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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

抽選の綾Ⅱ

2010-09-10 00:38:54 | 将棋雑考
9月2日に行われたマイナビ女子オープン本戦開幕戦・山田朱未女流二段と室谷由紀女流1級の一戦は、室谷女流1級の勝ち。ベスト8一番ノリとなった。もう、室谷人気は全国区になったといってよい。
ここで思い出されるのが、5月19日に竹橋・マイナビルームで行われた第4期マイナビ女子オープン・公開予選抽選会である。私はそれに参加し、宇治正子女流三段に自分の整理券を引いていただき、色紙を選ぶ権利を得たのだ。
このとき残っていた「一般女流棋士」は、中倉彰子女流初段、中村桃子女流1級、そして室谷由紀女流3級(当時)の3名。当時室谷女流3級のファン度は「圏外」だったから、私が狙う色紙は当然、中村女流1級であった。そして希望どおり、1/3の確率の中から、中村女流1級の色紙を選ぶことができた。このときの感激はいまもって忘れられない。
しかし…ここで禁断の「もし」を使ってみる。
もし私が室谷女流3級を引いていたら、⑪枠の初戦の相手は、北尾まどか女流初段だった。となったら室谷女流3級、女流名人位A級リーグ在籍の実力者を相手に、勝てたかどうか。むずかしかったのではないか。
よしんば勝ったとしても、決勝の相手は大豪・中井広恵女流六段だった。ここはさすがに壁が厚い。決勝では負けていたと思われる。となれば室谷女流2級の「1日で2階級昇級」の記録は生まれなかったし、あれほど話題に上ることもなかっただろう。
いっぽうの中村女流1級は、その北尾女流初段に屈し、あの若さで来期のチャレンジマッチ行きが決まってしまったのだが、もし⑫枠に入っていたら、初戦を勝っていたかもしれず、こんなところにそれぞれの運命を感じる。
私が色紙を引いたのはかなり最後のほうだったが、やはり見えないドラマがあったのである。
話を戻すが、室谷女流1級は、次のマイナビの対局に勝てば、「本戦トーナメント・ベスト4」の規定により、女流初段に昇段する。対局相手は誰だか分からぬが、まあ大した相手ではないだろう。全力を出して、勝利してほしい。
…と思ったが、室谷女流1級にここで勝たれると、来期のシード権を得てしまい、第5期マイナビ一斉予選対局で、室谷女流「初段」を鑑賞できなくなってしまうのだった。
なんてことだ…。やはりここは、相手の勝利を期待したほうがいいのか。しかし一斉対局には山口恵梨子女流初段もいるし、やはりここはファンランキング2位の女流棋士を応援するのがスジであろう。
よし、とにかく室谷女流1級には、次局もがんばってもらいたい。勝って、女流2級から女流初段への、スピード昇段の記録を塗り替えてもらいたい。
あっ、痛いっ! 私に石を投げないでください!! あっちこっちから非難を浴びようと、とにかく、私は、室谷女流1級を応援する。
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湯川博士統括幹事の教え

2010-09-09 00:32:40 | 愛棋家
「将棋ペン倶楽部」(「将棋ペンクラブ」は団体名、「将棋ペン倶楽部」は書名)に投稿すると、その文章は100%掲載される。将棋を愛する会員の投稿だから、ボツになることはないのだ。ただし原稿料は一切でない。素人の文章だから、これは当然である。
投稿された文は、湯川博士統括幹事が中心となって、校正が行われる。原文には日本語の乱れや、意味が分からない箇所が見受けられ、そのままでは掲載できないからだ。
そこから投稿者とのやりとりが電話やeメールを通じて行われ、多い時は数回に上る。ここが投稿者の運命の分かれ道である。文章の瑕疵を指摘されることは投稿者にとって不愉快かもしれないが、ここで怒って投げ出してはいけない。湯川統括幹事は文章のプロである。そのプロに無償で原稿を手直ししていただけるのだ。それをありがたい、と捉えることが大事である。
…とここまで書いて自慢するようで恐縮だが、私の文章は湯川統括幹事の好みにあっているらしく、大幅な直しが入ったことはない。
以前、関東交流会のレポートを仰せつかったとき、窪田義行六段が自己紹介で、「ヒロシです」とモノマネをしたから、そのことを文章に盛り込んだら、冊子ではその箇所が削除されていた。湯川統括幹事は「ヒロシ」をご存じでなかったのかもしれない。あるいはヒロシを知ってはいたが、窪田六段を揶揄した、と取り、削除したのかもしれない。
また昨年末に行われた「将棋寄席」のレポートを書いたときも、オバサマ方のコーラスグループを、「元妙齢の美女」と書いたら、冊子では「元」が削除されていた。
まあ、記憶に残る直しはその程度である。ただし一度だけ、あることで注意を受けたことがある。それも直々にハガキで郵送されてきたものだった。
私は昨年の3月、第2期マイナビ女子オープンの挑戦者決定戦・中村真梨花女流二段と岩根忍女流初段(当時)の懸賞スポンサーになり、控室の視点から見た観戦記を、将棋ペン倶楽部に投稿した。
その文章の中で注意されたのが、「女流棋士の肩書きについて」だった。
このとき私は、女流棋士の肩書きに、「女流」をつけずに書いていたのである。つまり「中村女流二段」は「中村二段」、「岩根女流初段」は「岩根初段」という具合に書いていた。正確に言うと、初めの記述で「△△女流○段」、2回目以降は「女流」を省略して、ただの「△△○段」と書いていた。
将棋ペン倶楽部の原稿量には一応制限が設けられており、原則的に4頁以内である。私はそんなもの無視してどんどん書いていくが、やはり字数制限は気になる。そこで少しでも文字数を減らそうと「女流」の2文字を削ったのだが、これがよくなかったらしい。
「『女流○段』と『○段』、は違います。『女流○段』は女流の肩書き、『○段』のみは男性(奨励会)の肩書きです。読者が誤解しないよう、そこは正確な記述をお願いします」という趣旨の記述だった。
いわれてみれば確かにそうで、たとえば○○四段、と書けば、奨励会を抜けた正式な棋士である。それを女流棋士にあてはめてしまうと、この女性は男性棋士と同等の肩書きなのか、と取られてしまう恐れがある。まさに目からウロコが落ちる思いだった。
さらに湯川統括幹事のハガキでは、「○○女流○段」「○○さん」「○○(呼び捨て)」の、場面による使い分けを、詳しく書いてくれていた。
湯川統括幹事は、怒ったときはもちろん、笑顔でも恐ろしく見えるというというコワモテだが、棋士に対しての尊敬の念が垣間見え、私は湯川統括幹事の繊細な一面を見た気がした。と同時に、私のような一会員にも過分なアドバイスをくださったことに、私は大いに恐縮したのだった。
そんなことがあってから、私のブログでは、女流棋士の肩書きには、めんどうなようでも、必ず「女流」の2文字をつけるようになった。ただし、(女流)棋士と私では住む世界が違うので、「○○さん」と書いたことはなく、すべて「○○女流○段」で統一している。ときに「ヨーコ」とか「ヒロミ」とか、呼び捨てで書くことはあるが、それは敬愛の表れである。
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「将棋ペン倶楽部・2010年秋号」―自作を斬る

2010-09-08 00:44:19 | 将棋ペンクラブ
きのう「将棋ペン倶楽部 2010年秋 第54号」が届いた。例によって開封はせず、夜の散歩まで待つ。
夕食後、散歩先のドトールコーヒーに入りアイスコーヒーS(200円)をオーダーし、ここで初めて開封する。今回は拙作「奇跡の光景」が掲載されているから、読む張り合いはある。
中身は全128頁。「将棋ペンクラブ大賞発表号」とはいえ、かなりのボリュームだ。これだけの頁数は、数年前に原田泰夫将棋ペンクラブ名誉会長(九段)が逝去されたときの追悼号以来ではなかろうか。
拙作は95頁から掲載されていた。活字化された自分の作品を読むのは楽しみだが、ただ今回は推敲不足だったので、読む前から若干の不安があった。投稿してから1ヶ月あまり。現在の新鮮な目で見て、どのくらいのアラが見つかるか。私は息をのんで、活字を追った。……。いや…参った。
冒頭部分を記してみる。

かつて私が通った高校は一応男女共学だったが、その比率は男子4に対し女子1だった。
むろんこの高校を受験する前から、その比率は承知していたが、……

早くもここで、頭がクラクラした。「女子1だった。」の次の「むろん…」は、改行しないほうがよかった。さらに「受験する前から、」の「、」は、あとに続く文章のリズムを崩している。この読点はないほうがよかった。
駄作の予感を抱いたまま読み進むが、案の定、修正したい箇所がところどころ出てくる。具体的にどうというわけではないのだが、やはり文章のリズムがわるいのだ。やがて決定的な「疑問手」が、次の頁の1段目に出た。
私が2年に進級したときのくだりだが、私のクラスが4階にあったことが、記されていなかったのだ。
あとの文で「しかし3階へ降りれば…」と出てくるから、自分のクラスが4階にあることは推測できる。しかしそれでは不自然で、この類の説明は、本文でハッキリ述べなければならない。
さらに読み進むと、2段目に今度は「大悪手」があった。また該当部分を引いてみる。

当時わが校の制服は、男子の学ランに対し女子はシャレた色のブレザーで、ブラウスも白のほかにブルーや薄いピンクがあったから、現在の目から見ても、先進的だった。

書き写しているだけでもう嫌気が差すのだが、女子のブレザーの色が記されていない。ちなみに女子の冬服は紺色、夏服はベストで、鮮やかな青色だった。
…と、ここまで読んで、古参のペンクラブ会員は、似たような文章を以前読んだ覚えがある、と訝しく思ったことだろう。
それは正しく、3年前の2007年秋号に掲載された拙作「文化祭1982」の序盤の部分と、内容がほとんど同じなのである。実は今回の投稿は、このとき書きもらした我が校の女子の制服を、詳しく書くためだった。よってあとに続く文章は、そのための目くらましにすぎない。その点は、読者をペテンにかけたようで、申し訳なく思っている。
ああそれなのに、このいい加減な描写はなんだろう。女子のネクタイは紺とエンジの2色があったにもかかわらず、これも記していない。いったい、なんのための投稿だったのか。
話がやや逸れたが、上の引用文の「大悪手」は、「ブラウスも白のほかにブルーや薄いピンクがあったから…」という箇所で、正しくは「ブラウスも白のほかにブルーやベージュがあったから…」だった。
「ベージュ」から「ピンク」へと、なぜこんな「記憶のすり替え」が起こったのかと考えるに、この原稿の執筆前、7月17日に行われた「マイナビ女子オープン一斉予選対局」で、室谷由紀女流1級の、ピンクのブラウスを目にしたからではなかろうか。あの鮮やかな制服姿が脳裏に残って、ブラウスの色に「ピンク」を加えてしまったのだ。
しかし、ヒト様の高校の制服を、母校の制服にするだろうか…。まったく、自分のバカさ加減に呆れてモノが言えない。
さらに進んで、98頁。教室内にある「個人用ロッカー」がこの話のキーになるのだが、肝心の設置場所が書かれていない。実際は教室の後方にあった。本文には「個人用のロッカーの上に…」とあるので、書き加えるならここで、「教室の後方に設置されている個人用ロッカーの上に…」とすべきだった。それにしても、この説明不足に気がつかないとは、どうかしている。
今回の文章は随筆だから、私は当時の教室内の光景は覚えている。それを知っているのは私だけなのに、読者も知っていると錯覚しているのだ。
要するに、ひとりよがりの文章なのだ。何も知らない読者にもその光景が見えるよう、詳細な説明をしなければならないのに、その配慮が欠けている。
これらの原因は分かっているのだ。今回の執筆の前後に、このブログにてマイナビ女子オープン一斉予選対局の観戦記を書いたのだが、そちらに精を出しすぎて、将棋ペン倶楽部への執筆がおろそかになったからだ。
さらに紙媒体に載るというプレッシャーが、キーボードを叩く手を重くさせた。いやいや書いているから、文章に勢いがない。寝不足で思考力も低下しているから、似たような単語が繰り返し出てきて、文章が平板になっている。魂がこもっていないというべきか、ただただ駄文を垂れ流している感すらある。
私は弁護士に「皮肉の利いた名文です」と言われて満足するほどの自信家ではない。1回読んだだけでこれだけ悪手が散見されては、もうダメである。
本書の巻末を見ると、「新入会員」に、「藤森奈津子」「松尾香織」「大庭美樹」の名前がある。これ、どう考えてもLPSA所属の女流棋士であろう。ほかにLPSAスタッフ氏の名前も見えるから、代表理事に脅されて入会したのだろうが、私の駄文を読んで、
「大沢さん、会報の常連だと聞いて期待して読んだけど、スットコドッコイな文章だったワ」
と思ったに違いない。
現在将棋ペンクラブの会員は4~500人というところか。貴重な会費を支払っているのに、こんな文章を提供してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいである。次回投稿することがあれば、もう少し読者が満足できる文章にしたいと思っている。
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金曜サロン・山下カズ子女流五段④

2010-09-07 00:40:06 | LPSA金曜サロン
6月4日のLPSA金曜サロン、1部は山下カズ子女流五段、2部は中倉宏美女流二段の担当だった。きょうは山下女流五段との一戦を振り返る。
毎度書いていることだが、山下女流五段は女流棋士の1期生で、そんな方と盤を挟めることを光栄に思う。
☗7六歩☖3四歩☗6六歩☖8四歩☗6八飛。山下女流五段は居飛車対振り飛車の対抗形を得意にしている。2手目までは当然の進行として、本局は私が角道を止め、飛車を振った。なお5手目以降で相居飛車を明示するのはウソ手で、平手で教わっている以上、上手の得意戦法を勉強するのがスジだと思っている。
私はどちらかといえば居飛車党だが、調べてみると、女流棋士相手に飛車を振ったのは、3月27日の江東区のイベントで、藤田麻衣子女流1級(当時)相手に三間飛車で戦って以来。金曜サロンに絞ると、3月5日の中倉女流二段戦で中飛車。四間飛車に限定すると、さらにその1ヶ月前の石橋幸緒女流四段戦にまで遡らなければならない。やっぱり私は居飛車党なのだ。
本局は、山下女流五段が☖5三銀左から☖6四歩~☖7二飛~~☖4二金上ときた。ちょっと見馴れない形だが、「将棋世界」平成20年7月号の別冊付録で、阿久津主税六段(当時)が「対四間飛車☖7二飛亜急戦」と題して、似た形を解説している。後手番の作戦としては有力である。
実戦も山下女流五段に巧妙に捌かれた。その中盤の一場面を掲げる。

上手番。ここから☖6六歩☗6八金☖7九角と進んだ。☖6六歩の叩きに☗6八金は悔しいから☗8八角とでも打とうと思ったのだが、☖4四角と対抗され、のちに☖5七桂成が残るからおもしろくないと思った。
しかし本譜でも素朴に金取りと角を打たれ、やはり☖5七桂成が残っては形勢を損ねた。ここで私は☗6五竜と桂を外したが、☖6八角成と金を取られては、ハッキリこちらが苦戦である。
山下女流五段の味のある指し回しが勉強になった一局だった。
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金曜サロン・船戸陽子女流二段⑩・久しぶり

2010-09-06 00:25:33 | LPSA金曜サロン
5月28日のLPSA金曜サロンは、1部が島井咲緒里女流初段、2部が船戸陽子女流二段の担当だった。現時点でのゴールデンコンビだが、それでもこの日はふたりが主役ではなかった。主役は、この日で手合い係を卒業する植山悦行七段だった(そのときの模様は5月30日のエントリを参照されたい)。
そんな背景があったので、私が入室したときにはすでに先客が16人もおり、島井女流初段との指導対局は無理。いきなり船戸女流二段との指導対局となった。
船戸女流二段に教わるのはかなり久しぶりである。その前の船戸女流二段との指導対局は、何と昨年の11月28日、蕨での将棋大会。さらに金曜サロンに限定すると、11月13日まで遡る。
12月17日の金曜サロンで船戸女流二段が担当だったが、私が九州旅行を優先したので、対局はなし。その後は船戸女流二段と対局する機会がなく、このまま船戸女流二段と会えなくなるんじゃないか、と本気で心配したものだった。
よって本局は、船戸女流二段と初めて金曜サロンで将棋を教えていただいたときと同じくらい、感慨深いものがあった。
対局開始。☗2六歩☖3四歩☗7六歩☖4四歩☗4八銀☖5四歩☗5六歩☖4二銀☗6八銀☖5三銀☗7八金☖5二飛。
船戸女流二段は相がかりをあまり指さないので、4手目☖4四歩は当然。得意の雁木で来るかと思いきや、10手目に☖5三銀と上がったので、作戦が分からなくなった。私は首を傾げながら☗7八金。しかしこれが専門的に見て、疑問だった。船戸女流二段に☖5二飛と振られ、ビックリした。
「中飛車かよ…」
「え? ☖5三銀上がったから当然だと思いますけど…」
香落ちならともかく、船戸女流二段の中飛車は珍しい。もっとも船戸女流二段の中飛車も立派な裏芸で、一昨年の「1dayトーナメント・フランボワーズカップ」で、中井広恵女流六段相手に熱戦を制し、涙の優勝を飾ったのは有名だ。
ただ船戸女流二段はこの日の時点で、7月17日に行われるマイナビ女子オープン一斉予選対局で清水市代女流王将との対局が決まっており、中飛車で戦うハラだったようである。つまり会員相手の中飛車は、その予行練習だったようだ。
私は☗7八金と上がってしまったので、玉の囲いが難しい。☗7七角~☗8八玉から☗9八香として、穴熊を明示した。いつもとは逆を持っての戦いである。
ふだん居飛車穴熊を指し慣れているから、船戸女流二段は穴熊崩しも得意なのだろう。「ふ~ん、そうですか」という感じで、大して時間も使わず、ポンポン指してくる。☖6二飛と回り、端攻めをミックスした波状攻撃にこちらも防戦一方となった。しかし船戸女流二段に攻め急ぎの手がでて、いつの間にかこちらが優勢になった。

図以下☗8四香☖同銀☗8二金☖7三王☗6四銀☖同王☗6五馬☖5三王☗5四銀☖5二王☗4三銀不成☖6二王☗6三歩(投了図)まで、一公の勝ち。
最終手に、「歩が利くのか…」とつぶやき、船戸女流二段の投了。もっとも☗6三歩では、☗7二金打以下簡単な3手詰だった。

金曜サロンで船戸女流二段に指導対局をしていただくことを最大の楽しみにしている私にとって、本局は思い出に残る一局となった。
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