地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

【R水素ハウスプロジェクト】4月7日~20日のできごと

2011年05月05日 | お仕事日記
4月7日(木)
東村高江集落では、地元住民の方々による米軍ヘリパッド建設反対運動が行われています。
アーティストUAがこの高江にあるカフェやまがめで行った野外ライブの様子は、
ヘリパッド問題のさわりも交えた「心~くくる~」という映画にもなっています。



この地にすみ、スーパーと冷蔵庫のかわりに農と保存食とともに暮らす森岡家の奥さん
尚子さんは、「沖縄 島ごはん」というライフスタイルとレシピの本を出しています。

浜下りのあと、この高江にあるとぅーたんやーという宿に泊まり、
翌日、Peace-kさんのおうちに向かいました。
Peace-kさんが、「高江から本部町のうちにくる途中に住んでいる友達のところに、手紙が届いているはずだから、拾ってきてくれない?」と言ったので、
「もちろん」ということで、とある一家を訪ねました。

その一家というのが、なんと、私のipodで再生回数ぶっちぎりNo1の、
「波」を歌うhauanutaのmasahaさんとyoshikoさんでした。
どこで聞いても、"あの日の海"に飛べるすごい音楽です。



沖縄の太陽がさんさんと降り注ぎ、まわりの畑と森の緑を輝かせる、
素敵な木のおうちの、がらんと広い床座りのリビングで、
ハーブティーをいただきながら、yoshikoさんが手がける代替医療の
フラワーエッセンスのお話を聞きました。



ここも、R水素ハウスにしたい、と思いました。

Peace-kさんの家につき、どかんと空に開いた縁側からそのまま続くリビングで、
またお茶をしました。



R水素についての、具体的な話はしませんでした。
その前に、今起きていることや、それを引き起こした私たちの、人間の、自然に対する態度について、沖縄への移住を選んだことについて、思っていること、感じていること、ショックと悲しみについて、みんながそれぞれの言葉で語りあいました。

たかしくんが、
「人類の歴史は、危機を避けるために移動することで前に進んできた。」という話を
してくれました。

しばらくすると、Rastakashiさんが超美人の奥さんと幼い女の子をつれてやってきました。表参道でヴィーガンカフェ「cafe 8」をやっているというドレッドロックスのコックさんたちも一緒でした。

去年のもんじゅの事故やなんかについて少し話をして、その後、夕日の海を見下ろせる頂へと、みんなで上っていきました。地球を感じられるその場所で、はんちゃんと並んで祈りました。

未だに信じられない。信じたくないできごと。私たちを生かしてくれている大いなる自然の循環の中に、死のエッセンスが、これまでにないほど大量に、混ざりこんでいく。
1時間でも早く止りますように。
人間が住めない場所になってしまわないために。
潜在的な死者が一人でも少なくなるように。
「これから数十年の間に、放射能のせいで何万人も死ぬ。」
これが、ヒッピーの幻想だったらどんなにいいか。

「また来るね」と言ってさよならするとき、
Peace-kさんが、「今日はこれで、ギターの一本目の弦がチューニングできたから、これからゆっくり一本ずつ合わせていこう」と言いました。

私とさとちゃんは、名護のバスターミナルから長距離バスで、那覇に帰りました。
4日ぶりの国際通りと空ハウスは、住み慣れた我が家のように感じられました。

4月8日(金)
めくるめく出会いの渦、その濃密さとスピードの中で
カッ!と目を見開いて過ごした数日間の疲れが出て、もうろうとしたまま、
那覇の老舗おしゃれカフェ「Cinamon cafe」で、26日の打ち合わせをしました。

26日に、私が原発とR水素の話をするイベントを、さとちゃんがオーガナイズしてくれます。さとちゃんは、「空ハウスの冷蔵庫にあるハヤシライスがとてつもなくうまいから、あれを食べたいから我慢する」と言って、何も食べませんでした。
二人で考えて、イベント名は「今とこれからのエネルギーの話をしよう」になりました。
 プログラムは、
1 なぜこうなったの? ~げんぱつのタテマエと嘘~
2 【映像】8分でわかるR水素
3 私たちにできる12のこと

になりました。

スーパーオーガナイザーさとちゃんは、この日のうちに手描きのフライヤーをつくって、国際通りの「てんぷす」というところにあるNPO支援センターで格安で刷り、翌日の野外マーケットイベント ポッポ市で配れるようにしてくれました。
尊敬です。




4月9日(土)

ポッポ市では、避難組の人たちがテントを出展していました。

さとちゃんは、ここでも、フライヤーを配ったり、
原発のことや自然エネルギーに興味があったりする人たちをつなげる
メーリングリスト「おきのわ」の参加者を募ったり、
「このおっとりとした空気のどこにそんなエネルギーが!?」というパワフルさで
活動をしてくれました。





私はいつものごとく、直感のおもむくままにフラフラ人の波間を泳いだり、疲れてテントで横になったりしていました。

すると、テントに、見るからに軽々と国境を越えそうで、見るからに同年代な日本女子がやってきました。PILLAY由美子ちゃんという人で、「オーストラリアのパースにいたが、目に余る地球の窮状にじっとしていられず、エコビレッジをつくるために今いろんな場所を見て回っている」ということでした。すっかり意気投合して、すごい勢いでおしゃべりして、仲間になりました。
由美子ちゃんも私も、同じ問題意識とそれを解決しようという同じ情熱を持つ仲間に出会った興奮で、うっかり鳥肌を立ててしまいました。

すっかり日も暮れて、そろそろ撤収しようかというときになって、ひとりの見るからに怪しいおじさんが、数年前の週刊現代の記事のコピーを持ってテントにやってきました。
おじさんの前歯という前歯がなかったのに加え、私はといえば「一日のうちで人と会って話せる時間とエネルギーの限界値」をとっくに越えていて、コミュニケーション能力の予備電源を作動させているけれどもそれももうそろそろ底を尽きる、という状態だったので、正直「めんどくさいなあ」と思いながら、ちらっとその記事に目をやりました。

すると、そこには、チェルノブイリの汚染地図が載っていました。そのおじさんが、「自分が原発反対運動を40年続けている」と言い、汚染地図に使われている単位がキュリーだったので、私はなけなしのコミュニケーション能力を振り絞って「キュリー」と、「ベクレル」「シーベルト」はどうやって換算するんですか?と質問をしました。

すると、おじさんの口から物理学の専門用語が飛び出し、「それは何ですか?」と聞くとまた専門用語で答えるので、引っ込みがつかなくなって、「放射線について最初から全部説明してください。私、α線とβ線とγ線と中性子線の違いだって厳密にはよくわからないんです」となってしまい、結局そのおじさん 通称「にゃんこ先生」から放射能の物理学的基本を教わることになりました。

にゃんこ先生は、ただものではなく、、、、つまり、本当にとてつもなく頭がいいので、一切の"社会的バッジ"を必要としない生き方を全うしている人でした。そして、自分を実際以上に大きく見せる必要もないので上から目線がまったくなく、「国のカネで勉強させてもらったんだから、社会に還さないと」と言って、あらゆる質問にていねいに的確に答えてくれるのでした。

私は、真に偉大な人とはこうして道端で出会うのだ、という世の真理を身をもって体験した気がして、静かに感動しました。

あとからおしゃべりしていた時に聞いたのですが、にゃんこ先生は、京都大学を卒業するときに、「この世の中で役に立たないことだけにこの頭脳を使おうと決めた。」んだそうです。彼の職業は、大道芸人であり易の占い師です。

私はそれを聞いて、トランプゲーム「大貧民」の革命を思い出しました。
「この世の中で役に立たないこと」つまり「お金にならないこと」は、
大貧民で最弱の3が最強になるみたいに、世の中がひっくりかえったら、あっさり「役に立つこと」になるんだろうなあ、と思いました。
そして、「やっぱり、こうやって誰もやらないことをやる、というのは、すごくかっこいいことだなあ」と思いを新たにしました。

4月10日(日)

朝4:00、3年前の3月24日に別れた元恋人の亡霊が夢に出てきて、うなされて目が覚めました。気分は最悪中の最悪で、30分ぐらい苦しみを涙で洗い流してようやく正常な状態を取り戻し、「ああ。私は本当に疲れているんだな。」と思いました。


3月14日に湘南の家を飛び出して沖縄に来たときに、最初にお世話になった琉球大学の玉城史朗教授(工学博士)という人がいます。

この日、玉城先生が預かってくれている私の忘れ物をとりに琉球大学に行こうと、先生の都合も聞かず、勝手に思っていました。それで、電話をすると「彩ちゃん!今パパはね、那覇にいるんだよ」と言いました。玉城先生は、私の沖縄のパパなのです。(注)変な意味ではありません。念のため。

もう最近は、こういうことだらけなので、私は大してびっくりもせずに、「じゃあ、ランチしましょうよう」と言い、1時間後にパレットくもじで待ち合わせをしました。

玉城先生を待つ間、パレットくもじの1階にあるハーゲンダッツでクリーミー杏仁アイスを食べながら、電話で「オルタナS」の記者の殿塚くんと話をしました。

殿塚君は最近、山口県上関原発の新規建設計画に30年間反対し続けてる対岸の離島「祝島」(「ミツバチの羽音と地球の回転」の舞台)に行ったそうです。
そして、そこの住民の方が「自分たちの力とお金でゆっくりでもいいから、R水素化していきたい」と言っているので、彩さんぜひ一緒に祝島に行きましょう」という話でした。

早いとこ、行きたいものです。渡航費がないので、すぐには行けませんが。

そうこうするうちに、くまのプーさんのストラップを胸ポケットからのぞかせながら、玉城先生が現れました。握手をして、先生はこういいいました。
「彩ちゃん、おれはね、許せないよ! あいつらは最低だよ!正直、最初彩ちゃんが逃げてきたときは大げさだと思ったけど、正しい選択だよ!」

そのあと、地下のレストラン街でうなぎを食べました。それはそれは緊縮財政なので、うなぎのごちそうは相当ありがたく、「東京OLのころだったら飽食で大してありがたく思わなかっただろうなあ。こういうことに、ちゃんとありがたみを感じられる自分になれてよかった」と思いました。

食べながら、私は沖縄でR水素の実例をつくりたいと思っている、という話をし、「エンジニアリングをしてくれる会社とか、人とか、いませんかね~?」と言ってみました。

すると玉城先生が、身を乗り出して自分の顔を指差しながら、「オレ!オレ!」と言ったのです。





目の前の扉がひとつ開き、視界がパーーーーーっと抜けた瞬間でした。

「じゃあ今度、Peace-kさんのところに一緒に行きましょう」ということになり、日程を4月16日(土)に決めて、バス停で先生とさよならしました。Peace-kさんに電話をすると、16日でOKで、大家さんにもアポをとってくれることになりました。

4月11日(月)~14日(木)
自分を取り巻くものごとの進み方に、これまでの常識が通用しなくなったことを、このお祭りのような沸きかえる1週間のできごとを心に定着させるために必要な、巣篭もりの時間を過ごしました。江国香織の「神様のボート」と吉本ばななの「ハゴロモ」を読みました。14日に、10年来の親友のマキから突然「GW沖縄に行ったら彩と遊べるのですか?」というメールが来て、私の人生の時間はまた輝きを増しました。それからしばらくの間、ことあるごとに、まわりの人々に、「GWに友達が会いに来るんだ!」と、聞かれてもしない報告をしまくりました。

4月16日(土)
朝、空ハウスで知り合ったrocomoon以来の天然ヒーラーりんちゃんと、空ハウスの屋上でYOGAをしました。
13時に、ゆいれーるの古島駅で玉城先生にピックアップしてもらい、本部町のPeace-kさん邸を訪ねました。はんちゃんは、翌日曜日のてづくり市に出すというクッキーを焼いていてかわいかった。そのクッキーの焼きたてのおすそわけをいただきながら、縁側で言いだしっぺ素人兼記録係の私、エンジニアで大学教授の玉城さん、住民でミュージシャンで語り部のPeace-kさん、住民でマンゴー農家で地主で化学を知っていてこのコミュニティのランドスケープデザインをしてきた大家さんが、少し具体的な話をしました。
大家さんが、計画の大枠に快く賛成し、「資金」と「スペース」と「美観」という考慮するべきハードルも共有してくれて、またひとつ、扉が開きました。








帰りの車の中で、私が懸念していた「法規制の調査」について投げかけてみると、玉城先生が「それもエンジニアリングの一環としてこっちでやる。そういうのは慣れているから」と言ってくださり、ホッとまたひとつ、扉が開きました。続けて先生は、「ゼミの学生の卒業研究で、100Wぐらいの試験管レベルのR水素モデルをまずはつくらせて、その後NEDOの助成金を取りに行こう!」という構想を語ってくれました。

私が、「そうか~ 大学っていうのは、、」と言いかけると、先生は後を継ぐように「そういうことをする場所なんだよ~」と言いました。

4月20日(水)
朝10:35のJTO904便で、湘南のおうちに残してきた車と本と服と食材を運ぶために那覇空港を後にしました。飛行機の中と、久しぶりの藤沢駅前のミスタードーナツで、26日のプレゼンのストーリーを練りました。

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2 コメント

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お疲れさまです! (しんぷ)
2011-05-08 08:33:41
おひさしぶりです。

R水素ハウスプロジェクト、実現に向けて着々と活動なさっているのですね!
浅倉さんの生き方を見ていると、僕も励まされるし、その上、僕はネットで遊んでいる余裕はない事を考えさせられますw

浅倉さんが悪夢に見舞われる程、お疲れのようですが、それだけ勢力的に活動されている証拠!浅倉さんの体と心のバランスが心配ですが、でもやれる事は全てやろうという熱意や活動は必ずや形になりますし、その活動が社会の変革を促す事になりますので無理なく頑張ってくださいね。応援しております。

僕もtwitterでつぶやきまくってる時間はない事に気づき、今、元祖樹医の山野忠彦さんの本を読みながら勉強している所です。また絵も東京にて展示・販売を考えています。その売り上げの20%は被災者支援の募金にしたいと思っています。僕の絵なんて売れるかどうかやってみなければわかりませんが、とにかくチャレンジですw

浅倉さんに負けないくらい、絵や本職のブバルディア作りを頑張りたいと思います。

良き記事をありがとうございました!
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びっくりしました (さどやまかなめ)
2011-06-09 01:05:35
沖縄で電気自動車への電気供給をどうクリーンにするかに興味があって、R水素が気になって記事を読んでいたら、恩師の玉城先生が登場されてビックリしました。記事で読んでも玉城節炸裂なので、とても嬉しくなりました。

ご縁がありましたらどうぞよろしくお願いします。

失礼しました。

さどやまかなめ
http://kanme.posterous.com/52011402
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