笑顔の“いずみ”を湧かせるために

千葉市若葉区都賀にあります「いずみ整骨院」のブログです。

希薄な人間関係を考える

2007-09-20 23:04:57 | 管理人の一言

私のスクラップブックより新聞の切り抜きをご紹介します。

人間関係が希薄になってきたと言われています。これは、現代社会の大きな課題の一つでもあります。今回は、その現状と対応のヒントについて、宇部フロンティア大学の酒木保教授につづってもらいました。

 時々食事に行く、静かなレストランでのことである。久しぶりに、家族との食事と会話を楽しんでいた。ほかのテーブルでも、家族連れが食事を楽しんでおられた。静かな、そして楽しい食事風景である。家族の団らんが持たれていた。しかしそこに、突然、奇声を発した二人の子どもが飛び込んできた。そして、周りの人の目をまったく気にせず、店の中を走り回った。
 
 料理を運んでいる人がいるのに目もくれず、あたり構わず駆けめぐるので、たまったものではない。しばらくして、その子たちの母親が入ってきた。子どもによって強引に確保された席に平然と座った。しかも、騒いでいる子どもの声より大きいと思える声で、子どもと一緒に歌を歌いながら、お互いの手のひらを打ち付け合って、遊びを始めた。静かな私たちの団らんの雰囲気が、一瞬にして壊されてしまった。
 
 ほかの人からも、抗議の目線が向けられていたが、まったく無視して、騒がしく子どもと一緒に遊びを続けていた。子どもに教育をするべき、大人がまったく常識を欠いている典型例である。そこには、自分たちだけの素晴らしい親子関係があるのだろう。しかし、周りの人はまったく無視されているのである。内向きの、濃厚な親子関係だけに気が向き、周りの人を見えなくするのだろうかと思った。

  周りの人にとっては、何ともうとましく、騒がしい親と子とのじゃれ合いが、公衆道徳を無視してくり広げられていたのである。しかも、いかにも仲の良い親と子の関係であるように、その遊びに陶酔している母親には、あ然とした。

 仲の良さを周りに見せびらかしているようにも思えてきた。店を出た後で、怒りがこみ上げてきた。「静かにしてください」と書えなかった自分が情けなかったからである。同時に、非常識をさとすには、相当な勇気がいると思った。例えば、電車に乗っていて耳にするのが、携帯電話の使用禁止の放送である。特に優先席の付近では電源を切るようにとの放送が入る。

 しかし、そのような放送がまったくなかったかのように、優先席付近で、携帯電話でメールを打っている人がいる。中には、平気で大声で電話をかけている者もいる。周りの人は、彼らの行為を無視している。

 決められたことを守らないことが多くなったように思われる。私は、「やめてください」と何度も言おうとしたが、いつも黙ってしまう。そして、この次は注意しようと決意するのだが、結局、同じことを繰り返してしまう。しかし、この「かかわらない」ことが、希薄な人間関係を助長しているのだと感じる。
 
 先日、電車の中で体験したことがある。若い派手な感じの女性が、化粧をしていた。その女性は、化粧品を座席に並べたため、二人分の席を占有していた。電車が次の駅に着き、停車してドアが開いた。気骨のありそうな、老年期の男性が乗ってきた。その男性が、女性に「ここ、空いていますか」と少し強い口調で確認した。女性は黙ったまま、面倒くさそうにしながら、座席に広げた化粧品を、自分の方に引き寄せた。
 
 男性から厳しい言葉が発せられた。「あんた何で空いてますと返事をしないのだ」と。それでも女性は、無関心なそぶりをしていた。厳しい言葉に、反論もせず、わびもしない。私,は、無関心をここまで押し通されたら、次に言う言葉がないだろうと、見ていて思った。同時に、厳しい言葉を発したその男性を尊敬した。私は、この次は、非常識な行為に対して注意をしようと決意した。

 数日後、通勤先の駅で、女子高校生が階段に数人で座り込んで通行のさまたげになっていた。階段を上りきって、彼々たちの背後から、「そこにたむろして座っていると、みんなの迷惑になるからホームのいすに座りなさい」と、何とか言らことができた。
 
 みんなが迷惑する行為に注意をするのが、なぜこんなにも大変なのかと考えた。しかりつけて後で面倒なことになると厄介なので、見て見ぬふりをし、なるべくかかわらないようにしていたのである。一般に、不都合なことにかかわらないでおこうとする心理が、まん延しているのであろう。
 
 しかし、私たち自身も、随分周りに迷惑をかけているかもしれない。つまり、言われなければ分からないことが結構ある。無関心をよそおわず、お互いが注意しあうことこそ大切である。もちろん、さまざまなケースがあり、大きなトラブルにならないよう、状況や言い方などの工夫は大切だ。だが、より根本的には、注意が必要な時にはきちんとかかわっていくという、私たち一人一人の意識の向上が欠かせない。
 
 お年寄りに席をゆずらない若者を見かける。逆に、席をゆずられても「ありがとう」と言わないお年寄りもいる。ささやかな配慮と言葉がけが、人と人とのかかわりを生み出すのである。その代表格が、「あいさつ」である。まずは、朝のあいさつから始めてみよう。それが人とのつながりの一歩である。