地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

祝 初受注!

2008年12月24日 | お仕事日記
さっき、フリーランスになって初めての、
おしごと依頼の電話がかかってきた。

その時私は、東高円寺のマンション5階の部屋で、ポテトチップスをかじりながらテレビを見ていたので、見慣れない03局番の電話番号に「誰!? 」とか思いながら電話に出た。

電話口からはグラントウキョウサウスタワーのピカピカのフロアで働く人たちの賑わいが漏れ聞こえた。




私は1月から千葉に行く。

会社を辞めて、「そこに時代を先取りする新しい生き方がある」という確信のもと、共同生活をしながら食や自然と向き合う暮らしを実践しに行く。

でもその前に、私はもういい大人で、自分探しをしている年じゃない。今回の千葉行きは、自分探しの放浪じゃないんだけど、
それを証明するには、きちんと稼がなければならないと思っている。稼ぐということは、自分が生み出した価値で社会とつながることに他ならないから。いくら社会を変えたくても、社会にコミットしていない人の話なんて、誰も聞かないと思うから。

だから先週、古巣の編集部に営業に行ってきた。2つの編集部と広告制作局には、私の活躍を知ってくれている人が変わらずに仕事を続けていて、すごく温かく迎えてくれた。みんなお父さんやお母さんに見えて、心底ありがたかったし、居心地がよかった。

でも、実際に仕事が来るまでは何の保証もない。それでもって今日、仕事が来た!!

はっきり言ってこれ、たまりません!「私」に仕事が来る。っていうこの感じ。来た仕事を受けるかどうかの決定権を自分が持っているという感覚。

もちろん勤めてても「責任ある仕事を任されてうれしい」みたいのあったし、現実問題ではまだまだ仕事選んでる身分じゃないんだけど、それを差し引いてもやっぱり快感です。

「自我のかたまり」みたいな私にぴったりです。

それにね、思ったの。仕事に対する姿勢が違うよ。

さっきも働くということについて考えたブログを書いたけど、毎月の仕事がまるっとまとめていくらの月給制で決まって銀行に振り込まれると、私の場合は、ついつい自主性が鈍る。自主性が鈍るとモチベーションがガタ落ちする。結果として、成長が鈍化し、貴重な時間が無駄になる。

仕事に対する真摯な姿勢をキープするという意味でも、フリーになって本当によかったと分かったクリスマスイブでした。

[雑誌]日経ビジネス臨時増刊 徹底予測2009

2008年12月24日 | 読み聞き日記
気になったトピックス

■本田宗一郎の言葉
「人間はね、一人ひとりみんな違っているからいいんだよ。みんな同じなら、社長は人を雇わずにロボットをいっぱい買って仕事させてりゃいいでしょう」
1991年初頭 同誌インタビューにて

以下感想。

リーダーとしてすばらしい考え方だと思った。でも、そのホンダも円高と自動車の需要低迷で期間従業員計1210人を削減を発表、福井社長が「その先に正社員の削減だってないわけではない」と発言している。その前には、F1からの撤退も決めた。期間従業員よりもっと弱い、フリーランスの立場にある私は、他人事と思えない。

ひとりひとり違う人間が能力を発揮して働ける社会にするためには、これまで日本経済を牽引してきたリーダー企業が早く新しい産業構造を確立するべきだし、働き手もまた、大企業にぶら下がってれば安心というサラリーマン気質を捨て、自分の能力とトコトン向き合うべきだ。本来、「会社員」という職業はないはず。リストラされた多くの人は、"歯車労働"から"百姓労働"へ、働き方が進化するチャンスととらえてほしい。そして政府とメディアは、彼らのモチベーションとスキルを高めるサポートをするべきだ。もう一度、決して犯罪に走らないように。

何をどうやってつくって誰にどう売るか、未来の産業構造について示唆に富む言葉が同じ記事から。

■森精機製作所の森雅彦社長
「世界では1家に1台、1人に1個、必要とされるものがダメになっている。地域に1つ、国に1つのものは好調だ」

■同誌編集長のまとめ
「G20参加国が足並みを揃えて需要刺激のための財政発動に踏み切っていくことで、2009年は公益尊重の条件にかなう官需が世界経済を下支えする」

2人の考えを、「より多くの人に価値を提供するモノやサービスが勝つ」と解釈するなら、そんなの当たり前じゃん、って話だよね。経済とはそもそも、誰かに役にたつ人やものが対価を得るというしくみ。価値の受け渡しの道具に過ぎないお金の一人歩きが招いた金融危機で、世界経済が原点に立ち返るのなら、金融危機はめでたいことだ!と思います。 

[本]今こそマルクスを読み返す

2008年12月24日 | 読み聞き日記
マルクスといえば、
自由競争・個人主義がベースの資本主義の対比的な存在として認識される
共産主義の父というイメージ。

共産主義は、平等な共同体がベースで、
成果に対する報酬がないため競争や技術の進歩が進まず、
それゆえソ連は崩壊したというイメージが定着している。

が、そもそもマルクスは経済システム学者ではなく、思想家。
よってマルクスを理解しようとする時には、

まず人間観と自然観、ひいては社会観、そこからくる社会構造の解釈の上に
政治、経済、文化、などの分野とそれらどうしの相互関係がある、

という前提に立たなければならない。

共産主義経済が成長しなかったというのは、
マルクスの思想をスターリンが解釈し、彼が政治を司った時代の結果であり、
それをもってマルクスが間違っていたと判断されるのは
あまりにも早計だという前提でこの本に取りかかった方がいい。

まだ途中までしか読んでいないが、

マルクスの人間観はこう。
人は生きるために生産しなければならない存在であり、生産は前世代の人々も含む他者との協力が不可欠である。
だから、人間はその存在に労働と他者との相互関係を内包している。

当たり前に聞こえるけれど、それまでの西洋的な思想では、
社会ありきの人間か、人間ありきの社会か、という二つの対立する思想しかなかった中で、
新しい考え方だった。

そして、この人間観が、すべての基礎となる。

マインドマップ

2008年12月19日 | お仕事日記
今後のお仕事のビジョンをマインドマップにまとめてみました。
まだまだこれから枝葉をのばしていく予定ですが。

マインドマップとはWikipediaによると、

「表現したい概念の中心となるキーワードやイメージを図の中央に置き、そこから放射状にキーワードやイメージを繋げていくことで、発想を延ばしていく図解表現技法。この方法によって複雑な概念もコンパクトに表現でき、非常に早く理解できるとされ、注目され始めている。 人間の脳の意味ネットワークと呼ばれる意味記憶の構造によく適合しているので、理解や記憶がしやすい。」

というシロモノ。なんだかよくわからん!という人はとりあえず↓をクリックしてみてください!

そして、おもしろいと思ったら、自分のも作って私に見せて!友達のお仕事ビジョンマインドマップ めっちゃ面白そう~

農業、水素、サーフィン、編集、田舎、自給率、エコビレッジ、一級船舶免許、、レイヤーの違うキーワードが整理されて、方向性がはっきり視覚化できました。

http://www.mindomo.com/edit.htm?m=862a42c5951f45e28a8087116b967184

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幻の水素社会

2008年12月15日 | お仕事日記
という本を読んでいる。

私自身は、水素にエネルギーという切り口から社会構造を変える
大きな力を感じている、水素ジャーナリストの卵なので、
否定的な意見にも耳をかたむけてみよう、というのがこの読書の主旨。

まだ6割ぐらいですが、率直な感想を言えば、
勉強になります

センセーショナルな言葉で否定論を展開してるけど
大事なところで「○○であることは言うまでもないだろう」とか言って
無理矢理結論づけしていて、まったくもって論理性に乏しい。
しかも、批判の対象は水素エネルギーそのものよりも、
むしろ人口問題や南北問題を地球温暖化問題にすりかえて
自国のパワーをキープしようとしている先進国の態度に向けられている。

だから、その論調はさておき、
この人もしや水素推進派なんじゃないの?って思うぐらいに
よーく調べてまとめられている水素エネルギーについての歴史や情報が
知識を深めるのに役立っている。

この2005年に出版された本により
ひとつはっきりとわかったことは、
当時計画されていたようには、水素社会へのシフトは進んでいないということ。
当時、2010年に燃料電池車5万台、2020年までに500万台が計画されていたようだけど、
今年JHFCが出したパースペクティブによれば、2015年から本格普及開始、とだけある。
ずいぶんトーンダウンしたようです。

そして、著者が「水素社会は幻だ」とする理由のひとつとして挙げている
水素の製造・運搬・貯蔵方法についての課題は、この本が書かれた当時と
今はあまり変わっていないように思う。さまざまな方法が模索されているけど、
一長一短でこれ!という解がない、という状況。

そもそも化石燃料から水素をつくっている時点で
省資源力と低炭素力には疑問符がつく。

つまり、水素が次世代の社会を支えるスタンダードになるためには、
今捨てられている未利用の水素を運んで使うか、
自然エネルギーを使ってどこにでもある水やバイオマスから水素を取り出すか、
どちらか。

ここでいう次世代の社会っていうのは、
平和で持続可能な社会。
その実現のためには、個人が自分のライフライン(食料とエネルギー)にもっと興味と責任を持つべき。
そして、そういう社会におけるエネルギー像は、
人間に良心があるならば、
戦争や貧困の原因になったり、地球を汚したりしないものであってほしいよね。

つまり、
有限で、燃焼過程で温室効果ガスを排出し(つまり化石燃料)、局所的に(つまり中東)しか存在しない
一次エネルギーへの依存状態から脱却しないとなのだ。

原子力は毒性の強い廃棄物の問題が解決していないので
今のところ論外。

他にも、日本では4億円~6億円といわれている水素ステーションの建設費が
アメリカでは6000万円であること。エコプロで取材した
産業ガス会社の人の話と合わせると、この10倍の差はおそらく
日本の高圧ガス法の規制がものすごく厳しいことにある。つまり、政治。

ただし、世界をみわたして現実的にグリーン水素社会が進んでいるのは
ありあまる自然エネルギーのおかげで電力が安価で手に入る国だけってこと。
どこかというと、アイスランドと、ハワイ。

でもじゃあ、自然エネルギー由来の電力の価格が安ければいいんだったら、
それは国家予算でなんとかならないのかな?っていう疑問がわいてくる。
今原油買うのに使ってる隠れたコスト考えたら、「新たな財政出費」なくして
できるんじゃないの?シフトするだけで
それに、日本全土では無理でも、たとえば桜島のある鹿児島とか
アイスランドやハワイに近い自然条件のところでは、すぐにでも可能なんじゃないの、とか。
本によれば屋久島でプロジェクトがあるとか。もっと調べてみないと。

クリーン水素社会実現へのボトルネックである運搬と貯蔵における、
革新的な発明にめがけてがんばっている研究者に
話を聞いてみたいという願望もわいてくる。

とかとか、知識と考察が深まってます。

読み終わったら、得られた知識を別の切り口で体系化して
まとめてみようと思う。

日々勉強!日々ステップアップ!

つながる

2008年12月11日 | 自分日記
同期が送別会を開いてくれた。

たった1年、部署はばらばらでほとんど顔を合わせる機会もなかったけど、
東京と横浜勤務の8人全員が集まった「場」があったかかった。
すでに退職して大阪で起業した同期も、東京に仕事をつくってかけつけてくれた。

最近、人とのコミュニケーションが楽しくてしかたがない。
本当は人見知りで頑固で嫉妬しやすい部分がなりを潜めている。
もしかしたら、克服したかも。自分より優れている人と対面する居心地の悪さを。
それは、相手に対して常に自分より優れているかどうかというジャッジの目を向けることに
他ならなくて、自分自身のそのマインドが、どれだけ「今、ここ」を精一杯楽しむことを邪魔してきたかわからない。

オーストラリアで、「一人一人違うことが当たり前」という概念が根っこにある社会を
目の当たりにしたあたりからかな。人と人、人と自分を比べて優劣をつけることのバカバカしさに気付いた。
上も下もなく、ただ違う。違うから、共通点を見つけるのが楽しい。違うから、居場所をつくるために群れたり、
そこから外れることを恐れたりする必要はない。

人と人が集まると、それだけで何かが生まれる。
いつも考えていることを言葉にした"作品"が、
違うことを考えている誰かの言葉で裏返ったりめくられたり半分に切られたりして
別の顔を見せる。

血が通った化学反応が、目の前で起こる。
そのダイナミズムはある意味奇跡だと思う。

たとえばこんな感じ。
私「自然と交信できる場所をつくりたい」
ツッチ「ちゃうやろ、それを言うなら自然と触れ合う、やろ」
ここで私の頭の中に電気が走り、即座に
「ちがうの!触れ合うなんていう軽い感じじゃなくて、もっと深く・・・」
ツッチ「そうなんや、交信なんや」
一同「へ~なるほどね~」 
みたいな。

それで私は、彼らと私の感覚の違いを知り、
「私がいつも思い描いているのは、触れ合うのではない、ふところに飛び込むような自然体験のことなんだ」と気付く。
そして、より精度の高い言葉で自分を表現できるようになる。

同期で最初に飲んだのは、2日間の中途採用者研修の打ち上げ。
他でもない私が、研修中に「この後みんなで飲みませんか。参加できる人は名前を書いて下さい」
ってレジュメの裏に書いて回したのがきっかけだった。
7時前に全国の同期が一斉に解放される、二度とないチャンスがもったいなくて。
人見知りだからけっこう迷ったんだけど、
本当にやっといてよかったと思う。


Agri groove パブリックブレインストーミング

2008年12月10日 | お仕事日記
先週の日曜日、日本橋のCo-NetでAgrigrooveの公開カンファレンスが行われた。

Agri grooveとは、
踊り大好きラテンダンサーなプログラマー谷口直嗣さんが提唱している新しい農と音のスタイル。
畑や田んぼにサウンドシステムを持ち込んで、ダンサブルな音楽に合わせて農作業を楽しんじゃおう!というムーブメントだ。

なんじゃそりゃ~!面白そうだぞ!ってことで
見に行ってみたんだけど、案の定こゆ~い人が集まっていて、
面白いだけじゃなく、具体的に将来につながりそうな
出会いに恵まれてしまった。感謝。

彼らによる公開討論は、
まず体や呼吸と自然、都会と田舎がどうやってつながれるか、
そして農業によって育まれるインテリジェンス、さらには日本の農業の現状へ、流れるようにテーマをまたぎながら熱く展開。
すべてが、「どうすれば人間が自然とのつながりを取り戻せるか」という私のメイントピックにすっっっっごく近くてめちゃくちゃ共鳴したし、勉強になった。

教えてくれたなおくん、ありがとう。

まずはコアな有機農業家 弓木野毅さん。
千葉の成田で1ヘクタールの畑を完全無農薬無化学肥料で営農している。就農したのは30歳のときで、その前にはサンダンスというアメリカ先住民の儀式に参加したこともあるという。農作業とダンスには、リズムよく流れるように動くというところで共通しているそうで実際に腰を落としてすり足で動き回る草むしりの動きを見せてくれた。ジャングルのオランウータンを思わせる動物的ななめらかさにしびれました。

弓木野さんは、「夕方、今日もおれはベストをつくした!と納得しながら軽トラに乗って帰るときのエクスタシーはなにものにも変えられない」って畑仕事の快感を表現していた。体を使って生態系や自然にアクセスすることで崇高なエネルギーを感じられると。それってサーフィンやらウィンドやらと同じじゃないですか。

これに、隣に座っていた美ヨギー内藤明日香さんが反応して、「ヨガは地球との交信の中で人間の存在を見つめなおすマニュアル。みんな疲れていて、自然に戻りたいと思っている。戻るきっかけができることによって、(選ぶ野菜だったり生き方だったりの)選択肢が変わるといい」となんとまあ素敵なことを言っていた。

おふたりの話を私なりに一般化すると、つまりは体を動かすと生きてることを実感できるってことなんじゃないかと思った。
「生態系にアクセスするツールは、思考における計算や分析ではなく、体。」体をちゃんと使う時間を持つことによって、思考が肉体から離れず、自分の存在を見つめながら地に足のついた生き方ができる。そこに、快感がある。

ヨガやランニングやジムやサーフィンが流行っている現象の奥にある本質、万人が持つ潜在的な願望はそれだ!と思った。

「地に足のついた」といえば、弓木野さんは農業研修を始めたとき、いの一番に「百姓はかかとを上げてはいけない」と教わったそう。そうしないと、腰を痛めるから。「地に足をつける」って大事なことなんだ。

「都会で笑顔をみたことがない人が、田舎に行ってリンゴをさわった瞬間に笑う、みたいな。そういうのみちゃうと、やっぱり自然の力ってすごいな、と思いますね」と体験談を話したのは、Web制作会社fishgroveの中山誠基さん。

中山さんの会社では、いいものを食べないといい企画ができない をモットーに、青山にある一軒家オフィスに「まかないシスターズ」なる有志の女性に来てもらい、ちゃんとした食事をつくってもらっているそう。グッバイコンビニ!ってわけです。素晴らしい!
ほかにも、誰もが興味のある食を介して人と人がつながれる屋上イベントを開催したり、田舎オフィスを計画中だったり、いろいろ面白いことをやっている。山形県の山野山温泉(だったかなw)付近の農家さんに農作業体験を依頼し、東京の若者を集めるツアー「田舎時間」を2002年から手がけていて、89回のツアーで延べ509人を農ワールドに連れ出したらしい。

これにより、「田舎の体験が若者にとっては非日常で楽しく、田舎にコンプレックスを抱いている農家さんは、東京から来た若者においしいおいしいと作物をたべてもらうとうれしい」というものすごくポジティブなマッチングが実現しているようです。

ここにつながる話が、「知的に食べる人」をメインテーマにしたマザーフードマガジン「旬がまるごと」の編集者から。「食の背景を知ることで食体験が豊かになる。今、食べる現場とつくる現場に距離がある。知らずに食べることと知って食べることは違う。ひとつの食材を通してさまざまな経済・芸術・文化が語れる」、、、うんうん。同業者。同じ思いをかたちにしている彼女に思わず嫉妬してしまった。というのも、記事ラインナップをみていると、深い情報を馴染みやすく料理したとってもバランスのいい本で。まだ買ってないけど、もうファンです。尊敬です。私も企画力磨かなきゃ!

マザーフードマガジン「旬がまるごと」
http://www.0510food.com/

これに関連して前出のヨギー内藤さんも、「どんなものをどんな気持ちで食べるかで、摂取できるエネルギーが違う」と言っていた。ちょっと余談だけど、内藤さんはなんと今、近所のスーパーの鮮魚売り場で働いているんだって。「どうしても、魚のことが知りたくて」っていうのが動機らしい。その一途さがステキ。

音楽業界からただ一人参加だったアンビエントレーベル涼音堂の星さんは、野外レイブのサブルームで流れる音楽だったアンビエントをそれじゃつまらないってことで他のあり方を模索している人。京都で伝統文化と現代アートの融合活動をしているソフトパッドというグループと一緒に、法然院で21世紀のお茶会なるコンセプチュアルアート作品をつくったり、秋田民謡バンドあらげほんじを呼んで田植えライブをやったり、音楽を意外性のある何かとかけあわせたアーティスティックなイベントを
手がけている。

この方でした。「農家にインテリジェンスを感じた」という名言をはいたのは。

いやほんと、百姓は100のことができるから百姓だ、というのは本当。私も岩手の自然農園で2週間 援農させてもらって初めて気づいて、滞在期間中、ことあるごとに何度も感じたことです。百姓を放送禁止用語にしたやつ、出てこい!って感じ。
その言葉に隠された深く多彩な知恵や文化を抹殺しようとした陰謀としか思えない。

「作付けをみれば実力がわかる」と言います。農の実際と、田舎暮らしやらスローライフという「リタイヤ後の道楽」を想起させる言葉はまったくといっていいほどリンクしていなくて、農業こそ実力社会なのです。農業者じゃない私が語気を強めるのもおかしな話だけども。

弓木野さんは、そのことを「1秒1秒の判断が求められるシビアな世界」という言葉で表現していた。しかも、前の晩に明日はあそこにあれを植えて、あそこの畝をつくって、、とイメージしていたことがほぼ計画通りにならないんだそう。「朝、10分くらい畑を歩いた時の感覚でその日の作業を設計し直す。それでも、天候が変われば判断が変わる。」

なんというか、頭のインテリジェンスだけじゃなくて、体とか感覚のインテリジェンスも優れていなければできないことなんですね。農って超クリエイティブでカッコいい!

でも一方で、台風がくればすべては水の泡という報われない商売でもある。

弓木野さんみたいなソウルフルなお百姓さんがつくったどっしり地に足のついた野菜を食べたいなら、そういう背景を理解して、「買い支える」という意識が必要だと心から思うのです。ほうれん草の虫食い穴に目くじら立ててるようじゃ半人前と思わないとね。

彼は、「自給率39%はそれでもオーバートーク。輸入野菜を日本で加工した食品を国産としてカウントしての数字だから、実際は19%ぐらいじゃないかな。はっきり言って、日本では産業としての農業は、見捨てられていて、ほぼ終焉を迎えている。」と厳しい目で日本の食の未来を見据えている。

折しも、明日から始まるWTOのラウンドで日本は、製造業への優遇の見返りに、輸入関税による保護対象となる農産物品目数の割合を8%から6%へ引き下げろ、という要求を突きつけられています。

ワールドビジネスサテライトでは、輸出関税が引き下げされれば、製造業が製品を海外市場で売りやすくなり、経済効果がある、と完全肯定派な論調でした。まあ、WBSは財界オリエンテッドな日経新聞そのものだからしょうがないけど。

このニュースが私の中で弓木野さんの話とリンクして、(まだどうなるかはわからないけど、)「見捨てられている」の意味が見えた気がした。うーん、ここんとこ、ちゃんと考えて行動しないと飢え死にするな~と思った次第です。

でも未来はもちろんあって、弓木野さんが「文化としての農にはまだ希望がある」と言うように、農や土への関心が高まっている人たちの気持ちの芽を上手に育てていくことで、公共事業での農地造成や農協を肥やすだけの補助金とは別の文脈で、農業を活性化させることは可能だと思う。

そのためのしかけを、一刻も早くつくらなくては!と思う。なんせ、農業の大先輩たちはみなさ老齢ですから。

Cultural Creativesとして、「月に1度は田舎に行って農作業が当たり前」の文化をつくる。絶対つくるぞ!と決意を新たにした土曜日でした。

Agri groove的には、ひとまず1月に餅つきクラブイベントを開催する方向で話を進めようということで、greenz名刺のおかげもあってか、提唱者の谷口さんに打ち合わせに誘っていただき光栄!という感じです。イベントが決まったらまた告知させていただきます。公開討論で谷口さんが前にラテンダンスしながら餅つきしてる映像が流れてたけど、異様に楽しそうだった。。。踊りたい!

[cinema]the moon

2008年12月04日 | 読み聞き日記
いろんな意味で鳥肌モンの映像が満載です。
1月に全国で公開される映画「ザ・ムーン~IN THE SHADOW OF THE MOON」。
アポロで月に行った宇宙飛行士たちの当時の映像と
最近撮られた回想談で構成されたドキュメンタリー映画なんだけど、
とにかく宇宙級に視野が広がり、深まり、感動した。
生きてるだけで奇跡!って当たり前のように思った。

まず、コンピュータが今ほど進化していなかった1969年~70年代に、
ちゃんと月面着陸できたってことがスゴい。
9回の月面着陸の映像が今までにない規模でまとめられていて、
砂漠のような月を車で走ったり、掘り返して白い砂のサンプルを採取したりしてた。
映像には月の上を歩きながらしゃべってる宇宙飛行士の音声も入ってて、
臨場感たっぷり。

そして、初めてのとき、世界中の人々が同じ気持ちで
人類にとっての大きな一歩を見守り、歓喜に沸き返った一体感もすごい。
今、そんな風に世界中の人が同じ感動を味わえることってあるだろうか。
考えてみれば、世界中どこにいても見られるものって、月と太陽ぐらいなんだね。
だから、「そこに行く。見えているけど遠いあの月に人間が行く」っていうことの
ロマンをみんなが共有できたんだ。
月というはるかかなたの対象物によって、
金持ちも貧乏も白人も黒人も黄色人種も男も女も大人も子どもも「人類」というひとつの
共同体になることができた。
黒船がやってきて、藩単位だった所属意識が「日本」にスケールアップしたのと似ている。
今はなんで、月に行かなくなっちゃったんだろう。
人間が月の表面を歩くライブ映像を流したら、
戦争してる人だって、弾をこめるのをやめて
ワクワクしながらその様子を見るんじゃないかな。

そして、最後のほうにまとめられたおじいさんになった宇宙飛行士たちのコメントが圧巻。
生きてるだけで奇跡。
その奇跡に感動して生きれば、
すっごく楽で幸せでたのしい。
かれらの言葉はどれも、その真実を訴えてた気がする。

「我々は月を知ることで、実は地球について知った
遠く離れた月で親指を立てると
親指の裏に地球が隠れる
すべてが隠れる。
愛する人たちも仕事も地球自体の問題も
すべて隠れてしまう
我々は、なんと小さな存在だろう
だがなんと幸せだろう
この肉体をもって生まれてきて
この美しい地球で人生を謳歌することができて」

「私は月に行ってから、
天気に文句を言ったことはない。
天気があるだけ幸せだ」

「私たちは、科学技術の成果で月に行くことができた。
でも月に行って感じたことは、科学技術のすばらしさではない。
地球は偶然の産物にしては美しすぎる。
人間がつくった宗教と神を越える大いなる存在、
霊的なものの存在を確信した。」

「シャトルの窓から地球を眺めていたとき、ふと感じた
圧倒されるような経験だった
自分の肉体もスペースシャトルも地球も、
その原型ははるか昔に宇宙でつくられたものだと
すべてはつながっていて、ひとつなんだと
他と私ではなく、万物は一つなのだと」

人間が個に分断され、格差の中で苦しんでいる。
その苦しみのあまり興味と努力は自己へと向かい、
さらなる孤独を生んでいる。
人と人、人といのちを涵養する自然とのつながりが途絶えた
この時代に、必要な映画だと思った。

[movie]ベラ・ガイア

2008年12月03日 | 読み聞き日記
宇宙から地球を眺めるCG映像作品「ベラ・ガイア」を見た。

プラネタリウムみたいなドーム状の天井に、
星や宇宙ステーションや地球が映る。
地球のまわりを高速で飛び回る宇宙船からの景色を
疑似体験できるという感じのもの。動きが速くてちょっと酔った。

YOU TUBEはこちら↓
http://www.treehugger.com/files/2008/11/bella-gaia-planet.php

新しい情報ツールとして、
エンターテイメントや企業のブランディング、教育の教材とかに
展開していきたいという事業構想らしい。

プラネタリウム用映像テクノロジーの日本第一人者が
エバンジェリストとして設立メンバーに入ってたり、
実際にNASAと提携して宇宙ステーションとコネクトし、
リアルタイムで今の雲の状態を見せたりもできるってことで
技術的なバックグラウンドは相当しっかりしてる印象だった。

それに、バイオリンの生演奏を組み合わせたところが面白かった。

そもそもの企画コンセプトは、
「見た人が地球と感情でつながるための、メッセージ性のある映像アートだとか。
地球環境問題を頭で理解して行動を起こす人はいない。
人は感情で動くから、
多くの人が地球に「恋」して、
環境問題に対して感情的に怒りもったら、
世界は変わるんじゃないか、ということらしい。
そのために、美しい地球や世界中の文化を宇宙視点で見せようと。

うんうん。ごもっとも。
地球を感情的に好きになるって
環境の問題にみんなが本気で目を向けるために、
すごく大事なこと。
私も同じところを目指したい。というか目指してる。

ただし、個人的な感想としては、
ベラ・ガイアが、見た人が地球に一目惚れするほど
地球を美しく見せられてたかっていうと?

私が思うに、
地球を感情的に好きになるって、
シートに座って天井に映る映像を目で追うことだけでは不可能。

多分、木もれ日の中ハンモックで昼寝とか、
へとへとになるまで波とたわむれるとか、
恍惚の珊瑚礁の中素潜りとか、
体の細胞レベルで地球を感じるコンテンツと組み合わせたら
もっともっと面白いんじゃないかと思った。

本物の星空の下、木の枝に張ったスクリーンに映して見せるとかさ。