一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

泣くなヨーコ、明日があるさ

2011-01-28 00:39:42 | 女流棋士
きのう27日午前10時から行われた天河戦・中井広恵女流六段-船戸陽子女流二段戦は、中井女流六段が歴史的逆転勝利を収めた。
きのうは午前中に一度ネット中継を覗き、昼休みに再び観戦した。そのときは128手目、後手の中井女流六段が☖4二銀と堪えたところだった。対して先手がどう指すか分からなかったが、実戦は☗2三銀。そうか、単純に王手でいいのか。しかし続く☗3二金は追いすぎだと思った。コメントには「☗6三金でもよさそうだが。」とあり、なるほどこれなら必至だ。
しかし本譜も☗4二金とボロッと銀を取れるから、よさそうに思える。これに中井女流六段は☖6三玉。☖6一玉と引いて後手玉には詰めろがかからないと思ったが、☖6三玉は、後に玉を攻め駒のひとつにしようという、中井女流六段渾身の勝負手だったのだ。
ここから終局までの船戸女流二段の指し手は、船戸女流二段ファンの私には正直言って、正視できない。
1分将棋のなか正常な思考を欠き、乱れに乱れて、船戸女流二段は無残に敗れた。それはまるで、私やW氏のヘタな終盤が船戸女流二段に乗り移ったかのようだった。船戸女流二段のショックは、譬えが卑近で恐縮だが、女性が暴漢に襲われたごとくではなかったか。
初めに戻るが、☖4二銀☗2三銀☖4一玉に☗6三金なら、中井女流六段は投了しかなかった。また☗2三銀で☗5二金というシャレた手でも、船戸女流二段が勝っていた。
つまりどう指しても船戸女流二段の必勝だったわけで、この将棋を落とした船戸女流二段の心中、察するに余りある。
元来船戸女流二段は早指しが得意で粘り強く、逆転負けの少ない女流棋士だ。
勝つときは最初から快調に攻め倒し完勝。悪い将棋のときは自陣に駒を打ち、力づくでひっくり返す。反対に負けるときは、作戦負けからジリ貧で土俵を割ることが多い。同じ負けるにしても、本局のようなパターンはなかった。いつぞやの1dayトーナメントで中倉彰子女流初段に必勝の将棋を落としたことがあったが、私が記憶するのは、そのくらいだ。
ではなぜ☗6三金が見えなかったか――。などと外野がほざくのは無意味で、疲労のないクリアな頭で局面を見るのと、朝から極度の緊張状態を続けて局面を見るのとでは、おのずと見える手も違う。しかも相手は常勝の中井女流六段である。多少のふるえもあったろう。
私が25日に船戸女流二段から濃密な指導対局を受けたときは、終盤に見事な手順で即詰みに討ち取られていた。「クリア」の船戸女流二段なら、☗6三金はノータイムで発見したに違いない。
船戸女流二段には残念な一局となったが、しかし見方を変えれば、この終盤の「事件」のおかげで、本局が後々にまで語られる将棋になったとは言えまいか。
古くは升田幸三-大山康晴・高野山の決戦の「☗4六玉」。中原誠-大内延介・名人戦の「☗7一角」。マニアなところでは高島弘光-中原誠・棋聖戦の「☗2四歩」。どちらも優勢な側がそのまま勝っていたら、それらの将棋が今日まで語り継がれることはなかった。
☗6三金はコンピューターなら一目だ。しかし人間が指すから、指し手に誤りがあり、最後まで勝負は分からない。だから人と人との勝負はおもしろいのだ。
船戸女流二段の将棋にはドラマがある。人間味があふれている。
私は終盤で乱れた船戸女流二段に、彼女の新たな魅力を見た気がして、ますます船戸女流二段のことが好きになった。

いまごろ船戸女流二段は、自分の不甲斐なさに呆れ、家で泣きくずれているかもしれない。しかし泣くのはいいことである。きょうのタイトルとは正反対のことを書くが、泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣いて、自分の弱さ、未熟さを痛感したら、また将棋の勉強をして、出直せばいいのだ。
そんな船戸女流二段は、きょう28日、芝浦サロンの指導棋士である。私も仕事があるが、夜には駆けつける予定である。そのときは、お疲れさまでした、とねぎらいの声をかけようと思う。全国のヨーコファンを代表して。
コメント (6)
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