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寺泊 愛宕神社 遊女 初君の歌碑
1298年(永仁6年)佐渡配流の歌人 藤原為兼が大町の
五十嵐邸(聚感園のあるところ)北越の豪族 (此処にも歌碑有り)
古くてもう文字が読め無い100年くらいの歌碑もある
38日間風待ちをされた時、朝夕奉仕して旅情を慰めたのはこの地の
遊女初君でした
この間に,都の貴人と郭(ひな)の遊女は和歌を通じて心が通い
相互の愛情が芽生えたのであるそして、船出の時別れを惜しんで初君は
和歌を詠みました、
もの思い こしぢの浦の 白浪も 立ちかへるならひ
ありとこそきけ
この歌は後に勅撰の「玉葉和歌集)に載せられた。
1298年(永仁6年)佐渡配流の歌人 藤原為兼が大町の
五十嵐邸(聚感園のあるところ)北越の豪族 (此処にも歌碑有り)
古くてもう文字が読め無い100年くらいの歌碑もある
38日間風待ちをされた時、朝夕奉仕して旅情を慰めたのはこの地の
遊女初君でした
この間に,都の貴人と郭(ひな)の遊女は和歌を通じて心が通い
相互の愛情が芽生えたのであるそして、船出の時別れを惜しんで初君は
和歌を詠みました、
もの思い こしぢの浦の 白浪も 立ちかへるならひ
ありとこそきけ
この歌は後に勅撰の「玉葉和歌集)に載せられた。
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