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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (169) 長尾家 82

2024年08月14日 11時02分03秒 | 甲越軍記
 幸い、上田長尾家と親戚になった、長尾越前守は一族の歴々であり、姉婿の父であれば諸将からも尊敬され一目置かれた存在
この人に謀を打ち明けて協力してもらおうと思い、金津新兵衛に密意を言い含めて上田に遣わした。
新兵衛は越前守と対面して景虎からの密書を贈った、その内容は
「景虎、屋形定実公の命により亡父為景の跡を継いだことはたいへんな名誉であった、けれども某は病気がちで重圧に耐えきれない
これは国家を危機に招くかもしれない、三略にも『国を滅ぼし家を破るのは人を失うからだ』とある、我は不器用であり衆士の上に在りながら、これを束ねることおぼつかず、政権をいただきながら衆を服従させることができない、これすなわち国の安泰を守れず、国を失うのは法が無いからではなく、法を守らせる君主が無いからである、法があっても、これを守らせる力なければ法が無いに等しい
我は己の力不足で法を諸士に守らせることが出来ず、このような状態では国の政治をする気持ちになれない
そこで我は越後を去って帰国の念も断ち、紀州の高野山に入って、永く隠遁の志を遂げることを願う
国衆からの支持を得ることができないのは某に器量がないためであり、二つには菩提の念が強いということだ
貴殿はよろしくこれを察して、国の政をお頼み申します」と書いてあった
越前守は大いに驚いて、景虎が国を去れば、たちまち国内は朝の乱れるがごとく各地で争いが勃発するであろうと思い、引き留めようと単騎馬を走らせて府中に至ったが、すでに景虎は旅立った後であった
景虎が早くも関山、妙高山まで至ったことがわかり急いで国中に危急の使者を走らせた。

真っ先に馳せ参じた一族衆は古志駿河、栃尾佐渡、館四郎兵衛、上田修理進、刈羽相模、高梨播磨、飯野右馬允を始め、直江入道、本庄美作、宇佐美駿河、大熊備前、神余越前、庄新左衛門、中条越前、および国中の諸将一同に驚き、我先に馬を関山向けて走らせた
妙高山に至ると景虎が行く姿を捉えた、景虎はすでに出家遁世を決して髪を薙ぎ、衣服は法衣に改め、法号も既に「謙信」と号して高野山に至らんとするのを見て越前守を始め諸将から諸士までが各々法衣にすがって引き留める
「君が国を去れば、国内は乱れ隣国の逆徒らも「この時ぞ」と乱入するは必定なり、国は他国の逆徒に掠め取られる
もしそうなれば景虎公のやりかたは為景公以来、骨を折ってここまでたどり着いたことが水の泡となり、先祖への不孝、屋形定実公への不忠となります
速やかに府中に戻って国家を治め賜え、我らは不信をもって背くことなどありませぬ」と越前守が言えば、景虎は
「某はここまで心を決して高野山に向かっている、心を決して仏門に入ったからには越後に戻る気持ちは微塵もない」と頑として受け入れない。

国衆から士に至るまで皆々再三再四引き留めようと必死を見れば、そこに真を見出して景虎は、ハラハラと涙を流すと
「愚かなる某をかくまで扶翼せられる各々方の志こそ返す返すも嬉しが、某は屋形定実公の命を受けて兄を廃し嫡家を相続し越後の政治を任されたが、性質は小量にして国に事起るたびに心根を労する事、甚だしく自らを恥じるなり
勉強して事務を行うといえども、その智力は乏しく、才の無いこととはいかんともしがたい
それでも貴殿らが衆をもって某を引き留めた心根を見せられて、心を入れ替えて定実公の御命を守り治国の要として専念することとする
この義に違反すれば日本中の大小の神々の罰を蒙らん」と言って誓詞血判を越前守政景へ渡せば集まった諸士はみな胸をなでおろした
景虎は諸士に向かい「某は遁世を思いとどまり、神に誓詞血判を書いて渡した、諸士たちにも某に背くことないという誓詞を書き、血判をもって某下されたし」と言えば、まずは越前守より誓詞を書き、すべての諸士が次々に書いていき景虎に渡した、景虎は喜び諸士を引き連れて府内に帰還した。









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