いせ九条の会

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自由で平和な世界へつながる橋/山崎孝

2006-02-06 | ご投稿
サイモンとガーファンクルが歌って世界的なヒット曲となった「明日に架ける橋」をテーマにした番組を先日、NHKテレビで放送していました。それを観ての文章です。

NHKテレビの番組の訳詞

君が疲れてしょげているなら/瞳に涙が溢れているなら

つらい時だって/友だちが近くにいなくても

君が打ちのめされ/道で立ちすくんでいて

ひどい夕暮れになったら/暗闇が襲い/痛みがたまらないなら

銀の少女よ出航するんだ/ついに君の輝く時が来た

夢がすべて実現するんだ

この歌は2001年9・11同時多発テロ発生後に放送自粛のリストに入りました。「銀の少女よ出航するんだ」という歌詞が飛行機を連想するという理由だそうです。しかし、ポール・サイモンはコンサートで歌います。

歌を聴いた人は「自分たちの抱えている問題を克服できると信じさせてくれた。サイモンそのものが『橋』の役割を果たしていたと思う」と語っています。

この思いは、南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)のもとで生きていた黒人たちの思いでもありました。

南アフリカの黒人たちは、専門的な職業に繋がる知識を学ぶことが出来なかった。人格が傷つけられ、貧しい生活を余儀なくされていました。

南アフリカでは「明日に架ける橋」は、アレサ・フランクリンという歌手がゴスペルにアレンジして歌い広まってゆきました。

実はサイモンとガーファンクルは、米国の教会で「オーメアリー・ドンチュー・ウイープ」というゴスペルソングを聴いて、また、その中の歌詞、波乱を越える橋をヒントに「明日に架ける橋」の着想をしました。ゴスペルソングは黒人たちの厳しい暮らしの中から生まれ、歌をうたうことにより元気を取り戻し、現実に立ち向かいました。

私は1960年代の中頃、ゴスペルソングのコーラスグループのコンサートを聞きました。不条理な社会に対する魂の叫びを全身で表現する凄い音楽だと感じました。

米軍は1969年からベトナムから撤退を始めていますが、米国社会は1960年からのベトナム戦争で深い傷を負っていました。

1969年、社会のあり方を批判する放送の中で、ポール・サイモンは語ります。世界は混沌としている。人が憎しみ合い、暴力を振るのも無秩序のせいだ。つらいニュースに心が蝕まれると語ります。そしてサイモンとガーファンクルの哀愁を帯びた美しいハーモニーが放送局から流れました。歌は人々の心を捉え全米に広がり、反戦運動の中でも歌われます。その後サイモンとガーファンクルはコンサートを開き反アパルトヘイト運動を支援します。

1990年、反アパルトヘイトの指導者ネルソンマンデラは監獄から釈放され次のように述べました。

私が尊ぶのは、自由な民主主義社会であり、人々がお互いを調和し、平等に暮らせる社会なのです。

アパルトヘイトは1991年撤廃されます。現在、南アフリカはこのアパルトヘイトを経験しない子どもたちが育っています。

「明日に架ける橋」の歌は、文字通りの役目 を果たしました。この歌の歴史から言えることは、日本 国憲法の理念を実践すれば、自由で平和な世界へつながる橋になりうるということです。