いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

「日本のカーリング界、ついに、表彰台に届きました」・・・女子カーリング、銅メダルを取る。その実況が素晴らしかった。

2018年02月25日 00時46分13秒 | 日記

 平昌五輪は、きょう2月25日(日)で閉幕します。
 今回の五輪は、いろんなことがあり、始まる前は、雑音でいっぱ
いという感じでした。
 こんなことで大丈夫かと思っていました。

 しかし、始まってみると、4年、あるいは、それ以上の歳月を、
ただ一度の大会にかけてきた選手たちの思いが、ひしひしと伝わっ
てきます。
 必死の思いが、テレビの画面を通して、伝わってくるのです。

 今回の五輪のことを書いて、それでこのブログを再開しようと思
っていたのですが、毎日、日本の選手がメダルを取り、見るのが忙
しくなってしまいました。
 
 さて、どうしたものか。
 そこへ、きょう24日(土)に、これは、書かずばなるまいと思
うことがありました。

 日本の女子カーリングが、24日夜、イギリスを破り、とうとう、
銅メダルを取ったのです。

 本当に素晴らしい。
 勝った瞬間、選手たちは抱き合い、嗚咽する声が、テレビの画面
から聞こえてきました。
 
 そのことは、新聞やテレビ、いろんなところで取り上げられるで
しょうから、きょうは、ちょっと違う角度で書きます。

 勝った瞬間、中継のアナウンサーが大変よかった。
 今回の五輪、インタビューのアナウンサーは、少しよくなったよ
うに思いますが、まだまだ問題だらけです。
 しかし、中継のアナウンサーは、いいと思います。
 
 日本の女子カーリングチームが銅メダルを取った瞬間、実況して
いたアナウンサーは、こう言いました。
 「日本のカーリング界、ついに、表彰台に届きました」。

 この実況の言葉は、秀逸でした。

 我々がカーリングという競技を認識したのは長野五輪でした。
 こんな競技があるのか、という感じだったと思います。

 そこから、日本のカーリングが始まりましたが、なかなか底辺が
広がらない。選手は手探りでやってきたが、世界大会や五輪で、い
い結果を残せない。いい結果を残せないから、メジャーな競技には
なれない。そういう状況では、スポンサーについてくれる企業も出
てこない。選手は資金に苦労しながら、カーリングという競技を、
続けてきた。

 日本のカーリングは、そんな状況だったと思います。
 
 そういう中で、選手たちは、一生懸命、技術をみがき、五輪を目
指してきた。
 そして、大きなチャンスがやってきた。
 前日の23日の金曜日は、勝てば決勝という一番を韓国に負けて
けれど、24日の土曜日は、イギリスに勝てば、日本のカーリング
チームとして、初めて、メダルを取れる。銅メダルだけれど、紛れ
もない五輪のメダリストになれる。

 その試合、最終エンド、イギリスの最後の一投は、日本のストー
ンをはじき出すことが出来ず、日本が奇跡のような勝利を得ました。
 夢に見たメダルです。
日本のカーリングに携わる人がみな、夢にまで見たメダルです。
 日本はカーリングでメダルは取れないんじゃないかと思ったこと
もあったでしょう。
 しかし、とうとう、銅メダルに届いた。
 日本のカーリングの選手、コーチ、スタッフの努力と思いが、と
うとう、五輪のメダルに届いたのです。

 それが、
 「日本のカーリング界、ついに、表彰台に届きました」
 という実況の意味するところです。

 あるいは、日本が勝ったら、そう言おうと決めていたのかもしれ
ません。
 もしそうであっても、かまいません。
 とにかく、これは、素晴らしい言葉です。

 人の努力と思いが、目指す所に届いた。
 こんな素晴らしいことは、ちょっと、ないですよ。



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