地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

かつてのわたしのような、変わり者の女の子のために。

2018年04月08日 | 自分日記

わたしは、カッコいい女性になりたかった。

凛としている。
賢い。
自分の考えを持ち、はっきりとそれを言う。
潔い。
自分の仕事を持っている。

「お母さんになりたい」と思ったことは、ない。
そして「誰かの妻になりたい」と思ったことも、ない。

将来の夢は?
作家。

お嫁さん、だなんて、絶対に一度も言ったことがないことを、神に誓ってここに断言する。

ただし、
世間では結婚して妻になって子供を産むが当たり前で、
だから、結婚して妻になって子供を産みたいと思うのが当たり前で、
当たり前のことを人と同じように願って実現しないと「できない」と劣等のレッテルを貼られる、
そのことを怖いと思い始めるまでは。

わたしにとっては、
「結婚して妻になって子供を産むのが幸せである」という世間一般の幸せモデルが、
いつのまにインプットされ自明のものになるのか、未だに謎である。

まわりがざわつき始めたのは、26歳ぐらいのときだった。
19歳の時にできた彼とポケッとそのまま付き合っていたわたしに
「彩は``くんと結婚の話とかしないの?」みたいな質問が飛んでくるようになった。

「結婚って大人がするものでしょ」「結婚?なにそれ、美味しいの?」「えーわたしたちまだまだ小娘じゃん」
などと言うわたしに、皆は「いいよね、安定した彼氏がいる人は。そんな感じでそのまま結婚したら、あっぱれだわ」
みたいな反応を示した。
そう、すでにまわりでは、妻という男一人につきひとつしかない席をめぐる、「いい男の妻の座争奪戦」が
始まっていたのだ。

ここでいういい男とは、言わずもがな高学歴高収入高身長、優良企業に勤めていて育ちがよく浮気をしないなどのスペック面で
優れているという意味だ。
今思えば、われわれは超氷河期世代にあたるので、上記の定義上のいい男の総量は少なく、
そこに加えてイケメンだったりスポーツマンだったりするとほとんど絶滅危惧種だった。
そして彼らは、30歳を迎える前にあっというまに絶滅し、既婚者族という鬼籍に雪崩れこんでいった。

今思えば、わたしが私が思うカッコいい女性になることとは、まったく関係のないことだった。

打って出る必要のない、戦いだった。
ただ、若くて血気盛んな若者だったわたしは、「これはこれで味わっておこう」という気分で、
スペック面から見たいい男争奪戦に片足をつっこんだりもしてみた。

戦場では、悲惨な現実を見た。
そこで求められていたのは、男にとって都合のいい女像だった。
モテるために、モテてプライドを満たすために、競争に勝つために、仮面をかぶる女たち。
戦場では、「男ウケ」が正義。いかに上手に仮面をかぶれるかが勝負。
そしてその男ウケとは、それまで頑張ってきた勉強や、今頑張っている仕事とは別物。
「できる」ようになろうと頑張ってもだめで、「俺が守ってやるから、俺の思い通りかわいくおとなしくしてろ」という
男のヒーローイズムにいかにうまく付き合うかがすべて。
はっきり言って、付き合ってられない。

経済的にも精神的にも自立していて、
「ねーねー 仕事とわたしとどっちが大事なの?」なんて口が裂けても言わず、
「わがまま言ってんじゃねーよ(ったくこいつは俺がいないとだめなんだよな♡)」
とか言わせてあげることができない。

それを世の中では「可愛げがない」と言う。

さて、「いい男」とここまで書いてきたが、ここで改めてその定義を整理したい。
身長と浮気の有無はさておき、高学歴高収入、優良企業に勤めていて育ちが良いいというのは、
既存のシステム上の勝ち組になることを目指し、それをなし得たステレオタイプということだ。

ステレオタイプは、当然のことながら女性に求める要求もステレオタイプ。

三歩下がって男を立て、家を整えて待つ内助の功。

それを求める男と、それがしたい女がマッチングして鬼籍に入っていく、それが婚活市場だった。
そこに、わたしの居場所はなかった。それも、片足突っ込んでるだけ腰掛けの(笑)

今振り返れば、ただそれだけのことだ。

でも、時が経っても経っても独身のままでいるうちに、
わたしはいつしか、その競争に乗っかれなかった自分を
責めるようになってしまっていた。

私はただ、小さい頃から変わらずに、優しいお母さんでも、可愛い妻でもなく、
カッコいい女性になりたかっただけなのに。

私に私自身を責めさせた、世間のレッテルには苦情を言いたい。
でもそれ以上に、そんなものに影響されて、自分を責めてきた自分を、とても悔しく思う。

でも、人間は弱い。
嫌われるのも、劣等感を植えつけられるのも、辛いし怖い。

だからこそ、わたしは後の時代を歩く、わたしのような変わり者の女の子のために、
これからも日本社会で生きて行くつもりのわたし自身のためにも、やはり言わなければならない。

「幸せのかたちは人それぞれ」

という、あまりにも当たり前のことを。