釜山の慰安婦像をめぐり、日本と韓国の関係がまた悪化している
ことは、前回の当ブログでも取り上げました。
その関係で、また、韓国の国内から、
・日本はまだ謝罪と反省をしていない。
・日本は謝罪と反省をせよ。
・必要なのは、おカネではなく、日本の謝罪と反省だ。
ーーという主張が出ています。
韓国の小学生が日本に謝罪を求める手紙を読み上げたという報道
もありました。
日本の国内でも、一部に、そういう声があるようです。
では、本当に日本はこの問題で謝罪と反省をしていないのでしょ
うか?
実は、日本は、もう、首相や官房長官が、何度も、謝罪と反省の
談話を出しているのです。
首相は、日本の最高責任者です。
官房長官は、首相を補佐する事務局の最高責任者ですから、国連
でいえば、事務総長です。
その最高責任者たちが、繰り返し、謝罪と反省の談話を出しています。
韓国では、そのことが、知られていないのです。
韓国の人たちは、日本はただの一度も謝罪と反省をしたことがな
いと、本気で思っているようです。
というのも、韓国政府は、反日が政策の大きな柱ですから、韓国
政府が自ら、日本政府の謝罪と反省を国民に知らせることは、あり
ません。また、韓国のメディアも、報道姿勢の基本が反日なので、
やはり、メディアが日本の謝罪と反省を取り上げることも、ほとん
どありません。
そこに、日韓の間の大きなギャップが生まれます。
そこで、今回のブログでは、日本の首相と官房長官の謝罪と反省
の談話を、資料として、掲げておきます。
いずれも、外務省のホームページにちゃんと掲載されており、だ
れても簡単に見ることができるのですが、どうも、あまり見られて
いないようです。
河野官房長官が、慰安婦に関する「河野談話」を出したのは、
1993年8月です。
戦争は1945年に終わりましたから、1993年というと、
もうそれから48年もたっています。なぜ、そんな時期に、急に
思い出したようなことになったのかというと、ほかならぬ朝日新聞
が、1990年、91年、92年と、慰安婦の問題を取り上げ、
大きな記事にしたからです。
朝日は、旧日本軍には従軍慰安婦というものがあり、朝鮮半島か
らも、多くの女性が強制的に慰安婦として連れてこられたという
記事を掲載しました。
朝日は、もっぱら吉田清治氏の証言を元に記事を書いたのですが、
2014年夏になって、朝日は、吉田証言に基づく記事は誤報だっ
たと、自ら認めました。
しかし、90年、91年、92年と、朝日が記事を書いたころは、
インパクトは大きく、読んだ側は「えっ?」という感じでした。
もちろん、そのころ、朝日は誤報と認めるはずもありません。
そのため、日本政府は、対応を迫られました。
そして、政府は1993年8月、当時の河野官房長官が、慰安婦
問題に関する「河野談話」を出したわけです。
資料1として、次に、その全文を掲げておきます。
これは、外務省のホームページにすべて掲載されています。
資料1・・・・・・・・河野談話
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、
調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表すること
とした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設
置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、
当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、
管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に
これに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者
が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、
本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲
等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、
慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであっ
た。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別と
すれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は
我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧に
よる等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の
名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改め
て、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多
の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての
方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、その
ような気持ちを我が国としてどのように表すかということについて
は、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきも
のと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこ
れを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、
歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ち
を決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、
また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、
民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
(止)
これが、河野談話です。
ご覧のように、はっきりと、
「政府は(中略)心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる」
と明言しています。
河野談話は、その後、批判されることも多くなりました。どこが
問題かというと、
「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、
慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接
あるいは間接にこれに関与した」
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこ
れに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意
思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これ
に加担したこともあったことが明らかになった」
という部分です。
慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たっ
たとしており、軍が直接関与したものではないと言っているのです
が、読み方によっては、なんとでも取れるような、あいまいな書き
方になっています。
ただ、今回のブログは、そこを論じるのが目的ではありません。
ここでは、河野談話が、「お詫びと反省」を明言していることを、
しっかりおさえておきたいと思います。
官房長官というのは、先ほども述べたように、政府の事務局のト
ップ、事務総長みたいなものですから、その発言は、政府としての
発言となります。その官房長官が「お詫びと反省」を述べたのは、
非常に大きいのです。
常識的には、これで、日本としての「お詫びと反省」は、もう、
完了しています。
韓国との関係では、これでもう終わりとならないところが、大き
な問題なのですが、しかし、国際的には、河野官房長官の談話によ
って、日本のおわびと反省は、本来、完結しているのです。
***
1995年は、戦後50年という大きな節目の年でした。
その年を控えた1994年8月、当時の村山首相は、太平洋戦争
に対する「深い反省」を表明する談話を出しました。
この談話の中で、村山首相は、あえて慰安婦に触れ、「お詫びと
反省」を表明しました。
ここで、日本の首相が、慰安婦について、はっきりと「お詫びと
反省」を表明したのです。
いわゆる「村山談話」です。
村山談話を次に掲げます。
資料2・・・・・・・村山談話
「平和友好交流計画」に関する村山内閣総理大臣の談話
平成6年8月31日
明年は、戦後五十周年に当たります。私は、この年を控えて、先
に韓国を訪問し、またこの度東南アジア諸国を歴訪しました。これ
を機に、この重要な節目の年を真に意義あるものとするため、現在、
政府がどのような対外的な取組を進めているかについて基本的考え
方を述べたいと思います。
我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもた
らしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒し
がたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配
などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対
し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造
に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進
路であると考えます。
我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければ
なりません。日本国民と近隣諸国民が手を携えてアジア・太平洋の
未来をひらくには、お互いの痛みを克服して構築される相互理解と
相互信頼という不動の土台が不可欠です。
戦後五十周年という節目の年を明年に控え、このような認識を揺
るぎなきものとして、平和への努力を倍加する必要があると思います。
このような観点から、私は、戦後五十周年に当たる明年より、次
の二本柱から成る「平和友好交流計画」を発足させたいと思います。
第一は、過去の歴史を直視するため、歴史図書・資料の収集、研
究者に対する支援等を行う歴史研究支援事業です。
第二は、知的交流や青少年交流などを通じて各界各層における対
話と相互理解を促進する交流事業です。
その他、本計画の趣旨にかんがみ適当と思われる事業についても
これを対象としたいと考えています。
また、この計画の中で、かねてからその必要性が指摘されている
アジア歴史資料センターの設立についても検討していきたいと思い
ます。
なお、本計画の対象地域は、我が国による過去の行為が人々に今
なお大きな傷痕を残しているアジアの近隣諸国等を中心に、その他、
本計画の趣旨にかんがみふさわしい地域を含めるものとします。
この計画の下で、今後十年間で1千億円相当の事業を新たに展
開していくこととし、具体的な事業については、明年度から実施で
きるよう、現在、政府部内で準備中であります。
いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問
題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの
気持ちを申し上げたいと思います。
我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、
正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一
層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すこ
とになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたも
のであります。
なお、以上の政府の計画とあいまって、この気持ちを国民の皆様
にも分かち合っていただくため、幅広い国民参加の道をともに探求
していきたいと考えます。
また、政府としては、女性の地位向上や女性の福祉等の分野にお
ける国際協力の重要性を深く認識するものであります。
私は、かねてから、女性の人権問題や福祉問題に強い関心を抱い
ております。明年、北京において、女性の地位向上について検討し、
21世紀に向けての新たな行動の指針作りを目指した「第四回世界
婦人会議」が開催されます。このようなことをも踏まえ、政府は、
今後、特にアジアの近隣諸国等に対し、例えば、女性の職業訓練の
ためのセンター等女性の地位向上や女性の福祉等の分野における経
済協力を一層重視し、実施してまいります。
さらに、政府は、「平和友好交流計画」を基本に据えつつ、次の
ような問題にも誠意を持って対応してまいります。
その一つは、在サハリン「韓国人」永住帰国問題です。これは人
道上の観点からも放置できないものとなっており、韓国、ロシア両
政府と十分協議の上、速やかに我が国の支援策を決定し、逐次実施
していく所存です。
もう一つは、台湾住民に対する未払給与や軍事郵便貯金等、長い
間未解決であった、いわゆる確定債務問題です。債権者の高齢化が
著しく進んでいること等もあり、この際、早急に我が国の確定債務
の支払を履行すべく、政府として解決を図りたいと思います。
戦後も、はや半世紀、戦争を体験しない世代の人々がはるかに多
数を占める時代となりました。しかし、二度と戦争の惨禍を繰り返
さないためには、戦争を忘れないことが大切です。平和で豊かな今
日においてこそ、過去の過ちから目をそむけることなく、次の世代
に戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを語り継ぎ、
常に恒久平和に向けて努力していかなければなりません。それは、
政治や行政が国民一人一人とともに自ら課すべき責務であると、私
は信じております。
(止)
前年の河野談話は官房長官の談話でしたが、94年の村山談話は、
正真正銘、日本の首相、日本の最高責任者の談話で、日本の首相が、
慰安婦に対する「お詫びと反省」を明言しています。
ご覧のように、村山談話は、
「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた
問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫び
の気持ちを申し上げたいと思います」。
と、踏み込んでいます。
首相の「お詫びと反省」ですから、日本として、また、国際的に
も、これ以上の言葉はないでしょう。
***
この村山談話を受け、1995年、 「女性のためのアジア平和
国民基金」の設置が、正式に決まります。
この基金は、
・元従軍慰安婦への償い金を民間から基金が募金する。
・元従軍慰安婦に対する医療、福祉支援事業を、政府の資金で基
金が行う。
・この事業実施にあたり、政府が元従軍慰安婦に国としての率直
な反省とお詫びの気持ちを表明する。
・政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整え歴史の教訓とする
そして、1997年からは、実際に、 韓国人元慰安婦への見舞
い金の支給が始まりました。見舞い金は、のちに償い金とされ、首
相のお詫びの手紙とともに、償い金が、285名の「フィリピン、韓
国、台湾」の「慰安婦」に対して渡されました。
基金は、2007年に解散しています。
事業としても、このときに、完了しているのです。
しかし、韓国の大統領は、自らの支持基盤を強める手段として、
反日を使います。
李明博大統領は、任期の末期、支持率を回復するために、竹島に
上陸し、慰安婦問題も持ち出しました。
次の大統領は、いまの朴槿恵大統領ですが、朴大統領は、就任演
説で「加害者と被害者の関係は1000年たっても変わらない」と
言い、就任早々から、支持を強固にするため、反日を持ち出しまし
た。
朴大統領は、世界各国を歴訪し、その都度、慰安婦問題を訴えて、
「告げ口外交」などと揶揄されました。
これでは、河野談話も、村山談話も、アジア女性基金も、まった
く意味がなくなってしまいます。
さすがに、アメリカ政府が、しびれをきらしました。それはそう
です。韓国は、ソウルからすぐ60キロという近い所に北朝鮮との
境界線があり、そもそも、北朝鮮とはまだ「休戦」の状態なのです。
そこへ、北朝鮮が、核開発を進め、核実験を繰り返すようになりま
した。危ないのは北方なのに、韓国は、まるで、日本が敵であるか
のような行動をするわけですから、アメリカ政府にしてみると、も
ういい加減にしたらどうだ、ということになります。
そこで、アメリカの強力な調整と要請で、2015年12月、安
倍首相と朴槿恵大統領との間で、「慰安婦をめぐる最終的で不可逆
な合意」というものがなされました。
もちろん、アメリカは、公式には、自らが調整や要請をしたとは
認めていませんが、この合意を歓迎するという声明をアメリカが出
しており、背景に、アメリカの強い意志があったのは、間違いあり
ません。
日本としても、河野談話、村山談話で終わったことだという意識
があります。ですから、安倍首相が朴槿恵大統領と改めて合意する
というのは、安倍首相にしてみれば、譲歩をしたことになります。
資料3・・・・・2015年末の合意
安倍首相と朴槿恵大統領の合意
これも、外務省のホームページに、その内容がしっかりと掲載さ
れています。
次に掲げます。
12月28日午後2時から3時20分頃まで(当ブログ注・・
これは2015年のことです),岸田文雄外務大臣は,尹炳世(ユ
ン・ビョンセ)韓国外交部長官と日韓外相会談を行い,直後の共同
記者発表(日本語/英語/韓国語(PDF))において,慰安婦問題
について以下のとおり発表した。
1
(1)岸田外務大臣による発表は,以下のとおり。
日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等にお
いて,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府と
して,以下を申し述べる。
ア 慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊
厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を
痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安
婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負わ
れた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。
イ 日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,
その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦
の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,
元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府
の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安
婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行う
こととする。
ウ 日本政府は上記を表明するとともに,上記(イ)の措置を着実
に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ
不可逆的に解決されることを確認する。
あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会
において,本問題について互いに非難・批判することは控える。
(2)尹外交部長官による発表は,以下のとおり。
韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局
長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,
韓国政府として,以下を申し述べる。
ア 韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を
評価し,日本政府が上記1.(1)(イ)で表明した措置が着実に実
施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問
題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,
日本政府の実施する措置に協力する。
イ 韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,
公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓
国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う
等を通じて,適切に解決されるよう努力する。
ウ 韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施される
との前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本
問題について互いに非難・批判することは控える。
2
なお,岸田大臣より,前述の予算措置の規模について,概ね10
億円程度と表明した。
3
また,双方は,安保協力を始めとする日韓協力やその他の日韓間
の懸案等についても短時間意見交換を行った。
(止)
2015年の合意は、岸田文雄外相と、尹炳世(ユン・ビョンセ)
外交部長官が、日韓外相会談を行い,その後、共同記者発表(日本
しました。
その場で、岸田外相が、安倍首相の言葉を発表するという形を取
りました。
安倍首相の言葉は、ご覧の通り、
「日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛
を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対
し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」
というものでした。
これを見ると、安倍首相は、慰安婦に対し、はっきりと、
「心からおわびと反省の気持ちを表明する」
と述べています。
その前段として、慰安婦に対し、
「心身にいやしがたい傷を負われたすべての方々」
とも述べています。
素直に読めば、これはもう、まさしく、
「おわび」と「反省」
です。
おわびと反省以外のなにものでもありません。
しかも、これまでの、河野談話、村山談話と、同じ表現です。
ところが、韓国の人たちは、2017年になった今もなお、
「安倍首相は慰安婦に謝罪しろ」
と主張するのです。
何日か前には、韓国の小学生が、安倍首相への手紙というものを、
釜山の慰安婦像の前で読み上げ、安倍首相に謝罪を求めたそうです。
おかしいでしょう。
まず、日本の河野官房長官がおわびし、
次に、村山首相がおわびし、
今度は、安倍首相もおわびした。
それはもう、いまここで見たとおり、はっきりしています。
日本の外務省のホームページに、いまも、ちゃんと示されていま
す。
首相が「おわび」を表明したら、ひとつの国として、それ以上の
おわびは、もう、ありません。
首相が交代したら、また新しい首相が、「おわび」するなど、そ
んな馬鹿なことはないのです。
太平洋戦争は1945年8月に終わりました。
日本の降伏文書は、アメリカのミズリー号で、調印されました。
それで戦争は終わったのです。
日本の首相が交代し、アメリカの大統領が交代したら、その都度、
新しい降伏文書を作って、新しい首相と新しい大統領が調印します
か?そんな馬鹿なことはないでしょう。
同じように、首相という一国の最高責任者が、一度、「おわび」
をしたら、もう、それで完結しているのです。
新しい首相になるたびに、繰り返しおわびをするというものでは、
ないのです。
日本は、慰安婦問題で、ちゃんと、おわびし、反省しているので
す。
それを、どうして、またも、
「日本は謝罪せよ」
というのでしょうか。
日本人は国際的にみて、かなりお人よしの部類に入りますが、し
かし、お人よしの日本人も、さすがに、堪忍袋の緒が切れた、とい
う状態ではないでしょうか。
韓国が、日本に謝罪を求め続ける理由は、前回のブログで分析し
ました。もう一度まとめましょう。
韓国は、儒教の影響で、いまも上限関係が厳しい。
しかも、上に立つ人は、下の人に対し、どんなふるまいをしても
許されるという文化がある。
そういう文化、風土の中では、「謝罪する」というのは、すなわ
ち、「下」になることだ。
日本が「おわびと反省」を表明したというのは、韓国にとって、
日本が「下」になり、韓国が「上」になったということだ。
それは、韓国にとって、まことに気持ちのいい状態だ。
日本の謝罪を受け入れてしまえば、そういう「上下関係」が消え
てなくなる。それは困る。
だから、韓国は、ずっと、日本に謝罪を要求し続ける。
--そういう構図になっています。
尹外交部長官は、2015年12月の合意で、
「今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不
可逆的に解決されることを確認する」
と明言しています。
「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」
とまで言っているのに、いま、韓国の人たちは、なお、日本に謝
罪せよと求めるのです。
朴槿恵大統領がいずれ退陣し、大統領選挙が行われます。
その候補者が3人ほど出ていますが、いずれの候補者も、
「日本との合意の破棄、再交渉」
を主張しているのです。
二国の外相と外相が交渉し、合意を発表した。
しかも、その中で、首相と大統領の言葉まで発表された。
それを、「破棄、再交渉」しようという。
外交的に、これほど失礼なことはありません。
かつてなら、これは、戦争になってもおかしくない話です。
日本でも、「日本はちゃんと謝罪を」というようなことを、いう
人がいます。
そういう人には、日本が、いかにおわびしてきたか、ちゃんと勉
強してもらいたいと思います。
今回のブログは、慰安婦問題をめぐり、歴代の日本政府が、ちゃ
んと「おわびと反省」を表明してきたことを、資料で説明するのが
狙いでした。
「河野談話」
「村山談話」
「2015年12月の日韓合意」
の3つの資料をちゃんと読めば、日本が、いかにきちんと、「お
わびと反省」をしてきたか、よく分かります。
正直、もう、これ以上のことはないのです。
そして、最後に、また外務省への注文です。
こうした「おわびと反省」を、韓国の人が知らないとすれば、そ
れは、日本の外務省の怠慢でもあるでしょう。
どうも、この「おわびと反省」は、アメリカや欧州の人も、あま
り知らないように思えます。
それも、日本の外務省の怠慢でしょう。
我々日本人の不満のひとつは、
「どうして、我々日本人のことを、海外で、もっとちゃんと知っ
てもらえないのだろうか」
ということです。
それは、外務省の仕事です。
外務省はしっかりせよと、再度、書いておきます。