いせ九条の会

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アラン・ブロサ氏の「ミメティスム」/山崎孝

2006-02-22 | ご投稿
2006年2月20日付け朝日新聞より

暴力や憎しみの連鎖を断ち切るために、哲学の見地から「ミメティスム」という概念を提起するアラン・ブロサ氏が、東京大学に客員教授として招かれ2月上旬 まで滞在した。ミメティスムのアジアにおける意味や、3カ月間の日本 滞在で感じたことなどを聞いた。(聞き手は渡辺延志記者)

自分のしたことを条件反射的に相対化する論理を、ブロサ氏はミメティスムと指摘する。「わが国だけが悪いのではない。他国もやっている」といった論理だ。「仕返し主義」「模倣の論理」などの訳語が研究者の間で候補にあがっている。(中略)

学校を例にブロサ氏は説明する。校庭で子どもがけんかをしていた。「どっちが先にやったんだ」と先生が2人に尋ねる。「あっちです、先生」――双方から同じ答えが。

植民地支配、アジアや太平洋での戦争などをめぐり公然と繰り返される日本 の政治家の問題発言などは、そうした「校庭シンドローム」ともいうべきレベルの議論だ、とブロサ氏は指摘する。(以下略)

日本 の自由主義史観の学者はこの「ミメティスム」と同じ考え方で、「当時の世界の支配思想は植民地主義であった」とか、これの変形した主張の「現在の価値観で当時の価値観を批判してはいけない」と主張しています。

この主張は被植民地の人たちの、反植民地主義の思想で抵抗した歴史の事実が認識されていません。世界の支配思想といっても西欧列強の国だけを対象にしているだけです。いわば、泥棒しても何人かで行なえば悪くないといっているようなものです。

「現在の価値観で当時の価値観を批判してはいけない」という主張は、歴史に学ぶ姿勢が欠落しています。人間の歴史は過去と現在に学びそこから新しい理想・理念を打ち立てて、その理想のもとに人々が結集して理想を実現するために戦ってきています。

日本 の自由主義史観の学者は「中国、朝鮮に対しては、悪いこともしたが、いいこともした」という主張があります。

先に紹介した麻生外相の主張「日清戦争のころ、台湾という国を日本 に帰属することになった時に、日本 が最初にやったのは義務教育です。…結果として、…台湾という国は極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」も同類です。

1996年1月から6月にかけて産経新聞に連載 されたものを藤岡信勝氏がまとめた「教科書が教えない歴史」はこの立場で書いた人たちの文章を掲載 しています。この文章は井上友幸氏がホームページで「新説・日本 歴史第20弾・新しい歴史教科書を見る」で要約して紹介しています。詳 しくは検索してお読みください。

「悪いことも良いこともした」という主張は、相対化することにより、悪かったことをあいまいにしてしまう論法だと思います。歴史の主要な側面と付随的に生まれた側面を一まとめにしてしまい、その国を支配し資源の略奪とその国の人たちを搾取するという植民地主義国家の目 的を不問にする論法です。

ブロサ氏は、西ドイツでは60年代に、若者たちが「父親たちが何をしたのか」を問いつめることなどを通して、ミメティスムから大きく転換、政治指導者も国民の圧倒的多数も、ドイツ人の名において第三帝国の下でなされた戦争犯罪の責任を引き受けるようになった、と述べています。

国の歴史をどのように認識するかは、国の未来をどう設計するかに大きな影響を持つと思います。日本 人は敗戦を契機に過去の軍国主義の歴史を見つめ直して、日本国憲法という設計図で日本 の未来を築こうとしました。この設計図の基本的考えは民のための国家でした。民のための国家は、戦争はしません。しかし、「ミメティスム」を脱却できない自由主義史観の学者たちは、改憲を視野に入れて日本 の将来像を書き換えようとしていました。その基本 は国家のための民という考え方です。大日本 帝国憲法への回帰です。

井上友幸氏の「新しい歴史教科書を見る」では、「辛亥革命の発信地は東京だった(入川智紀・日本 教育研究所研究員)を要約した文章があります。主張は清朝打倒運動を起こし日本に亡命した孫文を日本人が助けたことを根拠にしています。孫文は兄が居たハワイに赴きそこで教育を受けて中国の近代化には清朝を打倒して共和制にならなければという考えを確立しています。発信地?というならばハワイの方が妥当です。革命は中国民衆の政治的覚醒とそのエネルギーにより為されたものです。孫文が日本に対して王道か覇道かと厳しい問いかけを行なったことも考慮にいれない主張です。

「新しい歴史教科書を見る」では、日本 企業が朝鮮にダムを幾つか作り、それが朝鮮工業発展の原動力となったと述べています。しかし、ダム建設の目 的は朝鮮の人のためではなく企業の利益を上げるのが最大目 的であったことは否定できません。その一つの1926年の水豊ダム建設は日本 窒素が全額出資と書かれていますから推して知るべきです。日本 窒素と合併することになる朝鮮窒素の工場では日本人は「朝鮮人が死んだって風が吹いたほどにも感じない」残業で疲れ果て座り込んでいる朝鮮人を木刀で殴って働かせたと日本人自身が書いています。(高崎宗司著「植民地朝鮮の日本 人」)

日本 が朝鮮人のために朝鮮を統治したとするならば、人間の誇りを奪うような朝鮮語を制限して日本 語を押し付ける、創氏改名や、日本 への強制連行、兵隊に狩り出すなどはしなかったでしょう。

自分たちの都合の良いように歴史を解釈して「新しい歴史教科書を見る」は書かれています。

井上友幸氏は韓国のことを日本 の戦争責任を全面的に押し出して韓国国民に訴えるよりも「ロシアから中国へと進出してきた共産主義ともたたかった韓国として位置付け、その勇気と独立の尊さを語り伝えたほうが、明るい国づくりが出来ると思う」と述べています。

この考えは韓国の歴史を正確に把握していません。韓国民衆の歴史は、北朝鮮の共産主義や関係する組織との一切の関りを持つなとする「国家保安法」を悪用し、自由と民主主義を奪った独裁政権との戦いで勝利を勝ち取った歴史です。なぜならば、独裁政権下で死刑判決を受けた金大中氏が大統領に選ばれ、民主化の推進と包容政策を実行したことにより、盧武鉉政権下で鄭東泳統一部長官は「いまや国家保安法の時代から南北関係発展法の時代へと移 りつつある」と述べているからです。