地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

ハワイイ滞在記vol.7 モクレイアの冒険

2010年02月22日 | お仕事日記
その日私は、元気がなかった。旅の最後の数日を過ごすことにしたサーフィンの聖地ノースショアに着いて3日目。
なんのことはない。多分、さびしかったのだと思う。

楽園でロングバケーションを楽しんでいても、さびしさが心を湿らせる日はある。どこにいて何をしていても、私たちは孤独のくびきからは逃れられないのだと、私は思う。それはむしろ、人間のありようとして健全なことなのだ。

ハワイイの旅の最後の滞在地をノースショアに決めたのは、ワイキキが都会すぎたからだ。そして、サンセットビーチの目の前に素敵な新築のコテージがあったから。それからもう一つ、最大で最高の理由が、秘密だけどちゃんとあった。

前の日の夕暮れ時に、秘密の理由が、もしかしたら意味をなさなくなるかもしれないと思うようなできごとがあった。そのことは私にとって、ただ残念なだけではなく、進めば進むほど自信を失っていく思考の闇に、私を迷い込ませた。


とにかく、その日私は、ボディボードの大会が行われていたパイプラインの、選手と観客が行き交うビーチで、あてもなく座り込んでいた。みんな誰かといて、私だけが1人だった。サンセットビーチのあるラインナップの波は大きくて危険でとてもじゃないけれど1人で入る気にはなれない。いる場所全体に対して疎外感を感じていた。そういうときは,観念して家で本でも読んでいればいいのに、というような状態。

そんなとき、1人のあやしいおじさんが声をかけてきた。

1時間後、私はモクレイアの海で、この旅最高の、人生でも3本の指に入る波をバックサイドで一気に滑り降り、抱えていたさびしさや憂鬱や疎外感から一瞬で解き放たれた。その反動は心の器を激しく揺らし、こぼれた水が涙となって溢れ出た。海の上で号泣したのは、ウィンドサーフィンの4年生のインカレで、最後のレースのフィニッシュラインを切った時以来だ。テイクオフした瞬間に目の前に用意された真新しい大きな斜面を無我夢中で滑り降りる。長さにすれば、ほんの数秒の世界。しかし、それほどまでに甘美で濃密な時を、私は知らない。波は、その時一度限りにやってきて、つかの間ブレイクとなってひとりの小さな小さなサーファーを乗せ、あっという間に崩れて無に帰る。必ず、一度きり。同じ波は二度と来ないのだ。

その波を待つ。選ぶ。リスクを冒して挑む。そして一つになる。太陽と月の引力や風、地形がつくり出す宇宙の創造物の一部になる。そのことが、どうしてこんなにうれしいのか。理由はいらない。ただそこに、こころが発酵して沸き返るような喜びや、命の輝きがあるだけだ。

あのおじさんは、私をあの波に乗せるために、そして、サーフィンのすばらしさを骨の髄までしみ込ませるために、神様が遣わしてくれた使者だったんだと思う。ハワイ語で「ヘエナル」と呼ばれるサーフィンは、自然に宿る霊的な力「マナ」を信じて民を治めた王族たちの、高貴な遊びだった。だから、やっぱり、ただのスポーツではない。少なくとも私にとっては、本当に大切なことだということがわかった。

おじさんの「ノースショアのラインナップがオンショアでダメなときは、モクレイアがいいんだよ」という言葉をたよりに、前の日にfoodlandで買ったサーフポイントマップを見ながら車を走らせ、初めてのポイントに1人で入水する事は、とても冒険だった。その冒険ができたのは、私がこれまで数えきれないほどたくさん、波にまかれて浮上を待ったり、強烈なカレントに逆らってパドルをしたり、ただ海に浮かんだりしてきたからだ。海の動きに対する勘。その顕現としての、1本だった。

興奮冷めやらぬまま車に戻ると、私を憂鬱にしていた最大で最高の理由が、ちゃんと意味を持ちそうな兆候が姿を見せていた。ワオ!ほらね!海の神様ありがとう。自分が自分にグラウンドしてぶれない軸で過ごしていると、ものごとは、思いどおりに進むのだ。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。