神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

なんか調子悪くて

2023年05月22日 15時26分29秒 | ライフスタイル
日が長くなり5時半前には目が覚めるようになった
それで起きっぱなに庭畑の世話を始めるようになった
ところが、ここ2~3日というもの体が不調、どこがどうではないが、なんか気力なく、調子が良くない。

23時ころ寝て、5時半起きだが、夜に何度か目が覚めて前のように熟睡できなくなったのが原因のようである。
それで今朝は5時すぎに目が覚めたけど、ベッドから出るのをやめた

そういえば5時ころから大谷先発のエンジェルス戦があるのを思い出してテレビをつけた、ちょうど始まったばかり
寝ながらテレビを見るのもなんか目が回りそうだから、目を閉じてテレビを見ずにラジオのように聞いていたが、半分起きて半分寝ているような感じ
「ああ、これも悪くないな」と思いながら(これからは早く目が覚めても7時まではベッドから出ないでおこう)と決めたのだ。

おかげさまで今日は少しは楽で、7時から庭畑をかまって、8時に朝食を食べた
久しぶりに大好物の「なめこと豆腐のおぼろ汁」を作った
甘口の越中醤油が合う


昼はラーメンを作り、トーストと一緒に食べた、ミスマッチだが案外うまかった。
長形切のベーコンハムを買って、マーガリンで炒めて具にした、生めんを茹でるからやはり美味しい
食欲だけは旺盛だから、なかなか67㎏台から落ちなくなった。




大相撲 新時代到来か

2023年05月21日 17時52分47秒 | 大相撲
十両の相撲が、幕内同様に待ち遠しくなったのは珍しい
先場所までは朝の山、逸ノ城が十両にいたので興味深かったが、二人が再入幕した今場所は何といっても落合だ
入幕一場所で十両入りして、まだ三場所目の19歳だが中日まで全勝で来ている
それに対抗して筆頭の豪の山も8戦全勝
筆頭、湘南の海 武将山 熱海富士と来場所以降、入幕しそうな逸材が目白押しだ
幕内下位で低迷している力士は覚悟を決めなければなるまい

幕内も4大関脇が定着して互いに競い合い、昔の横綱、大関陣が千秋楽まで優勝争いで目が離せなかった手に汗握る時代に戻ったような気がする。
これに刺激されたのか、傷だらけ満身創痍の横綱照ノ富士、大関貴景勝も今のところ全勝、2敗と頑張っている
ただ故障持ちは一つのきっかけで休場まで行ってしまうから4関脇に比べて怖さはある。

大関昇進最短距離の霧馬山は、強さを感じないのに、なぜか勝つ
モンゴル力士特有のうまいバランス感覚の相撲を取っているし足腰が強い
常に二桁を勝てる力がついている 6-2

大栄翔も10勝、12勝を挙げてきて、今場所は6-1で中日を迎えた 11勝以上を上げれば来場所の大関昇進の話も出てくるだろう
4関脇の中では貴景勝並みの突進力を持ち、それゆえ走りすぎて自滅することがある、それで優勝を逃がしたのも一回ではない
だが猛牛のような突進はなかなか止められない 6-2

豊昇龍は11勝、8勝、10勝で今場所を迎えた、ここらで12勝以上上げて、再来場所の大関とりの足掛かりにしたいところ 6-2
取りこぼしが目立つ、もう一回り大きくなってどっしりした相撲を期待する

若元春は10勝、10勝、9勝、11勝と安定性抜群で場所ごとに強くなっている感じがする、豊昇龍同様11勝以上を上げて再来場所の大関とりを決めたい
今場所13勝14勝で優勝、準優勝なら来場所の大関も考えられる。
相撲の旨さ、安定度は4関脇で一番かもしれない
ただ負けるときはあっけないのが気になる
と言っているうちに錦木に逆転投げで負けた 6-2


この4関脇に加えて大関とり一番候補は、元大関朝の山
力は充分だが、この一年の間に若手が力をつけて来た、4関脇ももはや強敵に育っているから、簡単には大関復帰はできないかも

琴ノ若は血筋、体、強さを兼ね備えているが、まだまだ相撲が甘い
大器になるかどうかは心がけと練習次第だ

これからの台風の目は北青鵬だ、まだ21歳、身長204cm
今日は朝の山を投げ飛ばした 棒立ちに見える相撲は正代に似ているが胸に頭をつけられても半身で投げのチャンスを狙って、ゆっくりと待つ落ち着きもある
投げに入ると足腰も強く腕も長いので豪快だ、再来場所には三役の一角を担っているだろう。

関脇決戦、関脇対大関、横綱戦、そこに割り込む朝の山と北青鵬
今場所は十両優勝対決ともども興味深い場所だ。



 

仏心

2023年05月21日 16時12分48秒 | 宗教
高校生の頃、父はすでに私を自分の後継ぎとし魚屋にすることを決めていた
そのとおりの人生を送ってきたわけだが、そんな高校生の時に、ふと言った。
「おまえは学校の先生か坊さんが似合っている」
その言葉を聞いて思ったのは(小学校の先生ならともかく、中高の生意気盛りを教えるのは性に合わない、研究者として仲間や個人でやる学者ならよいが、教壇に立つのは向きではないと、だが坊さんはまんざら見当違いではない)

坊さんといっても厳しい修業を生涯続けて仏に仕えるなどというのは、とてもじゃないが無理である
それでは坊さんになんかなれない、だが世間の坊さんを見渡せば、尊敬に値する立派な坊さんもいれば、ゴルフ三昧だ、女狂いだ、ヤクザまがいの坊さんもいる
それならば私でもなれないことはあるまい、但し後者の坊さん並みではなっても意味がない。

さて歎異抄を読んでいて時々心に入ってくる言葉がある
例えば「親鸞さまの正しい教えは、没後わずか30年ほどで教団という集団組織の中で、その真意が曲解されている
『お釈迦様(阿弥陀仏)の教えは、唯一この世界で親鸞だけの為の教えである』と親鸞さまはおっしゃった。らしき言葉が出て来た。

そもそも仏教の始まりは個の深い悩みに人が陥ったとき、絶対的な安心、導きにすがる人間の心の作用がつくりだしたもの
お釈迦様にしても、聖徳太子にしてもこの世の無常と、人の力では変えることのできない死や病、様々な欲心(煩悩)に対して、どのように理解するかの問いである。
ならば私にも、それはある 真剣にこれらの無常や自分の非力、あまりの小ささに思い悩むならば、そこには宗教があり仏様と出会っている。
まさに「お釈迦様は私だけの為に教えをくださったのだ」
ならばお釈迦様の教えを理解しなくてはなるまい、それが修行だ

お釈迦様の教えは、口伝を受けた直弟子たちによって、数万の経典として編纂されたが、お釈迦様の教えの年代や、弟子の資質によって内容は微妙に違ってもいる

開祖と呼ばれる宗派の長は、それぞれが自分の心に合う経典を選んで、**経を開山した。
だから元はお釈迦様の教えでありながら、対立を繰り返している
親鸞さまが作った浄土真宗さえ、東と西に分裂したではないか
またお釈迦様の教えもアジアに広まる中で大乗仏教、小乗仏教などの対立もあった、こうしたものを見ると立派な宗教と言っても人間臭さから抜け出ていない
まさに「群盲 象をなでる」であって、とてつもない大きな教えの中からわが意に沿った部分を取り出して「我が宗派」を名乗っている
もちろん、大きな幹となる法華経など特に重要な骨の部分は共通してはいるが
それは教団という大きな組織になって、経営が主たる目的になったことで残念ながら雑念が若干紛れ込んでしまった。

親鸞さまが申された通り、宗教は個人の中にあって、個人個人の悩みが違うだけの数だけあると言うことだ
だから宗教は個人でもできると言うことではないか、宗教にルールがあるのか
縛りがあるのか? それは宗教と言えるのか
ルールは集団を統一統率するためにある、個だけであればルールは必要ない
全て自分に帰ってくるからだ。

もちろんルールをガイドラインにすれば理解するには楽である、でもそれは本当に求めるものの答えであるのか?
己の苦しみの質や量は自分にしかわからない、それをグループに分けて考えるのは占いと同じではないだろうか
この苦しみは個が解決するしかない、それが出来なければ教団に救いを求めるしかあるまい、その中には問題の教団もあるのだ
教団を選ぶにも個の責任が生じることを承知しなければ泣きを見る。

私は今さら宗教家になる気もないし、なる力もない、だが心の中に宗教観を持つことはいつでもできる、今でもできる
寝る前に寝るまで一人宗教を実践できる、仏心を持ちながら眠りに落ちるのは座禅に通じるのではないか? 

浄土真宗は理屈が簡単で、宗教を面倒だと考える悩める人には向いている
「南無阿弥陀仏」を十篇唱える、それを一日何度か繰り返すだけで阿弥陀様が救ってくださると言う
宗教家でもない、忙しい庶民にはまことに都合よい宗派なのだ
キリスト教であれ仏教であれ、信じる者は救われる、信じるところから始めるしかあるまい

私が仕事をやめたのはその力が及ばなかったからだが、別の部分でもいやなことがあったのも一つの原因だ
それは、生きた魚を調理すると言う殺生に耐えられなくなったからだ
新鮮野菜の中から出てくる虫さえ殺せない、こうなると調理人失格だ、仏心をもったらお終いだ、そんなことで仕事に嫌気がさしていた

今は野菜を育てる、生命を作る方に回った、いずれはその命をいただくことになるが、リアルな魚よりは罪の意識は少ない
それも勝手な解釈かもしれないが、それさえ嫌気がさせば、もはや飢え死にするしかあるまい。




ちゅん太

2023年05月20日 08時30分54秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
またマイファミリーが増えた 小鳥の「ちゅん太」 一応オスだと決めているが
私は「雀に似た別の鳥」だと思っているが、女房殿はにべもなく「雀じゃん」
私は雀もわからない鳥音痴なのだ

ともあれ、ちゅん太はわが庭畑をえさ場として決めたようだ
毎日欠かさず、朝の5時前から夕方5時まで何度も通ってくる

今日は堆肥用の野菜くず置き場のなかの米粒を見つけて、せっせと通ってきて
大きなのを小分けして咥える、食べるかと思ったら咥えて飛んでいったから、巣にでも持って行ったのか?






(きっと戻ってくるな)と思ったら、やはり1分ほどで戻って来た
今度は2羽だ、一羽はブロック塀の上で待っていて、ちゅん太が米粒を加えて出てきて、もう一羽のところに行った
何をするのか見てたら、なんとちゅん太は同じ大きさのもう一羽に米粒を食べさせている
大きいので、やがて二羽で仲良く突っつきあって食べだした、これは夫婦なんだと直感した
それにしても寄り添って、なんと仲の良いことだ、写真を撮ればよかったがカメラが無い、部屋に取りに行って戻ったらもういなかった

5分ほど待っていたら、またちゅん太だけ戻って来た、掲載写真を撮った
約10分くらいいた、私が写真を撮っていても逃げない・・・そのうち急に固まった、頭を左右に時々動かすが、足は一ミリも動かず3分くらいそのまま
たぶん私の気配を感じたのだろう、警戒しているのだ
やがてさっと飛び上がって消え去った。

固まったちゅん太 これは野菜くずみたい

3分過ぎても、このまま

女房殿は「二羽も三羽もきたら、どれがちゅん太かわかる?」と聞く
私は「最初に来るのが、ちゅん太だ」と答える
毎日、ちゅん太が来るのが楽しみだ、5時半には一度庭を見る。



見よう見まねの野菜育て

2023年05月19日 14時44分46秒 | 家庭菜園
昨日は暑さの中ドライブしたせいか体は疲れ、頭は思考力なく、パソコンの根気もなく夜は何もする気が無くて、ただボーっとしてベッドに横たわっていた。
そして久しぶりに23時前に寝たので今朝は起きたら回復していた
だが朝からしと降る雨、そんな中に南瓜の黄色い大きな花が二株咲いていた
これは初めての経験で感動した。
雀のようで雀でない鳥が、毎日庭の畑にやってくる、ちゅん太と名前を付けたが、今日は5羽もやってきて、どれがちゅん太かわからない
そのうち二羽がネットの中に入って出られなくなって、羽ばたいて大騒ぎしてる
助けようにも雨が降って、あれこれしているうちに二羽とも自力で脱出した
これが今後の畑作の邪魔になるのか、愛嬌で終わるのかわからない
きっと肥料の油粕をついばんでいたのだろう。

西瓜、メロン、キュウリ、ナス、トマト、枝豆、それぞれに手入れの方法があるが覚えきれない
芽を摘むのもまちまちで、育成日記をつけることにした
とにかく一年目だから試行錯誤である、雨が降れば野菜は喜ぶかと思えば、土が湿ったり、温度管理が出来なくなって萎えたりと面倒だ
今どきが一番大変、この後の梅雨時がいまからストレスになっている
メロンも花が咲いたが、これが本物なのかまだ構う必要が無いのか、初めてというのはどうしようもない、失敗しながら覚えるしかない
頼りはyoutubeなどのネットだ、プロの動画は本を読むよりわかりやすい、可視化できるのが助かる。

明日からまた晴れそうだから、徹底的にチェックして、進めていこうと思う。


今日も海王丸パーク

2023年05月18日 13時22分11秒 | ドライブ
GW以来半月、また海王丸パークに来た
前回は野外ロックコンサートで駐車できず、ヨットハーバーで時間をつぶした
昨日も今日も富山県は30度近い
富山空港、南砺市は33度超えで5月観測史上最高だとか
少し歩くと汗が噴き出す
さすがに半袖にした、家では短パン
暑いだけでなく、眩しい、日陰を見つけて本を読もうか
浜風があるので日陰は涼しい

市川猿之助さんと家族が自宅で倒れて緊急搬送だとか
お母さんは亡くなり、お父さんは意識不明、猿之助さんは意識があるらしい、なにがあったのか?
先日、クイズ番組で可笑しな顔をしてはしゃいでいたのに
まさか、こんなことになるとは
鎌倉殿でも特異なキャラの坊主を演じて歌舞伎ばかりでなく幅広く活躍していた。
非常に興味深い才能の持ち主だ、生きて、これからも楽しませてほしい、無事をいのります。



神様がくれた休日

2023年05月17日 11時34分49秒 | 雑記
以前も書きましたが鎌倉時代~室町時代の臨済宗の高僧、夢窓礎石(夢窓国師=1275~1351)の著書「夢中問答集」の第一章は「今生の福報」須達長者の福報
という話が書かれてある。

夢窓国師と足利尊氏の弟、足利直義(ただよし)との禅問答を書いた本である
「庶民の苦を取り除き楽を与えるのが仏の大慈悲ではないか、なのになぜ仏法では庶民が福を求めることを戒めるのか」と直義が問う

「あらかたの人間は、その人生の大半を福を求めて様々な生業を営むが、そのどれもが福を得るために知恵や謀を張り巡らして、ただただ体も心も疲れさせるばかりで得るところは少ない。 多くを得るものは、人以上に悪行もまた多いものだ、そのように欲にまみれた人生を送ったところで死ぬときには得た福の一粒も持ってはいけない、それどころか福の為に悪行を犯した者には地獄が待っている。
また働いても働いても福を得ない、何をやってもうまくいかない、誰それが悪いから自分が不幸だとか人に騙されると嘆くが、そのような者は前世の悪行の報いを今生で受けているのだと知るがよい、来世もまた同じことを繰り返すだけだ、
嘆いても求めても福は身につかない、ゆえに苦しみしかない人生になるのだ、今生の悪行で福を得たとしても来世は必ず報いを受けて不幸な一生を送る、どうすればよいか・・・
最初から無欲清浄になって、福を得ようなどと思わぬことだ、そうすれば自ずと清らかな福が身につくものだ、それゆえに仏の教えでは福を求めることを禁ずるのだ」と国師は答えて、寓話を話して聞かせる。

「昔、インドに須達長者という大金持ちが居たが次第に家運が傾き、財産は無くなり奉公人も皆去って須達長者夫婦だけになった。
いよいよ多くの倉の中にも何もなくなってしまい、それでも何かあるかと探し回ったら、香木で作った米桝が出て来た
これを売れば4~5日生きるだけの米が買えると歓び、早速売って米四升になった
須達が外出して妻だけになった屋敷に仏弟子がやってきて食料を求めたので、妻は一升を渡した、すると今度は仏弟子二人がやってきてまたしても食料を求めた
妻は一升あれば今日一日は生きられる分があるからと二升を差し上げた
すると今度は釈迦如来が求めて来たので、最後の一升も差し上げた
さすがにすべてを無くしてみて、いくら仏様とはいえ自分たちが飢え死にしてまで差し上げて良かったのか、夫に申し訳ないと泣き崩れた
そこに夫の須達が戻って泣いている妻から話を聞いた、そして『儂らが飢え死にしようとお前のしたことは仏法僧の教えに適っている、それは良いことをした』と妻を褒めた
それでも何か残っていないかと倉を開けてみると、すべての倉からあふれ出るほどの金銀財宝が満ち満ちていたという、須達は元のように長者になった

これは四升の米の代わりに仏が財宝を与えたと言うことではなく、夫婦の無欲無心の心根からくる仏心を讃えた話である
すなわち無欲無心であれば無限の福徳が自ずと身につき訪れるのだと言うことだ。 楽を得ようと思っても福を得ることはできない
須達のような清浄で無欲であればこそ福を得ることが出来るのだ。」と

これは金銀財宝で豊かさを表しているが、本当は心の満足を財宝に置き換えているのだと思う。
全ての欲心を捨て去ったときに、心の平安が訪れるということだ
この話は今のわが身に照らし合わせてみても理解できる

70を過ぎても毎日現場で14時間働いて、その合間に堕落的な生活をしてみたり
かなわぬ夢を追ってみたり
だが成果として何も残らなかった、そしてコロナがやってきていろんな方面を恨んでみたりしたが良くなりもせず
まさに夢窓国師が言った通りの欲の皮人間、前世も同じことして因果応報
だが思い切ってすべてを辞めてみた 夢も希望も
全てを捨ててみた・・・結果 今日の暮らしがある
先祖のおかげか、神仏のおかげか

断食が終わった後、空気までもが美味しく感じるという、あの感覚と同じである。

そんな風にして得た今の時間を「神様がくれた休日」と呼んでいる。

「今日もこうして生かせてもらったことに感謝 ありがとう」











また新たな一年の旅が始まる

2023年05月16日 20時20分37秒 | yottin日記
5月 とうとう73歳になった
72だろうが 73だろうが 新たな年が始まるのは嬉しい
正月もそうだが、過去という黒板に溢れかえっている文字を消し去り、いろいろな夢を考えることが出来る
ブログタイトルも変えた 「yottinのブログ」を「yottingブログ」に
ingをつけて、「今もなお進み続ける ing」だ

同級生の友達「つーくん」が自作の野菜を届けてくれた
ニンニクの芽と筋が無い絹さや スーパーの野菜より数日新しい自作の野菜は味が違う



さっそく、にんにくの芽は、もやしと卵を炒り合わせた、あっという間に食べてしまった 絹さやはみそ汁でいただいた


ついでと言っては失礼だったが、冬の間、車庫に入れておいた軽バンのバッテリーが上がって困っていたが、つーくんならバッテリーの充電ブースターを持っているかと聞いてみたらやはり持っていた
貸してもらおうとお願いしたら、一緒に行って手伝ってくれると言う
これは機械にうとい私にとって大いなる助けだ


つーくんはエンジニアの経験もあるので自動車については詳しいだろうとわかっていたから、頼んでみてやはり正解だった。
半年ぶりにエンジンがかかって走って見たが、またいつ動かなくなるかわからないので、今は閉店している会社の駐車場に持って行って、そこに置いた。
ここなら広いから、いつでも修理なり充電が可能だ。
とにかく個性的な技術系の友達が多いので、いろいろいざというときには助かる、これは小さな町の良いところでもある。

今日は大谷が誕生祝の祝砲を放ってくれた、残念ながら73号ではなく9号であったが、サイクルヒットまで二塁打一本の5打数4安打と大活躍
投げては5勝目を挙げた、内容も4安打ながら3本がホームランという伝説の男ならではのゲームだった。
4月にもサイクルまであと一歩まで行ったが、半月の間に2回もサイクルチャンスとは韋駄天のホームランバッターならでなければできない
加えて先発勝利投手がサイクル安打を達成すれば、これは今後100年は誰もできないかもしれない、神様ベーブルースさえやっていないのだから。




 サッカーJ1 13位新潟アルビレックス 2位横浜Fマリノスを破る金星!

2023年05月15日 20時35分56秒 | サッカー J1 J2
サッカーはわからない
実力が圧倒的に上でも勝てるとは限らない
ワールドカップで日本がドイツ、スペインを破ったのもそれだった
ボールをほとんど支配されながらワンチャンスをものにしての勝利
それを日曜日に、直近4試合3敗1分けで13位の昨年J2新潟アルビレックスが、昨年J1王者で直近3勝1分けで2位の横浜Fマリノスに2-1の逆転勝利を収めた。

横浜の長身ブラジルトリオを見た瞬間「こらあ駄目だ、反則だ」と思った
全体的に小柄な新潟選手が一層小さく見えた
開始直後の5分間だけシュートを連発した新潟だが、その後は守勢一方で、ボールもほとんど支配され、持っても出すスペースがなく奪われるシーンが続出
見ちゃあいられない状況が続く、個人技はともかくチームの連携や試合の進め方は大人と子供位の差に見えた。
それでも4試合ぶりに出場したゴールキーパー小島が危機一髪のファインセーブ連発で前半45分をゼロで抑えたが、ロスタイム46分藤田に決められてしまう
ここまでの流れを見て点を取られたので、挽回不能と見た私は「あああ時間無駄した」と言ってテレビを消した。

夕食は、今月誕生日につき大好きな海鮮丼を作ることにして、スーパーを回って材料買い出し
スーパーには既に切ってお買い得な海鮮丼セットもあるが、マグロが好きなのでマグロ多めに食べたいから自家製だ



買い物から帰って、結果だけ見ようとテレビをつけた(2-0か3-0か)
ところが新潟が2-1でかっているではないか
残りのアディショナルタイム4分、手に汗を握って逃げ切りを祈った、ロングパスを連発して凌ぐ、横浜に焦りとあきらめが見えたので(これは勝てる)と確信した。
相変わらず短気で、せっかくの逆転劇を見逃してしまった
57分の伊藤の同点弾は鈴木からのパスを得意のフェイントで一呼吸おいてキーパーをかわしてからの技ありシュート、今期7G目
67分には秋山のパスを20歳三戸が強烈なミドルシュート一直線、今季初ゴール=J1での初ゴール、これで勝負を決めた。
勝利の最大の貢献はキーパー小島だろう、明らかにネットを揺らすシュートを3本4本は止めた、2-4でも不思議でなかった試合だったが勝利した。
観客24501人、多くのアルビファンを興奮させた、こんな試合を続ければ3万人復活も夢ではない。

広島、川崎を破り、神戸と引き分けながら、最下位の横浜FCや柏に負けるし、序盤下位低迷していた鹿島にも負けた
上位に勝って下位に負ける癖は今シーズンも抜けていない、不思議なチームだ

富山はJ2で6位以内に位置している、もうひと頑張り
松本はJ3で苦労している、一度はJ1も経験している頑張って復活せよ。

「らんまん」を見始めたので

2023年05月14日 12時42分33秒 | 映画/ドラマ/アニメ
遅ればせながら朝ドラ「らんまん」を今日から見始めた
皆さんのブログを見ていると近年にない盛り上がりである、こりゃあ見て損はなさそうだ
植物を写真に撮ったり、育てたりはしているが学問的には興味ないので、なかなか名前も覚えない
見る気も無かったが気になって撮りためておいたのだ、残念ながら幼少期の部分はない、けれど「英雄たちの選択」などで生い立ちはだいたい知っている
「自由民権運動」に巻き込まれて逮捕されたところから見始めだ。

牧野富太郎がいつ頃の人かも知らなかったが、文久2年4月生まれということで少しだけ身近に思えてきた
それは私の直系4代前、即ち高祖父が文久2年3月3日生まれということで富太郎より一か月だけ年上だからだ。
因みに高祖母も文久元年の生まれ、このドラマを見れば、その祖先が、どんな時代を生きて来たかわかるので興味深い。

富太郎は高知の豊かな商家に生まれたが、幼年期に相次いで両親や祖父が亡くなり、祖父の後妻、血縁の無い祖母に育てられた。
結局豊かなこの家は、富太郎の(側から見れば)道楽にも見える植物研究に財の全てをつぎ込むことになり破産したとか

わが高祖父の家も小作人を使う代々の大地主で豊かな暮らしだったそうだが
高祖父、高祖父の父が相次いで亡くなると家運が傾き破産して故郷を追われるように関東へ落ちていったのだった、父が生まれる約60年前の話である。

「らんまん」を見てさっそく気になる言葉が出て来た
それは留置場から富太郎が出されて、祖母らと家に帰る途中、祖母が言う
「人は全てを選ぶことはできん、何かを選ぶとは何かを捨てることじゃ」
政治運動に流されそうになった富太郎を中途半端と見抜いた祖母の言葉だった
「何を選ぶにしろ命がけでなければモノにならない」と言ったのだろう
富太郎は結局、命を賭けるような殺伐世界には入らなかったが、実家の大店を破産させてなお借財を背負って研究に没頭したのだから、祖母のこの一言はそうとう重い言葉だった。

この先、またどのような名言が出てくるのか楽しみである。