いせ九条の会

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首相候補者の歴史認識/山崎孝

2006-02-23 | ご投稿
2006年2月22日付け朝日新聞記事を引用させていただきます。

(前略)東京裁判に関する麻生外相(65)の答弁だろう。

「少なくとも日本 の国内法では犯罪人扱いの対象になっていない。戦争犯罪人とは、極東軍事裁判所の裁判によって決定された犯罪者だ」

日本 が責任を問うた人たちではないというわけである。14日の予算委で民主党の岡田克也前代表(52)に問われてのことだ。安倍 官房長官(51)も「まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた」と述べ、同じ認識を示した。

麻生、安倍両氏とも、東京裁判を受は入れた日本の立場を否定はしない。質問した岡田氏にしても「勝者が敗者を裁いた側面はあるし、そのときに無かった罪が作られて裁かれた部分もある」と述べた。安倍氏が答弁した通り、判決を受諾しなければ「独立を果たすことは出来なかった」ことも間違いない。

ただ、では自分たちは誰の責任を問うたのか。岡田氏の考えはそこに向かう。日本 は当時、そして今に至るまで、あの戦争を総括しないままではないか――。

戦後の日本 政治は、その欠落を時々の政府 見解で埋めようとしてきた。戦後50年の1995年、自社さ政権当時の村山首相は談話を発表し、侵略と植民地支配に「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。靖国神社参拝をやめようとしない小泉首相(64)も、昨年の談話ではこれを踏襲している。

予算委での閣僚答弁ではそこに留保がつく。安倍 氏も麻生氏も、政府 見解としてはこれにならう。だが安倍氏は「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」と述べ、麻生氏も「(連合国軍最高司令官だった)マッカーサーも侵略戦争のみとは言い難かったと認めている」と語った。

あの戦争について「きちんと政府 としても検証することが必要だ」。そんな岡田氏の主張に対しては、両氏とも歴史家に委ねる」と受け入れず、谷垣財務相(60)も「それこそ学問と健全な国民の判断に任せることだ」と語って退けた。(以上)

首相候補者と見られる人たちの歴史認識は、戦争犯罪は外国が認定したもので日本 人が認定したものではない。日本 人が自身の手で戦争犯罪を認定していないという状況は、ドイツと比べて大きな違いです。

政府 見解を頭からは否定しないけれど個人としては承服しかねると思っているようです。歴史家に委ねるとしていますが、図書館にある日本 の指折りの3冊の百科事典の記述は日本 の戦争は侵略戦争となっています。歴史を歪曲するのが得意な自由主義史観の学者の見解が、日本 社会で幅をきかすのを待っているのでしょうか。そのために扶桑社の歴史教科書を普及するのに安倍 氏は特別に力を入れるのでしょう。

朝日新聞の記事に出てきた、マッカーサーの見解は、米上院軍事外交合同委員会で「日本 には固有の資源がない。石油、ゴム、錫等の多くの原材料がない。もしこれらの原料の供給が断ち切られたなら1千万人以上の失業者が発生する。だから彼らが戦争に突入した主たる動機は自衛のためだった」と述べたことを言います。

この発言はフィリッピンを統治し、中国市場も狙っていた米国の観点です。決して植民地化された側の観点ではなく、公平な見方とはいえません。

自衛とは基本的には国際的に認められた領土に対して他国から攻撃を受けた場合の反撃行為であることは誰でも知っています。自存するには、他国の資源に頼らなくてはいけない場合がありますが、相手国が了解した交易で手に入れるのが正常な方法です。戦後の日本 は交易で資源を手に入れています。

安倍 氏は「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある」と述べていますが、義和団事件議定書・日清・日露・日中戦争の経緯を見ます。

義和団事件議定書は、北京にいる外交団が義和団のような反乱軍に包囲されるような事態が再び起こらないよう北京と海岸との間の要点を占領する権利を清朝政府 との間で日本 も獲得した。その翌年、天津全市への駐兵権も獲得。しかし、日本 に割り当てられた兵数は1570人であり、配置地域は北京公使館区域、山海関を中心に天津以東とされていた。

遼東半島は、日清戦争で勝ち日本が手に入れたが、三国干渉(ロシア、フランス、ドイツ)で中国に返還した。その後ロシアが遼東半島を租借した。日露戦争に勝ってロシアから租借権を日本が手に入れた。日露戦争では日本はロシアから長春・旅順間の鉄道を手に入れて、この鉄道を警備するため地域が限定されて駐兵権が認められた。この軍隊が関東軍と言われる。

1931年9月、満州事変が起きる(関東軍の謀略による列車爆破事件)これを契機に関東軍は軍事行動を起こす。1932年1月、関東軍錦州を占領。1932年3月、満州国建国宣言。9月に日満議定書調印で同盟関係になる。1933年3月、国際連盟が満州国を認めず(ドイツもイタリアも認めず)日本 は国際連盟を脱退。1937年7月、盧溝橋付近で日本 軍と中国軍の間に数発の発砲事件が起き、これを契機に日本 軍は華北へ軍事行動を起こす。8月には上海で日中両軍交戦しこれ以降日中全面戦争へ。

この経緯で明らかなのは義和団事件議定書や日露戦争で手に入れた兵数や駐兵地域を守らず、それ以外の中国の領土に侵入して占領地を拡大してゆく状況です。このような状況を国際社会は侵略と規定するのではないでしょうか。

満州国を正当化する主張がありますが、1933年の国家の権利義務関係に関する「モンデヴィデオ条約」には、国家に必要な資格は、永続的住民の存在・明確な領域の存在・自国住民による政府の実効的支配・他国との外交を取り結ぶ能力を持つとされています。この基準に照らしてみると満州国は国防・治安・交通は日本に委託して、中央や地方の政治は日本 人官僚が実権を持ち、満州人が政府 の支配をしていません。これでは国際連盟は認めようもありません。

以上、日清・日露・日中戦争・満州国に関して述べたことは、日本 の出版社が出している数冊の本 に書いてあることを集約したものです。これが谷垣氏の「それこそ学問と健全な国民の判断に任せることだ」ということではないでしょうか。

私は山本 薩夫監督「戦争と人間」3部作を劇場でみていましたが、昨年12月にレンタルビデオで再びみました。この映画は劇映画ですが、歴史的事件を織り込みながら物語が展開して行きます。新興財閥が関東軍と結託して中国での商売を拡大してゆく状況も描いています。ノモンハンの戦争のところで物語は終わっています。この映画の時代考証を行なっていたのが「九条の会」発起人の一人澤地久枝さんでした。澤地久枝さんはこの映画の原作者五味川純平さんの助手をしていたと私の記憶にあります。

当時の政治家、官僚・軍人の中には中国占領を拡大させると米英と衝突し経済制裁を受けるという認識がありながらも、外国に派遣していた軍隊を政府が統制できず暴走させ既成事実を作られて、大きな戦争になってしまったのが日本の歴史です。このことを認識する澤地久枝さんは、海外で武力行使が出来る憲法にするということは絶対に許されないと思っているのだと思います。

日本 人の多くは既成事実に馴らされる傾向があり、政治家は勇気のある決断に欠けるところがあります。

映画の第1部は「運命の序曲」でした。小泉政権下で戦争をしているイラクに自衛隊を派遣し、海外で武力行使の出来る改憲へ具体的に作業はじめた日本 のこの時代が、再び戦争を行なうような歴史の「運命への序曲」であってはならないと思います。