地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

半東京。農ライフ vol.19 スマートグリッド

2009年11月29日 | お仕事日記
オバマ政権がグリーンニューディール政策の最重要課題として
掲げているスマートグリッド(次世代送電網)について
とてもわかりやすい記事を見つけた。

環境市場新聞 10月15日付け
スマートグリッドが変える電力事情
インターネットや携帯電話と同じ変革をもたらすか~
http://econews.jp/electric/cat9/post_407.php

このスマートグリッド、
分散型のエネルギー供給構造への転換のために、
ぜひとも日本でも実現させてほしい。

なぜかというと、
一部の人に犠牲を強いる原子力発電や
奪い合いが必要な化石燃料発電された電気を
できれば買いたくないから。

理想的なモデルとしては、
地熱があるムラでは地熱発電
風があるムラでは風力発電
太陽光しかないムラでは太陽光発電の機械を
共同所有して、それでつくった電気を
各家庭に送ってエネルギーの
ローカルな自給を目指す。
各家庭には燃料電池がある。
自給という中には、水を電気分解して水素をつくる
ための電力も含まれていて、それでつくった水素を
すでに普及が始まっている燃料電池(エネファーム)に
ぶちこめば、お湯もできて給湯もまかなえる。
あとの問題はコンロだなー。
すべての過程で、CO2は一切出ないし、地球がひっくりかえらないかぎり
エネルギー源は枯渇しない。
ただし、自然エネルギーは出力が不安定だから
不足時への備えやできすぎちゃってるときの蓄電が課題。
そこでスマートグリッドが活躍する。
優先順位の低い需要(たとえばまっ昼間のオフィスの照明とか遊園地のジェットコースタとか)には
電力をまわさず、病院とか企業のマスターコンピューターに電力を集中させる。
また、水素にして貯めておいたのを燃料電池で再電力化して流通させる。
もしくは家庭用や中規模自然エネルギー発電所用の大容量蓄電池があればそこに貯めておいた
電気を流通させる。
これに関連してこんなベンチャーがそうそうたる大企業の出資を受けて誕生している。

エリーパワー
http://eliiypower.co.jp/

ただ、この蓄電にかんしては、現状
燃料電池には白金、リチウムイオン電池にはリチウムという
レアメタルを使っていて、すでに奪い合いが起きているので
希少資源を使わないでつくる技術開発が必要。なんだけどねー。


そもそも貴重な電力を、貴重と意識しながら譲り合う社会に
スマートグリッドはぜひとも必要なのだ。







 

半東京。農ライフ vol18 めぐりゆく言葉たち

2009年11月20日 | お仕事日記
ちょっと前のBRUTUS「美しい言葉」特集、すばらしかったですね。
みなさん見ましたか?

著名人の辞世の言葉が特に秀逸だったんだけど、
中でもとある歌手の
「いっぱい恋もしたし、おいしいものも食べたし、歌も歌ったし、もういいわ」
ということばが最高にカッコよかった。
背景にある、めくるめく物語の存在を感じさせる言葉だ。

こういう言葉は、人の心の奥深くに届いて、
見失いがちな生きる意味や自分の存在の本質に光をあて、
生きる気力を覚醒させる。

ホクレアの内野加奈子ちゃんの
「先の見えない航海に旅立つときに必要なのは、
変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる心の静けさ、そして、そのふたつを見分ける知恵」という言葉もすばらしかった。

当然のことながら、言った人の生き様が見合ってなければ、
ことばはとたんに瑞々しさを失う。
そういう意味では、何を言うか、と同じだけ、何をするか、も大切だ。

また、誰かに何かの条件をのませようとか、説得しようとか、感動させようとか、知ってもらおうとか、そういう意図があることばは道具に過ぎない。
世の中にあふれる言葉のほとんどはこれで、その人の核のところから発せられた言葉とは、質的に異なる。

でも、普段の生活で、うまく人とコミュニケーションをとって
生きて行くのには、道具としての言葉を操ることのほうが効果が高かったりもする。
だから、一生のうちで、本当に心にささる言葉を受け取る機会は
そう多くはない。

今、この不確かな世の中で、そういう言葉が、求められている気がする。

半東京。農ライフ vol17 「知らない権利」と「知る義務」

2009年11月12日 | お仕事日記
TOKYOは世界一の大都市です。

どのくらい大きいかというと、
東京都区部を中心とする首都圏は世界で最も人口が多く、
経済規模はニューヨーク大都市圏をしのいで世界最大だそうです。
2008年 プライスウォーターハウスクーパーズの世界都市GDPランキングより

そんな場所に生まれて、まずはラッキー♪ありがとう。

この間行った、西麻布にある
"ソムリエのいるおでん隠れ家レストラン"では、
ほうぼうのお刺身や生湯葉、トマトのおでん、熊肉のローストに
舌鼓を打ちました。
あんなお店はまさに、巨大都市による洗練の顕現。
世界じゅうと日本じゅうから集めた食材と料理人の技術、
そのサービスに払われるお金があってこそ存在しているのです。
ありていにいえば、ひと・もの・かねが集積地ということですね。

ありがたいことです。

なんですが、ちょっと過密なのもまた事実です。
一番過密していると感じるのは、情報。

ただ歩いているだけでいやでも情報が入ってきます。
それも、渋谷でも代官山でも恵比寿でも六本木でも、
日本橋でも新宿でも東高円寺でも東京でも代々木でも
八重洲でも丸の内でもどこへ行ってもです。

情報とは何も紙に印刷された文字や映像だけではありません。
歩いている人、が着ている服、や持っているバッグから、
流れている音楽、ショーウィンドウにあふれかえるフォント、
レストランのメニューにある料理の名前、新名所の建築様式にいたるまで、
全部、脳に刺激を与える情報です。

そんな環境の中を、ひとびとはインターネットにアクセスできる
電子機器を携帯して歩き、リモートかつリアルタイムで誰かに情報を発信しています。

今や、遠い過去の初恋の人だってインターネットで探せてしまうし、
(実際探した。そしたらモデルになってて、輪をかけてかっこよくなってた!)
iPhoneを持ったら位置確認サービスでどこにいるかわかっちゃうから
うかうか恋遊びだってできません。

情報化社会。どこまで行くんでしょうね。
最近は「つぶやき」までデジタル情報化されてます。

便利で楽しい世の中だし、梅田望夫さんの著作にあるように、
社会の構造を、いい方に変えている側面も、多いにあると思います。

でも。
はっきり言います。
一人にしてほしい時だってあります。
なぜなら、人間だから。
一人、自分と向き合わなければ見えてこないものがあって、
それをちゃんと見ないで、まわりから与えられる、
時に暴力的に入り込んでくる情報だけに頼って
生きていると、知らず知らずのうちにバランスを崩します。
(あえて言い切ってみました。)
うつとか心の病が多いのは、それが原因だと思う。
(あえて・・・)

もちろん、向き合いたい願望はさまざまな現象に現れていて、
たとえば「癒し」とか「健康」っていう言葉に集約されているさまざまな
ブームなんかがそれだと思う。
ヨガ、サーフィン、田舎、農業、スピリチュアル、マクロビ、野菜料理、マラソン、
なんとかテラピー。

どれも突き詰めるとデジタル情報の対局に広がる、
自分を含む自然と向き合う世界です。
その世界では、
「おれ、20年サーフボード削ってます。名刺なんて持ったことありません」って
言いながら目がキラッキラ!みたいなおじさんが素敵なのです。

情報(刺激)と癒し。どちらにもお金を払い時間を割く。
これが現代東京人のバランスの取り方なのかもしれません。

それにね、プロサーファーだってマックユーザーだし
ヨギーだってtwittするだろうし、まあどっちがいいとか悪いとか
そういうことじゃないんだけど。

情報化社会では、世界が知れ!知れ!って大声でがなり立ててきて、
知らないとだめ、みたいな価値観が当たり前だったりするんだけど、
そこで「私そんなの知りません。」って言ってもいいんじゃないかと思うわけです。

知れば知るほど豊かになることだってあるし、
何を知るべきか、知りたいかは人それぞれ。
要するに、あふれかえる情報を「濾過」する必要があるってことです。
で、自分にぴったりの濾過装置をつくるためには、
自分と向き合う時間もやっぱり必要なのでは?って思います。

私の場合は東京にいるとそれがやりづらいので、
房総に住んで東京に通う、これが大正解。
今、私の半径100m以内には多分10人ぐらいしかいなくて、
静かさの音が聞こえるくらい静かです。幸せです。

これが、今日書きたかった「知らない権利」。
すでに長いんですけど、もう少し続けます。

一方で、今、この世界に、生を受けた人間として、
知らなきゃいけないこともあると思うのです。
「知る義務」です。
それは、生きていくためには、何が必要で、
それらはどこからやってくるのか、ということ。

なぜなら、今、ただ生きているだけなのに、
どうやらそれが生きるために必要なものすべてを与えてくれる
地球の生態系を破壊することにつながっていて、
「緩慢な自殺」をしている状態だということが、わかってきたからです。


人間が生きていくのに必要なのは、エネルギーです。
エネルギーは衣食住のすべてです。

人類があらわれる前から勝手に上手にそこらじゅうにあったものを、
人間が使えるように変化させるというハタラキのすべてがエネルギー。
たとえば食べるというのは、
太陽エネルギーを光合成によって体内に採り込んだ植物を介して、
エネルギーを取り入れる行為です。

だから、私はエネルギーのことを勉強し始めました。
(こう書くと、「私はえらい」みたいなニュアンスになっちゃうのがいやなんですけどー。どう書けばそうならないのかな?誰か教えてください)

すると、今のエネルギー供給構造は、中央集権型で、
一部の利権をもつ存在が、私たちが生きていくのになくてはならない
エネルギーの根っこのところを「いつでも締められるんだよ!?」という顔をして
ゆる~く、しかし確実に、握っていることがわかりました。

(ちなみにここからは、衣食住のすべてと書いた広義のエネルギーではなく、
電気とかガスとかの狭義のエネルギーの話になります。)

具体的に言うと、国際石油資本というものが存在しています。
原油の採掘から精製、その後の石油製品の販売までを一貫して行っている石油会社です。
現在スーパーメジャーと言われているのは6社。
エクソン・モービル、
シェブロン、
BP(British Petro)、
ロイヤル・ダッチ・シェル、
トタル、
コノコフィリップスです。
トタルを除く(ユーロの情報しかないから除く)
5社の売上高の合計はざっと1兆7108億(2007年~2008年)


ドル。乱暴に1ドル100円で計算すると、
171兆800億円。です。書くために調べてびっくり。ひょえー!
日本の国家予算は一般会計と特別会計を合わせると214兆円、、、
なので、匹敵するというと言い過ぎですが、にしてもすごい金額ですね。

今使われている石油や、天然ガスなどの化石燃料は、
限られた地域にしかないため奪い合いの原因になります。
その上、地球に穴をあけるわけなので開発に莫大なコストがかかり、
上に挙げたような一部の巨大企業や国家にしか取り扱うことが許されず、
権利の一極集中を生んでいます。
われわれも、
電気をパチンとつけたり、サーフボードをクルマに積んで海に出かけたり、
その後であたたかいシャワーを浴びたり、
コンロをひねってフライパンをあたためるたびに、
そういう独占企業にせっせと利益を提供しているのです。
さらに、そうやって提供された莫大な利益を、
彼らは金融市場で駆使するので、大株主として一見エネルギーと
関係のない事業会社の頸動脈にも君臨しています。
せっせと働いて株主に利益を提供し、
もらったお給料でせっせと電気代やガス代を払っていたら、
なんと行きつく先は同じだった!みたいな状態です。
くっそー。

また、
彼らの存在と働きは国家のエネルギー戦略と直結しているので、
彼らが必要なときには、
軍隊や国家予算が使われます。軍隊や国家予算の原資は、
私たちや、私たちが勤める企業が払う税金です。

なんかいやになってきませんか?

もし、世界じゅうどこにでもあって、
ごく簡単な装置で、
電気や熱などのすぐに使えるかたちのエネルギーに変えられて、
燃やしてもCO2を出さないエネルギー源があったら。

化石燃料を燃やすことで地球が温暖化している問題も、
石油をめぐる争いでたくさんの命が犠牲になっている現実も、
ホワイトバンドが「ほっとけない」と言ってみんなが賛同した
「世界の貧しさ」もかなりの部分が解決に向かいます。

日本では、雇用を生み出すための土木系自然破壊が過去のものになり、
地域ごとに風土に適した再生可能エネルギーを運営する
新たな産業がうまれます。
すると、「地元には仕事がない」と言って
しかたなく東京でバカ高い家賃を払って働いている人を、
生まれ故郷に帰す事ができるかもしれません。
雇用が雇用を生み、Iターンだってずっとしやすくなるでしょう。
人が戻れば地域は生き返り、魅力を増せば、
本来、固有の生活文化や食文化の宝庫である日本を旅することが、
きっともっと楽しくなります。
ガソリンの値段に一喜一憂しなくてすむので
旅行産業はよみがえります。
家計も楽になるし、お休みだって増えて大好きなサーフィンに
もっと行けるようになるかもしれません。

そんなエネルギー源が本当にあるの?って思うんだけど、
あるみたいなので、あるじゃないか!こうすればそんな社会が実現する!
ということを、自分もふくめ、誰もが納得するかたちで
発信できるように、なりたいと思っています。

R水素ネットワーク エディトリアル・ディレクター
浅倉彩でした。


みんなもっと、エネルギーに興味を持とうよ~!
面白いよ!