いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

賛同署名に取り組もう!!

2006-02-14 | ご投稿
1月例会で「賛同署名」について話し合いました。
いずれ行われる「改憲を問う国民投票」で、伊勢市過半数を獲得するための基礎票固めと、何より憲法九条をもっと知ってもらうために、ぜひ取り組みたいと思います。署名案を下記に紹介します。署名への取り組み方、広げ方についても検討中です。ご意見を聞かせて下さい。
2月の例会でも、ご意見をお聞かせ下さい。


「平和憲法九条を守る署名」(案)

署名協力のお願い                        
今、国会内外で、憲法を変える議論がされています。
改憲が国会で承認されると国民投票が行われます。
国民投票の時、あなたは、どちらの国を選びますか?
 
戦争ができる国・・・憲法9条をかえた場合
戦争をしない国・・・「戦争放棄」の憲法9条1項2項を変えない場合

改憲案の中身は
・「戦争放棄」の言葉を削る。
・自衛軍を持ち、海外での武力行使―戦争参加―ができるようにする。
・憲法を変えやすくする。・・・憲法を変える賛同議員数を2/3から1/2に変える
などです。
わが国は、憲法で“どんな理由があっても、2度と戦争はしない”と世界に宣言しています
九条2項は、“『戦力』を持たない”“交戦権を認めない”と世界に信頼を与え続けています。その事によって、戦後60年、日本は戦争で人を殺すことも、殺されることもありませんでした。9条2項は、戦争に対する最も強い“抑止力”なのです
これを変えることは“日本を今までより戦争に近い状態に置く”ことになり、それを子ども達に受け継がせることになります。
世界の人々と手を取り合い、平和な国で暮らし続けるために、九条2項の改訂に反対しています。どうか署名にご協力ください。

私は、平和憲法九条(1項2項)を守ることに賛同します。

(あと お名前、ご住所の記入欄が用意されています)

2月の学習会…のお知らせ

2006-02-14 | 事務局より
とき:2月19日(日)10:00~12:00
ところ: いせトピア
内容: 「いせ九 議論百出!」

憲法・九条・平和についての疑問・質問。みんなで考えてみましょう。
たとえば、「北朝鮮が攻めてきたら、どう守るの?」 「世界にバカにされないために、国際貢献(武力行使)に参加するべきだ」など、憲法について話す時によく出される疑問・反論について、あなたはどう考え、説明されていますか? 一度きちんとみんなで整理してみましょう。

高金素梅の涙/山崎孝

2006-02-14 | ご投稿
朝日新聞は2月11日「社説」で、麻生外相は『先週末、福岡市での講演で、日本が戦後のアジア各国の発展を支えたと説くなかでこう述べた。「日清戦争のころ、台湾という国を日本 に帰属することになった時に、日本が最初にやったのは義務教育です。貧しい台湾の人々が子どもを学校にやったらカネをやるという大英断を下した」。「結果として、ものすごく教育水準があがって識字率が向上した。おかげで、台湾という国は極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」』と紹介。

それに加えて2003年に麻生外相が朝鮮半島で行なった創氏改名を朝鮮半島の人が望んでいるような発言。先週末の講演の中で台湾を「国」と繰返したこと。名古屋の講演で靖国神社に天皇陛下が参拝するのが一番と発言したことを挙げて、日本 外交を麻生外相に委ねるのは、とても心配だと主張しています。

私は麻生外相の発言から、高橋哲哉著「靖国問題」の中で書かれていた、台湾の高金素梅(ガオチン・スーメイ)さんが流した涙のことを思い起こしました。

旧日本 軍の軍人軍属としてアジア太平洋戦争に動員され戦死した台湾人の遺族ら236人が、首相と国、靖国神社を相手取って裁判を起こしたが、2004年5月13日、大阪地裁は請求を棄却した。台湾の人たちは小泉首相の靖国参拝は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を受けると主張しました。

高金素梅さんはこの心無い判決を聞いて涙を流しました。「タイヤル族」の出身で、歌手や女優を経て立法議会議員に転身した人です。

旧厚生省の統計によると、日本 の統治下で台湾人約20万7千人が軍人軍属として戦争に徴用され、そのうち約3万人が死亡した。先住民族は「高砂義勇隊」として太平洋戦争に動員され戦死しています。

高金素梅さんは38歳の時、タイヤル族の勇士の頭を切り落とす日本 軍兵士の写真を見て衝撃を受け歴史を研究しました。高金素梅編集で日本軍が台湾の野蛮人を征伐すると称して撮った写真集「無言的幽谷」の序文に「見よ、見よ、私の皮膚には鳥肌が立ちはじめ、私の目からは涙があふれ出し、熱い血がこみ上げてきて脳天を直撃した。私はついに、自分がいったい誰なのかをはっきり知ったのである」と書いています。

私は台湾と日本 の歴史的関係を調べてみました。大まかに述べます。

日清戦争で日本 が勝利し、1895年の日清講和条約によって日本 が遼東半島と共に台湾を獲得しました。しかし、植民地統治は住民から抵抗を受けて1902年まで抗日闘争への鎮圧にかかっています。日本 軍は竹薮の中から突然襲ってくる台湾ゲリラを「草木皆兵」に見えた。ゲリラに対抗するために日本 軍は夜陰に乗じて村落の出入り口を封鎖してラッパを合図に一斉射撃を行なったりしています。

抗日勢力への対抗策として台湾人士紳との連絡機関「保良局」を設置し、後には保甲制度を採用し、連座責任によって治安維持を図っています。また、懐柔工作として地主の権利を保障することにより、地域ぐるみの闘争から地主層を脱落させました。それでも1930年10月に抗日暴動の「霧社事件」を起こり、鎮圧するために軍隊を2000人出勤させ原住民500人を死亡させています。

日本 は台湾から砂糖、米、樟脳、煙草、塩を日本 国内に持ってきています。

日本 とアジアの歴史を知れば、日本 国憲法は、明治以降の日本 人が自由と民主主義を追求した夢と希望の結晶。日本 の軍国主義支配の下で流した、日本 人とアジアの人々の流した血と涙から生まれた結晶。そして未来に向けて輝く結晶だと思います。