地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

【男子禁制】 伝え教える旅館の女将

2008年11月30日 | 自分日記
スピリチュアルカウンセリングに行ってきた。

リクルート時代からの友達で、
かわいくて強くて頭が良くて人懐っこくて
信頼できて話してると楽しくて・・・・・・つまり大好きな
よしえから何度もすすめてもらってた女性カウンセラーのもとへ。

あ。
大体男子は、「おれ、そういうの全く持って信じない」の一言で片付けるので
ここからは女子だけ読んでください(笑)
「信じない」って言うことがまるで「理性的で常識人なオレ」
の証明であるかのように得意げに言うんだから。フンだ。

で、カウンセラーは開口一番、
私の左肩あたりを見て「旅館の女将がドンといる」って
言った。

わーい!

男子を批判しといてあれだけど、
私にも占いの類いに対する警戒心はあって、実を言うとこんな風に思ってた。

「昔飼ってた金魚が死んだことがありますね」みたいな
誰にでもありそうなことを言って
「すごい!当たってる!」と思わせ、
テンションの上がった客が自分からペラペラと
自分のことを話し出したらしめたもの。
その内容をヒントに、客の性格や行動パターンを予測して
過去現在については当たっていそうなことを、
未来については喜びそうなことを
"ズバリ"言うだけでしょ。

だから、自分のことを話さないように、
細心の注意を払ってなるべく黙ってた。

それなのに、

「女将だから、事業でみんなをひっぱっていくようなことをした方がいい」

・・・・今そのベクトルに向かってますけど

「女将は自分と似ているあなたをスゴく応援していて、影響を与えてます。
 その女将は伝える、発信する人、人に何かを教える人。
 発信してください」

・・・・すでにそういう仕事してますけど

「うーん、場所を動きますね、南、、、うん南です。南の方に移るんです」

・・・・今まさに移ろうとしてますけど

っていう具合に、
人生の幹にあたる部分の方向性について
次々言い当てられて、
あっさり降参。いやはや参りました~。

ひととおり"見える"ものを教えてもらった後、
「もしかして、もうそういうことされてます?」
と水を向けられ、私はしゃべりだした。
これから始めることのゴールについて、最近ずっと考えていることを。

「土いじりと自然に寄り添う暮らしの体験ができて、
地球に生かされていることを感じられる場所を
つくりたい。そこにはカフェがあって宿泊施設もあって・・・」

とそこまで言ってはたと気がついた。
ハッとする私を見て、カウンセラーはニヤリと笑った。

宿泊施設!やはり旅館の女将ではないか!
そうか~、やっぱりそうだったのか~ 

なにが「やっぱり」かって、
なんというか、
「やっぱり私ってそういう天分なのね、これでいいのだ」
ってスッキリ。ポンって背中を押してもらった気分になったの。

新卒で入ったネットベンチャーのM社長は、
「若者は、将来についてあれこれ悩む時間があったらとにかくやれ」
という人だった。
私は彼の厳しさに怯えながら尊敬していたので、
彼が雑誌のインタビューで語ったその言葉で
たびたび自分を戒めてきた。

(今M社長は、当時「やりたい」と言っていた
 旅行ビジネスを形にしている。)

M社長の言葉通り、頭の中で堂々巡りの自分探しをしてないで、
行動しながら考える生き方を全うするには、
ぶれない揺るがない信念が必要。

「旅館の女将」は信念の補強材になったのでした。





2008年11月30日 | 自分日記
冬です。
しょうがの葛湯を買いました。
パンツにポンチョで眠ったら風邪をひきました。

いつも思うのだけど、季節の変わり目って
誰がどうやって決めるんだろう

お天気お姉さんが「この冬一番の冷え込み」って言ったら冬?
それとも百貨店の売り場担当者がブーツとマフラーを棚に並べたら冬?

私の冬は、
家の中でTシャツ1枚でいられなくなった時やってくる。
それであくる日、
いちょうの落ち葉でアスファルトが山吹色に染まっていたらもう完璧。
さらに週末、
サーフィンに出かけて駐車場での着替えがつらかったら文句なし。

ちなみに夏は、水着の上にタンクトップをひっかけて原付に乗ったとき、
生温い風が心地いい夕暮れを迎えたら、始まる。

時の流れはそうでなくてもびっくりするほど速いので、
人が決めた季節を気にしていると、自分を見失います。

それは年齢も同じ。性別も同じ。
職業も、住む場所も。

「こうだから、こうしなければならない」
「こうだから、こうあるべき」

誰かがそう言ったから、みんながそう思ってる(っぽい)から
ベースで思考回路を固定してしまうと、
生身の心と体の置きどころが、
時間の濁流に巻き込まれていくようで、イヤ。
だから、季節の変わり目は、私が決める。

先週末、ブラウンズフィールドに行きました。
すると、
パンツにポンチョで風邪なんていう生易しいもんじゃなく、
着れるだけ着込んで布団に入っても
はみ出してる顔の、特に鼻の先が寒いっていう
パンチの効いた冬がありました。

私が移住する1月は、いったいどんなことになってるのか、
恐いもの見たさで楽しみです。

さあ、いよいよ!



ヘレンの言葉

2008年11月24日 | たまに詩人になります
人生で一番大切なことって何?
ヘレンは迷わずこう答えた。
友達だよ……
僕はこの言葉を一生忘れないと思う

星野道夫


ヘレンの言葉をおめでたいくらいに信じられる出来事がたくさん起きた。

明日海行かない?っていう小躍りしちゃううれしいメールの6時間後、
2人と2枚のボードは環七を走り出した。

今日は湘南。波の神様の今日しか使えないガイドで、道端の草にまで思い出がしみこんだ鎌倉の海に行くことになった。

驚くほどではない展開に感動しちゃうときが誰にだってある

途中、多摩川を渡るときに見た
ピンクの地平線と、真珠色の川面を私は一生忘れないと思う

そして、134号線から稲村ヶ崎越しに見たユキボウシの富士山も

空は嘘みたいにピンと晴れ渡り、あの頃の私たちと同じようにインカレ前の学生が風を操っている

あれダメだ うっかりセンチメンタル路線になってる

懐かしさはスパイス。昔合宿所だったボロ家がカフェになっていることを2人ともが耳に留めていて、見に行ってみたいと思っていたことをお互いが知ったのは今日、2008年11月22日のこと。

寒い寒い言いながらウェットに着替える。

ざばざば海に入っていくのを追いかけたら

突然首までボチャンて浸かってあったけー癒やされるフーッって叫び出した

天真爛漫を素敵に思ってうれしく笑った

穏やかに時間は流れて、私
あいかわらず友情と恋心の区別がつかない

だから結婚したいって言った

そしたらヤツは
苦労すると思うよおれマイペースだから
って言った

宮崎に転勤したら本気でついていきたいって言った

そしたら笑ってた

こいつオレのこと好きなんだなって思われたらしゃくだとか、手に入るとか入らないとか

大事なのはそれよりも今日の日が素敵だったってこと。素敵にしたのは絆と友情。

ヘレン、人生で一番大事なことは、やっぱり友達だね。


これはやはり

「結果が、最初の思惑通りにならなくても、
そこで過ごした時間は確実に存在する。

そして、最後に意味を持つのは、結果ではなく、
過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」
(『旅をする木』星野道夫)

につながっちゃうか~?

いろんな話をした

2008年11月21日 | お仕事日記
今日は、尊敬する人の一人であるOさんと
かわいい弟Sと恵比寿の焼き肉喜福世。

7時半に飲み食い始めて
気付いたら0時半。

5時間。まったくダレずに
いい感じに熱を帯びた会話が
エキサイティングに続いた。

矢継ぎ早な
インプットとアウトプットでどんどん脳が活性化して。
でも上滑りではなくて。

仕事、夢、恋愛、結婚、子ども、、、

生き方の深さが似ている人、
笑顔に嘘がない人との会話ってなんて楽しいんだろう!

マドローの5段階の欲求
生理 生存 帰属 自我 自己実現
キングカズのかっこよさについて
燃料電池や水素エネルギー
ヤマトタケルのこと
困っている農業を元気にしたい
自給率をなんとかしたい
道の駅で売ってる産直をI食品が押さえてる
物流も持ってくれる
いちから仕入れ先を押さえるのは大変だから
自分はネットで売るしくみをつくる
セシールや楽天の販売経路を使う
提供するのはASPサービス

子どもに野菜の生え方を教えたい
企業研修での荒行
顔に火の粉を浴びてやけどの水玉模様ができるころ、
怖いものがなくなるらしい
断食に15万円、
一部の変わった人ではなくてみんなに価値を提供したい

ローソンの社長にコンビニ弁当を売るな
みんなが買わなければ売らない
みんなが当たり前にコンビニ弁当を買わないようにするには、
意識を変えないといけない。
頭の中にスパークを起こして、ダイナミックな変化を
麻痺した自然感覚を取り戻すこと
あたまのなかをせんたくだ。
いくら言ってもわからない
固定観念や既成概念で凝り固まった
あたまより
体にインパクトを与えると効く
だから生活体験施設

施設って、、、これ、名前考え直さないと

飽食。
四万十川に移り住んだ三井物産
子どものぜんそく
逃げることや目を背けると選ぶことの違い
「東大なんて大して意味ない」と言って
カッコいいのは東大卒だけ
福岡大木町の生ゴミ回収バケツに異物が入らないのは
ガバナンス効きまくりだから
東京でやるならお金の力で

とかとかとかとか

自分の言葉がダイレクトにささる感覚
相手の言葉がまっすぐに届く感覚
幸せだーー!





大きいことと小さいこと

2008年11月18日 | お仕事日記
「ダウンサイジング」時代

入試の季節が始まり、週末は面接に駆り出されている。
私の大学でもAO入試から後期日程まで10回ほど入試がある。
さいわい、うちは何万人もの志願者を集めないと採算が取れない
マンモス大学とは違って、「ぜひこの大学で学びたい」という
お嬢さんたち数百人を迎えれば経営が成り立つ
「小商い」である。

大学というのは「これだけはどうしてもやりたい」
という教育理念の旗じるしを掲げて、逆風に耐えていくものだと
私は思っている。その理念に共感してくれる人々がいれば迎え入れ、
いなければ黙って来るのを待つ。
浅草路地裏の天麩羅屋のように「うちは寛永年間から、たれは一緒です」
的な商売でも、安定した顧客がいれば店を続けられる。
それでいいと思う。

そのためには、「所帯が小さい」ということが
必要だろうと私は思っている。
所帯が大きくなれば、組織の延命が自己目的化し、
やがて人々はなんのために自分たちがその仕事を始めたのか、
その初心を忘れてしまう。
「教育のグローバル化」は日本の大学に統廃合による
少数化・巨大化を要求してきた。だが、恐竜時代の終わりに
小型ほ乳類が登場してきたように、
今世界は「ダウンサイジング」に方向転換しつつあるように
私には思われるのである。

AERA最新号の巻頭コラム 「内田樹の大市民講座」より


エコロジカルな(生態学的に健全な)社会のかたちを考えるとき、
規模の問題を避けては通れないと、私は思う。

これまで、
住宅もファッションにしろ、とうもろこしや小麦にいたるまで、
同じものを一カ所で大量につくって、スケールメリットを追求することで、
企業は利益を上げてきた。

大量につくった商品の買い手がいる消費の市場を求めて海外に進出し
さらには安いつくり手のいる労働の市場をもとめてこれまた海外に進出した。
それがグローバリゼーション。

同等のものを、効率よくつくれるようになり、価格は下がり、
価値が万人に行き渡った。
松下幸之助の水道理論。

ところが、つくり手と買い手がお互いの顔を見ることがなくなり、
商品と一緒に手渡されていた"心"や"信頼"が失われた。
と同時に、つくり手が知っている商品の情報が
買い手に伝わらなくなった。
どこから材料を取ってきて、誰がどうやって加工して、
出来上がったものなのかを、買い手が自然に知ることができていた
「情報の流通経路」が遮断され、買い手は無関心になった。

その結果、自然や人間に対する搾取に歯止めが効かなくなったのだと思う。
自然に対する搾取が環境破壊で、人間に対する搾取が貧困。
スケールメリットの代償に、環境問題と貧困問題がある。

大きい方がいいことももちろんある。でも、
巨大化一辺倒の結果にっちもさっちも行かなくなっている感のあるこの世界を
もう一度人間の手に取り戻すには、
小さいことのよさを見つめ直すといいんじゃないかと思う。

経済が小さいと、買い手の搾取への監視の目が行き届く。
それに、生きていくために必要な土や水が、近い。
ムハマドユヌスのマイクロクレジットが成功したのは、
共同体が小さくて、人と人の間に信頼関係があって、返済に対する連帯責任システムが成立したから。
福岡県の大木町で、自治体レベルでの生ゴミの資源化が成功している最大の要因は、
地域住民がお互いに顔見知りだから、生ゴミ回収のバケツに異物を入れるズルをする人がいないことだという。
事業を進めて行く組織が小さいと(あえて"会社"と言わない)働く人がよくも悪くも歯車化しにくい。
内田樹氏が言うように、組織の延命が自己目的化しにくいから、本来の理念に忠実でいられる。

「小さい」はなんだかいいことづくめだ。



エコの本質

2008年11月16日 | お仕事日記
仲のいい男友達が、
「俺、商業的なエコって嫌いなんだよね。」
と言った。

彼は、「うそくささ」に敏感なコア・サーファーで、
私は彼のそういうところが大好き。
そして、私たちはいつも、
「雑誌に書いてあるような生き方なんてしたくないし、
そういう生き方してる人なんてつまんないよね」
っていうようなことを話している盟友だ。

だから、彼の感性がNOと言った「商業的なエコ」ってどんなものなのか、
よく考えてみようと思った。

エコがブームになって久しい。
今や、ありとあらゆる業種業態のビジネス主体が
エコを標榜し、巷には緑色を使ったデザインで
"エコへの取り組み"をアピールする商品があふれている。

そのことが却って、「エコロジー」の本質を見えにくくしているように思う。

環境アクティビストの加藤登紀子さんが
日経エコロミーのインタビュー記事でこう語っている。

「昔から、『環境』『エコロジー』といった言葉をキーワードに活動して来たけど、ちょと前までは『そんな言葉を使うとお客が白ける』といって、結構、気をつかってたかな。

最近は誰もが『エコ、エコ』と言うようになって『エコ』にパワーがなくなったわね。(笑)マーケティングに利用しようとする人たちも当然出てきていて、環境問題やエコロジーについて、ある種の提言、情報、あるいはモラルとして伝えることは、かえってとても難しくなってきたように思います。」

エコロジーは直訳すると「生態学」。
「生態学」という森羅万象を内包する広大かつ深遠な
思想や科学を意味する言葉が、
知名度と引き換えに、単純化・記号化されてしまった
ということを、加藤さんは言っているのではないかと思う。

エコが商業ベースで、
モノや情報に姿を変える過程では、
どうしてもわかりやさが求められる。

わかりやすいことは、決して悪いことではない。
でも、「誰でもすぐわかること」は
ひとびとをすぐに「わかった気」にさせ、飽きさせる。
そして、まだ答えが出ていないことを
さもそれが答えであるかのように見せかけなければならないから、
おのずとうそくさくなる。

そのうそくささがきっと、彼のカンに障り、
"エコ的なもの"から遠ざけているのだ。

本当のエコってなんなのか、
まだ最終的な答えは出ていないのだ。

増え続ける人間に対して、
水と食料とエネルギーを、
どうやって調達するのか。
そのことを可能にするための一人一人の行動とは
どういうものなのか。

CO2の削減目標だけでは、問題は解決しない。
(もちろん、達成するべきだけど)
万人が最低限の文化的な生活を営めるように、
地球という巨大な生態系に調和した
人間ならではのふるまいを、
なるはやで見つけなければならない。

個人のレベルに落としたときにはおそらく、
"生態系に調和したふるまい"の形はひとつではないから、
経済発展先進国で、十分な教育と生活環境を
与えられてぬくぬく育った私なんかは、
恵まれなかった30人分ぐらいは、
学び、考え、意思と意見を持ち、行動しなければならない。

ふるまいのかたちを見つけようとする
姿勢や思想や行動が、現在のところの、エコの本質だと思う。

そして私は、本質的にエコな人でありたいと思う。

それは私にとって、本質的な生き方を目指すことや、
本当に海を愛するサーファーであることと、
とても近い。