好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

論語 

2008-06-18 19:07:29 | Weblog
論語 朴の会
毎月 第3水曜日 三条図書館で午後から2時間位ですが
勉強会 始めに 腹式呼吸を5分 程 精神統一してから 素読
今回は  衛霊公 第十五 の素読 その後に 高井先生の 諸橋轍次博士の
論語解説に沿い 解説 質問したり 論語が現代での社会でどう生かされるか
個々の感覚感じ思いを 話す 最後にもう一度 素読する、

私なんかとても 只聞いているだけですが 勉強されているんで びっくり
です ボケ防止だけ では駄目ですね。

解り易い所だけ、

子曰人無遠慮必有近憂 ---- 子曰く、人 、遠き慮無(とおき おもんばかりなき) ときは必ず近き憂い有り と読む

先生は言われた もし人が 遠い将来を見通したり 広く周囲を見回し 深く
思慮をめぐらしておかないと 手時かな所で心配ごとが 必ず起こってくる
天災は忘れた頃にやって来るものだ。 

子貢問曰 有一言而可以終身行之者乎 子曰其恕乎 己所不欲勿施於人

読み 子貢問いて 曰く 一言にして 以って身を終わるまで 之を
行う可(べ)者有りやと 子曰く其れ恕(じょ)か 己の欲せざる所
人に施すこと勿かれと。

子貢(しこう)がただ一言で しかも一生涯 身におこなってゆける 名言は
ありましょうか、たずねた。孔子は云われた 其れは恕(じょ)であろう
其の恕というのは 自分が人からされたくないと思う事を 
人にも しかけないことである。
『恕(思いやり)』

子曰 過而不 改 是謂過矣

読み 子曰く 過ちて 改めざる 是を過ちと謂(い)う

先生は言われた 過ちを犯したと気付きながら 改めない、
これを過ちという 気づいて改めてゆく事により 結局過ちなき
姿に戻る  改めるに憚る事勿れ(学而8)

衛霊公第十五 
ここは 私でも解り易くて まだまだ勉強ですが、楽しそうです。
論語読みの ○○知らずなんて事が言えるように成れば、  素読をもっと
これからも 自分が 覚える為のブログ書き込みですが 頭の体操 位の
気楽に読んでください 少しは役に立つ事が 有るかも知れませんよ。




コメント
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