なりたいものに、なったあと。 goo.gl/naRZt6
— 浅倉彩 (@ayaatagrica) 2017年9月29日 - 21:29
ものを書く仕事に憧れ始めたのは、まだ10歳にもならない頃だったと思う。
いわゆる、「子どもの頃の夢」というやつだ。
それでまあいろいろあって、わたしは今、ものを書いて暮らしている。
松任谷由美にも桑田圭祐にも吉本ばななにもなれていないけれど、
とりあえずものを書いて暮らしている。
子どものわたしが描いた「ものを書いて暮らす」の夢には、
大人になるにつれて「食べていける」とか
「世の中に何かを主張したい」とか
「自分の名前で仕事がしたい」とか
「会社組織に埋もれたくない、人間関係ですり減りたくない」とか
「毎日ストッキングはきたくない」とか「満員電車に乗りたくない」とかいった
一見、ふてくされたおまけが付加されていったりもした。
結果、フリーランスの編集ライターという職業になった。
で、今強く思っているのは、わたしにとって大事だったのは、一見幹に見える
「ものを書いて暮らす」というDoingではなくて、
「満員電車に乗りたくない」ほうのBeingなんじゃないかということだ。
で、一見ふてくされて見える「満員電車に乗りたくない」も、
「どうせふてくされてるようにしか見えないんでしょ」なんてふてくされずに、
丁寧に説明すると、
会社に行けばなんとなく仕事してることになる、という手段の目的化を避けたい。
効率やパフォーマンスを最優先したい。
自分の時間を大事にしたい。
我慢にかまけて思考停止になりたくない。
世の中の当たり前に安易に迎合したくない。
今日の時間の使い方を自分で決めたい。
いつどうやって仕事をするかも自分で決めたい。
というような「こうありたい」あり方の現れだ。
大事なのは、あり方。
だから、この「あり方」が実現できるなら、
ものを書く仕事じゃなくてもいいと、今、思っている。