R水素のお仕事を始めて、エネルギーのことを深く知る努力をするようになってから、
冷凍食品を買うことができなくなった。
「電気を大切に」した方がいいことは、知っていた。
東京電力のCMででんこちゃんも言っているし、家ではよく電気をつけっぱなしにして叱られたから。
でも、コトの重大さを知らなかったのだ。
今の日本で電気を使うと、
核のゴミが、どんどん、どんどん溜まるしくみになっている。
ャな感じだ。
「みんながたくさん使うから」「発電するときにCO2を出さないから」
というのを口実に、核のゴミを出す原子力発電所が増やされようとしている。
核のゴミを、もっと危険な核のゴミにする過程で、
長崎に落とされた原爆の原料であるプルトニウムを取り出す「再処理工場(六カ所村)」や、
そのプルトニウムを半永久的に使い回して発電し続ける(と、机上では考えられている)「高速増殖炉(もんじゅ)」の
研究開発に、莫大な税金が投じられている。
この「核燃料サイクル」という構想(もはや妄想)を、日本より先に進めていたイギリスやアメリカは、
「実現はムリッ。お金かかりすぎるし、もうやめよう。」と考えてあきらめた。
問題だらけで金食い虫の核のゴミを出さない火力発電所の電気も、
使えば使うほど、気候変動を加速させるCO2が出る。
やっぱり、ャな感じだ。
そこで、
核やらCO2やら、ゴミを出す方法でつくった電気は買いたくないと思っても、選択肢は事実上、ない。
電力ビジネスが地域独占になっているから、東京に住んでいたら東京電力、名古屋に住んでいたら中部電力、大阪に住んでいたら関西電力と契約するしかない。
ちなみに、日本ではこれが当たり前だけど、世界の常識ではない。
独占が許された電力会社には特別な会計方法が認められていて、赤字にならないように
電気代を設定することができる。
「電気つくるのに原価がこれだけかかっちゃったから、電気代上げます。」という都合が
尊重されるしくみになっている。
つまり、電力会社は国から特別扱いされている。
国が特別扱いする電力会社に、経済産業省資源エネルギー庁の人が好待遇で転職したりする。
俗に言う、天下りだ。
ますます、ャな感じだ。
そこで、自宅の屋根に太陽光発電パネルを設置して、せめて自分と家族だけでも、
降り注ぐままにダダ漏れになっていて、ゴミを出さないエネルギーで暮らしたいと思っても、
難しい。
太陽光パネルは、昼間しか発電しないので、
夜、明かりやパソコンの動力が必要なときに、使える電気がない。
なので、電線にもつないでおいて、昼間余った分は電力会社に売り、
夜に足りない分は、電力会社から原子力と気候変動リスク入りの
電気を買うしかない。
本当は、獲れすぎた大根を漬物にして保存するように、
できすぎた電気を溜めておいて、夜に使えればいい。
それが、R水素だ。
昼間に余った電気で水を電気分解して水素にして溜めておき、
夜に必要な分を、水素発電装置で電気に戻して使う。
H2O(水)が電気の力でH(水素)とO(酸素)になり、Hが空気中のOと反応して
水に戻る過程で出る電気を使う。Cはかやの外なので、CO2は出ないし、核のゴミなんて出るはずもない。
こんなにいい方法があるのに、みんなそれを知らないし、
国のエネルギー政策にも入っていない。
なぜだろう?
理由は案外、簡単かもしれない。
みんながこの方法を選んで、自家製のエネルギーで暮らすようになったら、
電力会社から買う必要がなくなり、電力会社は儲からない。
それだけじゃない。
大規模な原子力発電所や火力発電所の建設がいらなくなるから、
ゼネコンや重工業の会社ももうからない。
ウランや石油や天然ガスを外国から調達してくる商社のエネルギー部門も、
タンカーをつくったり動かしたりする造船会社や海運会社も、
そこにかける保険を扱う損保も、
化石燃料への投資で稼ぐ投資銀行も、儲からない。
つまり、
限られた場所に限られた量しかない化石燃料がもたらす利益を
一部の人が奪い合い、トップダウンで私たちに供給することが
今の社会の政治・経済・生活文化の前提になってしまっている。
その社会では、
ウラン鉱山や原子力発電所の現場で被曝労働を余儀なくされた人が働き、
化石燃料の奪い合いが、戦争と、戦争が生む難民や貧困や少女売春や児童労働を生み、
オイルマネーに支えられたミャンマーの軍事政権がパイプライン建設地の村を焼き払い、
投機にまわったオイルマネーが不動産や穀物や化石燃料そのものの価格を押し上げて、
途上国や日本ですら生活苦を生み出している。
電気を使うということは、そういう闇のスパイラルに加担することだ。
だから、本当は、必要最小限の明かりやパソコンのための電気を使うのもいやだ。
それなのに、スーパーで扉もない冷凍庫に並んだ冷凍食品を見ると、
「正気の沙汰ではない」と思う。
後ろで苦しんでいる人がいることなんて素知らぬふりの
ムダづかいは、見るに堪えない。
知ってしまったことで、冷凍食品を買うことができなくなった。
キング牧師の言葉に、こんなものがある。
「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。」
善人の沈黙がもたらす悲劇が起きているのは、
自分と自分の大切な人々が暮らす今、ここにある社会だ。
エネルギー、金融、グローバル産業複合体、メディア・・・。
何かよくわからないけれど、とても太刀打ちできそうもない
巨大権力の存在に、脱力してる場合じゃない。
冷凍食品を買うことができなくなった。
「電気を大切に」した方がいいことは、知っていた。
東京電力のCMででんこちゃんも言っているし、家ではよく電気をつけっぱなしにして叱られたから。
でも、コトの重大さを知らなかったのだ。
今の日本で電気を使うと、
核のゴミが、どんどん、どんどん溜まるしくみになっている。
ャな感じだ。
「みんながたくさん使うから」「発電するときにCO2を出さないから」
というのを口実に、核のゴミを出す原子力発電所が増やされようとしている。
核のゴミを、もっと危険な核のゴミにする過程で、
長崎に落とされた原爆の原料であるプルトニウムを取り出す「再処理工場(六カ所村)」や、
そのプルトニウムを半永久的に使い回して発電し続ける(と、机上では考えられている)「高速増殖炉(もんじゅ)」の
研究開発に、莫大な税金が投じられている。
この「核燃料サイクル」という構想(もはや妄想)を、日本より先に進めていたイギリスやアメリカは、
「実現はムリッ。お金かかりすぎるし、もうやめよう。」と考えてあきらめた。
問題だらけで金食い虫の核のゴミを出さない火力発電所の電気も、
使えば使うほど、気候変動を加速させるCO2が出る。
やっぱり、ャな感じだ。
そこで、
核やらCO2やら、ゴミを出す方法でつくった電気は買いたくないと思っても、選択肢は事実上、ない。
電力ビジネスが地域独占になっているから、東京に住んでいたら東京電力、名古屋に住んでいたら中部電力、大阪に住んでいたら関西電力と契約するしかない。
ちなみに、日本ではこれが当たり前だけど、世界の常識ではない。
独占が許された電力会社には特別な会計方法が認められていて、赤字にならないように
電気代を設定することができる。
「電気つくるのに原価がこれだけかかっちゃったから、電気代上げます。」という都合が
尊重されるしくみになっている。
つまり、電力会社は国から特別扱いされている。
国が特別扱いする電力会社に、経済産業省資源エネルギー庁の人が好待遇で転職したりする。
俗に言う、天下りだ。
ますます、ャな感じだ。
そこで、自宅の屋根に太陽光発電パネルを設置して、せめて自分と家族だけでも、
降り注ぐままにダダ漏れになっていて、ゴミを出さないエネルギーで暮らしたいと思っても、
難しい。
太陽光パネルは、昼間しか発電しないので、
夜、明かりやパソコンの動力が必要なときに、使える電気がない。
なので、電線にもつないでおいて、昼間余った分は電力会社に売り、
夜に足りない分は、電力会社から原子力と気候変動リスク入りの
電気を買うしかない。
本当は、獲れすぎた大根を漬物にして保存するように、
できすぎた電気を溜めておいて、夜に使えればいい。
それが、R水素だ。
昼間に余った電気で水を電気分解して水素にして溜めておき、
夜に必要な分を、水素発電装置で電気に戻して使う。
H2O(水)が電気の力でH(水素)とO(酸素)になり、Hが空気中のOと反応して
水に戻る過程で出る電気を使う。Cはかやの外なので、CO2は出ないし、核のゴミなんて出るはずもない。
こんなにいい方法があるのに、みんなそれを知らないし、
国のエネルギー政策にも入っていない。
なぜだろう?
理由は案外、簡単かもしれない。
みんながこの方法を選んで、自家製のエネルギーで暮らすようになったら、
電力会社から買う必要がなくなり、電力会社は儲からない。
それだけじゃない。
大規模な原子力発電所や火力発電所の建設がいらなくなるから、
ゼネコンや重工業の会社ももうからない。
ウランや石油や天然ガスを外国から調達してくる商社のエネルギー部門も、
タンカーをつくったり動かしたりする造船会社や海運会社も、
そこにかける保険を扱う損保も、
化石燃料への投資で稼ぐ投資銀行も、儲からない。
つまり、
限られた場所に限られた量しかない化石燃料がもたらす利益を
一部の人が奪い合い、トップダウンで私たちに供給することが
今の社会の政治・経済・生活文化の前提になってしまっている。
その社会では、
ウラン鉱山や原子力発電所の現場で被曝労働を余儀なくされた人が働き、
化石燃料の奪い合いが、戦争と、戦争が生む難民や貧困や少女売春や児童労働を生み、
オイルマネーに支えられたミャンマーの軍事政権がパイプライン建設地の村を焼き払い、
投機にまわったオイルマネーが不動産や穀物や化石燃料そのものの価格を押し上げて、
途上国や日本ですら生活苦を生み出している。
電気を使うということは、そういう闇のスパイラルに加担することだ。
だから、本当は、必要最小限の明かりやパソコンのための電気を使うのもいやだ。
それなのに、スーパーで扉もない冷凍庫に並んだ冷凍食品を見ると、
「正気の沙汰ではない」と思う。
後ろで苦しんでいる人がいることなんて素知らぬふりの
ムダづかいは、見るに堪えない。
知ってしまったことで、冷凍食品を買うことができなくなった。
キング牧師の言葉に、こんなものがある。
「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。」
善人の沈黙がもたらす悲劇が起きているのは、
自分と自分の大切な人々が暮らす今、ここにある社会だ。
エネルギー、金融、グローバル産業複合体、メディア・・・。
何かよくわからないけれど、とても太刀打ちできそうもない
巨大権力の存在に、脱力してる場合じゃない。