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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (133) 長尾家 46

2024年07月07日 15時11分50秒 | 甲越軍記
 その年の四月二十日京都より勸修寺大納言尚顕入道が越後府中の城に下着(げちゃく)した
屋形を始め、長尾一族の人々、謹んで勅諚を承る
大納言殿の仰せけるは「越後国兵乱、年を経て止まず、これに寄りて主上親ら宸筆を染められ、心経一軸を書写まします。
これ越国静謐御祈請の為なり、早く神社に収め奉るべき勅諚なり」
大納言の御言葉をうけ賜わり、屋形上杉兵庫頭定実、長尾弾正左衛門晴景を始め、一門の人々には古志駿河守、上田越前守、館四郎兵衛、上田修理進、刈羽相模守、栃尾佐渡守、高梨播磨守、飯野右馬丞以下、長尾の一族宣明命を拝し、朝恩をうけ承わり、近々逆乱を鎮め宸襟を安んじたまわらんと勅答奉り、新殿にて勸修寺殿を饗応した。

長尾晴景は自ら国境まで護送し、別に神余越前守を以て京に上らせ、恩を謝し奉り、種々の捧げものを奉る
勅筆の心経は府中の八幡宮を修理して宝殿に納め奉り、この度忠孝を成した輩に恩賞あるべき旨、屋形定実の命をうけ賜わり、長尾晴景これを行う。

安田治部少輔には堀越、金津の両地を与える、本庄美作守には栃尾領、宇佐美駿河守に塩沢杉山家を賜い、そのほかの諸士にもいずれも恩賞を賜る

明ければ天文十四年正月、諸士府内城に出仕、景虎も栃尾を出て参府し晴景に祝賀を述べ、その後直江入道、本庄美作、宇佐美駿河、神余越前、庄新左衛門、大熊備前、只見次郎左衛門以下を集め、「去年栃尾の一戦に長尾平六郎をはじめとして凶徒あまた討ったと言えども、残党黒田和泉、金津伊豆、野本大膳、篠塚伊賀、同宗左衛門等が各地の要害に籠り逆威を振るい近隣を侵し、恐れる諸士は凶徒に従う者多し、昨年は勅使をお迎えし国内の平穏を願う勅状と心経を承りながら、未だ賊徒を野放しにしているのは勅に背くのではあるまいか、ただただむなしく日々を過ごすは不忠である」と熱弁すると、居並ぶ諸将もこれに同意した。

景虎は早速に神余越前守に書を託し、再び京に上らせ広橋大納言兼秀卿に通じて綸旨を願い出たところ奏問あって権中納言国光勅を賜って、宣命を賜る
晴景はこれを謹んで拝命し。これを書写して国中に触れる。

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