地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

ハワイ滞在記 vol.5 カラパナの諦観

2010年02月15日 | お仕事日記
1990年に溶岩流が流れて、カラパナの街とココナッツの木とブラックサンドビーチもろとも飲み込んだとき、1軒だけ残ったという一家に出会った。



アンクル・ロバートのケリイホオマル家だ。私が会えた、11人の子どもたちの1人、プナはハワイアン・ミュージシャンで、日本でコンサートを開くこともあるという。かつては「Gガール ケリイホオマル」というグループを家族で結成し、活動していた。

そのケリイホオマル家は今、流れた溶岩が固まってできた新たな大地のふちで、変わらぬ暮らしを送っている。オレンジの光を放ちながら、なだらかな傾斜をゆっくりと流れる溶岩はたとえようもない存在で、だからこそ「一目見たい」と、観光客を引きつける。しかし、そのエンターテイメント性とは対照的に、住人にとってはあらがいようのない運命だ。「みんな今はどこで溶岩が見える?と聞くけれど、この島ではいつもどこかで、LAVAが生きて流れているんだよ。たとえ目に見えなくてもね。」と言うプナの目はどこまでも静かで優しく、決して、自分から、隣人や、美しい光景を奪って行った溶岩を、抵抗する対象としては見ていないような気がした。自然がもたらす運命を、いいものも悪いものもすべてひっくるめて、受け入れる強さと優しさが宿っていた。

日本では、人間がコンクリートごときで自然の摂理にあらがおうともがいた痕跡がそこらじゅうにある。テトラポットしかり、崖にはりついた防護壁しかり。その光景をふと思い出し、滑稽さを通り越して悲哀を感じた。日本はある意味で、勤勉な国民が人生を捧げて得た富がつぎ込まれる先がコンクリート、という国なのだ。

2000年に溶岩が流れたという場所ではもう、ココナッツの木がゆうゆうと風にその葉をなびかせていた。
「ということは10年であんなに大きくなったの?」とたずねてみると、
うれしそうに「そうなんだ。僕もびっくりしたよ。あっという間だった。とても速い」とプナ。

破壊と再生。

自然は破壊するのと同じだけの、再生の力を持っているのだ。そうか。もののけ姫のシシ神だ。シシ神は、命を与えるが、奪いもする。命を司る存在。自然の化身。

もしかしたら、人間という種族の活動が地球の生命維持システムを破壊しかけていることも、大いなる破壊と再生の一部に過ぎないのかもしれない。

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1 コメント

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いいなあ! (ai)
2010-02-25 12:00:07
いいなあ、いいなあ。楽しんでるねえ。ハワイ滞在記、全部読んだよ~。
私も少し前、パプアニューギニアで、やっぱり一度は火山灰におおわれたほんの数年後に大きな椰子の木が揺れていることに感動したよ。南太平洋の太陽がいいのはもちろんのこと、火山灰そのものがものすごい養分に富んでるんだよね。現代人の感覚だと火山の噴火なんて厄介者でしかないけど、昔から火山灰が土地を豊かにしてくれていたんだもんね。
地球でこんなに偉そうにしている人間も、火山の噴火やお天気には手を出せないんだから、かわいいもんだなあと思う。ほんとね、ハワイの人みたいにそのまま受け入れるのが、正しい姿勢なんだねえ。
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