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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

団塊世代と外国語と歌と

2024年01月17日 12時08分53秒 | 時代検証
 戦後まもなく生まれたのは団塊世代で正式には昭和22年~24年の三年間に生まれた世代を言う、この年代は一年間で260万人誕生、私の昭和25年でも230万人以上が生まれた、令和5年は新生児がついに年間72万人程度に減少している、6年度に70万人を割るのは確実だ

とにかく団塊世代は何をするにも競争競争で、汽車に乗る時なども一人が先に乗り込み、窓を開けて、外の仲間が窓から荷物を入れて4人分の席を確保する、そうでもしないと座れない。 
小学生の時は校庭で野球をするにも一番良い場所をとるために授業が終わると同時に場所取りに走る、とってしまえば上級生だろうと譲らない
小学校3年生の時、全校生徒数は2000人でクラス数は40あった、1クラス50~55人くらいのすし詰めだった。

どこもかしこも人であふれていた時代、呑気にしていれば兄弟でもおやつが奪われてしまう。
それだけに先読みする能力は誰もが身に着いた、敗戦からまだ10年くらいしかたっていない
人が多いが貧しい、貧しいから親は子供などかまっていられない、子供たちは親に頼らず生きていく能力を近所のガキ大将から学ぶ、だから自然とグループが出来て序列も覚える。
遊びは先輩から習い、色々覚えた

そんなところで育つと、社会の中での適応力が早く身につく、早く大人になる
山間部の田舎では中卒で就職が多くいた、競争の激しい社会に15歳で放り出されて、一人で生きる力を早く身につける
昭和団塊世代は競争社会の中で生きて来たが、一方で集団の中で序列に従う従順さも身に着いた。 当然ながら忖度がうまく世間を渡っていく方法であることも覚える、だから要領の良い奴も多かった。
そのくせ自由になりたいという気持ちは強かった、それは自由の国アメリカに対するあこがれとなった。

ロカビリーやアメリカンポップス、ブリティシュロックなどに染まり、親からはアメリカかぶれと言われた。
ところが学校の勉強では英語がさっぱりなのに。毎日ビートルズなどのレコードを聴いていると発音だけはクラスの優秀な子より上手になった
意味は分からないんだけど、発音だけはね・・・

歌詞カードを見なければ歌えないと思っていた外国曲
ところが毎日聞いていると、いつの間にか「そら」で歌えるようになっている。
英語曲や、テレサテンの中国語バージョン「月亮代表我的心」「舐蜜蜜」
韓国のJang Yoon Jung「어 머 나」などはカラオケで歌える、
それは何度も聞いてメロディを完全に覚えているからだ、メロディが完璧なら詩を乗せるのは難しくはない。
英語、中国語、韓国語などは必要な部分だけは、それなりに頭に入るから不思議だ。

スマホに向かって英語で語り掛けるのも最近のお楽しみ
正しい発音をしないと、その通りに画面に出てこないから、発音の確かさの確認にはなる
私が習ったスクールイングリッシュは外国人と話せるレベルのものではなかった、周りの成績上級者でも英会話がダメなのは多い
その点、今は幼児でさえ英会話の初歩くらいは話す、若い娘が外国人相手に見事な発音で話すのを見ると「やってられないや」羨ましさ、虚しさを感じるとともに、やり直せない人生の無常を思う。

戦争は敵国を侵略して、占領地の現地人に勝利国の自国語教育をするのが洗脳の初歩だが、敗戦間もない我々団塊世代にアメリカさんは何故正しい英語教育をしなかったんだろう?
3S政策で日本人はピンク色に洗脳されてしまったが、英会話洗脳の方が良かった、今頃それが始まった
英語が世界の共通語になっている今、本当に残念だったと思う。

40代になって、地元の学校の英語教育に来ていた若い外国人の臨時講師に日本食をごちそうしたりした
ジャマイカン夫婦や、英国人のミス・H、カナダ人のミスターKと短い付き合いがあったが、英会話はできずとも「promise」「impossible」「are you OK?」[「Good!」単語と片言でけっこうエンジョイできたから、そんなんでいいのかも・・・あとは歌で・・・歌こそ世界の共通語だと思った
言葉は通じなくても一緒に楽しめる。
ジャマイカン夫婦の時はもう有線カラオケになっていた「ミネソタの卵売り」を教えたら、覚えようと何十回も歌っていたのが印象に残っている。

1995年の日記に貼ってあった小顔のミスHさんとの一枚、何をジュエットしているかは忘れた、たぶん簡単な英語曲だったと思う、この時はレーザーディスクの時代、K氏はカラオケの為に英語のディスクを持ち歩いていた。
「日英同盟」あれから29年か! Hさんも50代半ばだな



70代に入った今のお楽しみ、やはり友人知人と食事をしたり、飲み歩くことかな
ゴルフもやめたし、旅行も飲みに出る回数もぐっと減ったけれど、酒のない席で会って話すことはそれなりにある。

男友達と同じ数の女友達が増えたが、それも年相応と言うことなんだね。
残る25年は心のママに生きていくことが一番、重い荷物を背負った人生だが、そのくらいの負担がないと「だら~」とした人生になってしまう

そうそう、木梨憲武のドラマ「春になったら」で「・・・までにやりたいことリスト」と言うのがあった、私もそれをやろうと思う。
私の場合は「78歳の誕生日までに、やりたいことリスト」としよう。
明瞭な目標あれば計画ができる、計画が出来れば実行日が決まり実行する
刺激、刺激!






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