人生は 五 七 五

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神の祝福がありますように
(by mother teresa)

自分を褒めることだ、これが幸せになる方法だ

2009-02-24 23:21:14 | 随筆、Essay

褒めるって言うのは、大事なことだな。毎日、何かしら進んだり到達したことがあったら、良くやったと自分に言うことだよな。そりゃ、そのやったことは隣の兄ちゃんから比べたら微々たるもんで、全く褒められたもんじゃないかもしれない。

でもな、人は生まれた時にみんな違うんだ、神が誰1人として同じようには作らないんだな。だから、隣の人より多くても少なくても関係ないんだ。元々が違うんだから比較しようがない。

だから、自分と自分を比較して、少しでも進んだら、良くやった、偉いなと褒めて上げるんだな。これって嘘みたいだけど、結構幸せになれるし、却って努力できる感じがするぞ。焦るな、こんなに遅いけど、自分としてはベスト尽くしているんだ、頑張っているぞと、自分で自分に言って上げるんだ。これって超大切。

後はまあ、そういう風に毎日できることを感謝するんだな。焦っちゃ行けないし、怠けても行けない。良くやっているぞと自分に言ってやるんだ。これが結構励みになって、進みは早くならないけど、怠けるのは押さえられる気がする。

常に、無理するな、少しだけで良い、と頑張らせないようにでも怠けないように自分で自分に言い聞かせるんだ。これで結構色々実現できるよ。

ただ、こう言うの自分に言うのは良いけど、人とかに自慢みたいにして言っちゃったらNGね。自分で自分を褒めているなんてカウンセラーとか宗教家とか特殊な人以外聞きたくも何ともないから。

もっと進みたいけど、もっと頭良くなりたいけどなんでなれないんだって思った時、神がそういう風に作ったんだなって思うことだな。何かしらの意味を持って神は自分を作られた、だから自分的に努力すればそれはそれで良いんだな。神がそう望んでいるんだらかね。

神になるとあんま美味く説明できないけど、Mother Teresaの祈りを読むと、なる程って思うよ。流石だ。まだまだ修行が足りないな。

こういう風に自分を肯定できるのも、神のささやきが在るんだろうな。神を信じ始めてから自分を肯定できるようになってきたよ。神は偉大だ。

ってな感じだな

できるできないじゃない、やるかやらないかだ

2009-02-23 23:29:00 | 随筆、Essay
こう言うこと言うけどね、今も高校生ぐらいこんな言葉信じているのかね。

まあ、確かにやるかやらないこの人もいるかもしれないけど、やるかやらないかの人は既にやっているしね。できるかできないかの人だけが、やるかやらないかを問題にするんだな。

勉強もね、体力とかスポーツとかと一緒でね、生理的な問題があるんだよ。嫌いだとね、勉強している最中、やりたくねぇやりたくねぇ、って体が言い続けるんだな。こう言うの無視して、長時間長期間できやしないよな。

できるなら、既にしているし、できないから悩むんだな。でも出来ないから悩むのは、苦しくなるんだな。辛くなって鬱になっちゃう。できない場合はそう言う現実を受け入れて、できないこともあるんだなって知ることが大切だな。

もちろん周りの人は理解してくれないかもしれない、でも出来る人にはできない人の気持ちなんて分からないし、能力も分からないんだな。

だから、やれなかったらできないと思って諦めるように、自分を納得させることが大切だな。まあこれには、神を持ってくるのが1番良いな。神がそれを望んでいないとか、神は自分を自分が今望んでいるようには、あるいは世間的な意味での成功者になるように、お造りにならなかったんだなとか。

でも、毎日生きていること、五体満足であること、暖かい部屋と、家族がいること。そんなことに感謝して、できることをしてそれを継続すれば良いんだな。

我々は皆、何かしらの意味を持って生まれてきたんだ。それが何かは神のみぞ知ることだけど、それを信じて、与えられたもの、目の前にあるものを喜んで受け入れて生きていくんだな。

やるやらないは本人の問題でなく、神の恵みと導きの問題なんだな。

ってな感じだ

白樺湖ロイヤルヒルズ 行ってきた

2009-02-23 00:23:16 | スノボー
あー、超ケツいて。

何でかって言うと、ゲレンデが固い固い、拳で叩いたら自分の手が痛くなるぐらい。うんでもって、滑ったんだけど、滑る滑る。エッジが外れる。特にバックサイドの時に、ツルって外れるのね。参ったね。何度も転けて、転けるの上手くなった。

何か気温が高く成るというか春に近づくほど、バーンはアイスになるらしい。アイスバーン痛くて全然楽しくないんだな。

それ以外は、中々広くて良いゲレンデだったな。バスツアーだったんだけど、バス降りてから、少し上らなきゃならないので、そこがめんどいかな。

スクールは、人がいないとか言われて断られちったな。結構スクール人気の高いところみたいだ。

上手い人は数人いたかな。綺麗に膝曲げて股関節曲げて、上手いねぇって人は、数人だったな。女性もその中にいたよ。何か初めての人みたいな人教えてた。

一般的に、滑っている人は腰が高い、膝も曲がってなきゃ股関節も曲がってなくて、突っ立って滑っている。ありゃ、スクール入って直した方が良いな。見た目がちと格好悪い。何か俺も人のこと言えなそうだけど。

ってな感じかな

青椒肉絲を作ってみた

2009-02-17 23:35:21 | 料理
料理にも愛が必要よ。

ところで、今日、青椒肉絲なるものを生まれて初めて作ってみた。何か昔にも作ってみたことがあるような気がするんだけど、記憶にある限り今日初めて作ってみた。

うーむ、今一なんだな。何か下手な中華料理屋のそれみたいな味がして美味くない。

ってもう一度レシピ見てみたら、醤油小さじ2杯なのに、大匙2杯入れていた。ちと失敗。次は小さじ2杯で作ってみよう。後酒の代わりに、味醂にしてみるかな。絶対砂糖みたいなの入らないと、醤油とオイスターソースのダブルで味がきつくなっちゃうからね。

参考にしたレシピは此処だよーん。

http://recipe.coopnet.or.jp/php/recipe.php?cid=356

まあ普通のピーマンでしたから、若干甘味とかも違うからね、その辺は、鳥ガラスープとかごま油とか入れてマイルドにしないと駄目かな。

ってな感じだ

うーむ、やっぱ俺ってエッセイストなのかも

2009-02-17 23:29:25 | 随筆、Essay
何事も愛が大切だよね。でも世の中、週刊誌とか読んでいると、愛って何、という話しばっかで、ため息ばかりだな。

何て言うのかな、ちびまるこって面白いんだけど、あんな風に面白く書けたらなって思うよ。色々試してみたけれど、高校の頃に普通にすんなり書けたのが、Essayなのね。

で、その傾向って未だに変わらなくて、今でもしっくり来るのってエッセイみたい。此処にも色々書いているけど、これって結局みんなエッセイなのよね。

物語とか何とかも色々試してみたけど、できるのはエッセイだけみたい。まあエッセイって文章力だけが勝負な気がするから、、、どうしたら文章力付けられるかだな。

人はなできることをするだけなんだ、書くの好きでエッセイだけは書けると分かったならそれをすれば良いんだ。それ以後のことは神にお任せだ。神の導きに任せるだけさ。それで良いんだな。

悪いことせずに正しく、愛のある生き方をする、まあ聖書に書いてあるような生き方ってことなんだけど、それができたなら皆成功者なんだな。エッセイストとか作家になって有名になるのが成功者じゃないんだ。

ひろさちやの言う世間の物差しと宗教の物差しと2つ持ちなさいって言う奴だな。

だから、今、学校の勉強ができないとか、体育ができないとか、勤勉じゃないとかで、何か肩身の狭い思いしている人達いるかもしれないけど、それは世間の成功者の道で、みんながみんなそこに辿り着かなくて良いんだな。

聖書に書いてある通りに従って、真面目に人に親切に、正しく生きたならそれは十分成功者なんだ。そして自分で自分は成功者だって思うことなんだな。それで良いんだ。そして正しく生きられていることに感謝するんだな。

自分に生きていける糧と道を与えて下さった神に感謝だな。これだけ与えて下さっているのに更に何が必要なんだってことだ。それ以上欲するなんて罪なんだな。

何か宗教っぽくなっちまったな。まあ良いか。

ってな感じだ

みんなに読まれるのって、内容もさることながら、結局文章力

2009-02-17 13:54:35 | 随筆、Essay
保坂和志って言う作家いるんだけど、一時作家になりたいと思っていたときに、良く読んでいたのね。

彼が言うには、面白いタネを持っている方が文章力とか文章技術を持っている人よりも作家として可能性があるって言っているのね。そうなのか、俺って面白いネタ持ちまくりだって喜んでいたんだけど、でも最近そのこと色々考えていたんだけど、面白いネタも大切かも知れないけど、やっぱ大切なのは、文章力だよ。

同じこと書いてもぐんぐん引き込ませていく文章と、なんか読む気なくなる文章とあるんだな。内容なんてみんな似たようなこと思っているわけで、その思いをみんなに読んで貰うには、もうその差は文章力しかない訳ね。

もっとも、作家の場合は、登場人物を書けないと駄目ね。個人をいかに書くか或いは語るか、此だな、だからその人物を書ければ文章力があんまりなくても、良いのかも。普段、個人について語るの好きな人いるだろう。ああいう人が作家になれるんだな。

ってな感じだ

宗教とカウンセリングの関係

2009-02-17 12:32:15 | 随筆、Essay
宗教とカウンセリングって、実は密接な関係あるよな。

カウンセリングからは宗教は関係ないって思うかも知れないけど、宗教から見ると、カウンセリングって宗教そのものなんだよね。

そもそも宗教ってのは、カウンセリングすることだからね。そのカウンセリングに、教祖とか神父とか牧師とかまあそんな感じの人がいるだけで、カウンセラーって訳じゃないことだよね。後、神も出てきちゃうけど。

神を信じるって事はself counselingなんだな。

ってな感じだ

キリスト教ってさ-、宗教的な問題扱わないよね

2009-02-17 12:22:48 | 随筆、Essay
やっぱ愛ですとか、愛の宗教とか言うんだけど、じゃー愛って何って言われると、ちとむずい。

最近、本屋さんぶらぶらしていて、思うんだけど、キリスト教って、他の宗教が出しているような、どうやって生きんのとか、どうやったら幸せになれるのとか、そんな人生にまつわる話って、ないよな。

あるのは、聖書についてとか、キリスト教という宗教についてとか、そんなことばかり。でも宗教で一番大切なもの、宗教が宗教であり得るものは、どう生きるかってこと何じゃないのかな。

まあ、それについて悩みがある場合は本でなく、実際に教会訪ねてくんろってこと何かも知れないけどな。

ってな感じだな