人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

努力に頼るな

2009-02-04 23:10:21 | 随筆、Essay
そもそもなー、努力に頼りすぎんだな。努力に頼ると努力すれば何でも叶うなんて恐ろしいこと考え出すんだ。

まあ、運良く余り努力気質というか、努力できないあるいは好きじゃない人に生まれた場合は、努力には頼れんなーって、それなりに気付くんだけど、努力気質だと、努力して何とかなっちゃうこと多いから中々この努力に頼らないって生き方ができないんだな。こりゃ不幸だぞ。

頼るべきものは神であり、宗教であり、努力じゃないんだな。

ちなみに、ひろさちや師匠を検索していたら壱億七千万盗まれるなんて記事が出て来た。うーむ。本で大分儲けたんだね。まあ彼はキリスト教でないから、貧しい人に寄付するなんて考えないんだろうけど、しかも豊かな人が無理に貧しくなれなんて言ってないしな。豊かになれなくても気にするな。金がもうからなくても気にするな。望みや欲が叶わなくても気にするな、それで良いんだって言っているわけで、叶っている人2その望みを破棄せよなんて言っていないからな。

それはそれで良いんだけどね。自分は金持ちだけど、貧しい人に貧しくて良いんだよなんて、微妙に説得力ないけど、彼の文章は説得力在るし、癒し効果抜群。やはり文章力大切だよな。

ただ彼の写真を見ると、偽善者かなって感じするな。

ただ壱億七千万盗まれたことで、仏教の教えに益々磨きがかかったんじゃないかなって思うな。金に執着するから盗まれるんだよな。銀行に預けとけば良いのにさ。仏様が付いていたんだろうなって思うよ。幸せな人だな。

ってな感じだ

目から鱗のカウンセリングの本、、まあ相談に上手くのる方法だな

2009-02-04 10:27:49 | 随筆、Essay
まあ、何かな相談しに来て欲しいなって思うんだけど、自分の所に相談しに来る人って全然いないんだ。だからどちらかと言うと相談しに行きっぱなしなことが多いな。

でも、何か相談にのるとか、困っている人を楽にしたいとか、思っちゃったりするから、ついついカウンセラーの本なんか読んじゃうんだけど、色々読んでいても今一ぴんと来ないんだな。共感とか傾聴とか、聞いているうちに相手が自分で答えを発見していくとか、何か魔法の話みたいなことが転がっていて、どういう事なのか悩んじゃったけど、そんな何だかなーなんて思っている所に、出会ったんだな。

この本に

相談しがいのある人になる1時間で相手を勇気づける方法

下園壮太って人が書いた本なんだけど、ひろさちや師匠と同様にこの人も僕の師匠だ。会ったことないけど。

まあ、つまりカウンセリングの本とか理論で現実と合わなくて疑問に感じている事をすぱっと語ってくれたんだな。まあ、河合隼雄のカウンセリングが有名だけど、これからはこの人だな。ロジャースとかユングが語らなかったこと、或いはブラックボックスにしていたことを明確に語ってくれる感じで、素晴らしい本だ。

こういう本読むと、あれだな、いかに現実が本よりも大切かって言うのが分かる。そもそもカウンセリングするのに理論書なんているのかって感じだ。つまり相手が楽になる、相手が解決できたと思える、そう言うことすりゃ良いんだからな。

何れにしても、カウンセリング実践する人はもうこの本一冊で良いんじゃないかと言うぐらい良い本だ。しかもかなり現実的な本だ。まあ何か読んでいて感じるのは、カウンセリングも被相談者の能力が多分に影響してくるなってなことが分かるけどな。まあ、相手の気持ちに合わせるなんて部分は、女性の方が絶対に得意だろうなって思うよ。

そもそも共感どころか、感情的に参っているとその参っていて膨らんでいる風船を突っつきたくなっちゃうからな。うーむ。カウンセリング道は難しい。

ちなみに殆ど同じこと書いてあるけど、

目からウロコのカウンセリング革命

この本も良い感じだ。でも前者の方が分かり易くて素人向きな気がする。

まあ、セルフカウンセリングの最も有効な方法は宗教なんだけどな。どんな人でも生まれた意味生きる意味があるんだと信じさせてくれる宗教は、人間にとって意味のあることなんだな。それが真実とか事実かなんてどうでも良いんだ。信じる者は救われるだ。自力本願なんてそれこそ選ばれた一部の人間のみ可能でその他大勢の羊の群れは、羊飼いが必要なんだ。

勉強できないんだって何でかなーって考えてみると、つまり神様がそう自分をお作りになったんだって思えば納得だろう。

まあ、派遣切られて、今仕事なくなって、明日住む所も食べる所もなくて、そういう風に神が自分をお作りになったなんてそう簡単には思えないから、そんなことよりパンくれって感じだろうけど、それでもそんな境遇になったのは自分の所為だと思うより、神様が何かしらの意味を持って自分をそう言う境遇にしていると思った方が楽になるんじゃないかなって思うな。気休めにしかならないかも知れないけど、この気休めってのが実は中々大切なんだな。

ってな感じだな