あけましておめでとうございます。
新年1本目はNHKのドキュメンタリー番組から。
ノーベル賞科学者と彼らの業績を紹介する番組の最後で、
去年、物理学賞を授賞した南部陽一郎氏から後輩の科学者へのメッセージが流れた。
論語からの引用で、
「学んで思わざれば則ちくらし。 思うて学ばざれば則ちあやうし。」
南部氏は、現在では常識となっている「自発的対称性の破れ」を40年も前に提唱した人物。大きな業績を残しているにもかかわらず授賞しなかった理由を、ノーベル財団は「南部は正しかったが、あまりに早すぎた」と説明している。
それほどまでに先進的で独創的な科学者が、先人がすでに研究し獲得した「知識を学ぶ」ことの大切さを説いたことに、「学ぶ」ということの本質を見た。
勉強して得た知識について自分の頭で考えなければ整理されない。その一方で、自分の頭で考えるばかりで勉強しなければ、独善的で偏った考えを持つことになる。
もっといい社会をつくりたい。だからまず、自分が変化になる!とかって意気込んで、ちょっと人と違う生き方をしてるような気分になる時、いつのまにか独善的、ひとりよがりになっていることがある。
それは、雑誌の企画ひとつとってみても同じで、「自分にしかできない独創的な企画」とかって思いこんでエゴ丸出しなアイデアを出しても、その分野における深い知識や読者ニーズへの理解がなければスコンと無視されて終わる。
未来の社会について考えるのはわくわくするし楽しいことだけれど、それを、他人の評価を得られる形に現実化するには、過去に未来の理想社会を思い描いた先人が残した知識を、もっと勉強しないと!と思った。
自分の考えを補強する都合のいい情報を集めているだけでは、本物にはなれない。
大事なことを再確認させてもらいました。
同じコーナーで同時授賞した小林氏が選んだのは
フィロソフィーの語源であるラテン語の「フィロソフィア」。
「愛される知」を意味する言葉だった。
「愛される知」 ステキな言葉じゃない?
警察発表の事件たれながしのニュースやら下らなすぎるバラエティだらけで
好きになれないけど、たまにはテレビもいいですね。
新年1本目はNHKのドキュメンタリー番組から。
ノーベル賞科学者と彼らの業績を紹介する番組の最後で、
去年、物理学賞を授賞した南部陽一郎氏から後輩の科学者へのメッセージが流れた。
論語からの引用で、
「学んで思わざれば則ちくらし。 思うて学ばざれば則ちあやうし。」
南部氏は、現在では常識となっている「自発的対称性の破れ」を40年も前に提唱した人物。大きな業績を残しているにもかかわらず授賞しなかった理由を、ノーベル財団は「南部は正しかったが、あまりに早すぎた」と説明している。
それほどまでに先進的で独創的な科学者が、先人がすでに研究し獲得した「知識を学ぶ」ことの大切さを説いたことに、「学ぶ」ということの本質を見た。
勉強して得た知識について自分の頭で考えなければ整理されない。その一方で、自分の頭で考えるばかりで勉強しなければ、独善的で偏った考えを持つことになる。
もっといい社会をつくりたい。だからまず、自分が変化になる!とかって意気込んで、ちょっと人と違う生き方をしてるような気分になる時、いつのまにか独善的、ひとりよがりになっていることがある。
それは、雑誌の企画ひとつとってみても同じで、「自分にしかできない独創的な企画」とかって思いこんでエゴ丸出しなアイデアを出しても、その分野における深い知識や読者ニーズへの理解がなければスコンと無視されて終わる。
未来の社会について考えるのはわくわくするし楽しいことだけれど、それを、他人の評価を得られる形に現実化するには、過去に未来の理想社会を思い描いた先人が残した知識を、もっと勉強しないと!と思った。
自分の考えを補強する都合のいい情報を集めているだけでは、本物にはなれない。
大事なことを再確認させてもらいました。
同じコーナーで同時授賞した小林氏が選んだのは
フィロソフィーの語源であるラテン語の「フィロソフィア」。
「愛される知」を意味する言葉だった。
「愛される知」 ステキな言葉じゃない?
警察発表の事件たれながしのニュースやら下らなすぎるバラエティだらけで
好きになれないけど、たまにはテレビもいいですね。