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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (115) 長尾家 28

2024年06月19日 08時14分00秒 | 甲越軍記
 長尾為景には四人の男子がある、嫡男晴景、二男平蔵景康、三男佐平二景房、四男喜平二景虎である。
既に敵勢は本丸に攻め寄せ、城中に満ち満ちている
主だった城方は多くが討死していたが、晴景の周りには未だ屈強な旗本がこれを守り、「ここで反逆人の手にお屋形を討たしてはならぬ、一刻も早くここを落ち延びさせねばならぬ」と言えば
臆病風に吹かれた晴景はこれに従って、近習の士ら百五十人に守られて、金津勢が攻め入った搦め手門へ向かった
幸いに金津勢も多くが大手や本丸に向かって、ことのほか搦め手は手薄だったので、これに勇気を得た近習らは勇み出て敵を薙ぎ払い、脱出に成功した。

一方、府内の勇士は千騎が一騎になっても引くまいと奮戦する
中でも高尾遠江、斉藤佐々衛門は今日を限りと向かう敵を縦横に切り据え、薙ぎ伏せて柄も刃も折れるまでと討って回り、黒田勢の多くが討たれ数知れず
松本文吾、一柳主馬などの勇士も彼らのために討死する。

長尾佐平二景房は手勢三十を率いて追手の城門で戦ったが半数を討たれて、本丸に引き返す。
長尾平蔵景康は本丸に在って、今は兄、弾正左衛門を落して、今は心やすしと広縁の中央に立ち士卒を下知するところに佐平二景房が二十余人を率いて合流した
「敵は早くも本丸に至り、某もこの通りの手傷を負った、ここは某が承る故、兄上はここを落ちて、後日、憎き裏切り者の照田親子を討ち果たし賜え、ここは某が承り、快く討死仕る」
そうこう言ううちに、黒田の軍師、松田長門守が手勢を率いて本丸城戸に攻め込んできた
長尾勢の勇士、遠山八弥、鈴木総六郎、築地掃部、岡本孫六、片山新八郎、上田飛騨、真田竹丸、福富長門、矢作源蔵、下曽根ら五十余人かけあわせて、ここを破られまいと敵を討つこと数度
軍師松田は采配を振るい、兵を励ますと長柄の槍うち揃えて突きたて攻め寄せる、ついに遠山ら長尾勢は三十余人相次いで討死となる

松田勢は勢いを増して本丸に攻め込むと、これを見て黒田勢、神保に続いて打って入る。
長尾の近習、安原織部、薬師寺、綾部、酒匂兵庫、五太院、宮崎、佐用、江波、宍戸、上月、神戸、鹿目ら三十余人切っ先並べて敵を恐れず斬りまわる

黒田伊豆守はこれを相手とせず広縁に上がる、これを長尾勢の鬼小島弥太郎、戸倉三左衛門、秋山源蔵、金津新五ら十余人があがる敵を突きまくって、黒田の勇士牟礼忠左衛門を始め二十余人を討つと、黒田勢は恐れて近づく者なし
しかし黒田伊豆守、味方を二つに分けて自ら三十余人を率いて、引き違い南の廊下に回り、ここから広縁に上がって打って出る
このとき長尾景康の周りには僅か八人の近習ばかりとなり、景康も自ら戦うところに黒田和泉守が駆け寄り、太刀打ちとなった
火花を散らして討ち合うが、流石に黒田和泉は剛の者にて次第に景康は追い詰められ、憐れむべし、歳三十六歳、逆賊の手に討死する。




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