大山康晴十五世名人の生誕日である3月13日(土)、午後9時から、テレビ朝日系「再捜査刑事 片岡悠介・時効まであと10日!」を観た。片岡悠介役の寺島進はニガミ走ったいい男で、彼が40歳前後からテレビドラマでよく観るようになった。そのころ寺島進は独身で、本人も結婚に興味はない、という意味のことを語っていたが、何と昨年、20代の女性と結婚してしまった。私は「寺島よ、お前もか」と嘆いたものだった。
さて片岡悠介は将棋好きという設定で、事件を推理する際、将棋の格言を現実の事柄に置き換えて考える。実際これは有効で、私も同じ行為をすることがある。
スタッフも将棋の世界をよく勉強しており、関連する話に違和感はなかった。ただ片岡悠介が将棋の部分図(だったと思う)を研究していたシーンで、中盤と思しき局面が、☗7八銀、☗8八金の配置になっていた。このブログの読者には言わずもがなだが、実戦の中盤で、この形が出てくることはまずない。スタッフは、カナ駒の配置はここでいいのだろうと金銀を適当に並べたのだろうが、不用意だったと言わざるを得ない。瑕瑾ではあるが、脚本が練られていただけに、残念だった。
きのう27日(土)、昼過ぎに出先から帰ると、Iという人から電話があったという。私は携帯電話を持っていないので、自宅の固定電話にかかってくる。ただ私あてへの電話はまずない。珍しいことがあるものだと折り返し電話をすると、やはり金曜サロン常連のI氏で、聞くと、江東区木場のとある施設でボードゲームの集会があり、藤田麻衣子女流1級が講師として参加するという。
I氏はきのうの私のブログを読み、もしお別れの言葉を伝えたかったら、この機会にどうですか、と誘ってくれたのだった。
藤田女流1級は、私のファンランキングでは圏外だが、心の師匠である。願ってもない話で、二つ返事で快諾した。
私はふだん、電車にはほとんど乗らないが、行きの地下鉄車内で急病人が出たとかで、5分遅れた。私は時計をはめない主義なのだが、待ち合わせの時間にやや遅れたかもしれない。
I氏に案内されて現地へ向かう。やや道に迷ったが、着いたところは大きなマンションの向かいにある集合施設で、そこで将棋を中心にしたボードゲームの会が行われている、とのことだった。
フロントで場所を聞いていると、通路の向こうに、将棋界を代表する観戦記者であり、将棋ペンクラブ創設者のひとりでもある、東公平氏の姿が見えた。東氏が「会場はあちら」と無言で指示するので、そこへ入る。
玄関は思ったより狭いが、この先に藤田女流1級がいると思うとドキドキする。なぜドキドキするのだろう。私的なイベントの雰囲気なので、素の藤田女流1級にお会いできるからかもしれない。
中に入ると、藤田女流1級が男性と将棋を指していた。私を見て、「あーっ」と目を丸くしたあと、明るい笑顔で挨拶をしてくれる。藤田女流1級は、こんなに可愛らしかっただろうか。藤田女流1級が、
「きのうの帰り、ラーメン屋へ寄ったんですよ。サロンに戻ればよかったな」
と言う。行き違いになってしまい、私も残念だったが、26日に藤田女流1級と最後の挨拶をしていたら、私はこの場にいなかったことになる。
洋間の奥に和室が2部屋ある。向かいにある大型マンションとの間に庭があり、春の陽光が射し込んでいる。LPSAの番勝負対局で使えそうだ。そこでI氏と私は将棋を指す。藤田女流1級と東氏は、この付近にお住まいらしい。
先番私の三間飛車に、作戦家I氏の採った作戦は「鳥刺し」。昭和47年の王位戦七番勝負で、挑戦者の内藤國雄八段が大山康晴王位からタイトルを奪取した際の原動力となった戦法である。実戦も私が作戦負けだったが、I氏も局面を悲観していたようで、こちらの無理な捌きが通って優勢となった。
以下は手堅くまとめて制勝。この1勝は、できれば金曜サロンのリーグ戦に持ち越したいところだった。この直後、部屋に東氏がいらっしゃる。将棋観戦記者の神様、東公平氏にひょんなことからお会いすることができ、私は感激を隠せない。いろいろと将棋界の裏話を伺っていると、今度は藤田女流1級がいらっしゃった。洋室にはチャスやどうぶつしょうぎなど、いろいろなゲームがあったが、私は将棋しか知らない。さらに将棋好きの方がいらしたので、I氏と私と3人が、藤田女流1級に将棋を教えていただくことになった。
15日のマンデー・レッスンが最後の指導対局だったはずが、思わぬ形での再戦となったのだ。
将棋は私の三間飛車に、藤田女流1級の急戦。☖6五歩と仕掛けられ、角交換になったものの1歩ドクが大きく、下手指しやすいと思った。しかし銀を引かれてみると☖8六歩からの飛車先交換が受からず、以下は勝負どころもなく、早々に敗退した。
ほかのふたりは、男性氏が二枚落ちで挑み、快勝。I氏は平手戦のむずかしい将棋を終盤で逆転し、勝利した。
結果は藤田女流1級の1勝2敗だったが、上手らしい指し回しだったと思う。これだけの指し手が、なぜに現役引退なのか。いまから撤回はできないものか。
「藤田先生が3月いっぱいでLPSAを退会されたら、私と先生との師匠と弟子の関係は解消になりますね」
と言うと、藤田女流1級はさびしそうな顔をした。ありがたいことに、どうやら4月以降も、この関係は継続、ということになった。
洋室に戻る。室内をあらためて見回すと、どうぶつしょうぎのグッズが多い。藤田女流1級は、これからどうぶつしょうぎの普及に一層力を入れるのだろう。
施設は5時で閉館。片づけを終えて、藤田女流1級に見送られ、I氏、先ほどの男性氏と木場駅に向かう。乗り換えの千代田線では、またも電車が遅れている。大して電車に乗らないのに、この運の悪さはなにか。
しかし遅れてやってきた電車の途中駅から乗ってきた女性が、睫毛の長いたいへんな美人で、私はポカーンとしてしまった。彼女はふつうのOLなのだろうか。その美しさは、船戸陽子女流二段と双璧であった。
さて片岡悠介は将棋好きという設定で、事件を推理する際、将棋の格言を現実の事柄に置き換えて考える。実際これは有効で、私も同じ行為をすることがある。
スタッフも将棋の世界をよく勉強しており、関連する話に違和感はなかった。ただ片岡悠介が将棋の部分図(だったと思う)を研究していたシーンで、中盤と思しき局面が、☗7八銀、☗8八金の配置になっていた。このブログの読者には言わずもがなだが、実戦の中盤で、この形が出てくることはまずない。スタッフは、カナ駒の配置はここでいいのだろうと金銀を適当に並べたのだろうが、不用意だったと言わざるを得ない。瑕瑾ではあるが、脚本が練られていただけに、残念だった。
きのう27日(土)、昼過ぎに出先から帰ると、Iという人から電話があったという。私は携帯電話を持っていないので、自宅の固定電話にかかってくる。ただ私あてへの電話はまずない。珍しいことがあるものだと折り返し電話をすると、やはり金曜サロン常連のI氏で、聞くと、江東区木場のとある施設でボードゲームの集会があり、藤田麻衣子女流1級が講師として参加するという。
I氏はきのうの私のブログを読み、もしお別れの言葉を伝えたかったら、この機会にどうですか、と誘ってくれたのだった。
藤田女流1級は、私のファンランキングでは圏外だが、心の師匠である。願ってもない話で、二つ返事で快諾した。
私はふだん、電車にはほとんど乗らないが、行きの地下鉄車内で急病人が出たとかで、5分遅れた。私は時計をはめない主義なのだが、待ち合わせの時間にやや遅れたかもしれない。
I氏に案内されて現地へ向かう。やや道に迷ったが、着いたところは大きなマンションの向かいにある集合施設で、そこで将棋を中心にしたボードゲームの会が行われている、とのことだった。
フロントで場所を聞いていると、通路の向こうに、将棋界を代表する観戦記者であり、将棋ペンクラブ創設者のひとりでもある、東公平氏の姿が見えた。東氏が「会場はあちら」と無言で指示するので、そこへ入る。
玄関は思ったより狭いが、この先に藤田女流1級がいると思うとドキドキする。なぜドキドキするのだろう。私的なイベントの雰囲気なので、素の藤田女流1級にお会いできるからかもしれない。
中に入ると、藤田女流1級が男性と将棋を指していた。私を見て、「あーっ」と目を丸くしたあと、明るい笑顔で挨拶をしてくれる。藤田女流1級は、こんなに可愛らしかっただろうか。藤田女流1級が、
「きのうの帰り、ラーメン屋へ寄ったんですよ。サロンに戻ればよかったな」
と言う。行き違いになってしまい、私も残念だったが、26日に藤田女流1級と最後の挨拶をしていたら、私はこの場にいなかったことになる。
洋間の奥に和室が2部屋ある。向かいにある大型マンションとの間に庭があり、春の陽光が射し込んでいる。LPSAの番勝負対局で使えそうだ。そこでI氏と私は将棋を指す。藤田女流1級と東氏は、この付近にお住まいらしい。
先番私の三間飛車に、作戦家I氏の採った作戦は「鳥刺し」。昭和47年の王位戦七番勝負で、挑戦者の内藤國雄八段が大山康晴王位からタイトルを奪取した際の原動力となった戦法である。実戦も私が作戦負けだったが、I氏も局面を悲観していたようで、こちらの無理な捌きが通って優勢となった。
以下は手堅くまとめて制勝。この1勝は、できれば金曜サロンのリーグ戦に持ち越したいところだった。この直後、部屋に東氏がいらっしゃる。将棋観戦記者の神様、東公平氏にひょんなことからお会いすることができ、私は感激を隠せない。いろいろと将棋界の裏話を伺っていると、今度は藤田女流1級がいらっしゃった。洋室にはチャスやどうぶつしょうぎなど、いろいろなゲームがあったが、私は将棋しか知らない。さらに将棋好きの方がいらしたので、I氏と私と3人が、藤田女流1級に将棋を教えていただくことになった。
15日のマンデー・レッスンが最後の指導対局だったはずが、思わぬ形での再戦となったのだ。
将棋は私の三間飛車に、藤田女流1級の急戦。☖6五歩と仕掛けられ、角交換になったものの1歩ドクが大きく、下手指しやすいと思った。しかし銀を引かれてみると☖8六歩からの飛車先交換が受からず、以下は勝負どころもなく、早々に敗退した。
ほかのふたりは、男性氏が二枚落ちで挑み、快勝。I氏は平手戦のむずかしい将棋を終盤で逆転し、勝利した。
結果は藤田女流1級の1勝2敗だったが、上手らしい指し回しだったと思う。これだけの指し手が、なぜに現役引退なのか。いまから撤回はできないものか。
「藤田先生が3月いっぱいでLPSAを退会されたら、私と先生との師匠と弟子の関係は解消になりますね」
と言うと、藤田女流1級はさびしそうな顔をした。ありがたいことに、どうやら4月以降も、この関係は継続、ということになった。
洋室に戻る。室内をあらためて見回すと、どうぶつしょうぎのグッズが多い。藤田女流1級は、これからどうぶつしょうぎの普及に一層力を入れるのだろう。
施設は5時で閉館。片づけを終えて、藤田女流1級に見送られ、I氏、先ほどの男性氏と木場駅に向かう。乗り換えの千代田線では、またも電車が遅れている。大して電車に乗らないのに、この運の悪さはなにか。
しかし遅れてやってきた電車の途中駅から乗ってきた女性が、睫毛の長いたいへんな美人で、私はポカーンとしてしまった。彼女はふつうのOLなのだろうか。その美しさは、船戸陽子女流二段と双璧であった。
船戸女流二段も一日だけ講師を務めていました。
私は運悪く所用があって一度も参加していません。
女流棋士とソムリエを兼職する女性。ねっとりとしていて、硬質かつ重厚な桐野夏生の描く女性像。イメージは膨らんできますが、女流棋士は親父の影響を受けてだいたい将棋を始めてますよね? そこは、親父の影響ではない設定がいい。小学生のうちから、近くの将棋道場に通うようになると、オヤジどもをバッタバッタと倒していくようになる人物背景とか。
僕は一公さんと違ってストーカーの気はないのですが、小林麻央とか、大宅とか、同じく恋からに出ていたヒラメちゃん(←一公さん、分かるかなあ?)とかだったら、何度もチラ見してしまいますね
一公さんの先手三間に成立しそうな急戦で思いついたのが鳥刺し(島ノートより)です。仕掛け時点は指し易いと感じていましたが、自力の差でやられました。
子供達も多く和気藹々と楽しそうな会ですよね。ゲームに興味を持ってもらう->どうぶつしょうぎ->将棋が理想でしょうか。
藤田先生、船戸先生が講師をつとめた江東区民まつりは、私も行ったことがありません。なかなかむずかしいです。
>佐々さん
船戸先生をモデルにした小説を、ぜひ書いてください。その発表方法がどうなるか分かりませんが、楽しみにしております。
「ヒラメちゃん」は記憶にありません。ところで28日夜、「恋から」の卒業アルバムを、ネットで購入しました。
>Iさん
このたびは格別の配慮をいただき、ありがとうございました。友人(知り合い)を多く持つということの有難さを実感しました。
鳥指しの教科書は「島ノート」でしたか。たしかあの本は、島先生が執筆のために指しなれない振り飛車を用い、「実験台になった」と述懐されていたのを読んだ記憶があります。
Iさんのおっしゃるとおり、各種ゲームから最終的には本将棋に興味を持っていただくのが理想でしょうね。
それにしても矢内女王さまのテレビ対局も含めてですが1日3敗は前代未聞でしょうね。
中井代表、昨日のNHKでの過去の画像。今の方が可愛いと思ったのは私だけでしょうか?。
矢内先生の穴熊は珍しいうえ、1日に2度も見たので、2度目はデジャヴでした。あの将棋を負けるようじゃ、矢内先生、女王位は危ういです。
LPSAの女流棋士の酒量は分かりませんが、全員飲むんじゃないですか? 一部の女流棋士から、マッカラン以外のものが欲しい、という声もあったので、それはOKしました。
まあ、まずはベスト8に進出してからですね。
中井先生は、先崎先生との対局が夏ということもあったのでしょうが、妙に色っぽかったですね。私は当時のほうが可愛らしいと思います。
ただし現在の中井先生のほうが、輝いています。
3000円ぐらいでしたっけ?
まあ、今期も美人はそれなりに揃ってるから、グラビアを集めるのが好きな一公さんには良いコストパフォーマンスかもしれませんね^^
売っている本屋が少ないので、通販で買うのが確実ですね。
何年か前、恋からメンバーのキスマーク付きカードが当たったことがあります。さすがに鑑賞するだけでした。