いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

一億総活躍とは、なんとも・・・政治家は言葉が生命です。もう少しセンスを磨いたほうがいいと思います。

2015年10月12日 02時25分53秒 | 日記

 安倍内閣が、「一億総活躍」という政策目標を打ち出しました。
 この前の国会で安保法制が成立したので、安倍首相は「これからは経
済」と主張しており、その線に沿ったものでしょう。

 しかし、一億総活躍、という言葉は、どうにも違和感を感じます。
 言いたいのは、国民ひとり一人が活躍できる社会、ということなのでしょ
う。
 それなら、そういうふうに言えばいいと思います。
 「国民ひとり一人が活躍できる社会を目指します」
 というほうが、よほど、すっきりしているように思います。

 かつて、池田内閣が「所得倍増政策」を掲げ、これが、日本の高度成
長のスタートとなりました。

 この「所得倍増」に匹敵するような標語、いまの言葉でいえば、キャッチ
コピーがほしいのでしょう。
 どの政権も、それぞれに、政策標語を掲げるのですが、ことごとく、失
敗しています。
 失敗している、というより、それ以前に、日本語として、どこかおかしい
と思います。

 いくつか、例を見てみましょう。

 最近、政策標語に熱心だったのは、民主党の菅直人首相です。
 このブログでも、TPPのときに触れましたが、菅首相は、TPPに参加
することに非常に積極的でした。
 TPPを国民に説明する際、菅首相は、
 「平成の開国」
 という標語を掲げました。
 ところが、この「平成の開国」は、あまりに大げさだったものですから、
国民はあっけにとられ、経済界も慎重な態度を取ってしまいました。

 菅首相は、政治的なセンスの悪い人で、その前には、所信表明演説で、
日本が目指すべき社会を
 「最小不幸社会」
 であると語りました。
 これはまあ、なんというセンスの悪さでしょう。
 目指すのは、不幸を小さくする社会だというのです。
 言いたいことは、なんとなく、分かります。
 不幸は、小さいほうがいいに決まっています。

 しかし、不幸を小さくする社会というのは、前提として、我々は大小に
かかわらず不幸なものだという認識に立っていることになります。
 そうです。
 我々は不幸なのだ、だから、その不幸を小さくしよう。
 そういうイメージになってしまいます。
 
 最小不幸社会というのは、マイナスイメージの標語なのです。
 
 最小不幸
 などといわず、
 「みんなが幸せになる社会」
 といえばいいのです。
 そうすれば、明るいイメージになります。

 90年台に宮沢首相が政権を取ったとき、やはり標語を掲げました。
 それは、
 「生活大国」
 というものでした。

 当時、日本はGDP(国内総生産)でアメリカに次いで2位にあり、「経
済大国」という言葉が定着していました。
 だから、政権として、経済大国から、次は、「生活大国」だ、という
イメージがあったのだと思います。

 しかし、生活大国 という言葉が、そもそも、日本語として響きが悪い
のです。
 我々は、だれしも、豊かな生活をしたいと思っています。
 生活は、「豊か」という言葉が似合うのです。
 日々の生活に、「大国」という大げさな言葉は似合いません。

 結局、生活大国という言い方は、定着せず、いつの間にか消えていき
ました。

 安倍首相の「一億総活躍」も、おなじような響きの悪さを感じます。
 日本語としておかしいだろうと思うのです。
ただ救いは、一億総活躍は、最小不幸社会のようなイメージの悪さが
ないことです。最小不幸社会のようなマイナスイメージは、まだしも、
ないことです。

 それにしても、一億総活躍・・・ですか。
 なにか、がくっとしますね。
 どうしても、活躍という言葉を入れたいのなら、
 「ひとり一人が活躍できる社会」 
 でいいのではないかと思えます。

 政治家は、言葉で勝負する職業です、
 言葉が、政治家の生命線です。
 そのことを、もう少し考えてほしいと思います。