怒濤の9月が終わります。
台風直撃の暴風雨とともに終わった8月は遠い昔。
9月に入ると、秋の気が天高く冴えわたり、
夏の熱気が引き潮のように遠のいて行きました。
9月は、一年で一番好きな季節です。
「9月=夏休みの後半戦」だった大学生時代の名残でしょうか。
観光客がいなくなり、7月の太陽が温めたあたたかい海が
サーファーとウィンドサーファーの手に帰ってくるからでもあります。
真夏の喧噪もまたよしですが、
やっぱり海は静かな方がいい。
ハマヒルガオが忘れられたように
風に吹かれているぐらいがちょうどいいのです。
そんな晴れた秋の月曜日、
がら空きのいすみ川河口ポイントでサーフしました。
最近、おとなりの庭の手入れをしていた
サーファーからこっそり教えてもらった、
あまり知られていないポイントです。
その証拠に、一宮や太東はそれなりに混んでいた今日も、
MAX3人で、胸肩サイズのポイントブレイクを分け合う事ができました。
週休二日の週末サーファーだったころは、
会社のパソコンから波情報サイトにアクセスしては、
乗れないファンウェーブに思いを馳せるのが
日課でした。
夏に台風が来れば、3時半(もちろんAM)に家を出て、
日の出前に入水、6時に上がって帰ってシャワーを浴びて
着替え、7時半の電車に乗り出勤、なんてこともありました。
実力はさておき、
波乗りに対する心の勢いだけは、自慢の種でした。
GWと夏休みと年末年始は、
学生時代の仲間と予定を合わせて海外サーフトリップへ。
行き先を話し合うために飲み会を開き、
週末に別グループのメンバーと海で会えば、
サーフトリップ先の情報交換をし、
スーツを買うのにはケチるお給料を
旅費には惜しげもなくつぎこみました。
何にかりたてられていたんだろう、となつかしく思い出す日が
来るとは夢にも思わず、ただ、心のおもむくままに
時間をみつけては海に通っていました。
ひとことで言えば、ウィンドサーフィンに明け暮れた青春の熱が、
まだ続いていたのだと思います。
そのうち、
よくある話ですが、
同じテンションで波乗り遊びに取り憑かれていた
仲間は一人またひとりと、
お父さんやお母さんになったり、
イギリスに留学したり、北海道へお嫁に行ったり、
転勤で新潟に旅立ったりと、
「それぞれの大切な事情」が
「みんなでのんびりサーフィン」の時間を
少しずつのみこんでゆきました。
時を同じくして、
私自身も、忙しい会社で激務をこなし、
週末にサーフィンをしているだけでは
自分に満足できなくなっていました。
そして、持って生まれた情熱をぶつける先を、
探し始めたのです。
それから数年経った今日、あの頃ならパソコンの前で眠気と戦っていた
月曜日の昼下がりに、仲間のいない海でサーフィンをしました。
私は、フリーライターで、思いは現実になることや、
縁がある人とはベストのタイミングで出会えることをもう知っていて、
自分が元気でいられる心のバランスの取り方も知っていて、
マクロビオティックのお料理を少し覚え、
食とエネルギーをテーマに社会を変える仕事をしたいと思っている
人になっています。
なにかが少しずつ変わっていき、
いつのまにか、ずいぶん遠くに来たんだな、と思いました。
でも、結局、海のある田舎を人生の舞台に選び、
こうしてサーフィンをしているんだな、と思いました。
思い出はかけがえがなく、
何があろうとなかろうと、人生は一度きりに
通り過ぎる。
私の存在は砂粒よりも小さいけれど、
世界にたったひとつしかないという点では
地球と同じ。
波乗りは、文句なく楽しい遊びですが、
たまにこうして、人生に潜む真実のようなもの、
自分というものの存在をはっきりと見せてくれるような気がします。
台風直撃の暴風雨とともに終わった8月は遠い昔。
9月に入ると、秋の気が天高く冴えわたり、
夏の熱気が引き潮のように遠のいて行きました。
9月は、一年で一番好きな季節です。
「9月=夏休みの後半戦」だった大学生時代の名残でしょうか。
観光客がいなくなり、7月の太陽が温めたあたたかい海が
サーファーとウィンドサーファーの手に帰ってくるからでもあります。
真夏の喧噪もまたよしですが、
やっぱり海は静かな方がいい。
ハマヒルガオが忘れられたように
風に吹かれているぐらいがちょうどいいのです。
そんな晴れた秋の月曜日、
がら空きのいすみ川河口ポイントでサーフしました。
最近、おとなりの庭の手入れをしていた
サーファーからこっそり教えてもらった、
あまり知られていないポイントです。
その証拠に、一宮や太東はそれなりに混んでいた今日も、
MAX3人で、胸肩サイズのポイントブレイクを分け合う事ができました。
週休二日の週末サーファーだったころは、
会社のパソコンから波情報サイトにアクセスしては、
乗れないファンウェーブに思いを馳せるのが
日課でした。
夏に台風が来れば、3時半(もちろんAM)に家を出て、
日の出前に入水、6時に上がって帰ってシャワーを浴びて
着替え、7時半の電車に乗り出勤、なんてこともありました。
実力はさておき、
波乗りに対する心の勢いだけは、自慢の種でした。
GWと夏休みと年末年始は、
学生時代の仲間と予定を合わせて海外サーフトリップへ。
行き先を話し合うために飲み会を開き、
週末に別グループのメンバーと海で会えば、
サーフトリップ先の情報交換をし、
スーツを買うのにはケチるお給料を
旅費には惜しげもなくつぎこみました。
何にかりたてられていたんだろう、となつかしく思い出す日が
来るとは夢にも思わず、ただ、心のおもむくままに
時間をみつけては海に通っていました。
ひとことで言えば、ウィンドサーフィンに明け暮れた青春の熱が、
まだ続いていたのだと思います。
そのうち、
よくある話ですが、
同じテンションで波乗り遊びに取り憑かれていた
仲間は一人またひとりと、
お父さんやお母さんになったり、
イギリスに留学したり、北海道へお嫁に行ったり、
転勤で新潟に旅立ったりと、
「それぞれの大切な事情」が
「みんなでのんびりサーフィン」の時間を
少しずつのみこんでゆきました。
時を同じくして、
私自身も、忙しい会社で激務をこなし、
週末にサーフィンをしているだけでは
自分に満足できなくなっていました。
そして、持って生まれた情熱をぶつける先を、
探し始めたのです。
それから数年経った今日、あの頃ならパソコンの前で眠気と戦っていた
月曜日の昼下がりに、仲間のいない海でサーフィンをしました。
私は、フリーライターで、思いは現実になることや、
縁がある人とはベストのタイミングで出会えることをもう知っていて、
自分が元気でいられる心のバランスの取り方も知っていて、
マクロビオティックのお料理を少し覚え、
食とエネルギーをテーマに社会を変える仕事をしたいと思っている
人になっています。
なにかが少しずつ変わっていき、
いつのまにか、ずいぶん遠くに来たんだな、と思いました。
でも、結局、海のある田舎を人生の舞台に選び、
こうしてサーフィンをしているんだな、と思いました。
思い出はかけがえがなく、
何があろうとなかろうと、人生は一度きりに
通り過ぎる。
私の存在は砂粒よりも小さいけれど、
世界にたったひとつしかないという点では
地球と同じ。
波乗りは、文句なく楽しい遊びですが、
たまにこうして、人生に潜む真実のようなもの、
自分というものの存在をはっきりと見せてくれるような気がします。