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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

冬の青春18きっぷの旅7・「角館の美女」に会った日に降りた駅

2012-01-14 21:29:58 | 旅行記・その他の地域
バスの車内から、宿やレストランの案内板が見える。それらが一様に、白地に焦げ茶か、焦げ茶に白抜き文字だった。なるほど…と思った。つまり那須高原一帯は、看板の色を焦げ茶と白に統一しているのだ。
右手にローソンが見えてきた。そのロゴは、やはり白地に焦げ茶である。間違いない。地味な配色で、少しでも周りの景色に溶け込ませようとの配慮である。熊本県の黒川温泉は看板の類が一切ないと聞いたことがあるが、とにかく、街のこうした姿勢は清々しいと思った。
16時55分、定刻より5分早く、黒磯駅前着。すぐに17時06分発の郡山行きに乗り換える。
18時07分、郡山着。この駅に初めて降りたのは、昭和63年9月2日である。このとき私は10日間の東北旅行中で、郡山は、東京のバイト先でいっしょになった2学年上の友人が、就職のためUターンしていた場所だった。
私が彼に、東北を旅行すると伝えると、是非ウチに寄ってくれということになり、旅行のラス前にお邪魔することになった。それが前述の日にちだったというわけである。
この日の昼、私は秋田県角館を観光していた。ある武家屋敷を出ると、地元のひとと思しき女性が、自転車で私の前を通り過ぎるところだった。
角館は美女の本場といわれる。地元の女性をカメラに収めたいという下心が満々だった私は、思わず彼女に声を掛けた。
「はい?」と止まってくれた彼女は、私がいままで見たことのない大変な美人で、私は彼女に一目惚れをしてしまった。
彼女――千葉郁子さんは快く写真を撮らせてくれた上、そのまま周辺を案内してくれた。思わぬ展開に私はボーッとし、放心状態で角館を後にした。郁子さん…。彼女のことで頭がいっぱいのまま、私は郡山に向かったのだった。
もしあの日、友人との約束がなかったら、その日に角館を訪れていたかどうか分からない。いや訪れていたとしても、「角館の美女」には会えなかった。そう考えるとあの郡山行きは、私の人生のターニングポイントだった。
というわけで、その郡山で夕食を摂る。
駅を出ると、目の前にアーケード街の入口があった。その袂には牛丼の松屋があるが、さすがにパスである。
アーケード街に入ると、シャレた中華料理店があるので、入ってみた。店の奥に通される。なかなかいい雰囲気の店だ。
女性店員はチャイナドレスを着用、支配人と思しき男性は日本語がたどたどしく、出されたお茶はジャスミンティー。これは本格中華料理店だと思った。
表のガラスケースにあった、広東風うま煮そば(756円)を注文する。これが野菜と海鮮がいっぱい入っていて、美味だった。ただ、麺が「細麺・縮れ麺」だったので、具のパワーに負けていた。「太麺・ストレート麺」の方が、具にマッチしていたと思う。
いずれにしてもこの料理なら、東京なら945円で出しても、客は満足するだろう。
旅先で安くて美味しい食事処を見つけることは、旅の醍醐味のひとつである。ちょっといい店を見つけて、私はとてもいい気分になった。
郡山からは磐越西線に乗る。19時03分郡山発、きょうの宿泊地である会津若松には、定刻を3分遅れの20時17分に着いた。
宿はビジネスホテルだから何時にチャックインしてもいいのだが、今夜は9時から、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場35周年記念スペシャル・タクシードライバーの推理日誌」を観なければならない。自由気ままな旅ではあるが、けっこう際どい乗り継ぎだった。
「HOTEL α-1会津若松」に旅装を解く。フロントで、きょうの朝刊、おしぼり、ホッカイロをいただく。なかなか手厚いサービスである。
部屋に入ると、待望のパソコンは、キーボードとマウスがコードレスだった。モニター画面はテレビと共用で、リモコンのボタンで切り替えをする。
私は左目でテレビを観て、右目でブログを書くつもりだったので、ちょっと予定が狂った。もっともあす更新分のブログは、あらかた書いてある。
きょうは「タクシードライバー」と「特命係長只野仁・最終回スペシャル」をゆっくり楽しむことにする。
もうひとつ、このホテルには有料テレビシアターのサービス(1,000円)があったが、以上の理由で、利用はあすに回した。あすも同じ系列のホテルに泊まるので、ここと同じプログラムが流れるのだろう。

翌8日(日)。本当なら5時59分発の只見線で小出に抜けるはずだったのだが、只見-大白川間が不通なので予定を変更し、引き続き磐越西線に乗り、弥彦神社へ向かうことにする。2泊3日の行程は「∞」だったが、「○」のようなルートになってしまった。
しかし朝は余裕ができて、8時12分の列車でよくなった。約2時間の寝坊は大きい。ただし朝食は摂っていない。
会津若松駅構内に入る。新津行きの列車はキハ40。私の好きな車両である。
定刻、会津若松発。ちなみに会津若松では観光なし。ただの中継点になってしまった。
新津には11時37分到着予定である。この間が何キロあるのか知らないが、所用時間3時間25分とは、けっこう時間がかかる。
喜多方着。ここから日中線という超ローカル線が分岐していたが、昭和59年に廃止された。現JR東日本は、国鉄再建法の措置による廃線は比較的少なかったが、1日に上下3本しか走っていない日中線は、廃止するよりなかったようである。
野沢着。ここで27分待ちとのこと。東京だったら、自宅最寄駅からLPSAのある田町駅に、余裕で着いてしまう。私は駅をいったん出て、駅舎を写真に収めた。
再び列車は走る。しばらくすると、右手に大河が寄り添ってきた。阿賀野川だろうか。川と山とのコントラストが素晴らしい。いままで観たことのない絶景である。京都の嵯峨野鉄道ではないが、ここにトロッコ列車の類を走らせたら、さぞや受けるであろう。
と思いきや、この区間はすでに、「SLばんえつ号」が走っていたのだった。
津川着。ここも17分の待ち合わせ。私はまた列車を出て一息つく。こののんびり旅がローカル線の醍醐味であろう。駅の跨線橋内に、ポスターが貼られている。
「1月8日、新発田でお雑煮大会」
とある。大いに食指をそそられるが、きょうは寄り道はできない。
五十島(いがしま)で10分待ち。これだけたびたび列車待ちがあっては、3時間以上もかかるわけだ。さすがに私も、今度は列車の中でじっとしていた。
五泉(ごせん)着。ここからかつて、蒲原鉄道という小鉄道が走っていたが、やはり廃止されてしまった。廃止と聞いて乗りに行ったのだが、あのころの私は活動的だったと、あらためて思う。
11時37分、新津着。新津は鉄道の町で、JR東日本の車両製造所がある。もうだいぶ昔、新津駅構内で、ステンレス製の総武線車両が試運転していたのを見て、驚き感動したことがある。
何はともあれ、メシである。駅を出た右手に、オッと思う店があった。それは私が、かねてから入ってみたい類の店であった。
(つづく)
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