留萠鉄道 新雨竜から恵比島ゆき 片道乗車券

昭和40年4月に留萠鉄道新雨竜駅で発行された、恵比島ゆきの片道乗車券です。


   


青色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場による委託調弁券と思われます。


留萠鉄道は国鉄留萠本線(現・留萌本線)の留萠駅(現・留萌駅)で分岐する臨港線と、留萠本線恵比島駅から分岐する炭砿線の2つの路線から成る鉄道で、両線の間は留萠本線に乗り入れる形で結ばれていました。臨港線は貨物営業のみでしたが、炭砿線は貨物営業のほかに旅客営業も行われており、末期には自社発注のキハ22にキハ55のタイフォンを付けたようなキハ2000形液体式気動車を導入し、恵比島~深川間の国鉄留萠本線への乗り入れも行われていました。
このキハ2000形は路線廃止後は茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に引き取られ、キハ2004および2005として近年まで営業運転されています。


    (ひたちなか海浜鉄道キハ2004)


これがひたちなか海浜鉄道キハ2004で、後方にわずかに見える国鉄準急色であったキハ2005とともに近年まで運転されていましたが、運用から離脱した今も、キハ2004が那珂湊機関区に、キハ2005が阿字ヶ浦駅に現存しているようです。


留萠鉄道の臨港線は戦前に鉄道省に買収されて留萠駅の側線扱いとなっていますが、炭砿線は昭和30年代の営業係数(100円稼ぐのにかかる経費)がほぼ70~80円代、貨物は年間約45万トン、旅客は年間約45万人規模の黒字路線で、その好景気によってキハ2000形気動車を新製配置することができたほどでしたが、昭和43年12月の第4次石炭政策答申で国内炭鉱の整理統合政策が明確に示されると炭鉱が閉山となり、収入の要である石炭輸送収入が無くなったばかりか炭砿周辺の住民が居なくなったことによる旅客収入も激減し、留萠鉄道昭和45年に営業休止し、昭和46年に全線廃止されてしまっています。


    (恵比島駅)


御紹介の券の着駅である、留萠本線との分岐駅であり、旅客の乗換駅でもあった恵比島駅は、昭和59年に出札業務が廃止されて運転要員のみ配置の駅となり、昭和61年には完全無人化されて貨車を利用した駅舎に改築されてしまっていますが、旧駅舎の基礎を利用してNHKの連続テレビ小説「すずらん」のセットである架空の明日萌(あしもい)驛が建てられ、同時に貨車を利用した本来の駅舎についても外板に木材を貼って改装されています。(写真左手前の建物)

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