地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

直感と行動は、コモディティ化への嗅覚。

2018年06月23日 | 自分日記
家賃月2万円×5箇所ぐらいの、メインのない多拠点生活が別にめずらしくない世の中になるよ。ていうかなってほしい。東京沖縄の二拠点時代、「メインはどっち?」という質問に何度困ったことか。
数少ない自慢として、そろそろわかってきたこととして、直感と行動でやることなすことを選んできたわたしがしていることは、その都度、少し後にコモディティ化する。
自分の文脈で「農だな」と思っていすみに移住した直後に、BRUTUSが「みんなの農業」という特集をした。
誰も見向きもしない再エネに夢中になっていた数年後、FITが導入されてブームになり、再エネ仕事で稼いだ。
沖縄に移住して、ご縁に導かれるままに地域性の強い小粒な仕事を積んでいたら、数年後に「地方創生」がバズってまた仕事になった。etc.
もちろんすべて、私の前をいくイノベーターがいる。わたしはその人たちが用意してくれたまだ細い道を目ざとく見つけて乗っからせてもらってるだけ。アーリーアダプターのちょっとはやめのほう、という感覚。ただし、儲けを優先したことはない。「それ儲かるんですか?」ってすぐ言う人は、はっきり言って、わたしより目ざとくない。
その時は儲からないんだけど、少し後にコモディティ化するんですよ。これから必然的に、フリーランスも増えるしね。フリーランスの増加は多拠点の増加を誘引するはず。
話は変わって、メインのない多拠点てことになると、税金をどこに払うか問題が発生する。人口減少が問題なのって、税収が足りなくなるから問題になってる側面が大きいけど、そもそも多拠点生活がコモディティ化したら、地方税の払い先は自由に決めさせてほしいし、そうなると、人口を増やして税収確保とかよりも、いかに「ここに税金払いたい」と思える地域になるかが重要になる。多拠点生活者に優しい住宅制度があるとか。ふるさと納税なんていう、通販を介したまわりくどいやり方ではなく、もっと直接的に、税金の払い先、分割もありで、決められたらいいな。ちなみにわたしは、今のところ住んでないけど、海女文化がツボなので鳥羽市に地方税払いたい。

かつてのわたしのような、変わり者の女の子のために。

2018年04月08日 | 自分日記

わたしは、カッコいい女性になりたかった。

凛としている。
賢い。
自分の考えを持ち、はっきりとそれを言う。
潔い。
自分の仕事を持っている。

「お母さんになりたい」と思ったことは、ない。
そして「誰かの妻になりたい」と思ったことも、ない。

将来の夢は?
作家。

お嫁さん、だなんて、絶対に一度も言ったことがないことを、神に誓ってここに断言する。

ただし、
世間では結婚して妻になって子供を産むが当たり前で、
だから、結婚して妻になって子供を産みたいと思うのが当たり前で、
当たり前のことを人と同じように願って実現しないと「できない」と劣等のレッテルを貼られる、
そのことを怖いと思い始めるまでは。

わたしにとっては、
「結婚して妻になって子供を産むのが幸せである」という世間一般の幸せモデルが、
いつのまにインプットされ自明のものになるのか、未だに謎である。

まわりがざわつき始めたのは、26歳ぐらいのときだった。
19歳の時にできた彼とポケッとそのまま付き合っていたわたしに
「彩は``くんと結婚の話とかしないの?」みたいな質問が飛んでくるようになった。

「結婚って大人がするものでしょ」「結婚?なにそれ、美味しいの?」「えーわたしたちまだまだ小娘じゃん」
などと言うわたしに、皆は「いいよね、安定した彼氏がいる人は。そんな感じでそのまま結婚したら、あっぱれだわ」
みたいな反応を示した。
そう、すでにまわりでは、妻という男一人につきひとつしかない席をめぐる、「いい男の妻の座争奪戦」が
始まっていたのだ。

ここでいういい男とは、言わずもがな高学歴高収入高身長、優良企業に勤めていて育ちがよく浮気をしないなどのスペック面で
優れているという意味だ。
今思えば、われわれは超氷河期世代にあたるので、上記の定義上のいい男の総量は少なく、
そこに加えてイケメンだったりスポーツマンだったりするとほとんど絶滅危惧種だった。
そして彼らは、30歳を迎える前にあっというまに絶滅し、既婚者族という鬼籍に雪崩れこんでいった。

今思えば、わたしが私が思うカッコいい女性になることとは、まったく関係のないことだった。

打って出る必要のない、戦いだった。
ただ、若くて血気盛んな若者だったわたしは、「これはこれで味わっておこう」という気分で、
スペック面から見たいい男争奪戦に片足をつっこんだりもしてみた。

戦場では、悲惨な現実を見た。
そこで求められていたのは、男にとって都合のいい女像だった。
モテるために、モテてプライドを満たすために、競争に勝つために、仮面をかぶる女たち。
戦場では、「男ウケ」が正義。いかに上手に仮面をかぶれるかが勝負。
そしてその男ウケとは、それまで頑張ってきた勉強や、今頑張っている仕事とは別物。
「できる」ようになろうと頑張ってもだめで、「俺が守ってやるから、俺の思い通りかわいくおとなしくしてろ」という
男のヒーローイズムにいかにうまく付き合うかがすべて。
はっきり言って、付き合ってられない。

経済的にも精神的にも自立していて、
「ねーねー 仕事とわたしとどっちが大事なの?」なんて口が裂けても言わず、
「わがまま言ってんじゃねーよ(ったくこいつは俺がいないとだめなんだよな♡)」
とか言わせてあげることができない。

それを世の中では「可愛げがない」と言う。

さて、「いい男」とここまで書いてきたが、ここで改めてその定義を整理したい。
身長と浮気の有無はさておき、高学歴高収入、優良企業に勤めていて育ちが良いいというのは、
既存のシステム上の勝ち組になることを目指し、それをなし得たステレオタイプということだ。

ステレオタイプは、当然のことながら女性に求める要求もステレオタイプ。

三歩下がって男を立て、家を整えて待つ内助の功。

それを求める男と、それがしたい女がマッチングして鬼籍に入っていく、それが婚活市場だった。
そこに、わたしの居場所はなかった。それも、片足突っ込んでるだけ腰掛けの(笑)

今振り返れば、ただそれだけのことだ。

でも、時が経っても経っても独身のままでいるうちに、
わたしはいつしか、その競争に乗っかれなかった自分を
責めるようになってしまっていた。

私はただ、小さい頃から変わらずに、優しいお母さんでも、可愛い妻でもなく、
カッコいい女性になりたかっただけなのに。

私に私自身を責めさせた、世間のレッテルには苦情を言いたい。
でもそれ以上に、そんなものに影響されて、自分を責めてきた自分を、とても悔しく思う。

でも、人間は弱い。
嫌われるのも、劣等感を植えつけられるのも、辛いし怖い。

だからこそ、わたしは後の時代を歩く、わたしのような変わり者の女の子のために、
これからも日本社会で生きて行くつもりのわたし自身のためにも、やはり言わなければならない。

「幸せのかたちは人それぞれ」

という、あまりにも当たり前のことを。

求めない。

2017年06月09日 | 自分日記
求めないこと。

人に。
男に。
仕事に。
家族に。
お金に。
ものに。
暮らしに。
土地に。
占いに。
食べ物に。
体に。
親に。
子どもに。
自分自身に。
情報に。
書物に。
時間に。
今日に。

それは、
バランスよく、意識を向けること。

すべてのものごとは、協力しあって
わたしを支えてくれている。
その絶妙なバランスを、自ら壊そうとしないこと。

なにかに執拗に意識を向けても、
バランスが崩れるだけなのです。

今、なにかがないと思ったら、
それは、別のものがあるということ。
なにかに働きかけることができなくても、
別のなにかには、働きかけることができる。

それをようく観察して、
上手に見つけて、働きかけることが、
唯一、「わたし」ができること。

できる、といっても、求めすぎない。
自分にね。

品について。

2015年09月03日 | 自分日記
先日、友人と話していたら彼女が言った。

「品って、つくろうとしてつくれるもんじゃないよね!どうやって出ているのか、この世の謎。」

そのときは、「ほう」と思った。

品、とは恐ろしいもので、品がある人はたとえ女性をエロモード全開で口説いたり、はたまた巨悪を働いても、コンビニでレジ打ちをしていても品がある。逆に、品がない人は高級ホテルのロビーでコーヒーを飲んでいても品がないのだ。しかも、品は国境を超える。外国人であっても、その人に品があるかないかはわかってしまう。そういう意味では、世界共通言語といってもいい。

だけれども、年齢や性別や居住地や配偶者の有無や母国語のように、はっきりとした定義があるわけではない。

そういう意味では「謎」に違いないのだが、つくろうとしてつくれるもんじゃない、わけではないことにあとからよくよく考えて気づいた。
偏見かもしれないが、私が歩いてきた道の途中で出会った人たちだけをサンプルにするのなら、
偏差値の高い大学の人のほうが、偏差値が低い大学の人よりも品がある。
都会出身の人のほうが、田舎出身の人よりも品がある。
(もちろん、例外だらけだ。が、私が生きてきて関わった中で明確に「品がないな」と思った人は、学歴が低いか地方出身かのどちらかだ。)

この相関関係が正しいと仮定すれば、実は品というものは人為的につくることができる。
要するに、子どもを東京や神戸や京都で育てて偏差値の高い学校に入れれば品のある人になるわけだ。

これって、はっきり言語化しても誰も幸せにならないから誰も言わないだけで、知っている人は知っていて、日々うっすらと、「品の有無」というモノサシで人を測っていたりするんじゃないかと思う。そして、そういう「言語化されることのない共通認識・集団意識」が、個人同士の関係性を隔てる「ガラスの壁」になっているのではないかと思う。

私はそういう、世の中に蔓延する「断絶の種」を全部言語化して、意識の対象化してやりたいというハタ迷惑な願望で、このエントリーを書いている。言語化して意識の対象化することで、バカバカしさに気づいたり、上手に付き合えるようになって、ラクになることがあるから。

ときに、品があるのはいいことなのか、というとまったくそうではない。

先ほどの友達とは別の友達があるとき言った。彼女は使命感に燃えるジャーナリストで、とある原子力発電所が事故を起こした後の、とある電力会社のトップに君臨していた人物を撮影した後のことだった。

「なんか妙な品があるのよ。それで被災地域の人たちもみんな気圧されちゃってて。」

彼女は、「実に感じ入った」という様子で目を丸くしてそう言った。

恐ろしいことだ、と思った。その人物に品があるせいで、正当な批判がなされ、彼が反省し進化する機会が奪われたのだから。

品の有無は、個人を特徴づける要素として厳然と存在する。がしかし、その有無が個人の価値を決めるわけではない。
有無を判断してもいいが、それによって相手との付き合い方を限定するとなれば、それは世の中の損失なのだと思う。

航海日誌8 人生は振り子のように

2013年09月13日 | 自分日記
人生は振り子のようだと思います。

直感的に気になり出した環境問題の深堀りから、
アンチ資本主義にふれた頃がありました。

原発事故に怒り恐れおののいて沖縄にきて3年目。
今は、なんというか、いたって「普通」の感覚に振れ戻ってきたと自覚してます。
何の感覚って、お金に対しての感覚が、です。

まず、お金はやっぱりあればあるだけいいよね、という、あたり前の事実。
なぜって、80,000円のテーブルが、欲しいときがあるから。

もうこれ超具体的なんだけど、今コレが欲しい笑↓
http://www.switch-works.com/product/table/?mode=detail&item_id=35

お金があることの弊害って、ないんじゃないかと思います。
弊害が出るのは、お金のために他のもっと大事な何かを犠牲にするから。
お金が相当いろんなモノゴトに交換できる便利なものだからって、
お金「さえ」あればいいわけがない、というだけの話であって、
お金はあるに越したことないわよ、やっぱり。

ていうかむしろ、
お金、大好き!超便利!いろんな楽しいことを連れて来てくれるから。

なんか最近、

お金よりも大事なものがある!それは命だ!っていうことを、
わざわざ声を上げて言わなきゃいけない世の中で、
わざわざ声を上げて言うことを選んでいる人たちの間で、

「でもやっぱりお金も大事だよね」っていう話になることが多い気がして。

そんな流れの中に、いる。
いつも、絶え間なく、流れていく流れの中の、一瞬だけがここにある。

要はバランスなんだけど、そのバランスを取るのがこれ。。。むずかしい、よ。


以下、最近のfacebookのニュースフィードからのいただきもの2つ。です。

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「人が取るべき責任ある行動はただひとつ。自分が心からしたいことをすることである。それが人生で最も責任ある行動であり、その人が負う最高の責任である」マイク・マクマナス

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ただ自分のやりたいことやって何も考えず好き勝手遊んでるだけだと
その裏でこっそりと汚ねぇことを進める大人がいることに気付いたのはいつのことだろう?
それに気付いた時は信じられなくて怒りや悲しみに囚われ、とにかく否定的な発言を繰り返していた。
でもある時気付いたんだ。
それじゃ誰も聞いてくれないし、むしろ、そこから離れていってしまうと。
自分がAlternativeworldという名義を使い始めたのは自分の納得のいかない世界があったとして
ただそれを否定するだけではなく、自分が望む今より素晴らしいもう一つ世界を提案したいという思いからだった。

「秘密保全法」というものが今秋にも国会に提出されようとしている。
権力者に都合がよく、国民の言論の自由を奪うような法案が平気で決まりそうなのが今の日本なんだと思う。
興味を持った方は是非自分で調べてみて欲しい。
最近は日本が戦争に駆り立てられてた頃のことをよく考える。

「金」と「嘘」を使えば「夢」は手に入る。
そうは思って欲しくないね。
特に、子どもたちには。
これは自分の言葉ではないけれど本当にそう思う。

世界の前で俺でも分かる様な嘘を平気でついた安倍首相。
あの発言を俺は忘れない。

そして、土地を汚された農家の
海を汚された漁師たちの
愛する故郷を汚され移住を余儀なくされた人達の
その怒りや悲しみを俺は忘れない。

怒りや悲しみをそのまま吐き出すのではなく、より良い未来を創る為のポジティブな力に変換したい。
Alternativeworldはこれからも自分の目の前に広がるこの愚かで素晴らしい世界を記録していきます。

今起こっている問題を解決できるのは
過去の偉人でもなく
進化した未来の人たちでもなく
今というこの瞬間を生きている私たちだけなんだ。

NO SPECTATOR
NOW IS OUR TIME

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いのちについて。

2013年03月11日 | 自分日記
昨日、玄牝(げんぴん)という自主上映映画を見ました。

沖縄 西原でベジ&ローカフェ ioncaを営む友人からのお誘いで、
「なんか、お産の映画らしい」という程度の前知識で見ました。

内容は、名古屋にあるとある助産院に集う妊婦さん、助産師さん、産科のお医者さん
ひとりひとりに訪れた、お産をめぐるドラマです。

そこは、妊婦さんに薪割りをさせたり、スクワットをさせる
風変わりな助産院で、「自然なお産」を望む妊婦さんが集まっているそうです。

映画の冒頭から、「自然なお産」「自然に生みたい」といった言葉が何度も出てきます。

帝王切開 ぐらいは知っていたけれど、
陣痛促進剤、吸引、鉗子で引っぱる、などなど、「不自然なお産が存在すること」を
ほとんど知らなかった私は、まずそのことにショックを受けました。

そして、不自然なお産が存在することと背中合わせにある
お産のたいへんさに、映画全編を通して感じ入りました。

産科の医師なのに「死ぬ命もある」と言い切る院長。
流産してしまった妊婦さん。
1人目、2人目を病院で出産し、3人目は自然のお産で、と望む妊婦さん。

ほかにも、たくさんの妊婦さんが、それぞれのドラマを抱え、
そのことを言葉にしてシェアしながら胎内のわが子を育んでいました。

たんたんと、妊婦さんたちや助産院で繰り広げられる風景が映し出されるだけの映画です。
それなのに、内側が、なにかとてつもなく、かき立てられ?かき乱され?ました。
アドベンチャー映画やサスベンス映画にかき乱されるのとは別の次元です。

いつだって、「命はすばらしい」「命は奇跡だ」と、思えるし言えるのですが、
そのことの奥深さやなまなましさに、がっつり向き合わせてもらいました。

昨日は、上映の後に一緒に見た人とシェア会をしました。

これがまたすごかった。

これから生みたい、暮らしすべてが生む準備を整える方向に向かっている気がする、という女性。
5人生んだけど生むたびに恐怖が増した、という女性。
3人目を流産しかけたけど、「私の子どもが死ぬわけない」と信じて乗り切ったという女性。
生むような気がしない。それが私にとっての自然、という女性。
つい最近、おめでたしてることがわかった、という女性。

映画が呼び水となって、ひとりひとりに眠っていた本質みたいな部分が
するするとおもてに出てきたような時間でした。
みんなそれぞれだけど、生んでも生まなくてもまだでもいつかでも今にもでも、
誰もがひとしく、女性から生まれてきたということをシェアすることで、
深いところにあるつながりを再確認できた時間でした。

感動で涙なしには見られない・・・・・わけでは、私の場合なかったけど、
なんかそういう、表層の感情をかき立てられて波打って涙が出ちゃう、というのではない、
深いところに届く映画でした。

4月20日、沖縄の、キリスト教短期大学にて上映会があります。
みなさま、ぜひ足を運んでみてください。誰にオススメとか、ない。
生きてる人すべてにオススメです。
私ももう一度、何度でも、見に行きたいです。

『玄牝(げんぴん)』オフィシャルサイト
http://genpin.net/index.html

『玄牝(げんぴん)』上映会:4月20日(土)13:00~16:30 キリスト教短期大学にて 1000円 Pあり
キリスト教短期大学での上映会では、一般上映と同時に別室でのお子さま連れの方の為の上映もご用意しています。

旅のとちゅう

2013年02月04日 | 自分日記
もうすぐ旧正月。
2012年を、駆け足で振り返ってみます。
起きたこと 行った場所 見たもの。

相変わらず、くそまじめで、肩に力が入りまくってて、
精神的に虚弱ですぐ疲れてしまう私なりに、
日々いろいろなことを積み重ねてこられたことを
関わってくれたすべての人々に感謝して。

・ナルコテックス始動
・久高島とのご縁を深める シマリタ創刊
・全体のこと〈Whole Holly Heal〉リベラルアーツへの発心
・経済産業省 サカスフォーラム
・NEDOに応募
・口永良部島未来地図 創刊
・カンタ!ティモール
・ヤマタイカ
・故宮博物院
・かごしま新エネルギービジョン
・NHKスペシャル「宇宙の渚」
・衆院選敗北の予知 それでも動くということ
・いくつかの公共事業に参加
・R水素の活動から距離を置く
・埼玉福興 オリーブの木100万本プロジェクトを知る
・台湾にR水素出張

そして、
2012年が始まるときにこのブログに書いた
「言葉の力で人を元気にしたい」という志が、
ある意味で実現したfacebook上でのできごとがありました。



3846人もの人がシェアボタンを押してくれたことは、私にとっては驚きのうれしいできごとでした。
それぞれの方がどんな気持ちでシェアをしてくださったのか、
はたして元気になったのかは、わかりませんが。

とはいいながら、すでにこれを書いたときとは別の人になっている今の私は、
なんだか偉そうだなあ、とため息をついたりもしていて。

こんな大それた訓戒をたれているヒマがあったら、
ちゃんと自分を幸せにしなさい、というのが今の正直な気持ちです(笑)

3.11からずっと、「なぜこんなことに」がずーーーっと頭の真ん中にあって、
自分を責め続けて、焦って、落ち着かない状態が続いてきたのだと、最近になって気がつきました。

なぜ沖縄にいるのかも、よくわからない状態で、
投げ込まれたボールを、投げ込んでもらえたことがうれしくて、
無我夢中で打ち返しているうちに、2年近くが経とうとしています。

そうしたら、とっても疲れちゃったので、今年はぐっとペースを落として、
ゆっくり楽しく、自分を大切にして生きてみようと思います。
世間様に評価される自分だけじゃなくて、私だけの本当の私を大切にすることを。

好きなものは好き
きらいなものはきらい
近くにいたい人やことへ近づく
近くにいたくない人やことから遠ざかる

ちゃんと選んでいこう、と思います。

世間様からの評価がもくろめない中で、
自分のやりたいことを選んでいくことは、
とても勇気のいることです。

でも、それをやってみたときに初めて見えてくる
内側から輝く何かがあるのだと思います。

おぼろげな未来からの光に導かれていきます。

大好きなYUKIの曲
**プリズム**


花咲く丘まで 口笛吹いてこう
いじわるな人が とやかく言うけれど
私はどこかで間違えたかしら?
今はわからない。
答えは空の上。

はじめまして。浅倉彩です。

2012年10月19日 | 自分日記
なんだか突然、自己紹介をしたくなりました。w


15歳頃 吉本ばななや村上春樹を読んで、モノカキになりたいという夢を持ちました。

18歳 大学入学とともにウィンドサーフィンに出会い、海と旅の日々が始まりました。

18歳~22歳 学連レーサーとして勝ち負けを競った4年の間にかけがえのない心友に出会いました。

22歳 平成不況の荒波をもろにかぶり、大いに迷いながら、幼い頃から誰かによって描かれていたシナリオどおり、東京で就社して働く道を選びました。

22歳~27歳 会社員として働く多忙でストレスフルな日々の合間を縫って、ヒマさえあればまだ見ぬ波を求めて世界中を飛び回りました。ハワイ、バハカリフォルニア(メキシコ)、バリ、オーストラリア、台湾、海南島(中国)、種子島、奄美大島、八丈島、新島、宮崎・・・訪れた各地で、二度と来ない波に出会いました。

海で過ごす時間と、東京のコンクリートジャングルで過ごす時間の遥かなるギャップを骨身に沁みて体感しながら、人と自然のかかわり、幸福とは何か、自由に生きるとはどういうことかを考え続けていました。

27歳 人と自然のかかわり方から、環境問題をはじめとするあらゆる社会問題を解決しようと思い至りましたが、勤めていた会社ではそれができないと思われたので、退職しました。
そして、人と自然のかかわりの原点である農と食から、本来あるべき人間の姿や暮らしを追求しようと、パーマカルチャー農園を回るWWOOFの旅に出ました。旅を通して多くの百姓やヒッピーや旅人と出会い、世界観や価値観がお金と競争寄りから自由と土と命寄りへと変化していきました。

28歳 空白の1年間。

29歳 フリーランスエディター・ライター デビュー。房総半島にある小さなエコビレッジで暮らし、田んぼと畑のある暮らしとマクロビオティックの洗礼を受けました。また、仕事のひとつとして R水素エネルギーに出会い、自分なりに「あらゆる問題の本質はエネルギーにある」ことを発見。電化学テクノロジーの可能性にも目覚めました。そして、自然に寄り添う暮らしの中で、目に見えない大きな流れや宇宙の摂理の存在を感じながら生きることを覚えました。

30歳 ライターの仕事として、ピースボート第70回クルーズに乗船。北半球を一周する80日間の船旅を経験しました。

31歳 東日本大震災が起きて原発が爆発しました。たまたま手の中にあった沖縄行きのチケットを頼りに沖縄へ一時避難し、そのまま移住しました。

32歳(現在地)ご縁とタイミングで組み上がってくる人生の波に乗って、毎日生きています。

【大切なもの】
 地球に生きている奇跡 
 奇跡を奇跡と感じられる感性 
 そうと教えてくれる森羅万象と
 今まで出会った人
 これから出会う人すべて

【好きなこと】 女性として働くこと ハワイイで過ごすこと 誰かの話をじっくり聞くこと 誰かと喜怒哀楽を共有すること ぼーっとすること 遠くへ行くこと 未来をイメージすること 食べること 食べさせてもらうこと 野外で過ごすこと 勉強すること 友と語ること 言葉を紡ぐこと 波に乗ること 飲み歩くこと おちゃをすること 温泉につかること かまどでごはんを炊くこと 国の省庁Webサイトを見ること 好きな人のことを考えること 子どもを観察すること メディアの企画を考えること 歌うこと 踊ること 花の名前を覚えること 洗濯機の中でぐるぐる回る洗濯物を眺めること

【好きな人】クセがあってストレートな人 野性的で知的な人 自由で責任感が強い人 まじめに自分を生きている人 明るくて優しい人 海な人 ヒゲでくるりん睫毛で垂れ目で目尻に笑いじわな人 and more

【好きなもの】香水 オリーブオイル 冷蔵庫 丸いもの 明かり プルメリアの花 ジーンズ 日焼けした肌 モモ(チワワ6歳) 鳥と魚 白い壁 ペンキ塗りのドア 木の床と梁 ロケットストーブ 太陽光発電パネル フルート ギター 本と雑誌 写真 フリーペーパーとフライヤー 琺瑯のもの ブリキのもの ガラスのもの ターコイズブルーのもの クリスタル 綿と麻のもの 革のもの and more

【好きな創造物】 「ヤマタイカ(マンガ)」「ラブアクチュアリー(映画)」「サイダーハウスルール(映画)」「ライフ イズ ビューティフル(映画)」「ジプシーソング(仮)ALBATRUS(音楽)」「RedemptionSong Bob Marley(音楽)」「8:59 Rickie-G(音楽)」 and more

玄米を水に漬けてもう寝ます。

2012年10月12日 | 自分日記
脇が甘くなっちゃうんだ。

つい、ね。

いや~ この際だから言っちゃうと、

締め切りが迫ってストレスに追いまくられ出すと

なぜかジャンクフードが食べたくなって

パソコン持って

まさかの24時間マック行っちゃったりもする。

だって、そこにあるんだもん。

エコビレッジつくってる人いっぱいいるし、

原発反対している人もいっぱいいるし、

マクロビやってる人もベジタリアンも

自然食品店も増えてはいるけど、

それよりももっとものすごいスピードで、

人口が増え車が増えパソコンが増え、

肉を食べる人が増え、石油や石炭や天然ガスの消費量が増え、

みんな発電所とガソリンスタンドがほしくて、ゴミもいっぱい。

そんな地球。ハア。

ってパソコンで書いてるし、私。

車もガンガン乗ってるし。

意味があるのか、と、

もがいてます。

そして懐疑を言い訳にして

贅沢病の自分を甘やかしてます。ハイ。

なんかもう、それぞれの「方法」に意味があるとかないとかじゃなくて、

もっと本質的なとこ、「集合意識」に

ポーーーーーーーーーンって行きたいんだよね。

とか、のたまってみたり。

  あ、もちろんエコビレッジ最高だし原発反対しなきゃだし
  マクロビおいしくて大好きだしベジタリアンになろうとしてるし
  自然食品店ももっともっと増やしたいと思っています。
  自分含めみんなの消費の力でね。



そうか。

つまり。

方法が習慣をつくり、習慣が意識をつくる。

意識を強く、磨くために、方法があるんだよね。

やっぱり脇をしめて、ささやかなことひとつひとつ、

自分に巣食った悪しき習慣と戦っていこう。

ささやかなことこそ、大切にしていこう。

ということで、

玄米を水に漬けて

電気を消して

もう寝ます。

脇をしめなおします。

次に締め切りが来ても、マクドナルドは行きません。多分。

今日のビジョン。

2012年09月02日 | 自分日記
なんだか急に、ビジョンがわいてきたので書いておきます。

まず、私はまだまだ生きそうだ、ということ。

いまここにある直感を最優先にしていると、

ついいまの状態や目先のことで頭がいっぱいになってしまいがちで

いま中に閉じ込められてしまう感じがします。

だけど、10年後がある、というふうに、視界のスコープをうわっと望遠にすると、

なんだかなんでもできるような気がしてきます。

先日、ハワイ島にあるハワイコミュニティカレッジのヒロ校に

ハワイアンライフスタイル学部という学部があることを再発見しました。

学科は3つで、フラ学科と、伝統漁法学科と、伝統農法学科です。

妙に、ピントが合いました。

今、久高島で学んでいることや、少なくとも心はいつも海とともに生きてきたこの10年や、

ハワイと英語が大好きなことや、先住民の生活とスピリチュアリティへの尽きない興味。

いろんな要素のからまりあいの答えがここにあるような気がしました。

私は死を思うことが多い人で、(必ずしも死にたいという意味ではなくて)

それは多分、もうそろそろ輪廻転生を卒業したいからだと思います。

このあいだある人に、「あなたは、人間の醜さを見ていたので、本当は生まれてきたくなかった」

と言われました。

とても、納得しました。

いろいろなことを、

「そもそも地球にとっては人間なんていない方がいい」というところから発想しているし、

ふと気付くと、人間の美しいところや尊いところよりも、

どうしようもない性に目がいくからです。

明日死ぬとわかったら何が食べたいかな、とか、

死んだらお墓に入れずに海に葬ってほしい、とか、

真剣に思っているし。

つまり、けっこう本気で、早く自然に還りたいんです。

だけど、いや、だからこそ、

わざわざ生まれてきた感がすごくあって、

じゃあ何をする?っていうことを、真剣に考え過ぎるタチなんですね。

持って生まれた才能や環境 というテーマに異常に執着していた時期もありました。

その頃は、「教育に意味はない」と断言していました。

人にはもともと持っている強烈な何かがあって、

そのようにしかならないから。

すると、じゃあ、私のそれはなに?っていうことを真剣に考える。

考えても答えが出ないことが多い。

だからしかたなく、次々に現れる状態 今 今 今

起きる 起きる 起きる に従って過ごす。

それでたま~に、ビビビっ コレだっ が来て、

なんとなく納得してまた進める。

そんな感じ。

この体が今あるってことに、ありがとう。