地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

夕方になりかけた、遅い午後の光

2017年06月09日 | たまに詩人になります
夕方になりかけた、遅い午後の光が好きだ。

朝の光は人を前へ、とかきたてる。
その混じり気のなさは、どこか空虚だ。

正午に向かう午前中、空気はふくらんでいく。
世の人のやる気だとか、はたらく人がたてる音だとか、
そういった活動的なものを吸い込んで、ぱんぱんになる。
ぱんぱんの空気が、光を跳ね返す。

午後になりたての時間、
おなかがいっぱいの空気は眠い。
光を跳ね返す元気もなく、余計にすいこんで、
気だるい。

そうして、時は満ち、夕方になりかけた、遅い午後がやってくる。
空気は肩の力を抜いて、今日という日の終わりに向かい始める。
今日1日何があろうと、なかろうと、今日は終わる。

しっとりとしぼみはじめ、光を柔らかく受け止める。
桜の薄い花びらのようになった空気は、
でも、まだ、生気を十分にたたえている。

ほっとしていて、落ち着いていて、
でもどてっとしてもいなくて、
夜のように余計な由無しごとが充満してもいなくて、
なんとなくどうでもいいような、
でもだからこそ、実は一番意味があるような、
そういう時間。

そういう時間を、気負わずに照らす、
夕方になりかけた、遅い午後の光が好きだ。

星降る夜に。

2012年08月15日 | たまに詩人になります
目を閉じて
深呼吸
耳の奥で
人生は音楽になる
星降る夜に


例えば海は、彼方まで続く無窮の水塊のようでいて、
その実、無限のいのちのめぐりとつながりを内包している
島もまた
「なにもない」と通り過ぎてしまえばそれまでの、軒先や道ばたや岩陰に、
そこにある草や土や海とつきあい、食べて寝て暮らしてきた人間の
ぬくもりがしみ込んでいる

虫。

2012年06月06日 | たまに詩人になります
こころをしずかに。

夜風に耳をすませる。

虫がいっぴき、とんでくる。

虫は、歩いている。

6本の足を動かしている。

あまり進んでいないみたいだ。

でも、少しは進んでいる。

確かに進んでいる。

虫はふと、足を止める。

今度は同じ場所で足踏みをする。

よく見ると、6本の足を

1歩ずつ、よせあっている。

一瞬の呼吸のあとで

虫は羽をひろげる。

そして飛び去る。

飛ぶ準備は、ふと、足を止めたところで。

足をたばね、力をたばねて。

ひと呼吸のあとで。

今!

というタイミングで。

その虫にしかわからない。

今しかないという。

タイミングで。

虫は、飛び去った。


これに限る。

2012年03月28日 | たまに詩人になります
のびやかな夜。来るべき夏が粒子となって、はるかな闇にしのびこんでいる。
私はそれを、誰にはばかることなく胸いっぱいに吸い込んでいる。
その生き方をひとことで述べるならば、「味わい尽くす」。これに限る。

人生は、勝ち取るものではなく、味わうものなのである。
何もかもはドラマ。
たった一度きり通り過ぎる、つかのまの夢。
そうなのだから、心の赴くまま、日々暮らし、味気ない世間があの手この手で邪魔をしかけてくるのを、そこはうまいこと切り抜けて、しゃんしゃんとして、生きる。死ぬまで。

これに限る。

つややかな闇。
しとやかな風。
うららかな空気。
はじまりの合図。

これに限る。

今の自分は、いつだって、今しか出会えない真新しい自分なのである。
そうと気付かせてくれない粘土のような時間は、これは牢獄であるから、はやいとこ脱出を試みるべきである。
脱出に失敗したら、ああ。
失敗したなあ。
と失敗を味わって、懲りずにまた脱出を試みるべきである。
世界は、あふれんばかりの、試したことのないことと、出会ったことのない人でできている。

そんな場所でいったい、どうしろというのだ。

さすらう以外に。

春の風

2012年03月10日 | たまに詩人になります
別に何かにへこんでるわけじゃないから心配しないで。
新しい季節の匂いをかぐと、どうしてかセンチメンタルになっちゃうのはなんでだろう。


春の風


まだ夜は肌寒い
頼りない薄着の
若すぎる植物の匂い

何もかもがあの頃とは違っているのに
何もかもがあの頃のままで

みんなでよく行った海に
今年も薄紅色の春が来る

何も持たない僕らが何かを探して
帰れずに座ってた砂の上

僕らが知らない誰かが
今日もタバコに火をつける

何かを持てば幸せになれると
誰かがそう言うから追いかけたけど

抱え込んだいっぱいの荷物で
いつしか僕らは走れなくなった

空っぽの衝動はどこに行ったの
君と一緒に駆け抜けたあの場所は
まだあそこにあるのに

どんなに時が流れても
同じものを見ていられると信じてた
君とならずっと

生きるなんてそんな大げさなこと
わけしり顔で話し出すのはまだ先のこと

それでも
知らなくていいことをたくさん知って
いつしか僕らはお互いを見失ってしまったね

それなのに春はやって来る

僕はもう空っぽじゃないから
薄紅色の風は胸いっぱい吸い込めない

荷物でいっぱいの僕は
だからせめて
目をこらして遠く前を見つめる

くんくんと希望の匂いを嗅ぎ
どこか遠くから聞こえてくるはずの
新しい始まりを告げるファンファーレに耳を澄ます

隣を見てもやっぱり君はいないけど
僕はバカみたいに信じてる

僕らが置き去りにした春に君もまた失望し
それから期待してるんだ

ちょうど僕と同じように。

生まれ来る何かを。

一歩踏み出すたびにできていく道の先に
現れては消える未来が

あの頃に僕らが描いた未来であるように、と

2011年7月10日。

2011年07月08日 | たまに詩人になります
無軌道にして深遠。
奔放にして憂いに満ちた、
その女、カマド。

その日暮らしと言われればうなづくしかない。
ある人々にとって、あたしの日々がそうとしか表現できないこと。
そんなことぐらい、あたしにだってわかっている。
だけど、うなづきながら、意図的につくりあげた穏便な無表情を浮かべているあたしの心に
そのとき浮かんでいるのは、同情だ。
あたしのこの日々を、「その日暮らし」としか表現できない
彼らの発想の貧しさに、あたしは深く同情する。

だけど時を同じくして彼らも、別の意味で、私に同情している。

ああ。人と人は、どうしようもなくわかりあえないものだ。
地球という四次元の地図の上で、人と人の魂は、こんなにも、かけ離れて
それぞれの軌道を描く。

そのことの、なんと不自由なことよ。
そのことの、なんと自由なことよ。
そのことの、なんとあたたかなことよ。
そのことの、なんと孤独なことよ。

自由を謳歌し、孤独に怯え、時間を遊ばせ、ぬくもりに飢えながら
あたしは今日も生きる。死ぬまで。

小さな入り江にて

2011年05月26日 | たまに詩人になります
その1

白い砂の上で出会った 
私たちの時間は
あまりなかったけど
生涯 忘れることできない 本物の蜃気楼
今も胸に残るよ

あなたに手紙を書こうとして
途中で終わったのよ
とわの記憶を前に
言葉は あまりにもつたなくて
思い出に追いつけない

だから歌を歌うよ

神様 彼の夢がかならず
いつか叶いますように
拍手が聞こえるように

白い紙ふぶきが見えるの
みんなが見つめる先
光るあなたの笑顔




その2

ぼくが生まれたとき
名前はなかったけど
ほかには全部あった
雲と空の出会う場所

海と風の出会う場所で
ただ生きているのさ
花と雲が出会う場所で
死ぬまで生きるだけさ

旅に出ようとして
大事なものを並べたら
ひとつだけ足りない
だから君に会いに行く

一歩ずつ歩くんだ
土が雨と歌ってる
君の声が聞けるまで
ぼくはただ生きてる

いつか死ぬ そのときは
そっと世界に手を振って
歌いながら戻ろう
いつか来た帰り道

その瞬間に、人は永遠を知る。

2011年01月21日 | たまに詩人になります
大地から奪い、空に棄てた。
森から奪い、海に棄てた。
夢から奪い、心に棄てた。

もう、おしまいにしないか。
血なまぐさい殺戮と強欲と収奪の日々を。
奪っては棄て、棄てては奪うことを。

私たちの心は、コンクリートでできてはいない。
私たちの体は、電気やガソリンで動くのじゃない。
私たちの命は、大地や森や空や海がつくった。
私たちは、大地や森や空や海、そのもの。

そっとほほをなでてゆく風が運ぶ、
はるか空の下で咲いた花の匂いを、
きみは嗅いだことがあるか。

何千㎞の旅を終えた波がとどろく、
その下の海の静けさに、
きみは抱かれたことがあるか。

月が照らす、
木々の精霊が躍動する真夜中の空気を、
深呼吸したのはいつのことか。

その瞬間に、人は永遠を知る。
心に宿る喜び悲しみの色合いを、きみだけが知るその色合いを、
生涯をかけて、愛する人に伝えてほしい。

奪うのではなく、心に映そう。
棄てるのではなく、そっとしまおう。

満月。

2010年11月25日 | たまに詩人になります
大人になるっていうことは、
持ちものを増やすのじゃなくって、
荷物を捨てていくこと。

かけちがってあったボタンから、
あつめちゃったがらくたから、
解放されていくこと。

裸の子になって、
おつきさまの光を浴びて、
ああ、生きているねって、
金色の夜風を胸いっぱいに
すいこむこと。

グレーの雲がしのびあしで近づいてきた。
さあ、ベッドに戻って夢のつづきを見よう。