goo blog サービス終了のお知らせ 

一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大山の名局・8

2019-07-26 00:09:22 | 名局
日付変わって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。1992年の没だから、もう27年も経ってしまった。
当時私はリストラで会社を辞め、当日は北海道を旅行中だった。旭川から自宅へ定期連絡を入れると、オヤジが散文的に「あと大山が死んだ」と教えてくれた。私は、ついにこの日が来てしまったか……と、世の無常を思ったものだ。

さて今年の「大山の名局」は、1992年3月2日に指された、第50期A級順位戦最終局・対谷川浩司竜王戦をお届けする。大山十五世名人が亡くなる5ヶ月前の将棋である。
この期の挑戦者争いは、2位の谷川竜王と6位の高橋道雄九段が6勝2敗。4位の南芳一九段と7位の大山十五世名人が5勝3敗で追う展開だった。高橋九段は塚田泰明八段との対戦で、どちらが勝つか分からない。ただ谷川竜王は大山十五世名人に相性がよく、ここまで14勝5敗(不戦勝1を含む)。A級順位戦に限っては5戦全勝だった。しかも竜王のほかに棋聖、王位、王将と保持し、脂が乗りきっていた。
いっぽうの大山十五世名人は前年秋にガンの手術をしており、体調が万全ではない。68歳の高齢もあいまって、どこから見ても谷川竜王の優位は動かなかった。
という背景があり、最終局が始まったのである。

▲十五世名人 大山康晴
△竜王 谷川浩司

初手からの指し手。▲7六歩△8四歩▲5六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八飛△5四歩▲6八銀△6二銀▲4八玉△6四歩▲3八玉△4二玉▲6六歩△3二玉▲5八金左△5二金右▲2八玉△5三銀▲3八銀△3三角▲4六歩△4四歩▲3六歩△2二玉▲5七銀△1二香(第1図)

▲7六歩△8四歩に▲7八飛の三間飛車は有力だったが、大山十五世名人は▲5六歩と中飛車も匂わす。谷川竜王は△8五歩と伸ばしたが、今度はその歩を狙って▲8八飛。とはいえ大山十五世名人の向かい飛車は珍しかった。
谷川竜王は右銀を早めに上がり、△4四歩から△1二香。穴熊の明示である。

第1図以下の指し手。▲3七桂△1一玉▲4五歩△4三金▲4七金△2二銀▲6八飛△3一金▲6五歩(第2図)

大山十五世名人は右桂をなかなか跳ねないが、本局は▲4七金や端歩まで後回しにして跳ねた。
さらに▲6八飛から▲6五歩。序盤に△6四歩と突かせたから、ここで1歩交換が可能となった。ここでは対穴熊といえども、振り飛車まずまずではなかろうか。

第2図以下の指し手。△8六歩▲同歩△6五歩▲同飛△6四歩▲6九飛△7四歩▲4四歩△同角▲4五桂△7七角成▲同桂△4四銀▲4六歩△3五歩▲6四飛(第3図)

谷川竜王は△8六歩と味をつけるが、やはり△6五歩と戻すよりなく、大山十五世名人は▲同飛から▲6九飛と引き満足である。
▲4五桂が大山十五世名人らしからぬ跳躍だが、角交換のあと△4四銀と上がらせれば、先手は▲4六歩と収めて十分である。
だがこの形になったことで、谷川竜王はある攻め筋を決行することになった。

第3図以下の指し手。△4五銀▲同歩△7三角▲4六角△3四桂(第4図)

谷川竜王は△4五銀と桂を取り、4六の地点をこじあける。そして△7三角の準王手飛車が狙いだった。
大山十五世名人は▲4六角と受けるが、谷川竜王は△3四桂。これが前譜△3五歩の意味だった。
これに▲3七角は△4六歩が飛車金取り。よって一本取ったと谷川竜王は見たのだが……。

第4図以下の指し手。▲6三飛成△4六桂▲同銀△5二角▲6八竜△8六飛▲6四歩△6六歩▲同竜△6二歩(第5図)

△3四桂に角を逃げられず先手が困ったようだが、素朴に飛車を成るのが好手だった。
谷川竜王はとりあえず角を取るが、▲4六同銀と取った形は先手の金銀4枚が集結し、先手十分となった。谷川竜王は読み筋通りに運べたのに局面が思わしくなく、困惑したことだろう。
いや、角銀交換の駒損なれど、この局面で指せる、と見た大山十五世名人の大局観が素晴らしかったのだ。
非勢を自認した谷川竜王は△5二角と据えたが、ここに打つようでは駒得のアドバンテージが消えてしまった。

第5図以下の指し手。▲4四桂△4一角▲5五歩△8八飛成▲5四歩△同金▲5二歩△8四角▲5六竜△5五歩▲6七竜(第6図)

▲4四桂が待望の反撃で、△4一角に▲5五歩。先手は5筋の歩を切るのが肝要で、ここに歩が立てばいくらでもと金を作れる。
△8四角には▲5六竜~▲6七竜。竜は攻めに強いが、受けにも強い。前述の通り、先手はと金攻めができれば、ほかの攻め駒は要らないのだ。

第6図以下の指し手。△2四歩▲8九歩△同竜▲8五歩△9五角▲4三銀△5三金▲3四銀成△5二金▲同桂成△同角▲3五成銀(第7図)

△2四歩は自らアキレス腱をこじあけるので好ましくないが、△4一角を世に出すためにはやむを得ない。
大山十五世名人は▲8九歩と竜筋を逸らして▲8五歩。実に芸が細かい。
さらに▲4三銀から▲3四銀成とし、△4一角の活用を封じた。
谷川竜王は△5二金と駒損を甘受したが、大山十五世名人は3手後に▲3五成銀と引き、落ち着いたもの。将棋は勝ち急いではいけない、という大山十五世名人最後の教えである。

第7図以下の指し手。△9九竜▲5四歩△4八歩▲3九金△7五歩▲同歩△7六歩▲同竜△7九竜▲5三歩成△4一角(第8図)

△9九竜に▲5四歩と垂らす。先手は5筋でと金を製造すればいいのだから、ラクだ。
△7五歩にも落ち着いて▲同歩と取っておく。ここ慌てて▲5三歩成は△7四角で、△4七角成を見られてめんどうである。こんな角に金と交換させるわけにはいかない。
△7九竜には▲5三歩成と行く。ここで△7七角成なら勝負だったが、谷川竜王は△4一角と引いた。この瞬間勝負がついたと、河口俊彦八段は「将棋マガジン」の対局日誌に書いた。
という第8図で、大山十五世名人最晩年の名手が出る。

第8図以下の指し手。▲6七金(途中図)△7三桂▲6三歩成△3二角▲5四歩△6五桂打▲同桂△7六竜▲同金△7九飛▲4二と(投了図)
まで、113手で大山十五世名人の勝ち。

▲6七金が名手。こうして相手の手を殺すのが大山流である。谷川竜王は△7三桂だが、これは一手の価値がない。以下▲4二とまで、谷川竜王の投了となった。

本局の大山十五世名人の勝利と高橋九段の敗戦、南九段の勝利によって、何と四者プレーオフとなった。
大山十五世名人は手術前のA級の成績が3勝3敗だった。その時、「まだ目がある」とつぶやいて入院した。周りは「もう降級の目はほとんどないが、慎重な大山先生らしい」と感心した。
ところが大山十五世名人の真意は「まだ名人挑戦の目がある」だったのだ。
谷川戦の1週間後、大山十五世名人は高橋九段とのプレーオフに臨んだ。当時は将棋会館で解説会が行われたが、プレーオフ第1戦としては異例の企画だった。
将棋は大山十五世名人が全盛時を思わせる指し回しを見せ必勝の局面を作ったが、飛車を転回する決め手を逸し、惜敗した。投了の局面は詰み上がっていて、私は、これが最後の順位戦と覚悟していた大山十五世名人が、少しでも長く勝負の場に浸っていたかったから、と推察した。
なお、この谷川竜王戦の日に誕生したのが、誰あろう里見香奈女流五冠である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一二三の名局・3

2018-12-03 00:56:20 | 名局
日付変わって今日12月3日は123の日…ではないが、加藤一二三九段の名局をお届けする。
今回は1973年2月15日に指された第27期A級順位戦、大山康晴王将との一戦である。この期は11人のリーグで、ここまで大山王将、加藤八段ともに5勝2敗。勝った方が名人挑戦に近づく大一番だった。

第27期A級順位戦8回戦
▲八段 加藤一二三
△王将 大山康晴
(持ち時間・6時間)

初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲2五歩△3三角▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉(第1図)

居飛車明示の加藤八段は、5手目に早くも▲2五歩。加藤八段は早い歩突きが多かった。対して大山王将は向かい飛車に振る手もあったが、愛用の四間飛車に落ち着いた。
次の手が作戦の骨子。

第1図以下の指し手。▲5五歩△5二金左▲5七銀△4三銀▲5六銀△6四歩▲6八銀△9二香▲6六歩△6三金▲6五歩△同歩▲同銀△6四歩▲5六銀△9一玉▲5七銀△8二銀▲6八金直△7一金▲6七金右(第2図)

加藤八段は棒銀のイメージがあるが、本局は中央位取りに出た。居飛車を持った大山王将が得意とする手で、お株を奪った形だ。
対して大山王将は△9二香と上がり穴熊の明示。大山王将に穴熊のイメージはないが、この時期は多用していた。加藤八段は意表を衝かれたか2時間27分!!!の大長考で、▲6六歩。以下▲6五歩から1歩を持って十分となった。こうなるなら△9二香の前の△6四歩は不急で、穴熊にするなら△6四歩は突かないほうがよかったかもしれない。
加藤八段は▲6七金右とし、美しい囲いが完成した。

第2図以下の指し手。△7四歩▲9六歩△1四歩▲9五歩△7二飛▲6六銀△3五歩▲7七角△5一角▲8六角△3二飛▲6五歩△同歩▲同銀右△3六歩▲同歩△1五角(第3図)

△7四歩も穴熊らしからぬ手だが、後に△7二飛と回る含みで、島井咲緒里女流二段が得意にしている。果たして△7二飛には▲6六銀。先の歩交換があったからできた形だ。
しからばと大山王将は△3五歩と伸ばす。加藤八段は角を8六に据え▲6五歩と合わせ、盛り上がってきた。加藤八段らしいようならしくないような手厚い形で、米長邦雄永世棋聖の指し回しのようでもある。
△1五角にはどうするか。

第3図以下の指し手。▲6四歩△7三金▲7五歩△同歩▲7四歩△7二金引▲7五角△6二金上▲1六歩△5九角成▲2四歩△3六飛▲3七歩△同馬▲同桂△同飛成▲5八飛△3五桂(第4図)

▲6四歩が気持ちいい一打。これに△6二金引では▲7四銀なので△7三金だが、▲7五歩でますます好調。加藤八段の攻めが筋に入ってきた。なおここで角成を防ぐ▲5八金はひどい利かされで、プロは絶対に指さない。
△6二金上と指したところで、▲1六歩と角成を催促する。角筋を逸らして▲2四歩の狙いで、後手は分かっていても角を成るしかない。
△3六飛▲3七歩に飛車を逃げていてはジリ貧なので、大山王将は△3七同馬。多少の駒損でも竜を作って食いつけば何とかなると見ている。
△3五桂に次の手が軽い好手。

第4図以下の指し手。▲6三歩成△同金右▲9四歩△同歩▲同香△同香▲6四歩△4七桂成▲1八飛△9八香成▲6三歩成△同金(第5図)

▲6三歩成が好手。対して△同金直は▲6一角の両取りでそれまで。よって△同金右と取ったが、加藤八段は端で1歩を入手し、▲6四歩まで金を殺した。加藤八段、これはもう負けられぬところであろう。

第5図以下の指し手。▲2三歩成△3九竜▲6九歩△7一香▲4一角△6二歩▲2二と△2六歩▲1七飛△3六竜▲4七飛△同竜▲9四桂△9九飛▲8二桂成△同玉(第6図)

第5図で落ち着いて▲2三歩成。1977年発行の「大山十五世名人の穴グマ振り飛車」(池田書店)ではこの将棋が取り上げられたが、たしかこの辺りで解説を打ち切っていたと思う。
「思う」と書いたのは、昨年の今頃、私は大掃除を余儀なくされ、大量の将棋書籍を処分してしまったから。だけど大山本は、両親の反対を押してでも残しておくべきだった。
閑話休題。しかし現局面もアマ的にはここからが大変で、まだまだ先は長い。
大山王将は△3九竜と突っ込み、加藤八段は▲6九歩。これは▲2三歩成で得た1歩だった。
大山王将は△7一香、△6二歩とひたすら受ける。そこで加藤八段が▲2二と、と駒の補充にいったのが地味な好手だった。
△2六歩に加藤八段は▲1七飛と浮いたが、ここは▲1五歩と、飛車の可動域を拡げる手があったようだ。大山王将は△4七同竜で駒損を回復し、アマ同士ならもうどっちが勝ちか分からない。

第6図以下の指し手。▲5七金寄△3七竜▲2一と△8九飛成▲6七玉△8七竜▲7七金△9六竜▲8六金△9七竜▲8七金打△9四竜▲8五銀△9二竜▲9四桂△9一玉(第7図)

第6図で▲5七金寄と逃げ道を開けるのが落ち着いた好手だった。これがあるなら前譜の△3六竜がやや疑問で、ここは△3七成桂とすれば▲3七飛△同竜の形になり、この▲5七金寄が竜取りの先手にならなかった。
大山王将は2枚目の竜を作るが、▲6七玉の形はいい。さらに加藤八段は金銀をベタベタと打ちつけ、竜を追いやる。大山王将も香の位置に竜を引き付け、「らしい」戦いだ。
私見だが、大山将棋を学ぶ時、ちょっと悪い時の粘り方を勉強するのがいいと思う。

第7図以下の指し手。▲1一と△4五桂▲6四香△5七桂成▲同銀△4五桂▲4九桂△5七桂成▲同桂△9三歩▲6三香成△9四歩(第8図)

▲1一とで香を補充できたのが大きい。このと金は地味ながら大きな活躍をした。
大山王将は△4五桂と打ち、5七の地点を執拗に狙う。しかし2度目の△4五桂に▲4九桂がしっかりした受け。先の金銀の連打もそうだが、一局の中では攻めるだけでなく、受けるべきところはしっかり受けなければならない。
大山王将の△9三歩は仕方のないところで、ここ△4六銀は、▲6三香成△5七銀成▲同角△4五桂の時、▲8二銀(参考図)で後手玉が詰んでしまう。しかし加藤八段待望の▲6三香成が実現した。


第8図以下の指し手。▲7三桂△4五桂▲8一桂成△同竜▲9三桂△9二竜▲7三歩成△5七桂成▲同角△9三竜▲7四桂△5七竜▲同玉△3九角▲4七玉(投了図)
まで、143手で加藤八段の勝ち。
(消費時間:加藤5時間59分、大山2時間36分)

加藤八段は▲7三桂から▲7四桂まで攻め、後手玉は一手一手。大山王将は△5七竜以下最後の突撃を試みたがわずかに詰まず、無念の投了となった。

この5日後に大山王将は、第22期王将戦第4局で中原誠名人に敗れ、ついに無冠となった。
いっぽう加藤八段は本局の勝利が大きく、最終的に7勝3敗で逃げ切り、13年振り2度目の名人挑戦を決めた。しかし中原名人との名人戦は、0勝4敗で敗退。加藤八段が名人位を掌中に収めるのは、この9年後のこととなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山の名局・7

2018-07-26 00:06:14 | 名局
日付変わって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。1992年の没だから、早くも26年が経ってしまった。
今日は毎年恒例の、私が勝手に選ぶ「大山の名局」を紹介する。
今回は30年前の命日からピックアップした。第47期A級順位戦・塚田泰明八段戦である。
塚田現九段は奨励会を2年5ヶ月というハイスピードで駆け抜け、1980年、16歳で四段になった天才である。ものすごい攻め将棋で、「攻めっ気100%」「塚田攻めれば道理引っ込む」の異名があった。
順位戦はこの期にA級八段になり、名実ともに一流の仲間入りを果たした。いまで言えば、豊島将之棋聖のような存在感だったかもしれない。
大山十五世名人は当時65歳。1回戦では青野照市八段を破り、いつも通りのスタートを切っていた。

1988年(昭和63年)7月26日
第47期A級順位戦
持ち時間:各6時間
於:東京・将棋会館

▲十五世名人 大山康晴
△八段 塚田泰明

初手からの指し手。▲7六歩△8四歩▲7八飛△8五歩▲7七角△3四歩▲6六歩△4二玉▲6八銀△3二玉▲4八玉△6二銀▲3八玉△5二金右▲5八金左△7四歩▲5六歩△5四歩▲2八玉△1四歩▲1六歩△4二銀▲3八銀△9四歩▲5七銀△5三銀右▲3六歩△6四銀(第1図)

大山十五世名人は先手番の場合、三間飛車か中飛車が多い。塚田八段は2手目に△8四歩だったので、すぐに三間に振った。
塚田八段は穴熊に見向きもせず、△7四歩と急戦の意思表示。さらに△4二銀を挟んで△5三銀右とした。この△4二銀を保留して△5三銀(右)と上がるのも塚田八段の得意戦法で、高勝率を挙げていた。

第1図以下の指し手。▲6七金△5三銀上▲2六歩△4二金上▲9六歩△7五歩▲5九角△7二飛▲7五歩△同銀▲3七角△6四歩▲7六歩△8四銀▲9七香△7三銀▲7五歩△8四銀▲7六金△8六歩▲同歩△8七歩(第2図)

▲6七金と左金を増援するのが大山流。△7五歩には▲5九角と引き、数手後に▲3七角と上がった。大山十五世名人はここに角を据えるのが好きで、右桂を跳ねなかったのはこの手を指したかったから、という説もある。
塚田八段は右銀を捌こうと腐心する。△8六歩から△8七歩と、イヤミな歩を垂らした。

第2図以下の指し手。▲8五歩△8八歩成▲同飛△7五銀▲同金△同飛▲7七歩△7八歩▲7六銀△7四飛▲8四歩△7九歩成▲8三歩成△8九と▲8五飛△7九と(第3図)

大山十五世名人は▲8五歩。先の突き捨てを逆用して気持ちがいい。しかし塚田八段も右銀を金と交換し、これは攻めの構想が成就したと言っていいだろう。
大山十五世名人は▲7七歩から▲7六銀。一方的に受けに回っているようだが、飛車先を突破するまでの辛抱と見ている。

第3図以下の指し手。▲4六角△7八と▲7五銀△7一飛▲7六歩△7七と▲7二と△同飛▲8一飛成△7一歩▲4八銀△6七と▲9一竜△5八金(第4図)

△7九とはと金の活用を見たものだが、私ならすぐ△4五桂に飛びついている。
大山十五世名人もそれを嫌ってか、▲4六角とひとつ上がった。
△7八とに▲7五銀△7一飛。▲7五銀があるなら、前譜△7四飛ではすぐに△7一飛と引く手はあったかもしれない。
大山十五世名人は▲4八銀と自陣を引き締め、塚田八段は△6七と。ここ、△7六とと引くのはウソ手なのだろう。
△5八金にはどう指すか。

第4図以下の指し手。▲5九香△4九金▲同銀△4五金▲8四桂△7五飛▲同歩△4六金▲同歩△6六角▲7一竜△4一桂▲4七金△6八と▲3八銀△5九と▲同銀△3九銀▲2七玉△5七香(第5図)

このままでも駒損にはならないが、大山十五世名人は▲5九香と万全を期した。
以下、断続的に塚田八段の攻めが続く。数手かけた塚田八段のと金は▲5九香と交換になったが、これはどのくらいの得になったのだろう。
ともあれその香を△5七に据えた。先手を持ったら攻め潰されそうである。

第5図以下の指し手。▲6七歩△5九香成▲6六歩△4九銀▲3七金打△5八角▲1七角(途中1図)

△3八銀不成▲同金△4七角成▲同金△4九成香(第6図)

▲6七歩と、根元の角を取りに行く。△4九銀に▲3七金打。この地点に金を打って金が2枚並ぶ形というと、1970年8月24日・25日に指された第11期王位戦七番勝負第3局・▲大山王位VS△米長邦雄七段戦を思い出す。

塚田八段は△5八角と食いつくが、▲1七角(途中1図)が大山流の受けだ。
塚田八段はなおも攻め続けるが、価値の高い駒での攻めなので、意外に迫力がないのかもしれない。

第6図以下の指し手。▲3七銀△4八金▲同銀△同成香▲3七金△4七銀▲2五歩(途中2図)

△3八銀打▲1八玉△4四銀▲2四歩△同歩▲2二歩△2九銀不成▲同玉△2五桂▲2一歩成△1七桂不成▲1八玉△2九角▲1七玉(投了図)
まで、133手で大山十五世名人の勝ち。

▲3七銀は△4八金と張り付かれて同じようだが、▲同銀△同成香で金銀を換えたのがテクニック。そうして▲3七金と寄り、銀2枚では寄りがないのだ。このあたりは将棋マガジンで、川口篤氏が「対局日誌」に記している。
△4七銀に▲2五歩(途中2図)が待望の反撃である。
△3八銀打▲1八玉に△4四銀は、攻めの増員だろうか。
大山十五世名人は▲2四歩△同歩▲2二歩。これを△同玉なら▲2三歩△同玉▲3一飛であろう。
塚田八段は最後の突撃をし、▲1七玉に攻め手が尽きて、投了した。

私のようなヘボから見ると、まことに不思議な将棋で、大山十五世名人はほとんど受けの手しか指していない。敵陣への侵入といえば、飛車を成り桂香を取り、2筋の歩を突き捨てて歩を成っただけである。これで大山十五世名人が勝ってしまうのだから、訳が分からない。
気鋭のA級八段の攻めも、お釈迦様の掌の上で転がされただけだったわけだ。

大山十五世名人はこの期、6勝3敗で4位。最終局の星次第では、プレーオフ進出の可能性もあった。
もう一度書く。65歳でA級6勝。これがどれほどの快挙か、当時の私たちは、まだピンときていなかった。永世名人ならこのくらいの成績は当たり前、と考えていたのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山の名局・6

2017-07-26 00:57:09 | 名局
日付かわって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。平成4年の没だから、四半世紀も経ってしまった。月日の経つのは早いものだ。
では今年も「大山の名局」を記す。
今回の舞台は平成元年度の第48期A級順位戦最終局。この期のA級は大混戦で、すべてのカードが挑戦者か降級に絡んでいた。

1位・米長邦雄九段(5勝3敗)―7位・塚田泰明八段(3勝5敗)
2位・桐山清澄九段(3勝5敗)―4位・大山康晴十五世名人(3勝5敗)
3位・内藤國雄九段(5勝3敗)―5位・中原誠棋聖・王座(5勝3敗)
6位・青野照市八段(3勝5敗)―9位・田中寅彦八段(4勝4敗)
8位・南芳一棋王・王将(4勝4敗)―10位・高橋道雄八段(5勝3敗)

南二冠だけが純粋な「順位」戦で、あとは名人挑戦か降級に関わる。各棋士勝ち越しも負け越しも星2つの差しかなく、いかに混戦だったか分かるだろう。
大山十五世名人は前半の5局を1勝4敗と苦しい展開。6、7回戦に勝って安全圏に入ったと思いきや、8回戦の青野八段戦を凡戦で落とし、一気に寒くなった。もし最終局で敗れると3勝6敗になり、塚田八段か青野八段のどちらかに勝たれると、降級してしまう。つまり残留するには勝利しかなく、大山十五世名人、絶体絶命の危機だった。

平成2年(1990年)3月5日
第48期A級順位戦9回戦
持ち時間:6時間
於:東京・将棋会館

▲九段 桐山清澄
△十五世名人 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲9六歩△9四歩▲5七銀△7二銀▲6八銀上△6四歩
▲3六歩△4三銀▲2五歩△3三角▲5五歩△5二金左▲5六銀△6三金▲4六歩△1二香▲1六歩△7四歩▲3七桂△4一飛▲2六飛△8四歩▲4五歩△同歩▲2四歩△同歩
▲4五銀△5一角▲5六銀△5二銀(第1図)

大山十五世名人は十八番の四間飛車。これが最後のA級順位戦になるかもしれない対局を、この戦法に賭けた。
対する桐山九段の作戦は、この頃にはすでに下火になっていた中央位取り戦法。大山十五世名人も居飛車を持って得意にしていた戦法で、大山十五世名人は対局中、昔を懐かしみながら指していたという。

第1図以下の指し手。▲5九金寄△3三桂▲5四歩△同歩▲3五歩△6五歩▲4二歩△同角▲3四歩△6四角▲5五歩△4八歩▲同金寄△2五桂▲同桂△同歩▲同飛△5五歩▲4二歩△3一飛
▲4五銀△5六桂▲2二飛成△4八桂成(第2図)

当時大山十五世名人は66歳。この時第15期棋王戦五番勝負で南棋王に挑戦中(!)だったが、第2局を終わって0勝2敗。第3局が4日後に迫っていたが、はっきり言って、タイトル戦を指す心境ではなかったと思う。
桐山九段の▲5九金寄は、飛車成りを受けて当然。と同時に、金銀の連携を良くした。
▲4二歩は△4一飛・△5一角型の時の手筋で、どちらかの働きを減殺することができる。大山十五世名人は△同角と取り、△6四角と要所に据えた。
△5五歩に▲同銀は△6六桂▲同歩△5五角の狙いか。桐山九段は再び▲4二歩を利かし、▲4五銀と躱す。
△4八桂成にはどうするか。

第2図以下の指し手。▲4八同金△5一飛▲1二竜△3六歩▲同銀△5六歩▲5五歩△4六歩▲6九桂△9五歩▲2三竜△9六歩▲9八歩△5三銀▲4五香△6二銀▲5四桂(第3図)

桐山九段は▲4八同金と取ったが、私だったらよろこんで▲3一竜とするところ。
大山十五世名人はここで飛車を逃げ、△3六歩~△5六歩~△4六歩と歩を駆使したあと、△9五歩。大山十五世名人は美濃囲い側からも平気で端攻めをしていた。また盤のあっちこっちに手が行くのは、盤面を広く見ている証左である。

第3図以下の指し手。△3五歩▲同銀△3六金▲6二桂成△同金上▲4一歩成△7一飛▲2五竜△4七金▲4九歩△8五歩▲3六竜△8六歩▲同歩△8七歩▲7九角(第4図)

大山十五世名人は△3五歩から△3六金と張り付き、またも△8五歩と攻め場所を転じる。相手の立場になると、ここと思えばまたあちらで、神経が休まる間がない。
△8七歩に▲7九角はいかにもつらい。

第4図以下の指し手。△7五歩▲7七銀△8四桂▲8五歩△7六桂▲4七金△同歩成▲5六竜△8八金▲同角△同歩成▲同銀△6八角▲8四歩△7三金上▲7七歩△3五角成▲7六歩△4六と▲6五竜(第5図)

今度は△7五歩から攻めかかる。桐山九段は受け一方で、先ほどから大山十五世名人がひとりで指している気がする。
桐山九段も▲5六竜と転じるが、大山陣は上部に手厚く、ビクともしない。

第5図以下の指し手。△5六銀▲8五金△6五銀▲8三銀△同銀▲同歩成△同玉▲8四歩△同金▲同金△同玉(投了図)
まで、132手で大山十五世名人の勝ち。

△5六銀が決め手。将棋は、駒を盤面に打って空間を制圧してしまうのがいいのではないか、と思わせる。

△8四同玉まで桐山九段が投了し、大山十五世名人の残留が確定した。敗れた桐山九段は、下位の3勝勢が勝ったことにより、2位3勝で降級となった。結果的に大山十五世名人は、勝つしかなかったことになる。
局後大山十五世名人は、本局が降級の一番と考えず、B級1組から昇級の一番と考えることにした、と語った。何でもポジティブに考える、十五世名人らしいコメントだった。
また米長九段は本局の大山将棋を「大きな将棋」と讃えた。二人の間柄は人生観の違いなどから良好ではなかったが、お互いの将棋は認めていたと思う。
大山十五世名人の活字は現在も「将棋世界」で目にするし、評論本や実戦集がいまだに発行される有様である。大山十五世名人の肉体は滅びたが、大山将棋は現在も生きている。そう、大山康晴は今も私たちの中に生きているのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クッシーの名局

2016-12-09 12:56:35 | 名局
今日12月9日は櫛田陽一七段の誕生日。おめでとうございます。…と祝うほどの年齢でもなかろう。私もそうだが、誕生日が来るのが恐ろしい年代である。
あまり知られていないが、櫛田七段はLPSA駒込サロンで一時期、手合い係を務めていたことがある。前任の植山悦行七段が水を得た魚のように生き生きと動いていたので櫛田七段のそれは存在感が劣ったがそこはそれ、指導対局などはしっかりやってくれた。
私も櫛田七段の着任早々、指導対局を受ける幸運に恵まれた。手合いは角落ちで、それは私が56手で快勝。これは櫛田七段が手を緩めすぎたのだが、私の評価は妙に上がってしまった。
数年後、将棋ペンクラブ関東交流会に櫛田七段が指導棋士として参加してくださり、再び角落ちでお願いした。が、2度はいい思いをさせませんぞとばかり、今度は寄り倒された。
私は交流将棋会で4勝か5勝し3敗したのだが、櫛田七段は「大沢さんが3敗もするなんて、将棋ペンクラブは何てレヴェルが高いんでしょう」と、盛大なホメ殺しをされたものだった。

改めて櫛田七段は、1987年プロ四段。その年の全日本プロトーナメントでいきなり決勝三番勝負に進出し、大いに名を上げた。
さらに1989年度のNHK杯トーナメントではあれよあれよという間に勝ち進み、決勝では島朗前竜王に勝ち、うれしい優勝となった。紛れもなく、日本一強い四段であった。
その櫛田七段がフリークラス宣言をしたのは1995年。NHK杯優勝後はパッとしなかったがまだまだ活躍が期待されており、あり得ない選択だった。
一説には「過度の飲酒でやる気がなくなった」とのことだが、それなら休場すればいいわけで、フリークラス転出の整合性がない。結局、この真相はナゾである。
2012年6月引退。まったく、訳の分からない引退だった。
その櫛田七段の名局を紹介する。上記のNHK杯トーナメントの決勝戦である。
島前竜王の居飛車明示に、櫛田七段は四間飛車。島前竜王が穴熊に組むと、櫛田七段は銀冠で対抗し、以下むずかしい展開を制した。

第39回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝戦
1990年2月19日対局
於・NHK放送センター
持ち時間:10分(ほかに考慮時間10分)
▲前竜王 島朗
△四段 櫛田陽一

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二銀▲5七銀△5二金左▲7七角△7一玉▲8八玉△4三銀▲2五歩△3三角
▲9八香△5四銀▲6六歩△6四歩▲5八金右△7四歩▲9九玉△7三桂▲8八銀△8二玉▲7九金△9四歩▲9六歩△8四歩▲3六歩△4五歩▲6八金右△8三銀▲7八金寄△7二金
▲5九角△6三金▲3七角△2二飛▲1六歩△1四歩▲6八銀△6六角▲5五歩△6五銀▲3八飛△5六銀▲7七銀左△4七銀成▲6六銀△3八成銀▲5四歩△3七成銀▲5三歩成△同金
▲3七桂△9五歩▲同歩△9七歩▲同香△8五桂▲8八金寄△9七桂成▲同金△9二香打▲8六銀△4八角▲5五角△1二飛▲4九歩△3九角成▲6五銀△3八馬▲5六歩△5四歩
▲4五桂△6三金左▲6四角△同金▲同銀△4六角▲5三桂成△6四角▲6三金△9五香(図)

▲6四金△9七香成▲同桂△9八歩▲8八玉△5六馬▲6七歩△9九銀▲7七玉△9七香成▲5九香△6五桂▲同金△同馬▲9七銀△8五金▲7八玉△7六金▲7三歩△同金
▲9五香△6六歩▲同歩△8七金▲6九玉△4七馬▲5八角△4六馬▲6五桂△7五飛▲7三桂成△同玉▲7八歩△9五飛▲7六角△9七飛成▲6五桂△8二玉▲6三成桂△6七歩
▲7三桂成△9二玉▲8三成桂△同玉▲7三金△9三玉▲9四歩△同竜▲8七角△6八歩成▲同金△6七歩▲8三金打△同竜▲同金△同玉▲7三成桂△同馬▲5四角△6八歩成
▲同玉△4六馬▲5七銀△5六桂▲6七玉△6八金▲7七玉△8八銀打
まで、158手で櫛田四段の勝ち

櫛田七段の対イビアナの指し方を見ていると、「アナグマ恐れるに足らず。将棋は強い方が勝つ」のメッセージが込められているようで、私も心強くなる。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする