にと
どまるということです。
 そして、50議席を獲得した初めの選挙が、どの新党も、党と
してのピークになってしまうのです。
 50議席を獲得し、躍進した後、党の内部で、路線の対立や、
ポストをめぐる対立などが、出てくるということでしょう。
 初めての選挙ということで、そうした党内の対立が表面化する
前にワーッと湧き返り、躍進する。しかし、当初の熱狂が過ぎた
あと、やがて、党内の対立がにじみ出てくるということなのでし
ょう。

維新の会、維新の党も、このままでは、完全に、同じ道を進ん
でしまいます。
維新の会、維新の党も、新自由クラブや日本新党と同じように、
やがて、消えてしまうのでしょうか。そうだとすれば、立場の
違いを超えて、まことに残念な思いがします。




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