いせ九条の会

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その国の未来はその国の人々にゆだねられている/山崎孝

2007-08-25 | ご投稿
8月25日付朝日新聞「社説」は、ブッシュ大統領の退役軍人会における演説をテーマに論説をしています。ブッシュ大統領のイラク政策の自己弁護を批判し、かつ、ブッシュ演説にあった言葉を引用して安倍政権を諧謔しています。

【ブッシュ演説 日本の過去に触れるなら】

 とかく権力者は、自分の都合に合わせて歴史を解釈するものですが、ブッシュさん、あなたの見方も歴史のつまみ食いではありませんか。

 イラク戦争の正当性と米軍の駐留の必要性を強調するために、第2次大戦やベトナム戦争などを取り上げた、退役軍人会での大統領の演説です。

 「日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた」

 「日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった」

 9・11テロで、多くの米国人は日本軍の真珠湾攻撃やカミカゼ特攻隊を思い浮かべました。イラク戦争を始めるときに米政府内には、武力による民主化の成功例として、日本の占領を考える人たちがいました。日本に言及したのは、こんな背景があるからでしょう。

 しかし、戦後の日本の民主化が成功し日本の過去に触れるならたからといって、イラクもというのは乱暴すぎます。日本には、明治の自由民権運動や大正デモクラシーの歴史がありました。占領軍の民主化政策にも助けられましたが、戦争は二度とごめんだという民意が軍国主義を復活させませんでした。イラクのように占領後も反米闘争が続いている状況とは違います。

 米軍がベトナムから撤退したから、ベトナムでは大量の難民が発生し、隣国のカンボジアではポル・ポト派による大量の虐殺が起こった、という見方も単純すぎます。米国の介入でベトナムの人々がどれだけ傷ついたか。カンボジアまで爆撃したことがポル・ポト派を勢いづかせた歴史も無視しています。

 イラクに関連して第2次大戦やベトナム戦争から学ぶとしたら、その国の未来はその国の人々にゆだねるしかないということです。戦後の日本やドイツでは、戦争の指導者たちを排除したあと、できるだけ自治に任せました。ベトナムでは米軍が撤退したからこそ、両国のいまの友好的な関係があるわけです。

 それにしても、演説ではずいぶんたくさん日本へ言及されましたね。

 「天皇に根ざした狂信的な神道があるので日本は民主化できない、天皇を裁判にかけないかぎり日本の民主化は失敗する。そういった意見が米国内にはあったけれど、日米が協力して民主主義制度のなかに天皇を位置づけた結果、より強固な民主主義が育った」

 最近、米国内では、靖国参拝問題や慰安婦問題などで、日本の保守回帰が第2次大戦の正当化につながり、それがやがて米国離れを導く、といった懸念が出てきています。ひょっとして、「過去を直視しない日本」への牽制がもうひとつのメッセージだったのでしょうか。

 ブッシュさんも安倍さんも、「共通の価値観」が日米の絆だと言っています。第2次大戦について、その観点からお二人でじっくり話し合ってみませんか。(以上)

社説の「その国の未来はその国の人々にゆだねる」これは国際法の原則です。この原則を守らなかったために、米国はイラクに武力を用いて介入し失敗しました。

民主主義を選ぶか、独裁体制を選ぶがも、その国の人の意思に任されています。その体制内において非人道的なことが行なわれれば、国際社会としては批判し、場合によっては人道支援を行ないます。

社説で「日本には、明治の自由民権運動や大正デモクラシーの歴史がありました」と述べていますが、これは自民党の押し付け憲法と関係することなので、少し述べておきます。

歴史を振り返れば1870年代の半から自由民権運動が盛んになり、国会開設運動の参加者は1874年から81年にかけて約32万人が参加しました。自由民権運動の指導者 植木枝盛の書いた憲法草案は、国家は思想・信教・言論・出版・集会・結社・学問などの自由を保障すべきことが盛られました。自由民権運動は弾圧を受けましたが、その思想は大正デモクラシーに受け継がれ、石橋湛山は大正3年、戦争は「人類生存上に有害無益」と主張、小国主義で日本の植民地放棄を唱え、軍艦を作るより工場、兵営のかわりに学校を建設し、国力を学問・技術・産業に注ぐことを主張します。これは日本の戦後の国是と同じ考え方です。自由・民主・平和思想は軍国主義下でも根絶やしにされず、敗戦を機に鈴木安蔵らによって表舞台に登場、マッカーサー草案より先に発表された日本人の手による民主的憲法草案で結実しました。