2月24日、私は17日間にわたるハワイイの旅を終えた。
もともと、人生を楽しむことにおいてはちょっとした自信があるけれど、
その実力(?)が余すところなく発揮された(笑)奇跡に満ちあふれた旅だった。
ところで、私は今、フリーライターとしてごはんを食べている。
振り返って、実家の本棚を眺めてみると、「フリーライターになって稼ぐ本!」とか「売文稼業」などといったノウハウ本がホコリをかぶってそこにいる。それらの本を買った当時、私にとってフリーライターという職業は壁の向こうの存在で、そのいかにも自由でクリエイティブな感じの語感に憧れだけを抱いていた。きっと、波がいいときにサーフィンに行けるんだろうなあ、それってすごく大事なことだよなあ、なんて思いながら、通勤ラッシュの満員電車に揺られていた。「このままじゃいやだ」という漠然とした不満と憂鬱が、常に心の底に渦巻いていた。
夢だったら、ほかにもあった。大手出版社や放送局で働いてみたかったし、ROXYガールにだってなりたかった。プロスポーツ選手の妻に憧れたり、起業して上場して一攫千金なんていうのが、かなり現実味をもった選択肢だったこともある。
全部、今のところは、できていない。
だから、「すべての」思考が現実化するとは言わない。
だけれども、思わないことは、現実化しない。
そして、思考をスタート地点にして動き出した後、旅の途上には、思いがけないジャンプ台が用意されている。
旅で起きるデキゴトや出会いを無数の点に例えると、その点はツボのようにつながり影響を及ぼし合っていて、ある日突然、立体的な現実像を結び、ジャンプ台となって目の前に現れる。
そのジャンプ台は時に、底なしの落とし穴のふりをしていることもある。
ところが、落ちたと思ってもがき苦しんでいると、別の次元に転がり出たりする。
スタート地点で私が進む道について「思考する」ことは、「私」にしかできないことで、なぜかというと、ヒントを与えてくれる「体」と「心」のメッセージは、「私」にしか聞こえないから。だから、私には、自分の内なる声に耳を傾ける責任がある。
内なる声に耳をかたむけ、思考化して、最初の一歩を踏み出せば、かならずジャンプ台が用意されているのだ。
今回の旅は、そういう、人生の真実みたいなものの、ひとつの顕現だった。23歳でフリーライターになろうとした時点で、よもや30歳を前にして、17日間もハワイイの旅ができるとは思ってもみなかったし、それがこんなにスピリチュアルな学び多き旅になるとは想像もしなかった。でも、振り返ってみれば、それができたのは、23歳で内なる声を信じて行動を起こしたからだ。
最初のワイキキ滞在の日程が、ウィンドサーフィン時代の先輩たちとたまたま一致して、一緒に最高の時間を過ごす事ができた。
カラーニでは由美子さんの日程とたまたま一致したおかげで1週間も滞在することができて、(ふつうに泊まったら高くてとても無理だった!)ハワイ歴15年の由美子さんからハワイイやフラ文化の薫陶を受け、たくさんの新しい経験や恵みをいただくことができた。(やばい!書いているうちに感謝の涙が出てきた)72歳の素敵なお友達ができるなんて思いもしなかった。
コナとワイキキでは、ガイさんと奥さんのリカさんから、さまざまな「希望のテクノロジー」や「人」や「教え」との出会いをいただけた。
ノースショアでは、見ているだけで腰が抜けるほどの大波と調和をなすエキスパートサーファーたちの生きた芸術に酔った。
全部、「地球の歩き方 ハワイ」には書いてないことで、全部、たまたま、だ。
そして、起きることすべてに感謝して、みずみずしい心で過ごせたのは、毎日のように海に入って波に乗り、地球のエネルギーを全身で受け止めていたから。絶対にそう。間違いない。
旅という限定的なタイムフレームにおいては、誰もが目の前の時間に集中する。起きることすべてに機敏に反応し、少しでも楽しもうとする。意識がその状態に入ると、誰かが決めた決まりごとはあまり意味をなさなくなり、自分の心に集中することになる。そうすることによって、ありのままの自分に忠実に過ごすと、結果として精神のめぐりがよくなり、心のコリが解消され、とてつもなくスッキリする。
でも本来は、人生も同じ。
たまたま生まれて来て、宇宙の誕生から137億年という壮大な時間のうちのほんの80年やそこら、地球という星の生態系に合わせた肉体を間借りし、肉体の死とともに去っていく、ちょっとした旅に過ぎない。
だから、思いわずらうことなく楽しく生きればいいのだ。
マヤ歴の教えによると、私は遊ぶために生まれて来て、使命はそれを人に見せることらしい。奇しくもガイさんの家でリカさんに薦めてもらって引いたOshoのカードでは、「Playfulness」と「Creation」が出た。合わせると、「人生はそんなに深刻なものではなく、遊びに満ちたものだということを、表現して人に伝えていく」と読み取れた。
まわりにいる人を尊重し、人と自分に優劣をつけないこと。
過去を後悔せず、未来を不安視せず、「今ここ」に集中すること。
大事なことをちゃんと大事にして、今回のこの旅を、いい人生にしようと思う。
もともと、人生を楽しむことにおいてはちょっとした自信があるけれど、
その実力(?)が余すところなく発揮された(笑)奇跡に満ちあふれた旅だった。
ところで、私は今、フリーライターとしてごはんを食べている。
振り返って、実家の本棚を眺めてみると、「フリーライターになって稼ぐ本!」とか「売文稼業」などといったノウハウ本がホコリをかぶってそこにいる。それらの本を買った当時、私にとってフリーライターという職業は壁の向こうの存在で、そのいかにも自由でクリエイティブな感じの語感に憧れだけを抱いていた。きっと、波がいいときにサーフィンに行けるんだろうなあ、それってすごく大事なことだよなあ、なんて思いながら、通勤ラッシュの満員電車に揺られていた。「このままじゃいやだ」という漠然とした不満と憂鬱が、常に心の底に渦巻いていた。
夢だったら、ほかにもあった。大手出版社や放送局で働いてみたかったし、ROXYガールにだってなりたかった。プロスポーツ選手の妻に憧れたり、起業して上場して一攫千金なんていうのが、かなり現実味をもった選択肢だったこともある。
全部、今のところは、できていない。
だから、「すべての」思考が現実化するとは言わない。
だけれども、思わないことは、現実化しない。
そして、思考をスタート地点にして動き出した後、旅の途上には、思いがけないジャンプ台が用意されている。
旅で起きるデキゴトや出会いを無数の点に例えると、その点はツボのようにつながり影響を及ぼし合っていて、ある日突然、立体的な現実像を結び、ジャンプ台となって目の前に現れる。
そのジャンプ台は時に、底なしの落とし穴のふりをしていることもある。
ところが、落ちたと思ってもがき苦しんでいると、別の次元に転がり出たりする。
スタート地点で私が進む道について「思考する」ことは、「私」にしかできないことで、なぜかというと、ヒントを与えてくれる「体」と「心」のメッセージは、「私」にしか聞こえないから。だから、私には、自分の内なる声に耳を傾ける責任がある。
内なる声に耳をかたむけ、思考化して、最初の一歩を踏み出せば、かならずジャンプ台が用意されているのだ。
今回の旅は、そういう、人生の真実みたいなものの、ひとつの顕現だった。23歳でフリーライターになろうとした時点で、よもや30歳を前にして、17日間もハワイイの旅ができるとは思ってもみなかったし、それがこんなにスピリチュアルな学び多き旅になるとは想像もしなかった。でも、振り返ってみれば、それができたのは、23歳で内なる声を信じて行動を起こしたからだ。
最初のワイキキ滞在の日程が、ウィンドサーフィン時代の先輩たちとたまたま一致して、一緒に最高の時間を過ごす事ができた。
カラーニでは由美子さんの日程とたまたま一致したおかげで1週間も滞在することができて、(ふつうに泊まったら高くてとても無理だった!)ハワイ歴15年の由美子さんからハワイイやフラ文化の薫陶を受け、たくさんの新しい経験や恵みをいただくことができた。(やばい!書いているうちに感謝の涙が出てきた)72歳の素敵なお友達ができるなんて思いもしなかった。
コナとワイキキでは、ガイさんと奥さんのリカさんから、さまざまな「希望のテクノロジー」や「人」や「教え」との出会いをいただけた。
ノースショアでは、見ているだけで腰が抜けるほどの大波と調和をなすエキスパートサーファーたちの生きた芸術に酔った。
全部、「地球の歩き方 ハワイ」には書いてないことで、全部、たまたま、だ。
そして、起きることすべてに感謝して、みずみずしい心で過ごせたのは、毎日のように海に入って波に乗り、地球のエネルギーを全身で受け止めていたから。絶対にそう。間違いない。
旅という限定的なタイムフレームにおいては、誰もが目の前の時間に集中する。起きることすべてに機敏に反応し、少しでも楽しもうとする。意識がその状態に入ると、誰かが決めた決まりごとはあまり意味をなさなくなり、自分の心に集中することになる。そうすることによって、ありのままの自分に忠実に過ごすと、結果として精神のめぐりがよくなり、心のコリが解消され、とてつもなくスッキリする。
でも本来は、人生も同じ。
たまたま生まれて来て、宇宙の誕生から137億年という壮大な時間のうちのほんの80年やそこら、地球という星の生態系に合わせた肉体を間借りし、肉体の死とともに去っていく、ちょっとした旅に過ぎない。
だから、思いわずらうことなく楽しく生きればいいのだ。
マヤ歴の教えによると、私は遊ぶために生まれて来て、使命はそれを人に見せることらしい。奇しくもガイさんの家でリカさんに薦めてもらって引いたOshoのカードでは、「Playfulness」と「Creation」が出た。合わせると、「人生はそんなに深刻なものではなく、遊びに満ちたものだということを、表現して人に伝えていく」と読み取れた。
まわりにいる人を尊重し、人と自分に優劣をつけないこと。
過去を後悔せず、未来を不安視せず、「今ここ」に集中すること。
大事なことをちゃんと大事にして、今回のこの旅を、いい人生にしようと思う。