「自分の限界がどこまでかを知るために
ぼくは生きてるわけじゃない
だけど新しい扉を開け、海に出れば
波の彼方にちゃんと果てを感じられる
ぼくはこの手のばして空に向かい風を受けて
生きてゆこう」
1996年 my little lover「Hello Again ~昔からある場所」
おかねで買えないものはたくさんあるけど、
一番は「多感さ」なんじゃないかと思う。
この歌が聴こえていた1996年、私は16歳で痛いほど多感だった。
笑えるほどモテない女子高生だったけれど、
当時は全く笑えなかった。
海との出会いはまだ訪れていなかったので、
毎日、「ウチら」のペースに合わせて
自分を「よのなか的な正しい女子高生」に整えるのに必死だった。
心が本当に喜ぶことを知らないと、
世間や他人が気になるのだ。
コインの表と裏のように、世間や他人には敏感だった。
新しい曲、新しい長さのルーズソックス、新しいカバンの持ち方
新しいストニュー、新しい制服の着方、新しいランコムのマスカラ、
新しいヴィトンのライン、新しい種類の男の子たち(B-boyとかチーマーとかね)
新しいベル(ポケベル)の打ち方、、、、
今思えば、宇宙的にはどうでもいいことで、
頭がいっぱいだった。
なんせ時代は、
「crazy gonna crazy」で、
「家で電話を待つよりも歩いてるときに誰か
ベルを鳴らして」で、
「今日が終わるたび 胸をなでおろすなんてやめよう
あきらめること許したらHelloだって言えなくなるから」
だったわけで、
みんなが「自分がイケてなく見られる不安」で胸をキリキリさせながら、
「ウチら」によるランクづけと刺激の消費に明け暮れていたのだ。
2年もするとglobeが、
「刺激に慣れ過ぎてからずいぶんたってる」と歌い出した。
渋センを歩きながらベルが鳴るのを待っていた
100万人の「ウチら」によって、コギャル文化は
どんどん洗練され、進化した。
そしてそれも、今となってはどうでもいいことだ。
通り過ぎて大人になった私には、コギャル文化が
バブル後の混乱と絶望の時代に咲いたあだ花にしか見えない。
それなのに、当時の友達に会うと、
「でも、あの頃ウチら、超楽しかったよね」
って言いたくなっちゃうのはなんでだろう?
※それにしても、当時の小室哲哉はやっぱりスゴかった。
完全に時代を読んでたと思う。
「ウチら」はみんな、夢中だったよ。
ある熱狂が多感さによって生まれ、
熱狂は、燃え尽きた姿をさらすことで
多感さを裏切る。
熱狂の裏切りを見せつけられて、心は多感さを失う。
話が見えなくなってきたけど、
もうひとつ思い出したこと。
深刻にモテなかった私でも、
たまには恋が芽吹くことがあった。
ある時、2つ年上の、まわりに取り巻きをはべらせているような
やたら態度が大きくて粗野で乱暴なのに、
遊び方が面白くてたまに優しい、なんだかとてつもなく大物っぽい人が
(って言ったって18歳とかで、完全に小僧だけどねw)
私に興味を持った。
みんなでキャンプをしに行った時、
2日目の朝、とりまきの1人が女子テントにいた私を呼びに来て(ってこの手口がまたウケるけど)
○○くんが話があるっていうから来て。と
連れて行かれた。
すると、○○さんはテントの一番奥で、
野武士のように部下をしたがえて、ドドーンと座っていた。
私が入り口付近でおずおずしていると、
その場所に座ったまま、彼は私を手招きし、
私が近づくと言った。
「昨日から、みんなで会話してて誰かが詰まったりすると、
全部お前がフォローしてる。
お前は勘がよくて優しくていい女だ。おれはお前が好きだ。」
言いたい事はそれだけだ、的に女子テントに戻され、
後日ポケベルでデートに誘われた。
ところが、
その人は私の友達と付き合っていた。
2人はあんまりうまくいってなかった。
それなのに、くそまじめで義理堅く、そして、仲間外れが怖かった私はどうしても、
友達に隠れて、その人とデートすることができなかった。
すごく興味があったのに。その人にも、その人の彼女というポジションにも。
もしあのとき、ロンバケのモモちゃんみたいに、
「好きっていう気持ちは一番偉いんだよ!」なんて言い放って
デートしていたら、
思いっきり好きになって、取り巻きから「○○さんの彼女」ってちやほやされて、
高価なプレゼントとかもらって、たぶん結局泣かされて、
友達連中からはハブにされて(仲間外れにされて)
全然違う人生になってたかもしれない。
回想にかまけて脱線した。
多感な私は、短くて偏ってて弱くて鋭かった。
あれから14年も経ってしまって、
絶対にならないと思っていた30歳にもなり、
今だったら、と考えてみる。
多感さは失われ、かわりに
長い全体的な視野でものごとをとらえるクセがつき、ある意味鈍い。
思い詰めない。
だから、今だったらきっと、一度ぐらいデートしてみるだろうと思う。
書ききれないほどの色々な理由で、そう思う。
すべての人間関係つまるところ縁だから。とか。
一回デートするぐらい大した問題じゃない。とか。
女は男で変わるから。とか。
いずれにしても、人生に対して、わかったようなフリをするのが
うまくなってしまった。
それで、飽きている。
こういうときは、恋と旅が特効薬なのに、
どちらも足りない。
極彩色が戻ってこない。
ぼくは生きてるわけじゃない
だけど新しい扉を開け、海に出れば
波の彼方にちゃんと果てを感じられる
ぼくはこの手のばして空に向かい風を受けて
生きてゆこう」
1996年 my little lover「Hello Again ~昔からある場所」
おかねで買えないものはたくさんあるけど、
一番は「多感さ」なんじゃないかと思う。
この歌が聴こえていた1996年、私は16歳で痛いほど多感だった。
笑えるほどモテない女子高生だったけれど、
当時は全く笑えなかった。
海との出会いはまだ訪れていなかったので、
毎日、「ウチら」のペースに合わせて
自分を「よのなか的な正しい女子高生」に整えるのに必死だった。
心が本当に喜ぶことを知らないと、
世間や他人が気になるのだ。
コインの表と裏のように、世間や他人には敏感だった。
新しい曲、新しい長さのルーズソックス、新しいカバンの持ち方
新しいストニュー、新しい制服の着方、新しいランコムのマスカラ、
新しいヴィトンのライン、新しい種類の男の子たち(B-boyとかチーマーとかね)
新しいベル(ポケベル)の打ち方、、、、
今思えば、宇宙的にはどうでもいいことで、
頭がいっぱいだった。
なんせ時代は、
「crazy gonna crazy」で、
「家で電話を待つよりも歩いてるときに誰か
ベルを鳴らして」で、
「今日が終わるたび 胸をなでおろすなんてやめよう
あきらめること許したらHelloだって言えなくなるから」
だったわけで、
みんなが「自分がイケてなく見られる不安」で胸をキリキリさせながら、
「ウチら」によるランクづけと刺激の消費に明け暮れていたのだ。
2年もするとglobeが、
「刺激に慣れ過ぎてからずいぶんたってる」と歌い出した。
渋センを歩きながらベルが鳴るのを待っていた
100万人の「ウチら」によって、コギャル文化は
どんどん洗練され、進化した。
そしてそれも、今となってはどうでもいいことだ。
通り過ぎて大人になった私には、コギャル文化が
バブル後の混乱と絶望の時代に咲いたあだ花にしか見えない。
それなのに、当時の友達に会うと、
「でも、あの頃ウチら、超楽しかったよね」
って言いたくなっちゃうのはなんでだろう?
※それにしても、当時の小室哲哉はやっぱりスゴかった。
完全に時代を読んでたと思う。
「ウチら」はみんな、夢中だったよ。
ある熱狂が多感さによって生まれ、
熱狂は、燃え尽きた姿をさらすことで
多感さを裏切る。
熱狂の裏切りを見せつけられて、心は多感さを失う。
話が見えなくなってきたけど、
もうひとつ思い出したこと。
深刻にモテなかった私でも、
たまには恋が芽吹くことがあった。
ある時、2つ年上の、まわりに取り巻きをはべらせているような
やたら態度が大きくて粗野で乱暴なのに、
遊び方が面白くてたまに優しい、なんだかとてつもなく大物っぽい人が
(って言ったって18歳とかで、完全に小僧だけどねw)
私に興味を持った。
みんなでキャンプをしに行った時、
2日目の朝、とりまきの1人が女子テントにいた私を呼びに来て(ってこの手口がまたウケるけど)
○○くんが話があるっていうから来て。と
連れて行かれた。
すると、○○さんはテントの一番奥で、
野武士のように部下をしたがえて、ドドーンと座っていた。
私が入り口付近でおずおずしていると、
その場所に座ったまま、彼は私を手招きし、
私が近づくと言った。
「昨日から、みんなで会話してて誰かが詰まったりすると、
全部お前がフォローしてる。
お前は勘がよくて優しくていい女だ。おれはお前が好きだ。」
言いたい事はそれだけだ、的に女子テントに戻され、
後日ポケベルでデートに誘われた。
ところが、
その人は私の友達と付き合っていた。
2人はあんまりうまくいってなかった。
それなのに、くそまじめで義理堅く、そして、仲間外れが怖かった私はどうしても、
友達に隠れて、その人とデートすることができなかった。
すごく興味があったのに。その人にも、その人の彼女というポジションにも。
もしあのとき、ロンバケのモモちゃんみたいに、
「好きっていう気持ちは一番偉いんだよ!」なんて言い放って
デートしていたら、
思いっきり好きになって、取り巻きから「○○さんの彼女」ってちやほやされて、
高価なプレゼントとかもらって、たぶん結局泣かされて、
友達連中からはハブにされて(仲間外れにされて)
全然違う人生になってたかもしれない。
回想にかまけて脱線した。
多感な私は、短くて偏ってて弱くて鋭かった。
あれから14年も経ってしまって、
絶対にならないと思っていた30歳にもなり、
今だったら、と考えてみる。
多感さは失われ、かわりに
長い全体的な視野でものごとをとらえるクセがつき、ある意味鈍い。
思い詰めない。
だから、今だったらきっと、一度ぐらいデートしてみるだろうと思う。
書ききれないほどの色々な理由で、そう思う。
すべての人間関係つまるところ縁だから。とか。
一回デートするぐらい大した問題じゃない。とか。
女は男で変わるから。とか。
いずれにしても、人生に対して、わかったようなフリをするのが
うまくなってしまった。
それで、飽きている。
こういうときは、恋と旅が特効薬なのに、
どちらも足りない。
極彩色が戻ってこない。