一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ベルサイユ高田七段、引退

2019-08-11 02:52:45 | 男性棋士
高田尚平七段が9日(金)の第32期竜王戦6組昇級者決定戦で杉本和陽四段に敗れ、引退した。
改めて高田七段は、1962年生まれの57歳。荒巻三之九段門下で、1977年奨励会入会。1980年初段。1989年3月、第4回三段リーグを15勝3敗の2位で抜け、26歳で四段昇段を決めた。その端正な顔立ちと振る舞いから、「ベルサイユ」と呼ばれた。ちなみに御尊父は随筆家の高田宏氏で、将棋ペンクラブの前会長でもある。
高田七段は、竜王戦では3組まで昇級したが順位戦ではついぞ昇級がなく、2009年、第67期順位戦C級2組で3つ目の降級点を取り、フリークラスとなった。以降、本年3月まで規定の成績が挙げられず、竜王戦6組昇級者決定戦の敗退をもって、引退となった。通算成績は、360勝429敗、勝率0.4562。

私と高田七段の接点は、私が10年前に沖縄・石垣島を旅行した時に遡る。その日は沖縄全土に台風が来ており、私もその日は海の予定がパーになった。腐りつつ石垣島の商店街をぶらぶらしていると、掲示板に高田七段が立ち合いを務める将棋大会を見つけ、なぜか私も顔を出したのだった。
高田七段は怪しい私を歓待してくれ、「どうぶつしょうぎ」コーナーのコーチ役を任せてくれた。
なおこの時、高田七段も台風により、沖縄本島で足止めを食っていたのだが、奇跡的にチケットが手に入り、無事石垣入りできていたのだった。
大会は滞りなく終了し、高田七段は御礼として、私に扇子をくださった。
実はこの日の出来事が2009年8月9日。つまり、高田七段引退のちょうど10年前だった。
この日のことは、翌8月10日の当ブログ記事「龍王」に詳しい。私は当ブログに何の価値も見出さないが、我が将棋の出来事を克明に記しておくことで後に役立つことがあり、自分を褒めてやりたくなる時がある。
高田七段にはその後「大野教室」で一局教わったが、角落ちで吹っ飛ばされた。
その後も食事をしたと思うが、高田七段は話し方も紳士で、とても勝負師には見えなかった。この印象、私が応援していた植山悦行七段、大野八一雄七段、安西勝一七段、皆さんそうである。勝負師特有のギラギラしたものが感じられず、私は温厚なサラリーマンと話している気分になるのだ。だがそれでは、厳しい勝負の世界を勝ち抜くことはできないのだろう。皆さんフリークラスを経て、引退してしまった。

高田七段は現在も沖縄普及担当として、年に何回も渡沖されているようである。今後も沖縄将棋会を陰で支えていってください。平成31年間の現役生活、お疲れ様でございました。
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