いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

外交における必死の努力・・・明治の先人は必死でした。憲法9条を守るには必死の外交が不可欠です。

2015年06月03日 00時24分06秒 | 日記

憲法9条を守るには、圧倒的な外交力が必要だという話を書きまし
た。
 外交力がなければ、憲法9条は意味がなくなります。
 外交では何もできないということになると、それなら、やはり軍事力
が必要だという議論が出てしまいます。

 憲法9条は、圧倒的な外交力、外交のパワーや、外交の戦略、テクニ
ックといったものとセットで語られなければならないのです。
 外交力なしで、憲法9条を守れといっても、それはなかなか難しいこ
とです。

 では、その外交力がいまの日本にあるかというと、これが、はなはだ
心もとない。

 先週、日本と韓国の民間団体(日本は言論NPO,韓国は東アジア研
究院)が日韓世論調査の結果を発表しました。それによると、韓国人の
57%が、日本の社会・政治体制を「軍国主義」と答えました。
 軍国主義的な傾向ではなく、軍国主義ですよ。
 
また、韓国にとって軍事的脅威を感じる国・地域では、83%が北朝
鮮でこれは当然としても、日本という回答が58%で二位になりま
した。
日本は北朝鮮についで、軍事的脅威だというのです。

この調査結果に、日本人としては、ただひたすらびっくりしてしまい
ます。
現在の日本の社会・政治体制を「軍国主義」と言われると、怒るとか
なんとかという以前に、もう、あきれてしまって、あ然とするという
ほかありません。

さらにまた、日本が軍事的脅威とは、どういう認識でしょう。
日本がまた朝鮮半島に攻め込むとでもいうのでしょうか。いまこの
現在の日本が、朝鮮半島に攻撃をしかける可能性など、ありえません。
可能性ゼロといっていいと思います。

韓国の人たちがこんなふうに考えてしまうというのは、日本からの
情報発信、日本からの広報、PRが少ない、いや、ほとんどないから
ではないでしょうか。

そんな日本の外交も、かつて、ここまで必死の努力をしていたという
話をしておきたいと思います。
このブログで何回か取り上げたポーツマス条約当時の話です。
同じ文章になりますが、ご容赦ください。


日本は1904年、ロシアと戦争をしました。日露戦争です。開戦の
翌年、1905年に、東郷平八郎率いる連合艦隊は、日本海海戦でロ
シア・バルチック艦隊に勝ち、日露戦争は、日本の勝利で終わります。

 しかし、戦争終結に向け、ロシアとの間で、講和条約を結ばな
ければなりません。仲介をするのはアメリカです。
 このとき、明治の日本政府は、金子堅太郎男爵をアメリカに派
遣します。

もちろん、飛行機などない時代です。
金子男爵は、船でアメリカ西海岸に上陸します。



 金子男爵は、アメリカ各地で講演会を開き、日本の立場を説明
して回ります。そうやってアメリカ全土を横断し、最後は、ニ
ューヨーク、ワシントンにまでたどりつくのです。


この活動によってアメリカの世論は日本びいきになり、アメリ
カ・ポーツマスの地で、アメリカ政府の仲介によって、日本政
府はロシア政府と、戦争終結の講和条約を結ぶのです。
 それが、ポーツマス条約です。

 ものすごい行動です。
 今と違って、飛行機がありません。
 国際電話もありませんから、日本との連絡だって、なかなか取
れません。ホテルに帰って、部屋から東京に電話して、打ち合
わせをするということも、出来ないのです。
 そういう中を、大陸横断鉄道に乗って、アメリカ
を西から東へ移動しながら、日本の立場を訴えて回ったのです。

 明治の政府は、そこまでやっている。
もちろん当時は憲法9条などありませんが、しかし、21世紀のいま、
憲法9条を守りたいのなら、せめて、これほどの努力をして初めて憲
法9条を語れるのではないでしょうか。

 船でアメリカに渡り、列車でアメリカ大陸を横断しながら日本の立
場を訴えていく。
ここには、ひたむきな外交があります。
この必死さが、アメリカの人々に届いたのでしょう。

それに比べて、現在の政府はと、思わざるをえないのです。