今日は「不動産屋たちのココだけのハナシ」からピックアップです。
このカテゴリーでは私が幾つかのブログで書いて参りました記事を振り返りつつ、
ここで取り上げていきます。
「不動産屋たちのココだけのハナシ」というのは仲のいい不動産業者数社が共同で運営していたブログです。
今は長い休眠期間に入っておりまして、
新しい記事はありません。
それでも今なお300前後のアクセスがあるからすごいものです。
随分とたくさんのコメントも寄せられたんですよね。
不動産、特に賃貸に関する話題が多く、
お部屋探しをするたくさんの方たちにとって役立つ情報がたくさんあります。
「壁男」というネームで寄稿していた当時がとても懐かしいです。
「柱の傷は」
みなさんこんな歌を覚えていますか?
「柱の傷は一昨年の 五月五日の背比べ」
きっと小学校の音楽の時間に歌ったのではないでしょうか。
懐かしいと言うかしんみりすると言うか、
妙にセンチメンタルになりますよね。
家にはそこにくらした人達の思い出が宿ります。
「お兄ちゃんが弟の身長を測ったんだろうなぁ」
と思えるような傷跡の残る柱を実際に見たことがあります。
襖にかかれたクレヨンの落書きや、
天袋に置き忘れられた古い家族写真や、
畳に残ったタバコの焦げ跡や・・・
そこに暮らした人達の歴史が
室内のどこかに残されているものです。
もちろん不動産屋としてはそうした傷は歓迎すべきものではありません。
次の入居者を募集する上ではリフォームするなりなんなり、
適切な対処をしなければなりません。
住んでいた人にとっては思い出であっても、
そこに住み始める人にとって
それは見ず知らずの他人の痕跡であって、
お世辞にも気持ちのいいものではありません。
ただ、私などの目には
クレヨンのかわいらしい絵などを見るにつけ
「これを描いた子供もひょっとしたら今はいい大人なのかもしれない」
などとなんだか想像をたくましくしてしまいまして・・・
そこに映し出されるとある人たちの歴史に意味もなく感動したりするのです。
人にはそれぞれの歴史があって、
その歴史にはそれぞれの重みがあって、
時に悩んだり、時に苦しんだりしながら、
楽しいときにはケラケラ笑い、
嬉しいときには仲良く笑い、
人には知れず、
さりとてもかけがえのない
誰かの足跡が残っているのです。
町の不動産屋の私たちは、
大事な思い出の場所を取り扱っています。
ノルマがあって、
自分の生活を守るために
なんとしても契約したいと考える人を
私は否定はしません。
とにかく押し込んでしまえってな具合に
不本意な部屋に入居させられる人達を、本当に気の毒に思うばかりです・・・
みんな食べていかなければいけないのですから。
それぞれの守るべきものを守っていかなければいけないのですから。
それでも私は思うのですよ。
どこかに住み、
そこで様々な経験をして、
そこにたくさんの思い出が出来て、
いっぱいいっぱい思い出が出来て。
その出発に立つ誰かの為に、
幸多かれと。
その誰かがそこで素敵な毎日をおくれますようにと。
名もない、しがないちっちゃな店ですが、
それでも心にはおっきな錦があります。
ねぇ、ここだけメンバーの皆さん。
そう思いますよね^^
(街のまじめな不動産屋さんの多くがきっとそうだと思います・・・。)
このカテゴリーでは私が幾つかのブログで書いて参りました記事を振り返りつつ、
ここで取り上げていきます。
「不動産屋たちのココだけのハナシ」というのは仲のいい不動産業者数社が共同で運営していたブログです。
今は長い休眠期間に入っておりまして、
新しい記事はありません。
それでも今なお300前後のアクセスがあるからすごいものです。
随分とたくさんのコメントも寄せられたんですよね。
不動産、特に賃貸に関する話題が多く、
お部屋探しをするたくさんの方たちにとって役立つ情報がたくさんあります。
「壁男」というネームで寄稿していた当時がとても懐かしいです。
「柱の傷は」
みなさんこんな歌を覚えていますか?
「柱の傷は一昨年の 五月五日の背比べ」
きっと小学校の音楽の時間に歌ったのではないでしょうか。
懐かしいと言うかしんみりすると言うか、
妙にセンチメンタルになりますよね。
家にはそこにくらした人達の思い出が宿ります。
「お兄ちゃんが弟の身長を測ったんだろうなぁ」
と思えるような傷跡の残る柱を実際に見たことがあります。
襖にかかれたクレヨンの落書きや、
天袋に置き忘れられた古い家族写真や、
畳に残ったタバコの焦げ跡や・・・
そこに暮らした人達の歴史が
室内のどこかに残されているものです。
もちろん不動産屋としてはそうした傷は歓迎すべきものではありません。
次の入居者を募集する上ではリフォームするなりなんなり、
適切な対処をしなければなりません。
住んでいた人にとっては思い出であっても、
そこに住み始める人にとって
それは見ず知らずの他人の痕跡であって、
お世辞にも気持ちのいいものではありません。
ただ、私などの目には
クレヨンのかわいらしい絵などを見るにつけ
「これを描いた子供もひょっとしたら今はいい大人なのかもしれない」
などとなんだか想像をたくましくしてしまいまして・・・
そこに映し出されるとある人たちの歴史に意味もなく感動したりするのです。
人にはそれぞれの歴史があって、
その歴史にはそれぞれの重みがあって、
時に悩んだり、時に苦しんだりしながら、
楽しいときにはケラケラ笑い、
嬉しいときには仲良く笑い、
人には知れず、
さりとてもかけがえのない
誰かの足跡が残っているのです。
町の不動産屋の私たちは、
大事な思い出の場所を取り扱っています。
ノルマがあって、
自分の生活を守るために
なんとしても契約したいと考える人を
私は否定はしません。
とにかく押し込んでしまえってな具合に
不本意な部屋に入居させられる人達を、本当に気の毒に思うばかりです・・・
みんな食べていかなければいけないのですから。
それぞれの守るべきものを守っていかなければいけないのですから。
それでも私は思うのですよ。
どこかに住み、
そこで様々な経験をして、
そこにたくさんの思い出が出来て、
いっぱいいっぱい思い出が出来て。
その出発に立つ誰かの為に、
幸多かれと。
その誰かがそこで素敵な毎日をおくれますようにと。
名もない、しがないちっちゃな店ですが、
それでも心にはおっきな錦があります。
ねぇ、ここだけメンバーの皆さん。
そう思いますよね^^
(街のまじめな不動産屋さんの多くがきっとそうだと思います・・・。)