地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

ハワイイ滞在記 最終章 人生は自分自身に還る旅

2010年02月27日 | お仕事日記
2月24日、私は17日間にわたるハワイイの旅を終えた。

もともと、人生を楽しむことにおいてはちょっとした自信があるけれど、
その実力(?)が余すところなく発揮された(笑)奇跡に満ちあふれた旅だった。

ところで、私は今、フリーライターとしてごはんを食べている。

振り返って、実家の本棚を眺めてみると、「フリーライターになって稼ぐ本!」とか「売文稼業」などといったノウハウ本がホコリをかぶってそこにいる。それらの本を買った当時、私にとってフリーライターという職業は壁の向こうの存在で、そのいかにも自由でクリエイティブな感じの語感に憧れだけを抱いていた。きっと、波がいいときにサーフィンに行けるんだろうなあ、それってすごく大事なことだよなあ、なんて思いながら、通勤ラッシュの満員電車に揺られていた。「このままじゃいやだ」という漠然とした不満と憂鬱が、常に心の底に渦巻いていた。

夢だったら、ほかにもあった。大手出版社や放送局で働いてみたかったし、ROXYガールにだってなりたかった。プロスポーツ選手の妻に憧れたり、起業して上場して一攫千金なんていうのが、かなり現実味をもった選択肢だったこともある。

全部、今のところは、できていない。
だから、「すべての」思考が現実化するとは言わない。
だけれども、思わないことは、現実化しない。
そして、思考をスタート地点にして動き出した後、旅の途上には、思いがけないジャンプ台が用意されている。
旅で起きるデキゴトや出会いを無数の点に例えると、その点はツボのようにつながり影響を及ぼし合っていて、ある日突然、立体的な現実像を結び、ジャンプ台となって目の前に現れる。
そのジャンプ台は時に、底なしの落とし穴のふりをしていることもある。
ところが、落ちたと思ってもがき苦しんでいると、別の次元に転がり出たりする。
スタート地点で私が進む道について「思考する」ことは、「私」にしかできないことで、なぜかというと、ヒントを与えてくれる「体」と「心」のメッセージは、「私」にしか聞こえないから。だから、私には、自分の内なる声に耳を傾ける責任がある。
内なる声に耳をかたむけ、思考化して、最初の一歩を踏み出せば、かならずジャンプ台が用意されているのだ。

今回の旅は、そういう、人生の真実みたいなものの、ひとつの顕現だった。23歳でフリーライターになろうとした時点で、よもや30歳を前にして、17日間もハワイイの旅ができるとは思ってもみなかったし、それがこんなにスピリチュアルな学び多き旅になるとは想像もしなかった。でも、振り返ってみれば、それができたのは、23歳で内なる声を信じて行動を起こしたからだ。

最初のワイキキ滞在の日程が、ウィンドサーフィン時代の先輩たちとたまたま一致して、一緒に最高の時間を過ごす事ができた。
カラーニでは由美子さんの日程とたまたま一致したおかげで1週間も滞在することができて、(ふつうに泊まったら高くてとても無理だった!)ハワイ歴15年の由美子さんからハワイイやフラ文化の薫陶を受け、たくさんの新しい経験や恵みをいただくことができた。(やばい!書いているうちに感謝の涙が出てきた)72歳の素敵なお友達ができるなんて思いもしなかった。
コナとワイキキでは、ガイさんと奥さんのリカさんから、さまざまな「希望のテクノロジー」や「人」や「教え」との出会いをいただけた。
ノースショアでは、見ているだけで腰が抜けるほどの大波と調和をなすエキスパートサーファーたちの生きた芸術に酔った。

全部、「地球の歩き方 ハワイ」には書いてないことで、全部、たまたま、だ。

そして、起きることすべてに感謝して、みずみずしい心で過ごせたのは、毎日のように海に入って波に乗り、地球のエネルギーを全身で受け止めていたから。絶対にそう。間違いない。

旅という限定的なタイムフレームにおいては、誰もが目の前の時間に集中する。起きることすべてに機敏に反応し、少しでも楽しもうとする。意識がその状態に入ると、誰かが決めた決まりごとはあまり意味をなさなくなり、自分の心に集中することになる。そうすることによって、ありのままの自分に忠実に過ごすと、結果として精神のめぐりがよくなり、心のコリが解消され、とてつもなくスッキリする。

でも本来は、人生も同じ。
たまたま生まれて来て、宇宙の誕生から137億年という壮大な時間のうちのほんの80年やそこら、地球という星の生態系に合わせた肉体を間借りし、肉体の死とともに去っていく、ちょっとした旅に過ぎない。

だから、思いわずらうことなく楽しく生きればいいのだ。

マヤ歴の教えによると、私は遊ぶために生まれて来て、使命はそれを人に見せることらしい。奇しくもガイさんの家でリカさんに薦めてもらって引いたOshoのカードでは、「Playfulness」と「Creation」が出た。合わせると、「人生はそんなに深刻なものではなく、遊びに満ちたものだということを、表現して人に伝えていく」と読み取れた。

まわりにいる人を尊重し、人と自分に優劣をつけないこと。
過去を後悔せず、未来を不安視せず、「今ここ」に集中すること。

大事なことをちゃんと大事にして、今回のこの旅を、いい人生にしようと思う。

ハワイイ滞在記vol.10 ワイピオの啓示

2010年02月27日 | お仕事日記
カラーニを出て、コナに向かう移動の日、
ワイピオ渓谷に立ち寄った。

ハワイ語でワイは水。ピオはピュア。
清廉な水、の名を持つ渓谷は、ハワイイ特有の地形である   
のお手本のような、端正な姿をしている。
背後にV字の崖を背負った三角形の小さな平地。前面は海だ。

四駆があれば転げ落ちるような坂道を下りてゆき、
渓谷の底にある古代集落やそこから見上げる二本の滝、
ずっと昔から大地を削って渓谷を生み出し今もなお流れ続ける川、
弓なりの小さなブラックサンドビーチなどを
散策することができたのだけど、
あいにく私の愛車はVERSAという日産のコンパクトカー。

カラーニやパホアの街、ヒロの街との別れを惜しみすぎたせいで、
ツアーバスが出る時間もとっくに過ぎていた。

だから、
崖の上に位置する見晴し台から、ただただ、渓谷の全景を眺めていた。

眺めるというのは、例えば東京タワーの展望台に上って360度の東京全景を見渡したって、
30分もあれば事足りる行為だ。

ところが、私はそのただの渓谷を、実に2時間も、角度も変えず(変えようがない笑)
穴があくほど見つめていたのだ。
見ていたようで、実は見られていたのかもしれない。
魅入られた。のかもしれない。

天気はハワイに着いて初めての曇りで、
空気は蒸気を多めに含んでしっとりしていた。
世界は淡くかすんでいた。

ロイによるとサーフスポットでもあるという
ブラックサンドビーチには、
シーツのしわのようなうねりがいつ果てるともなくやって来ては、
波打ち際でこらえきれずに白い泡となって長い旅を終える。

動くものといえばそのくらいだ。

そんな風景を、昼下がりから、空気に夕方の気配が混じり始めるころまで、
ただただ見つめていたら、たまらなく、書きたくなってきた。
それは、ハワイで過ごしたそれまでの10日間で、
頭の中で像を結んでは霧に帰り、浮かんでは消えていた
ビジョンのようなものが、突然確かな、体積を持った塊になって現れたというような、
不思議な感覚だった。

私はすぐさま、目の前にあったテーブルに向かい、
カバンに入っていた、表紙に
「食とエネルギー アイデアメモ」と書いた
無印良品製のドット付きノートに
なるべく、そのまま、書き取った。

書いたものは、これだ。



**********


ある朝目を覚ますと、世界は一変していた。

ミネラルをたっぷり含んだみずみずしい空気を吸い込むと、ほのかな花の香りが鼻先をかすめる。ひょっとすると、先週あたりから咲き始めたプルメリアの香りかもしれない。起きぬけにこころに灯った自然愛に幸福を感じながら、枕元のリコーGRを手に玄関を出ると、かれんな白い花びらを輝かせる香りの主に挨拶代わりのシャッターを切る。

今日も、一回限りの美しい一日が始まった。

ほどなくして、ほら貝の音が風にのって届き、朝食の時間を告げる。

さあ、歩いて、食堂に行こう。

ざぶざぶと洗った顔をふかふかのタオルにうずめた後、
裸足にビーチサンダルをつっかけて、小屋を出る。

10歩、歩いたところで、フラダンサーのリチャードに出くわした。
「ホノミ、君は昨日の晩、沖で鳴いていたくじらの声を聞いたかい?」
「いいえ、私の小屋からは聞こえなかったわ」
「それは残念。僕の小屋からはよく聞こえたんだ。ところで、ハリウッドで公開された、日本の捕鯨の村を舞台にした悲しい物語は知っている?」
「知らない。けれどあまりその手の話は聞きたくないわ。日本人としてはね。なぜ牛はよくてクジラはダメなの?という質問の答えが用意されていない限りは」
「ごめんごめん。僕だって朝から議論をふっかけるつもりじゃない。さあ、今日の朝メシは何かな?」
「今日のシェフはクラウディオのはずだから、きっとイタリアンよ。」

私の予想は見事に的中し、食堂のサーブコーナーに並んだ大型のバットには、たっぷりのマカロニがたっぷりのトマトソースにからまっていた。隣のサラダコーナーには、大きなミックスレタスのボウル。加えて、トマト、揚げたエッグプラント、カッテージチーズ、パプリカ、オリーブ、スプラウト、アーティチョークなどが彩り豊かにバットに小分けにされてある。私はリチャードと並んで、ALL FREEの食事を必要な分だけトングでお皿に盛りつける。すべてオーガニック、すべて半径3キロ以内で収穫された食べものだ。

このエリアの土壌の生理や生態系を理解し、無理のない範囲で最大限の野菜や穀物を栽培するフード・クリエイト・システムのおかげで、ここカラーニで出される食事はすべてフリーだ。システムは年に一度、土壌をスキャニングする。チッソ、リン酸、カリ、それに多くの微量元素(つまりはミネラル類)の配分が適性に保たれているかをチェックするのだ。足りない元素は、食べのこしや雑草から生成された有機物で補う。男女がセックスをして人間がクリエイトされるのがフリーなのと同じように、人間が生きるために必要な食事もフリー。それがカラーニの常識だ。フード・クリエイト・システムは、ありあまる太陽エネルギーと、海洋温度差発電プラントによって生み出される電力で24時間365日、FREEで動いている。

家屋は、ホノミがスピリチュアル・メディテーション・レベルのクラスを終えてここに移って来たときにはすでに用意されていた。クローゼットには、ホノミが裸でうろつきまわる必要も、寒さで風邪をひく危険性もないだけの十分な衣服が収められていた。だからホノミは、ただそれらの服をあれこれと組み合わせたり、自分で刺繍をほどこしたり、縫い目をほどいてパンツをバッグにリメイクしたり、好きにアレンジして身につけている。ときどき、恋人のアレックスのところに行くときは、ホノミが一番気に入っている、亜麻をサクラで染めたうすピンクのワンピースを着る。そして、小さな球体にエメラルドグリーンの海を閉じ込めたようなトンボ玉のネックレスをつける。そうすると、ホノミはまるでヤシの木陰に棲む妖精のようになる。ホノミの髪は海を渡ってくる風、瞳はたわわに実るアボカド、うぶ毛におおわれた肌はアカノゲラのおなか。

ホノミだけでなくここに住む誰もが、FREEの衣食住を与えられてここにいる。そればかりか医療と教育もFREEだ。それでホノミたちは、ひとりひとりがクリエイティビティの表現者として、マザーネイチャーの代弁者として、一日の大半の時間を過ごしている。
あるものはペインターとして目に見える美を写し取り、
あるものはシェフとして料理の腕をふるい
あるものはサーファーとして波から得た情報、ピーススピリットをアウトプットし、
あるものはフラダンサーとして先祖の叡智を伝え、
あるものはヨギーニとしてマザーボディとの賢いつき合い方を教え、
あるものはチャントを唱えて魂の洗濯を手伝う
あるものはタロット・リーディングを行って他者のガイド役となり、
あるものはラボにこもって、より効率のよい発電システムを研究する
あるものは祖先の暮らしを調べ、人間がこの地球でどのように生きてきたのかを探る


かたちはさまざまだが、していることはただ一つ。

誰もが、「人間すなわち自分はなんのためにこの世に存在してるのか」という根源的な問いに取り組んでいる。

誰もが、すべての命を涵養する、この奇跡の地球の生態系の神秘的な美しさや完璧な調和を、自分なりの方法で表現している。

誰もが、自分という1人の人間が、自然、地球、宇宙に祝福された存在で、与えられた時間を自分にしかできないやり方で生き切ることが感謝のしるしであり、義務なのだということを知っている。

誰もが、義務を果たすために必要な「自分自身に還る」「今を生きる」ための術を持っている。

誰もが、感情は他人に向けられているようで実は自分を映す鏡であり、彼がいるべき場所、するべきことを知らせる情報だということと、
出会う人、別れる人、移り変わる状況は道しるべだという事を知っている。

このようにして、ひとりひとりが自分の内なる声に従って生きる世界では、争いや嫉妬や強欲はないのだ。

ホノミは、ホノミの先祖が旧石油時代と呼ばれる時代に、奪い合いや嫉妬や強欲に満ちたメンタリティを、人類が集団で経験したと聞いている。





ハワイイ滞在記vol.9 図工の時間と音楽の時間

2010年02月27日 | お仕事日記
点数学歴至上主義的な教育方針の家庭に育った私は
学校に通っている間じゅう、図工と音楽はおまけだと思っていた。

ところが、
キアヌ・リーヴス主演で2008年末に公開された「地球が静止する日」という映画。
美しい生態系を破壊する、淘汰されるべきゴミのような人間の、
唯一の美点として描かれたのが、モーツァルトだった。

************

ハワイに旅立つ少し前に、
私は文学以外の芸術に、興味を持ち始めていた。

何がきっかけだったかは忘れたけれど、
気付いたのだ。
芸術によってのみ、人は生きている限り自分の中に溜まっていく「何か」を
「出す」ことができるのではないかということ。
そして、出た「何か」は、言葉を介さずに人に伝わるということに。

ハワイで私に入ってくる何かを、私はきっと、出したくなるはずだった。
だから、旅支度のときに、フルートと水彩スケッチセットをスーツケースにしのばせた。

心の奥から発せられた直感に従って行動すると
ものごとは美しくシンクロするらしい。

カラーニに着くと、由美子さんが
「『フィギュア・ドローイング』に一緒に行かない?」と言った。
そして次の日、
「バレンタイン・ナイトで何かパフォーマンスをしない?」と言った。

それでまあ、カラーニ滞在中に私は、
ヌードのモデルをみんなで囲んでスケッチする「フィギュア・ドローイング」を経験し、
バレンタインナイトでは、誰でも知っていそうなマイケル・ジャクソンの「heal the world」を演奏した。

フルートと水彩スケッチセットをたまたま持っている、なんていうことは
ほんの1年前の私だったらあまり考えられないのだけど。

                  ************
そして学んだ。

アートや音楽は、人間が最も人間らしい多様性を発揮したときに生まれる
人間らしさの象徴なのだと思う。
カラーニでは、一時的であれ、人々は地球に本来ある時間と風と闇と空気に包まれ、
ストレスや衣食住にまつわる義務から解放され、
のびのびとクリエイティビティを発揮していた。

スケッチは、対象と向き合うことで、自分自身の視線をつまびらかにしていく行為だ。
ひとりひとりが、その人にしか見えないものを持っている。
そのフィルターを通すことで、人体も風景も、宇宙の創造物の美しさは無限の広がりを持つ。


ハワイイ滞在記vol.8 マウナケアの郷愁

2010年02月27日 | お仕事日記


最初は、自分との約束だから、という義務感が動機の旅だった。
池澤夏樹の「ハワイイ紀行」によれば、海底から測るとかのチョモランマよりも高いというマウナケア火山。

ところでハワイイ諸島は、西から東へと若くなっていく。太平洋のほぼ中央で、マグマが数万年にわたってゆっくりと海底の地表を破って噴き出し、その上をゆったりと、プレートが東から西へ移動している。結果として、マグマが冷え固まった末の創造物である島が、西から東へと連なって存在することになった。その中で一番若く、今もなお、新たな大地が創造され、成長しているのがBig Islandハワイ島だ。

諸島そのものが、パワースポット。神々に特別に愛された奇跡の場所。誰もに愛されるこの島々について、どんな賛辞を並べても異論はないような、僥倖にあずかった場所。マウナケア山頂のサンセットツアーは、その神髄を見た旅だった。

先ほど高さについて書いたけれど、体積に関しては、マウナケア山はぶっちぎりの世界一だ。流れ出るマグマがさらさらと柔らかいために、今の高さを得るまでに大量の溶岩の流出を必要としたのだ。斜面はとてもなだらかで、だからこそ山頂まで、車で上っていくことができる。これがもし急峻な山だったとしたら、その場しのぎの防寒具を着込んだ観光客など寄せ付けない、厳しい場所だったにちがいない。

観光バスは、中腹にあるオニズカビジターセンターを境に無舗装の道に突入し、高山病予防のため、途中途中で休みながらじわじわと上って行く。標高が上がるほどに、景色が研ぎすまされ、シンプルに変わっていく。今年は暖冬で雪がないそうだけれど、本来、南の島ハワイにあって、山は雪をまとうという。それがなくても、空、大地、雲という、ずっと昔からこの地球に存在していたエレメンツだけで構成された世界は、人を圧倒するのに十分な迫力を持っていた。

自然が人を圧倒するダイナミズムが極まった山頂付近には、対照的ともいえる、人間の叡智の粋を集めた白や銀の天体観測機が、やや紫がかった深い青空を切り取ってそびえている。太平洋で一番高い地点であるその場所では、365日中355日は晴れるという晴天率と、夕刻に地形が生み出す下降気流がチリを吹き払った後の澄み渡った空気に恵まれ、13カ国の巨大望遠鏡が見果てぬ宇宙に目をこらしているのだ。

世界最高峰の天体望遠鏡の、近未来的で無機質な外観は、意外にも、郷愁をさそうものだった。なぜか。考えるまでもなく、答えはたやすく見つかった。

観光バスが帰った後は絶対的な闇に支配され、砂浜や草原といった明るくほがらかな自然から遠く隔離された場所で、彼らはただひたすら、無窮の宇宙を見上げているのだ。そこは宇宙に一番近い場所。それはつまり、地球上で一番、寂しい場所なのかもしれないと思う。この世の果てのような寒さと希薄な空気の中で、心が郷愁に染まった。

空気は薄く、空の青は濃い。その青が赤みを帯び始めるころ、山頂に到着した。観光バスの最終停車場から東を見上げたところに、もう一段高い起伏があり、そこが山頂。バスを下りて迷わずその高みを目指した私は、途中で何度もたちどまって呼吸を整えながら進むことになる。それほどに、本当に空気が薄く、懸命に呼吸をしても、十分な酸素が肺に入ってこないのだ。ものすごい頭痛におそわれそうな、心臓が破れそうな、貧血で倒れそうな状態。幸い、どれにもならなかったけれど、波にまかれたときに、呼吸を閉じてひたすら浮上を待つときと似た、根源的な恐怖を感じた。

溶岩が細かくくだけた砂利道を一歩一歩踏みしめて、ついに、太平洋で一番高い場所にたどり着いた。眼下に広がった風景は筆舌につくしがたい。波打ちながら綿々と広がる雲の海。オレンジに燃えながら空をグラデーションに染め上げる夕日。それらをバックに、今しがたバスが着いた尾根には、人々の小さな小さなシルエットが、おもちゃのマスコットのように並ぶ。

酸欠状態のせいか、あまりにすごい風景のせいか、山を下りたあと、気付けば私はトンでいた。

ハワイイ滞在記vol.7 モクレイアの冒険

2010年02月22日 | お仕事日記
その日私は、元気がなかった。旅の最後の数日を過ごすことにしたサーフィンの聖地ノースショアに着いて3日目。
なんのことはない。多分、さびしかったのだと思う。

楽園でロングバケーションを楽しんでいても、さびしさが心を湿らせる日はある。どこにいて何をしていても、私たちは孤独のくびきからは逃れられないのだと、私は思う。それはむしろ、人間のありようとして健全なことなのだ。

ハワイイの旅の最後の滞在地をノースショアに決めたのは、ワイキキが都会すぎたからだ。そして、サンセットビーチの目の前に素敵な新築のコテージがあったから。それからもう一つ、最大で最高の理由が、秘密だけどちゃんとあった。

前の日の夕暮れ時に、秘密の理由が、もしかしたら意味をなさなくなるかもしれないと思うようなできごとがあった。そのことは私にとって、ただ残念なだけではなく、進めば進むほど自信を失っていく思考の闇に、私を迷い込ませた。


とにかく、その日私は、ボディボードの大会が行われていたパイプラインの、選手と観客が行き交うビーチで、あてもなく座り込んでいた。みんな誰かといて、私だけが1人だった。サンセットビーチのあるラインナップの波は大きくて危険でとてもじゃないけれど1人で入る気にはなれない。いる場所全体に対して疎外感を感じていた。そういうときは,観念して家で本でも読んでいればいいのに、というような状態。

そんなとき、1人のあやしいおじさんが声をかけてきた。

1時間後、私はモクレイアの海で、この旅最高の、人生でも3本の指に入る波をバックサイドで一気に滑り降り、抱えていたさびしさや憂鬱や疎外感から一瞬で解き放たれた。その反動は心の器を激しく揺らし、こぼれた水が涙となって溢れ出た。海の上で号泣したのは、ウィンドサーフィンの4年生のインカレで、最後のレースのフィニッシュラインを切った時以来だ。テイクオフした瞬間に目の前に用意された真新しい大きな斜面を無我夢中で滑り降りる。長さにすれば、ほんの数秒の世界。しかし、それほどまでに甘美で濃密な時を、私は知らない。波は、その時一度限りにやってきて、つかの間ブレイクとなってひとりの小さな小さなサーファーを乗せ、あっという間に崩れて無に帰る。必ず、一度きり。同じ波は二度と来ないのだ。

その波を待つ。選ぶ。リスクを冒して挑む。そして一つになる。太陽と月の引力や風、地形がつくり出す宇宙の創造物の一部になる。そのことが、どうしてこんなにうれしいのか。理由はいらない。ただそこに、こころが発酵して沸き返るような喜びや、命の輝きがあるだけだ。

あのおじさんは、私をあの波に乗せるために、そして、サーフィンのすばらしさを骨の髄までしみ込ませるために、神様が遣わしてくれた使者だったんだと思う。ハワイ語で「ヘエナル」と呼ばれるサーフィンは、自然に宿る霊的な力「マナ」を信じて民を治めた王族たちの、高貴な遊びだった。だから、やっぱり、ただのスポーツではない。少なくとも私にとっては、本当に大切なことだということがわかった。

おじさんの「ノースショアのラインナップがオンショアでダメなときは、モクレイアがいいんだよ」という言葉をたよりに、前の日にfoodlandで買ったサーフポイントマップを見ながら車を走らせ、初めてのポイントに1人で入水する事は、とても冒険だった。その冒険ができたのは、私がこれまで数えきれないほどたくさん、波にまかれて浮上を待ったり、強烈なカレントに逆らってパドルをしたり、ただ海に浮かんだりしてきたからだ。海の動きに対する勘。その顕現としての、1本だった。

興奮冷めやらぬまま車に戻ると、私を憂鬱にしていた最大で最高の理由が、ちゃんと意味を持ちそうな兆候が姿を見せていた。ワオ!ほらね!海の神様ありがとう。自分が自分にグラウンドしてぶれない軸で過ごしていると、ものごとは、思いどおりに進むのだ。




ハワイイ滞在記 vol.6 ケヘナの享楽

2010年02月15日 | お仕事日記
カラーニから車で5分ほどのところに、ケヘナビーチというブラックサンドビーチがある。

伊豆大島もそうだったけれど、火山の島の砂浜というのは漆黒の粒子が粗い砂でできていて、どこか静的だ。

海岸線を走る道ばたから崖づたいに下りられる場所に、
こぢんまりとした砂浜が最初はきっと人知れずあった。
そのうちに、人目をしのんで思う存分、海と愛と交じあえる場所を探していた
ゲイのカップルが、たまたま、見つけた。
口伝いでその場所の噂が広まり、いつしか地元ではちょっとした人気スポットになった。

おそらくそんな感じだろう。

背後から人間の6倍ぐらいの高さの崖に抱かれ、
波打ち際が三日月型を描く両端はアーティスティックな真っ黒の岩。
端から端までは100m走をするのには少し足りないという程度。

居場所は、あんまり広すぎても、あんまり狭すぎても落ち着かない。
あんまり開けてても、あんまり閉じてても落ち着かない。
どちらの意味でもちょうどいい、いい場所だ。

日曜日の今日は、ローカルミュージシャンたちが思い思いの打楽器を持ち寄って、
ジャムセッションが行われていた。
老若男女が思い思いに佇み、今という時を楽しんでいる空気が心地いい。

YOU TUBE 動画はこちら

ハワイ滞在記 vol.5 カラパナの諦観

2010年02月15日 | お仕事日記
1990年に溶岩流が流れて、カラパナの街とココナッツの木とブラックサンドビーチもろとも飲み込んだとき、1軒だけ残ったという一家に出会った。



アンクル・ロバートのケリイホオマル家だ。私が会えた、11人の子どもたちの1人、プナはハワイアン・ミュージシャンで、日本でコンサートを開くこともあるという。かつては「Gガール ケリイホオマル」というグループを家族で結成し、活動していた。

そのケリイホオマル家は今、流れた溶岩が固まってできた新たな大地のふちで、変わらぬ暮らしを送っている。オレンジの光を放ちながら、なだらかな傾斜をゆっくりと流れる溶岩はたとえようもない存在で、だからこそ「一目見たい」と、観光客を引きつける。しかし、そのエンターテイメント性とは対照的に、住人にとってはあらがいようのない運命だ。「みんな今はどこで溶岩が見える?と聞くけれど、この島ではいつもどこかで、LAVAが生きて流れているんだよ。たとえ目に見えなくてもね。」と言うプナの目はどこまでも静かで優しく、決して、自分から、隣人や、美しい光景を奪って行った溶岩を、抵抗する対象としては見ていないような気がした。自然がもたらす運命を、いいものも悪いものもすべてひっくるめて、受け入れる強さと優しさが宿っていた。

日本では、人間がコンクリートごときで自然の摂理にあらがおうともがいた痕跡がそこらじゅうにある。テトラポットしかり、崖にはりついた防護壁しかり。その光景をふと思い出し、滑稽さを通り越して悲哀を感じた。日本はある意味で、勤勉な国民が人生を捧げて得た富がつぎ込まれる先がコンクリート、という国なのだ。

2000年に溶岩が流れたという場所ではもう、ココナッツの木がゆうゆうと風にその葉をなびかせていた。
「ということは10年であんなに大きくなったの?」とたずねてみると、
うれしそうに「そうなんだ。僕もびっくりしたよ。あっという間だった。とても速い」とプナ。

破壊と再生。

自然は破壊するのと同じだけの、再生の力を持っているのだ。そうか。もののけ姫のシシ神だ。シシ神は、命を与えるが、奪いもする。命を司る存在。自然の化身。

もしかしたら、人間という種族の活動が地球の生命維持システムを破壊しかけていることも、大いなる破壊と再生の一部に過ぎないのかもしれない。

ハワイ滞在記 vol.4 ポオヒキの波

2010年02月13日 | お仕事日記
オアフ島からハワイ島にやってきて、3日が過ぎた。
今、3日という数字をはじき出すのに指折りが必要だった。なるほど、生活のペースメーカーが壊れたみたいだ。

滞在しているカラーニは35年前、溶岩が流れてすべてを飲み込んだ後の、無の土地だった。そこを、オーナーのリチャードがパートナーと一緒に、ダンスのためのリトリートセンターをつくろうと購入したのが始まり。

今では、広大な敷地に、ゲストのためのインフォメーションセンターや宿、個人所有の家、スタッフが住む小屋やテントエリアや駐車場、数棟のギャザリングスペース、3食ごとにみんなが集まるダイニングと隣接するキッチン、プールとジャグジーが点在し、それでもまだまだ空き地だらけ、という場所だ。

ちなみにリトリートセンターとは、”リ” ”トリート”という名のとおり、来た人を再生させるための手当てをする場所だ。日本でエコビレッジと呼ばれている場所の多くが、アメリカ式に呼ぶとリトリートセンターに当たるのではないかと思う。つまり、おおざっぱに言えば、心と体に優しいことは、地球にも優しいということだ。

具体的に何があるかというと、海と、風と、闇と、静けさと、ストレスフリーな状態の人間たち。別の言い方をすれば、ハンモックと、広大な敷地で惜しみなく降り注ぐ太陽を浴びてぐんぐん育った植物たちと、70%がオーガニックのヘルシーな食事と、ヨガや瞑想やフラのワークショップと、2つの活火山を擁する大地のエネルギーにインスパイアされた島の住人たちによるアートと音楽。

もっと別の言い方をすれば、地球にある美しいものすべてだ。

それでもここは、最寄りの街パホアで道をたずねると、「ここから先は何にもないよ」と言われる僻地なのだと、カラーニ歴15年のゆみこさんが教えてくれた。

ゆみこさんは、フラとハワイ島に心酔して、とうとうカラーニに家を買ってしまった72歳のレディ。今回私は、ゆみこさんのゲストとして、食事代のみで働きもせずに滞在させてもらっている。その上、日本からやってきた初対面の私を知り合いのいろいろな人に紹介してくれたり、近場の穴場スポットを案内してくれたり、とにかく何から何までお世話になりっぱなしだ。とにかく「与える人」で、「カラーニの母」と呼ばれていて、フラのことをたくさん知っている本当に素敵な女性。ゆみこさんに与えてもらった分、誰かに与えたいと思う。

図々しい事に私は、ゆみこさんの家に居候させてもらっているくせに今、ここを、「私のためにあるような場所」だと思っている。そんな場所に来てしまって、前回のブログに書いた、社会に対する使命感なんてものは、この夜空のむこうにあえなく溶けていきそうだ。

今朝、ロイという、ここのメンテナンスチームのマネージャーでサーファーの、超ナイスガイが、海に連れて行ってくれた。

この彼が、奄美大島の誰かさんを彷彿とさせる just my type で、困る。なぜ困るかというと、彼はグリーンカードを取るためのフェイクの結婚をしている上に、これまたカラーニのスタッフでカルフォルニアのNAPAとカラーニを行ったり来たりしているoceanというガールフレンドがいるからだ。世界中が、色黒でサーファーで優しくて目が少年で、ちょっとぶっきらぼうな男性ばっかりだったらいいのにな。どうでもいいけど、私も「海」っていう名前が欲しかった。

ロイやオーシャンだけじゃなく、ここでボランティアやスタッフとして働く人たちは、全員がとびっきりの自由人で、人生の起伏やときおり起きるアクシデントを、ポジティブに受け入れて生きているような人ばかり、という感じがする。匂いでわかるのだ。自由人だからアクシデントが起きるのか、アクシデントが起きたから自由人になったのかは、永遠の謎だけれど。

波は、島のリーフの、ダイナミックな波だった。色は深い青。カレントに逆らいながら波待ちをしていると、海が水平線ごと、水平線が海ごと盛り上がり、ぐんぐん近づいてくる。近づくにつれて大きくなりながら、同時に壁のように切り立って、私から視界を奪う。このタイミングで、まわりのサーファの動きと波の切り立ち具合に対する自分の位置を見極めて、沖にパドルして波を越えるか、陸にパドルして波に乗るかを判断しなければならない。そのすべてのプロセスにおいて気を抜けない、ダイナミックな波。

ワイキキのスイーツみたいな甘い波もいいけれど、こういう海では、神経が研ぎすまされて心臓が高鳴る、別の醍醐味が味わえる。でも悔しいことに、日の出からロイの仕事が始まる8時までがタイムリミットだったこともあって、1本中途半端な波をキャッチしただけで終わってしまった。練習が必要。

ちなみに今日入ったポイントは、上がってすぐの場所に、天然の岩風呂温泉があって、時間があれば、波乗りの後すぐに温泉なんていう贅沢コースが味わえる。ハワイ島はとにかく、火山が生きている証拠が、島のあちこちで見つけられる場所なのだ。

ハワイ滞在記 vol.3 クイーンズの波

2010年02月11日 | お仕事日記
今、ホノルル空港のはじっこにあるラウンジでヒロに向かうフライトを待っている。Gateナンバー71番に、もう2時間もするとgo!mokuleleエアラインの小さな飛行機がやってくる。メジャーなHawaiianエアラインの半額、70ドルで島々に飛べるおトクなエアラインだ。エアポートシャトルの都合でやたらに早く空港に着くことになったので、仕事のメールチェックをしようと思っていたら、使えるワイヤレスネットワークがなくてインターネットに接続できない。
しかたないので、暇つぶしにブログを書き始めた。



今、耳に大きなプラスチックのハイビスカスをつけて、ムチムチのキュロットスカートをはいた陽気な空港職員の女性が近づいて来た。手には私のパスポートを持っている。どうやら、さっき入ろうとしてコーヒーがないのでやめたカクテルラウンジに置き忘れたらしい。置いたまま飛行機に乗らなくて本当によかった。

と書きながら、すでに私の心からは「管理」とか「心配」という直線形の感情はすっかり洗い流されているらしく、全く呼吸は上がっていない。

だいいち、2時間も空港で待たされるはめになっているというのに、何の感情もわいてこない。

それもこれも、今朝の波のせいだ。

昨日の夜、ラストナイトを迎えた先輩たちと遅くまで飲んでいたので、目覚めたとたんに胃のあたりにぐったりと重いものを感じたけれど、いったんワイキキを離れる最後の朝は、なんとしてもサーフィンがしたかった。

トランクスとホットラッシュで入水してみると、昨日の夕方よりもワンサイズアップした波が相変わらずお行儀よく割れていて、東の空の太陽はさわやかに輝いて、それはもう恍惚の一時間だった。そしてなんと、サーフィンを始めて8年目にして初めて、私は、ノーズライドを成功させてしまった。
サーフィン最高!って、100回ぐらい叫びたいような気持ち。
ハワイはやっぱりすごい。

昨日出会った(ナンパされた)金持ちおじさんに、「僕が家賃を出してあげるからハワイに住みなよ」って言われたことがふと頭をよぎってしまった(笑)
波質、水温、水色。三拍子そろった上に、サンセットとダイヤモンドヘッドの絶景があって、さらに虹まで出ちゃう海なんて、世界中探したってほかにない。きっと。

こんな海で毎日サーフィンできて、心地よい風に吹かれていられたら、人生それだけで十分。

と、6年前にやっぱり1人でサーフィンをしに来た私は、そういえば、心からそう思っていた。でも、今、もうすぐ30歳の私はどうやら、100%そうは思っていないらしい。そして私は、自分自身の中に、“社会に対する使命感”みたいなものが生まれていることを知った。

サーフィンに出会ったら、その人生の半分は成功。
サーフィンを一生続けられたら、その人生は成功。

いつも心のどこかにある言葉。

ということはつまり、私はもうサーフィンに出会っているので、人生の半分は成功しているけれど、もう片方の半分も成功するには、サーフィンを一生続けなくちゃいけないってことだ。

そして、意外なことに多分、一生サーフィンを続けるには、サーフィン以外の人生をちゃんと充実させないといけない。サーフィン以外の人生も、大好きでいなくちゃいけないのだ。なにごとも、依存すると、純粋に愛することができなくなるんだと思う。だから、自分がこの世にいる意味を、ちゃんと見つめ続けながら、ひとつひとつ行動に変えて行こう。
今、そう思った。

昼下がりのホノルル空港で人生に思いを馳せるなんてまったく真面目すぎるけれど、これぞ一人旅の醍醐味です。

それにしても、運命の神様はいたずら好きだ。

昨日、「留学」の二文字が持つ意味を探しにハワイ大学マノア校に行ってみた。いくつかのアパートで家賃の値段を聞いてみたりもした。そして、現実的に「何をどのように学びたいのかをはっきりさせること」「そのために、また一度人生を俯瞰して、経験とビジョンを棚卸しし、地図を引き直すこと」「お金を貯めること」が必要と判断した。そして、まずその前に、結婚したいなあ、とも思った。その10分後に、お金持ちのおじさんにナンパされてその人の口から「家賃出してあげる」という言葉を聞くことになるとはつゆ知らず。

もちろん、その申し出を100%真に受けているわけじゃないし、多分その提案は実現しないと思う。でも、必要なことは向こうからやってくる、みたいなことって、本当なんじゃないかと思う。

カラーニに着いたら、3発のデザインチェックと水素の原稿チェック&ライティングをしなければならない。

あ。飛行機がやってきた。



ハワイ滞在記 vol.2 ワイキキの風

2010年02月09日 | お仕事日記
2月8日。ハワイ滞在2日目です。



ワイキキへの滞在は3回目だけれど、前の2回に比べて、
ものすごく都会に感じる。
Macストアを発見したときは
渋谷か銀座かと見紛った。

観光地ワイキキの波はそれなのに、人を酔わせる。
浮いているだけで心のまんなかから幸福感がにじみ出て
全身をめぐる優しい海が、
ホテルとABCマートとブランドショップの目と鼻の先にある、
思えば不思議な場所なんだと思った。

波はゆっくりとやってきて、ピークから少しずつ、お行儀よく割れる。
だから、私みたいなのん気なファンサーファーでも、
優雅に乗りこなすことができる。

夕方、昼寝が長引いてしまって、
サンセットと追いかけっこするように海に入った。
ポイントについたときにはもう、夕日は水平線に落ちた後で、
サンセットクルーズボートのシルエットが遠くに見えた。

街は夜支度で忙しく、海は静かだった。
波は朝よりも、ずっとよくなっていて、
腹腰サイズのメロウできれいな波が次々にやってくる。
なんだか甘やかされてすぎている子どものような気持ちで
ほとんどパドルなしで5本のロングライドを堪能した。

ご友人の結婚式出席のためにワイキキに来ている(たまたま!)
ウィンドサーフィン時代の先輩との、ひょっとしたら初めての
サーフセッションと夜のビアセッションも妙味。

いつもいつも材木座の海と風呂なし木造合宿所にいた頃の、
お互いの海パンの色を覚えていたりして、なんだか嬉しい。
大人になればなるほど、あの頃の熱は取り戻せなくなるけれど、
粗熱がとれたその時間を見つめてみると、
やっぱり人生においての、大切な「結び目」だったんだと感じるようになってくる。
(そういうこと、何度も何度も書いている気がするけれど、やっぱり。)
海パンの色は本当はどうでもよくて、
なんとなく、その結び目な感じを共有できたことが嬉しかったんだと思う。

1日目の昨日の夜は、道ばたで出会った同い年のアーミーと夕食をともにした。
もう、「知らない人についていっちゃいけません」って叱ってもらえる
年でもないから、ついていっていい人とそうじゃない人を
自分で判断しなくちゃいけない。
それでまあ、相手は陽気な感じでなおかつビジネスライクな関係の2人組だったので、
大丈夫だろうという事で、行きたかったけど車が無いから無理だな、と思っていた
レストランに連れて行ってもらった。

ちなみに私は、「奥さんとはナンパで知り合った」といういい男を2人知っているので、
ナンパはあなどれない。という下心ももちろんあったよ(笑)

正直に言って、彼の英語が聞き取りづらくて半分くらいしかわからなかったので
とっても残念だった。でもなんとなく、仕草や話し方がすごくちゃんとした
家庭のまじめなおぼっちゃんなんだろうな、と思っていたら、
彼が呼んだ友達のタクシーの運転手さんが
「He has a good family」と言ったので、「あ、やっぱり」と思った。

同い年のアメリカ人、それもアーミーが、どんなことに興味があって
どんなメンタリティをもっているのか、何が誇りで何が自由で何が悲しみなのか
もっと知りたかったなあ。
最近、今の私にとっての最優先事項はいいかげん英語をマスターすること
なんじゃないかと思うことが多い。

なんだかとりとめもなくなってきたけれど、
とりあえず、ワイキキの風にふかれています。

明日は、日の出サーフィンの後、
ビショップ博物館とハワイ大学マノア校まで自転車で
行く日。

今耳元で鳴っている畠山美由紀さんの深くて優しい歌が
意外にもマッチするワイキキの夜です。